雨宿りdiary
みつくりの日とプロレタリア文学、宮本百合子
2025/03/09 13:08雑記購入品みつくり
本日はみつくりの日!私としては初めて迎える推しカプの日です。というわけでみつくりSS「祈雨」「秘密◆R18」をupしております。
どうやらみつくりの日は2回あるようで、今月はみつくり月間。なんてめでたい。書きかけのみつくりいっぱいあるし、連載中の「君と出逢うその日まで」も今月中に完結させたいなあ。
今は戦力拡充計画を脳死周回するのに忙しくて読書も執筆も全然出来てないけどw
今回のイベント、めちゃくちゃ経験値貯まるからここぞとばかりにプレイしてます。あと少しで極貞ちゃんのレベルが50になりそう。頑張って育てるぞ!
本は読めてなくても買う。なぜならすぐ品切れ絶版コースになるからだ!(いやほんとにそうなんだよ、困ったことに)買っておけばいつでも好きな時に読めるので、積読は貯金であり、財産です。
買った本はこちら。

プロレタリア文学セレクション/荒木優太 編
プロレタリア文学と言うと有名なのは小林多喜二、葉山嘉樹、宮本百合子あたりかな。てか私がこの辺しか読んだことないだけなんだけども。
本作には太宰治の「花火」や横光利一の「高架線」も収録されてます。
太宰治も生前、一時的に共産党員の手伝いをしてたらしいし、自分が大地主の子で搾取する側であったことに嫌悪感や恥の意識を持っていたとか。
プロレタリア文学についてそれほど詳しくはないけど、でもプロレタリア文学というものはそれまで知識階級のものであった文学を普通の人々、労働者たちにも広げた芸術運動だったんじゃないかなと。
酷い労働環境、貧しい暮らし、資本家vs労働者の階級闘争、日々生きて生活していることの生々しい証言と肉声。プロレタリア文学は一般的な文芸とは違って「肉声」という言葉がぴったり合うし、実際そうなんだと思う。
近年に見られるお仕事小説や多様性をテーマにした文芸も広義の意味でプロレタリア文学だと私は思っている。どれも生きた方を問うた作品だから。
で、宮本百合子の作品は幾つか読んでいて、その中でお勧めしたいのが「自信のあるなし」という短いエッセイ。
下記に青空文庫より全文引用します。
私たちのまわりでは、よく、自信があるとか、自信がないとかいう表現がされる。そして、この頃の少しものを考える若い女のひとは、何となしこの自信の無さに自分としても苦しんでいることが多いように思えるのはどういうわけだろうか。
一つには、女の与えられる教育というものが、あらゆる意味で不徹底だという理由がある。なまじい専門程度の学校を出ているということで、現実にはかえってその女のひとの心がちぢかまるということは、深刻に日本の女性の文化のありようを省みさせることなのである。
けれども、自信というものに即してみれば、そもそも自信というものは私たちの生活の実際に、どういう関係を持っているのだろう。でも自信がなくて、といわれる時、それはいつもある一つのことをやって必ずそれが成就すると自分に向っていいきれない場合である。成就するといいきれないから、踏み出せない。そういうときの表現である。けれども、一体自信というものは、そのように好結果の見とおしに対してだけいわれる筈のものだろうか。成功し得る自信というしか、人間の自信ははたしてあり得ないものだろうか。
私はむしろ、行為の動機に対してこそ自信のある、なしとはいえるのだと思う。あることに動こうとする自分の本心が、人間としてやむにやまれない力におされてのことだという自信があってこそ、結果の成功、不成功にかかわりなく、精一杯のところでやって見る勇気を持ち得るのだと思う。その上で成功すれば成功への過程への自信を、失敗すれば再び失敗はしないという自信を身につけつつ、人間としての豊かさを増してゆけるのだと思う。行為の動機の誠実さに自分の心のよりどころを置くのでなくて、どうして人生の日々に新しい一歩を踏んでゆかなければならない青春に自信というものがあり得よう。
(自信のあるなし/宮本百合子)
このエッセイを読んだ時に、百合子すげー!と私は思ったのでした。
上手くいかないかもしれない、だから自信がない、というのではなくて、私はこれがしたい、やりたいという気持ちこそが本当の自信であって、そう思って行動した結果がたとえ不成功であっても次はこうしようっていう改善点も冷静に考えられるし、次は上手くいくって思える……百合子の「自信のあるなし」を読むまでは私も結果の予想に対して「自信がないなあ」とかって思っていたけど、でも本当はそうじゃないんだなって目から鱗が100枚くらい落ちました。
百合子、格好いい。痺れます。
おいらは明日の世界に
輝く歴史と文化を重積する
団結したおいらの商品は
新しい価値を持って生れ
蒼白いおいらの血が
生々と流動するぞ
おーい
構えをしろ!
おいらの活字は弾丸になる
(印刷工の歌/山路英世 同タイトルから一部抜粋)
ペンは剣よりも強し。
それがプロレタリア文学。
どうやらみつくりの日は2回あるようで、今月はみつくり月間。なんてめでたい。書きかけのみつくりいっぱいあるし、連載中の「君と出逢うその日まで」も今月中に完結させたいなあ。
今は戦力拡充計画を脳死周回するのに忙しくて読書も執筆も全然出来てないけどw
今回のイベント、めちゃくちゃ経験値貯まるからここぞとばかりにプレイしてます。あと少しで極貞ちゃんのレベルが50になりそう。頑張って育てるぞ!
本は読めてなくても買う。なぜならすぐ品切れ絶版コースになるからだ!(いやほんとにそうなんだよ、困ったことに)買っておけばいつでも好きな時に読めるので、積読は貯金であり、財産です。
買った本はこちら。

プロレタリア文学セレクション/荒木優太 編
プロレタリア文学と言うと有名なのは小林多喜二、葉山嘉樹、宮本百合子あたりかな。てか私がこの辺しか読んだことないだけなんだけども。
本作には太宰治の「花火」や横光利一の「高架線」も収録されてます。
太宰治も生前、一時的に共産党員の手伝いをしてたらしいし、自分が大地主の子で搾取する側であったことに嫌悪感や恥の意識を持っていたとか。
プロレタリア文学についてそれほど詳しくはないけど、でもプロレタリア文学というものはそれまで知識階級のものであった文学を普通の人々、労働者たちにも広げた芸術運動だったんじゃないかなと。
酷い労働環境、貧しい暮らし、資本家vs労働者の階級闘争、日々生きて生活していることの生々しい証言と肉声。プロレタリア文学は一般的な文芸とは違って「肉声」という言葉がぴったり合うし、実際そうなんだと思う。
近年に見られるお仕事小説や多様性をテーマにした文芸も広義の意味でプロレタリア文学だと私は思っている。どれも生きた方を問うた作品だから。
で、宮本百合子の作品は幾つか読んでいて、その中でお勧めしたいのが「自信のあるなし」という短いエッセイ。
下記に青空文庫より全文引用します。
私たちのまわりでは、よく、自信があるとか、自信がないとかいう表現がされる。そして、この頃の少しものを考える若い女のひとは、何となしこの自信の無さに自分としても苦しんでいることが多いように思えるのはどういうわけだろうか。
一つには、女の与えられる教育というものが、あらゆる意味で不徹底だという理由がある。なまじい専門程度の学校を出ているということで、現実にはかえってその女のひとの心がちぢかまるということは、深刻に日本の女性の文化のありようを省みさせることなのである。
けれども、自信というものに即してみれば、そもそも自信というものは私たちの生活の実際に、どういう関係を持っているのだろう。でも自信がなくて、といわれる時、それはいつもある一つのことをやって必ずそれが成就すると自分に向っていいきれない場合である。成就するといいきれないから、踏み出せない。そういうときの表現である。けれども、一体自信というものは、そのように好結果の見とおしに対してだけいわれる筈のものだろうか。成功し得る自信というしか、人間の自信ははたしてあり得ないものだろうか。
私はむしろ、行為の動機に対してこそ自信のある、なしとはいえるのだと思う。あることに動こうとする自分の本心が、人間としてやむにやまれない力におされてのことだという自信があってこそ、結果の成功、不成功にかかわりなく、精一杯のところでやって見る勇気を持ち得るのだと思う。その上で成功すれば成功への過程への自信を、失敗すれば再び失敗はしないという自信を身につけつつ、人間としての豊かさを増してゆけるのだと思う。行為の動機の誠実さに自分の心のよりどころを置くのでなくて、どうして人生の日々に新しい一歩を踏んでゆかなければならない青春に自信というものがあり得よう。
(自信のあるなし/宮本百合子)
このエッセイを読んだ時に、百合子すげー!と私は思ったのでした。
上手くいかないかもしれない、だから自信がない、というのではなくて、私はこれがしたい、やりたいという気持ちこそが本当の自信であって、そう思って行動した結果がたとえ不成功であっても次はこうしようっていう改善点も冷静に考えられるし、次は上手くいくって思える……百合子の「自信のあるなし」を読むまでは私も結果の予想に対して「自信がないなあ」とかって思っていたけど、でも本当はそうじゃないんだなって目から鱗が100枚くらい落ちました。
百合子、格好いい。痺れます。
おいらは明日の世界に
輝く歴史と文化を重積する
団結したおいらの商品は
新しい価値を持って生れ
蒼白いおいらの血が
生々と流動するぞ
おーい
構えをしろ!
おいらの活字は弾丸になる
(印刷工の歌/山路英世 同タイトルから一部抜粋)
ペンは剣よりも強し。
それがプロレタリア文学。