雨宿りDIARY Ⅱ
「月がある」を読んで。辛口批評、ネタバレあり
2026/02/08 13:48
月がある/木塩鴨人
ちょっとXで物議を醸してる(といっても炎上まではしてないけど)作家さんの本を買って読んでみました。
端的に言うと私には合いませんでした。
先に断っておきますが、この本が好き、読んで救われたという人の気持ちまで私は否定するつもりはありません。そういう気持ちは大事にして欲しいし、自分の感想が一番なので。
以下、辛口批評なので読みたくない人はここでそっ閉じしてください。
Xの読書垢では「月がある」は結構絶賛されていて、私もへーと思ってみていたのですが、著者の方が辻村深月の「傲慢と善良」を読んで「嘘だらけ」と評し、三浦しをんの「きみはポラリス」を読んで「ありえない展開」「文章が下手」と評していたので、そんなにいうならこの人の書く作品はどんなものだろう?と興味を持って読みました。
結果、私には合いませんでした。
文章技巧の点でいうと、主人公の内面を丁寧に書きすぎていてくどい。同じことを何度も書いている。言葉で全部伝えたい欲が出すぎ。また一文が長く、情報が詰め込まれてる文章が頻出しているので読みづらい。読点もやたら多くてテンポが良くない。
また難読漢字にルビがふってないので、人によっては読めない人がいたかも。
自費出版でも校正は入るみたいだけど、最低限の誤字脱字チェックのみらしいので、仕方ない部分はありますが。
続いて内容や設定について。
主人公は所謂毒親家庭の元で育つ。父親から母親へのDVを見て育ち、ネグレクトされて育っているので身綺麗にすることを教わらなかった(お風呂に入らない、歯を磨かない)。それゆえに「不潔だ」「臭い」として小学生の頃からいじめを受けてしまう。それは分かるし、おかしくはないけれど、中学生になっても「歯ブラシが1本もない」から「歯を磨く習慣がなかった」「うちの家庭ではそれがあたりまえだと思った」というのはちょっと厳しいと思う。学校に通ってたら歯科検診もあるし。
また教師がいじめの問題に介入するのは小学生の時の1度だけ。あとはずっと見て見ぬふり。そんなことある?無視されてる程度なら教師も気が付かないかもしれないけれど、頭とか皆に叩かれているのに。ちょっとリアリティに欠けると思う。
主人公は家庭でも学校でも居場所がない。友達がいない。学校では嫌な仕事を押し付けられる。でも文句は言わないし、寧ろ進んでやる。いじめを受けていても親から大切にされてなくても「清く正しく」という真っ直ぐな性格なんだけど、なんかそんなことある?ってここも人物造形にリアリティが感じられない。暗い生い立ち、長年いじめを受けているならもう少し性格も歪んでいく部分がどこかにあると思うんだけど。
中学生になって図書委員になる主人公。図書室で図書委員の仕事していると後輩女子から「格好いい」「ファンです」と言われる。ここも解像度が低いと思う。一人称視点なので彼の容姿に言及は殆どない(小学生の頃急に激太りしたとの記述はあるものの、理由は書かれていない。中学生になって身長が伸びて痩せたとの記述は後から出てくる。進捗170cm/57kg)。
この年頃の女子って異性を「格好いい」「ファン」と思うのは容姿が良い、笑顔が素敵、スポーツができるとか、凄く分かりやすいものだと思う。図書委員の仕事をそつなくこなしてるのも素敵だけど、それだけで「格好いい」「ファンです」っていうのはちょっと無理がある。だって歯を磨いてないし……(中学生の頃はお風呂には入ってた)。
小学生の頃に田島君という友達ができるけれど、彼にどうしていじめられっ子の自分と仲良くしてくれるのかと尋ねるシーンがあって、その中で田島君が「そんなの、誰も気にしてないよ。何か言う奴なんか、気にしなくて良いよ。そいつは嫌な奴なんだから。」と言うけど、田島君は夏休みが終わって新学期の教室で主人公と顔を合わせても2、3日話しかけない。なんで?
主人公はいじめられてるから、そんな自分が彼に話しかけたら迷惑がかかると思って行動に移せないのは分かるけど、田島君が主人公に2、3日一言も話しかけない理由が謎。同じクラスなのに。なんで?それは主人公がいじめられっ子で、自分が話しかけたら自分も標的になるからって気にしてる??ちょっと良く分からない。ささいなシーンだけど、不自然さを感じる。
一番不自然だと感じたのが、主人公が中学生になって3人の友達ができるんだけど、ここでも主人公は彼らにどうして仲良くしてくれるのか尋ねる。すると返ってくる答えが「良い奴だから」。
主人公は極力人と関わらず、誰にも自分から話しかけないで孤独に学校生活を送っているのに、一体どこで彼らは主人公のことを「良い奴」認定してのかがとても謎。その描写が一切ない。同じクラスだから何かはあるんだろうけど、でもそれにしても根拠が弱いし、友情の積み重ねが乏しくてどこで「良い奴」認定されたのか分からない。
少しだけ大学生だった頃の描写があるんだけど、そこにも違和感を覚えた。
食堂で券売機に並んでいたら突然主人公が蹴られる場面が出てくる。蹴ってきた相手は主人公がいじめを受けていたことを知っている相手なんだけど、蹴った理由が「なんか見てるとムカつくから」。
大学生(20歳)が「なんか見てるとムカつくから」という理由でいきなり相手に暴力を振るうって、唐突すぎて不自然だと思う。素面でそんなことある?
私が一番合わなかったのは、ラストのオチ。
24歳になった主人公は国語教師をしているけれど、相変わらず人が苦手で、他人と打ち解ける方法が分からない。
「第一、そんな風になりたいと思える相手も、なかなかいない。自分から壁を作っている、と誰かは言うのかもしれないが、それは違う。壁は、僕が作る前から、そこにでんと立っている。」
という文章があるんだけど、ちょっと違うんじゃないかなって。子供の頃はそうだったのかもしれないけれど、大人は自ら付き合う人間を選べる立場にある(職場とかはあんまり選べないかもだけど)。自ら関わろうとしないのは「自分から壁を作ってる」としか思えないんだけど……。
「自分を変えなくちゃと思って、無理やり変わろうとするのは怖い。強いて変わろうとすることは、自分の否定だ。
もし、僕と同じような過去を持つ人、今同じような思いを抱えている人がいたら、僕は、一緒になって震えながら、こんな風に言ってあげたい。
そんなこと、頑張らなくていいのかもしれないよ。
その時、が、来るまでは、さ。
その時、は、いつかって?来たらわかるよ、きっと。
そして、その時、が来なければ、そのままでいい。一生来なければ、多分、一生そのままで。君は何にも変わらなくていい。
きっと、それでいいんだよ。
(中略)
僕は今でも、一人の部屋で、寂しくて涙を流していることがある。
その涙を、止めようとは思わない。止める術があるとも思わない。
ただ、それを拭うために目元に添える何かを、欲しいとは思う。」
ラストの方にある文章なんだけど、私の価値観とは真逆でした。
確かに「今辛い人」は無理に変わらなくて良いと思う。それは一理ある。でも「一生そのままでいい」「君は何にも変わらなくていい」というのはどうなんだろう?と少し疑問に思いました。「ただ、それを拭うために目元に添える何かを、欲しいとは思う。」ならやっぱり自ら行動して変わらないと駄目なんじゃないかな。
全体を振り返って見ると、主人公は自ら動いて何かを勝ち取ることをしていない。友達を得てもそれは自分から動いたからではなくて相手から寄ってきて「良い奴だから」と仲良くなる。変わったのは周りだけで、主人公は何も変わってない。それはラストの「君は何にもかわらなくていい」に繋がってるからブレてはないけどね。
著者の方は「本当のことを書いた」「嘘は書いてない」と常々言っているけれど、主人公の心理描写は確かにそうかもしれないし、分かる部分もあったけれど、それ以外の設定や状況が現実感に乏しいと感じたし、主人公の人物像(悲惨な生い立ちでいじめを受けていても「清く正しく」)が私はとても嘘くさく感じてしまった。
「虐待とか毒親とか、そんな設定の作品が溢れている。読んでみると、「ああ、この人は物凄く安直に、薄っぺらな想像だけで書いている。」と感じるものが多くて、僕はとても悲しくなるし、物凄く腹が立つ。悲しみを、安直に商売道具にするな、悲しい人を馬鹿にしているのかと。
ベストセラーであっても。
物語を売る為に登場人物に大きな悲しみを背負わせて、嘘みたいな展開で読者を惹きつける。
嘘だよ。本当の寂しさや悲しさや誠実でいようとする姿は、もっと繊細でもっと現実的な小さな事の一つ一つが絡み合う中でいちいち小さく傷ついて行くものなんだ。
それをちゃんと書きたくて、10年かかった。」
このように著者の方はXで言っているけれど、「月がある」も親からの虐待やいじめという重いテーマを扱ってるし、その割にはひとつひとつの解像度が低くて私には「安直に商売道具にしている」ように思ってしまう。
人気作家の作品を「文章が下手」「ありえない展開」「嘘だらけ」と評していた作家さんの作品がどんなものか読んでみたけれど、正直、あまり良い出来とは思えなかったです。三島のような凄みのある文章でもなければ、太宰のような温かみのある文章でもなく、はっとさせられるとろもない。一生懸命書いたのは伝わるけれど。これは私の好みの問題もあると思います。
以上が私の「月がある」の批評でした。
追記
改めて物語を振り返って見て思ったのは「月がある」は「不完全な救済」だということ。辛い、苦しい、寂しい、悲しい、という共感と変われない自分はそのままで良いという肯定。これは決して間違いではないけれど、でもそれは一過性の救いでしかない。「変わらないで良い」ということは「うずくまったままで良い」ということだから。だから主人公は24歳になっても変わらず人との関係を上手く築くことができず、悲しくて泣いたりしている。だから全然救われてない。1mmも救われてない。 この物語を読んで救われたという人は辛さや寂しさのただ中にあるんだと思う。自分の足じゃ立てないくらいに。そういう人にはとても刺さる物語なんだと思う。それはそれで良い。その面だけ見れば確かに読み手に寄り添ってると思う。だけど長い目でみたい時に「変わらなくて良い」という寄り添い方は優しさでもなんでもなく、ただの諦念、諦めなんじゃないかと私は思う。だって人が怖いから。無理に変わろうとするとまた間違えるから。だからそのままで良い。変わらなくて良い。場合によっては一生。だから私は「月がある」は「癒しと救いの物語」ではなく「諦念の物語」だと捉える。
