雨宿りDIARY Ⅱ
スピリチュアル、ご利用は用法、用量を守って計画的に
2026/09/22 20:41エッセイ
スピリチュアルと聞くとどんなイメージを抱くだろうか。怪しい、胡散臭い、え?それ信じてるの?(笑)と若干冷めた目で見てしまう気持ち……。世間一般的なイメージとしてはこんな感じではなかろうか。
将来の夢は魔女兼地下作家を標榜する私ですらスピリチュアルに関しては懐疑的だったりする。それでも占いは大好きである。星座占い、血液占い、算命学、九星気学、タロット占いetc.特にタロット占いは「魔女の嗜みとしてタロット占いくらいはできないといけないよね☆」と日々YouTubeで色々なタロットリーディングの動画を見たり、実際にカードを引いたりして勉強中である。昨日もタロット占いの本を見ながらスプレッドを組んで占いの練習をしていた。うーん、難しい。果たして私が魔女になれる日は来るのだろうか……。いや、魔女になるっていったら、なるんだもん! 箒で空飛びたいもん! 魔法使えるようになりたいもん!……などと書くとちょっと頭がどうかしている人間にしか見えないのだが(実際私はどうかしている)、私が言う魔法や魔女はおとぎ話に出てくる魔女と少し違う感じなので、本気でハリーポッターのような魔法が使えるようになるとは思ってはいない。私がいう「魔女」「魔法」がどういうことなのかはまた別の記事に書こうと思う。
閑話休題。
さて、話は占いである。
あなたは占いをしたり、その結果を信じたりしているだろうか?
朝の情報番組に星座占いのコーナーがあるのはよくよく考えると奇妙なことだと思う。多分、こんなコーナーがあるのは日本くらいではないだろうか。知らんけど。でも朝に占いの結果を見て良ければ何となく一日良い気分で過ごせそうだけれど、悪い結果だったなら何だか嫌な感じである。「お前は不運である」「不幸になる」と言われて良い気持ちになる人はいない。因みにこの「嫌な感じ」が所謂「呪い」の正体だったりする。はい、ここポイントです。テストに出ます(何の?)。
私と言えば、占いの結果は特に信じていない。「へ~そうなんだ~」くらいの勢いである。魔女になりたいのに、良いのかこれで。
占いとは私が思うに、セラピーであり、カウンセリングである。未来を予見するものではないと考えている。
占い師の元に訪れる人は往々に何か度し難い悩みを抱えた迷える子羊たちである。今抱えている苦しみや悩みをどうにかしたくて助言を求めてやってくる人が大抵であろう。占い師たちはそんな迷える子羊たちの懊悩を聞き、タロットカードを引き、星を読み、手相を見るのだ。
そして占いはクライアントの悩みを別の言葉で言い換え、「物語る」ことでもある。言わば占い師は「即興文学士」なのだ。だから腕のいい占い師は「物語る」ことが上手い。技術を駆使してクライアントの些細な情報を拾い、カードや星の象徴、手相に重ね合わせて「物語」を作っていく。まるでクライアントの未来が見えているかのように語り、どうしたら良いのか助言を与える。
こうやって書くと占い師のやっていることは「お悩み相談」「人生相談」だけれど、それが説教臭くなく、妙に心に響くのは「占い」という神秘的な装置のおかげだと私は考える。
そしてこれだけテクノロジーが発達した現代において当たるかどうかも判らない占いが廃れないのも「占い」がもつ神秘的な雰囲気と人間が合理的だけでは生きていけない生き物のせいだと思う。
人間が神様を「獲得」したのは高次な想像力と言葉を得たからだという(だから聖書にある『はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(ヨハネによる福音書1:1)』はある意味正しい)。勿論、現代において無神論者もいるだろうし、占いは全く信じていない人もいるだろうけど、でも何となく死後の世界を想像したり、亡くなった人は天国にいると漠然と考えたりするのは「占い」を許容する部分と繋がっていると思うのだ。
死後の世界、神様、天国地獄が本当にあるかどうかは判らない。でも私は「占い」を含めてそういう世界があるということを体系づけて壮大に組み上げた人間の想像力に敬意を払いたい。
占い、当たるも八卦当たらぬも八卦。
時には人間の想像力が生んだスピリチュアルな世界に触れるのも面白いと思う。
いつか「当たる」と評判な占い師さんに私のことも占って欲しい。
将来の夢は魔女兼地下作家を標榜する私ですらスピリチュアルに関しては懐疑的だったりする。それでも占いは大好きである。星座占い、血液占い、算命学、九星気学、タロット占いetc.特にタロット占いは「魔女の嗜みとしてタロット占いくらいはできないといけないよね☆」と日々YouTubeで色々なタロットリーディングの動画を見たり、実際にカードを引いたりして勉強中である。昨日もタロット占いの本を見ながらスプレッドを組んで占いの練習をしていた。うーん、難しい。果たして私が魔女になれる日は来るのだろうか……。いや、魔女になるっていったら、なるんだもん! 箒で空飛びたいもん! 魔法使えるようになりたいもん!……などと書くとちょっと頭がどうかしている人間にしか見えないのだが(実際私はどうかしている)、私が言う魔法や魔女はおとぎ話に出てくる魔女と少し違う感じなので、本気でハリーポッターのような魔法が使えるようになるとは思ってはいない。私がいう「魔女」「魔法」がどういうことなのかはまた別の記事に書こうと思う。
閑話休題。
さて、話は占いである。
あなたは占いをしたり、その結果を信じたりしているだろうか?
朝の情報番組に星座占いのコーナーがあるのはよくよく考えると奇妙なことだと思う。多分、こんなコーナーがあるのは日本くらいではないだろうか。知らんけど。でも朝に占いの結果を見て良ければ何となく一日良い気分で過ごせそうだけれど、悪い結果だったなら何だか嫌な感じである。「お前は不運である」「不幸になる」と言われて良い気持ちになる人はいない。因みにこの「嫌な感じ」が所謂「呪い」の正体だったりする。はい、ここポイントです。テストに出ます(何の?)。
私と言えば、占いの結果は特に信じていない。「へ~そうなんだ~」くらいの勢いである。魔女になりたいのに、良いのかこれで。
占いとは私が思うに、セラピーであり、カウンセリングである。未来を予見するものではないと考えている。
占い師の元に訪れる人は往々に何か度し難い悩みを抱えた迷える子羊たちである。今抱えている苦しみや悩みをどうにかしたくて助言を求めてやってくる人が大抵であろう。占い師たちはそんな迷える子羊たちの懊悩を聞き、タロットカードを引き、星を読み、手相を見るのだ。
そして占いはクライアントの悩みを別の言葉で言い換え、「物語る」ことでもある。言わば占い師は「即興文学士」なのだ。だから腕のいい占い師は「物語る」ことが上手い。技術を駆使してクライアントの些細な情報を拾い、カードや星の象徴、手相に重ね合わせて「物語」を作っていく。まるでクライアントの未来が見えているかのように語り、どうしたら良いのか助言を与える。
こうやって書くと占い師のやっていることは「お悩み相談」「人生相談」だけれど、それが説教臭くなく、妙に心に響くのは「占い」という神秘的な装置のおかげだと私は考える。
そしてこれだけテクノロジーが発達した現代において当たるかどうかも判らない占いが廃れないのも「占い」がもつ神秘的な雰囲気と人間が合理的だけでは生きていけない生き物のせいだと思う。
人間が神様を「獲得」したのは高次な想像力と言葉を得たからだという(だから聖書にある『はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(ヨハネによる福音書1:1)』はある意味正しい)。勿論、現代において無神論者もいるだろうし、占いは全く信じていない人もいるだろうけど、でも何となく死後の世界を想像したり、亡くなった人は天国にいると漠然と考えたりするのは「占い」を許容する部分と繋がっていると思うのだ。
死後の世界、神様、天国地獄が本当にあるかどうかは判らない。でも私は「占い」を含めてそういう世界があるということを体系づけて壮大に組み上げた人間の想像力に敬意を払いたい。
占い、当たるも八卦当たらぬも八卦。
時には人間の想像力が生んだスピリチュアルな世界に触れるのも面白いと思う。
いつか「当たる」と評判な占い師さんに私のことも占って欲しい。