雨宿りDIARY Ⅱ
好きなことで、生きていく
2026/09/23 13:45エッセイ
今日のお題はいつかやってみたい仕事。
それはある。
文章を書く仕事である。
以前は商業作家を目指していて公募などにも挑戦していたけれど、どれも落選。当時は二次創作も同時進行で書いていて、二次創作もあまり読まれなかったから、私には文章を書く才能がないのだとその時は酷く落胆して、もう小説を書くのを辞めようと思ったこともある。それでも文章を書くことは辞められず(なんせ趣味が読むか書くしかない。多趣味の人が羨ましい)、今に至る。
私は現在、病気療養中でもある。患っているのは双極性障害。手帳持ち。
今は大分調子が良くなってきて、そろそろどこかへ短時間でも良いから勤めようかなと思っていた。ちょうど友人から「ここ事務員募集してるよ~」と聞いたので、応募しようかなと考えた。
でも。
果たして本当にそれが私のやりたい仕事なのだろうか?
そんな疑問が浮かんだのだ。
私はもうアラフォーで、人生の半分くらいを生きてしまった。精神のバランスを崩して、何度も自殺未遂を繰り返して、それでもなんとかここまで生きてきた。死にたい思いまでして生きてきて、生活のためといえど、大して興味のない仕事をこれから何十年もやる意味があるのだろうか?
そんなふうに思ったら、事務の仕事は私のやる(やりたい)仕事ではないな、と思ったのだ。
どうせあと人生が半分しかないのなら、やっぱり自分が好きなこと、得意なことを仕事にしたい。
そう考えて、また作家を目指すことにしたのだが、方向転換をした。
今までは小説家を目指して小説を書いてきたけれど、私は長い作品があまり書けないし、万人受けするような話も書けない。それでも文章を書く仕事がしたいと考えた時に、エッセイなら書けるのでは?と思い至ったのである。 常日頃、ネットやニュースを見てて「これ、おかしくない?」と思うことが多々ある。そういう違和感や自分の考えたことをエッセイとして書く。文章を書くことも考えることも好きだから、エッセイストというのは結構自分に合ってると思うのだ。
文章を書くことくらい、趣味でやれば?と自分でも思わなくもない。あるいは副業とか。そういう方はたくさんいるだろう。でもこれまで趣味でたくさん書いてきたからこそ、仕事にしたいと思ったのだ。
エッセイストとして(というか、私の肩書は『青蓮』である)芽がでるかどうかは判らない。でも一度きりの人生である。やりたいことがあるなら、全力で挑戦してみる意味と価値はあると思うのだ。
それはある。
文章を書く仕事である。
以前は商業作家を目指していて公募などにも挑戦していたけれど、どれも落選。当時は二次創作も同時進行で書いていて、二次創作もあまり読まれなかったから、私には文章を書く才能がないのだとその時は酷く落胆して、もう小説を書くのを辞めようと思ったこともある。それでも文章を書くことは辞められず(なんせ趣味が読むか書くしかない。多趣味の人が羨ましい)、今に至る。
私は現在、病気療養中でもある。患っているのは双極性障害。手帳持ち。
今は大分調子が良くなってきて、そろそろどこかへ短時間でも良いから勤めようかなと思っていた。ちょうど友人から「ここ事務員募集してるよ~」と聞いたので、応募しようかなと考えた。
でも。
果たして本当にそれが私のやりたい仕事なのだろうか?
そんな疑問が浮かんだのだ。
私はもうアラフォーで、人生の半分くらいを生きてしまった。精神のバランスを崩して、何度も自殺未遂を繰り返して、それでもなんとかここまで生きてきた。死にたい思いまでして生きてきて、生活のためといえど、大して興味のない仕事をこれから何十年もやる意味があるのだろうか?
そんなふうに思ったら、事務の仕事は私のやる(やりたい)仕事ではないな、と思ったのだ。
どうせあと人生が半分しかないのなら、やっぱり自分が好きなこと、得意なことを仕事にしたい。
そう考えて、また作家を目指すことにしたのだが、方向転換をした。
今までは小説家を目指して小説を書いてきたけれど、私は長い作品があまり書けないし、万人受けするような話も書けない。それでも文章を書く仕事がしたいと考えた時に、エッセイなら書けるのでは?と思い至ったのである。 常日頃、ネットやニュースを見てて「これ、おかしくない?」と思うことが多々ある。そういう違和感や自分の考えたことをエッセイとして書く。文章を書くことも考えることも好きだから、エッセイストというのは結構自分に合ってると思うのだ。
文章を書くことくらい、趣味でやれば?と自分でも思わなくもない。あるいは副業とか。そういう方はたくさんいるだろう。でもこれまで趣味でたくさん書いてきたからこそ、仕事にしたいと思ったのだ。
エッセイストとして(というか、私の肩書は『青蓮』である)芽がでるかどうかは判らない。でも一度きりの人生である。やりたいことがあるなら、全力で挑戦してみる意味と価値はあると思うのだ。