あるカードの物語


 枝付き燭台に火を灯し、すっかり手に馴染んだカードを切る。掌よりも少し大きい七十八枚のカードは色鮮やかに着色され、光の加減によって絵札の表面が虹色に輝く。その光輝は豪奢かつ神秘的な雰囲気を漂わせ、カードに何か不思議な力が宿っているかのよう。
 丁寧に、慎重な手付きでカードを切りながら、さて今夜はどんな物語が眼前に立ち現れてくるだろうかと胸を高鳴らせる。カードの並び順によって全く異なる物語が紡ぎ出されるのは非常に興味深く、面白い。真実を語るために虚構の物語を必要とするように、このカードもまた明日を知れぬ多くの人々に必要とされた。過去を言い当て、現在を指し示し、未来を予言する七十八枚のカードを。そして今、夜の無聊を慰めるためにも。
 くカードを切ってから上から順番にカードを捲って卓の上に並べていく。
 月のない、まっさらな闇夜に燦然と輝く十二枚のカードの始まりは杖を掲げた男――『魔術師』。
 男は赤い衣を纏って卓の上に棍棒、金貨、聖杯、剣を恭しく並べる。これらは世界を構成する火、地、水、風である。男はこれから自ら創造神となりて世界を構築しようとしているのだ。四つの道具が置かれた卓の横には小さな円卓があり、そこには薔薇と鉄砲百合が活けられた花瓶が置かれている。アダムは深紅の薔薇を、イヴは純白の鉄砲百合を。百合は聖母マリアであり、またキリスト復活の象徴でもある。薔薇と百合はらんらんと咲き零れて濃密な香気を漂わせていた。
 男は白い杖を手に取り、高く掲げて「イェヒ・オール」「ナアセ・アダム・ベツァルメーヌ」「ニシュマット・ハイイーム」「ゴアル・ハデヴァリーム」天地創造の呪文を厳かに詠唱した。すると忽ち風が起こり、棍棒に火が灯り、聖杯から水が溢れ、海となり、地と分かれた。
 抜けるような青空に七つの金色の聖杯が現れる。ひとつひとつの聖杯からこんこんと湧き出る清泉のようにこれから人類が辿る歴史が溢れては消えていく。その光景は終末を予言した黙示録宛ら。今や天は巨大な聖書――歴史書となって立ち現れているのだった。一体どのように世界が終るか、魔術師は茫然と立ち尽くしながら天を凝視していたが、しかし彼の期待は裏切られた。一番知りたい物語の結末が示されないまま、七つの聖杯は消え失せ、やがて場面は切り替わる。
 次に魔術師が見たのは懐かしい光景であった。六つの聖杯に可憐な白い花が咲き乱れている。この白い花は思い出の花――オキシペタラム。五枚の花弁が丁度星の形をしているので、まるで空から落ちてきた星の欠片のようでもある。地上に咲いた星を君にあげよう――白い花が植えられた聖杯の一つを橙色の頭巾を被った少女に手渡す。少女は魔術師がかつて恋をした相手であった。隣に住む牧師の娘で幼いながらとても聡明で愛らしい子供であった。彼女とは毎日のように顔を合わせ、野原を駆けまわり、深い森へ分け入ったものだ。時には神様へのお祈りも一緒にした。長ずるにつれて愛らしさが光を増して美しく輝きだし、町一番の美女へと変貌を遂げたのは言うまでもない。彼女は今どうしているだろうかと魔術師は映し出される過去を瞳を眇めて見詰めているといとけない少女の姿は玉座にゆったりと腰を掛ける女帝の姿へ。
 彼女は六芒星を戴いた王冠を被り、石榴柄の衣を纏って金色の棍棒を握っている。穏やかな微笑みを浮かべたかんばせは実に優美だ。玉座には金星の徴が刻まれ、足元には稲穂が群生している様は恰も高貴なる豊穣の女神を思わせた。彼女は生命そのものだった。
 そんな彼女の隣に坐しているのは厳めしい顔付きの男である。赤い衣を纏った彼は王冠を被り、牡牛をあしらった堅牢な玉座に座っている。右手にはアンク十字を、左手には時計を握り締め、時折その時計の針を一瞥した。何かを待っているのだろうか。取り澄ました顔色をしているが、瞳の動きから焦れているのは確かだ。やがて苛々と彼が足を揺すると隣の玉座の女帝が「ほら、彼がやって来ましたわよ」窘めた。本当か――皇帝は立ち上がって正面遠くにある扉に目を放った。耳をそばだてると確かに馬のいななききが聞こえる。来た。やっと来たのだ。ほっと安堵の息を吐きながら皇帝が玉座に座りなおすと扉が開いて一人の騎士が現れた。
 豪奢な甲冑を身に着けた若者は恭しく二つの玉座の前に跪くと慇懃に拝謁の挨拶を述べてから手に持っていた金貨を差し出した。
「こちらが卑金属から生成された貴金属でございます」
 皇帝は逸る気持ちを抑えながら、威厳に満ちた動作でゆっくりと立ち上がると騎士から金貨を受け取った。その金貨はまごうとなき純金の重さがり、光に翳すと無垢な輝きがあった。遂に卑金属から貴金属が精錬されたのだ。良くやったと喝采を叫びたい気分だった。
「この金貨を発泡葡萄酒に入れて飲めば不老不死の秘薬になるとくだんの錬金術師が申しておりました」
 錬金術の話はすぐ町に広まった。だが、それは良い話ではなく、悪い噂として。
「全くあの錬金術師も皇帝閣下を騙すなんて大それたことをしたものだ」
「ありゃあただの金貨だっていう話だ。その金貨一枚でも恵んで欲しいがね」
「大体、卑金属から金無垢が精錬できるわけがない」
「不老不死なんて夢のまた夢だ」
「結局、金を稼ぐには地道に働くのが一番の近道だ」
「違いない」
 職人達はお互いの顔を見比べてどっと笑った。
「だが本当に錬金術で金属が作り出せるなら、一度お目にかかって見たいものだ」
 赤い台の上に立って石壁にのみを振るっていた一人の職人は力なく呟いて何気なく天を仰ぐと、もくもくと沸き立つ雲からぬっと大きな右手が突き出、握られた剣には燦然と輝く王冠がかけられ、彩るように椰子の葉とオリーブの葉が揺れているのが見えた。恰も神の右手のような巨大なそれは聖なる勝利と恒久平和を知らせる福音のようでもあった。
 だが剣を携えた年若い小姓はこれから何かが起こる予兆だとして辺りに視線を配って警戒を怠らなかった。それは正しかった。小姓が気が付かぬうちに赤い帽子を被った男が盗みを働いていたからである。豪奢な装飾が施された七本の剣のうち二本だけを残して持ち去ってしまったのだ。このまま売っては足がつくので象嵌された金剛石ダイアモンド蒼玉サファイア紅玉ルビーを分解して売れば結構な金になるだろう――そんな悪だくみを胸に男は足を忍ばせてその場から立ち去っていくのだった。
 悪人がいれば善人もいるのが世の中で、町の一角では天秤を手にした男が貧しい者に施しをしていた。金貨数枚を一人ひとりに手渡しているのは裕福な商人である。商人である以上、無償の施しというわけではない。今は彼らも日々の暮らしに困るような状況であるが、いずれは日銭を得て自分が商いしている物を買うこともあるだろう――そんな打算があってのことだ。だが商人の慈悲の心は嘘ではない。襤褸ぼろを纏い、飢えに喘ぐ者達を哀れに思ったのは本当である。それに金は偉大な旅人だ。一つの場所に留まるものでもないのだ。それを能く知っていたから商人は施しをするのである。商人は彼らの困窮が一日も早く取り除かれることを願いながら金貨を渡していった。
 そんな善と悪がひしめく地球儀を男は眺めていた。左手には棍棒を持って灰色のバルコニーに立っている。頬を撫でる風が心地良い。視界は拓けて青く霞む山並みが見え、降り注ぐ陽射しに煌めく青い海が眺望できた。男は酷く安らいだ気持ちで美しい自然が広がる景色を眺めると、そっと踵を返して部屋に戻った。

 (了)
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