雨宿りDIARY Ⅱ
いくら「モテ」を集めてもゼロはゼロ
2026/09/24 14:09エッセイ
「モテすぎちゃって困っちゃう~☆」
「今日も声かけられちゃった♪」
「私ってモテるから~♡」
……こんな人、周りにませんか? ここまで露骨でなくても、何となくモテ自慢をしてマウント取ってくる人。私も若いころは、たまにそういう人を見かけたものだ。今はさすがに私自身が40代ということもあり、周囲でこういうモテ自慢をする人は少なくなったけれど、若い年代の人にはちらほらいるのではないだろうか。どうでしょう?
こういうモテ自慢がウザがられるのも良くある話だけど、私が疑問に思うのは「自分が興味ない相手から好意を持たれるのって、面倒じゃないのかな?」である。え、だって面倒くさくない? 自分が別に好きじゃない相手から好意を持たれるの。いちいちどう断ろうかな、とか、断ったら相手も気を悪くするよな、とか。同じコミュニティに所属している相手なら、断ることがきっかけでギクシャクして気まずくなりそうだよな、とか。下手をしたら粘着される可能性もあるし……などと、私はこんなふうに面倒臭いことが増えるなあと思ってしまうのだが、「モテ自慢」をする人はそこまで考えたりはしてないのだろうか。どうなんだろう。
そもそも、そんなに不特定多数からモテることって凄いことなのだろうか?
いや、そりゃあ人に嫌われるより、好かれた方が良いのは判るけれど。
そこで「モテ自慢」をする人の心理をちょっと考えてみたのだが、結局のところ「私には価値がある」ことを証明したいのではないかな、と。多くの異性を惹きつける魅力がある、恋愛市場で選ばれる側である、モテる私はあなたより優位な立場にある……恐らくこんな感じなんじゃないだろうか。これらを突き詰めて考えると、他者からの承認でしか自分の価値を感じられないという、他者軸の世界で生きているのではないか、と私は思うのだ。
勿論、人間だから誰しも承認欲求はあるだろう。私もそうである。でも「モテ自慢」をしたり、それでマウントを取る人は承認欲求が通常より強い人だと思う。そして自分の中に「評価軸」がない、もしくは薄い人なのではないだろうか。それって結構寂しいことだと私は思うのだが、どうだろう。
私が思う「モテ」は不特定多数から好意を向けられることではなく、私が好きな人から好かれることだ。私にとって興味ない相手からの好意は「ゼロ」と一緒である(ちょっと言い方酷いけど)。いくら「ゼロ」を集めても「ゼロ」は「ゼロ」だ。意味がない。逆にたったひとりの、自分が好きな人から好かれることの方が私には大きな意味と価値がある。
もし周りにいつも「モテ自慢」する人がいたら、自分の価値を自分で定められないちょっと寂しい人なんだなあと生温かい目で見てあげると、相手を許せる気持ちが芽生えるかもしれない。