黒百合の福音
一体この沈黙をどうしたら良いんだ――歌仙は隣を歩む大倶利伽羅をちらりと一瞥してそっと溜息を吐く。無口なのは知っていたが、こうもずっと黙っていられると居心地が悪い。騒々しいのは品がなくて嫌いだが、おとなしすぎるのもこの場合考えものだ。先程まで歌仙の「物凄い人見知り」が顔を出して大倶利伽羅との間に横たわる沈黙を掻き消すように喋り倒していたが、相手の反応は精々短い相槌だけで芳しくなく、そうしているうちに話題も尽きてしまった。同じ屋根の下で暮らしているのだから、相手の知らぬような目新しい出来事がそうそうあるはずもなく、かといって同じ話を繰り返すわけにもいかず、せめてもう少し大倶利伽羅の方からも何か話してくれれば――そんな淡い期待も消え失せて今に至る。大倶利伽羅、喋らぬこと、岩の如し。そんなことを胸中で考えて歌仙は再びひっそりと溜息を吐いた。
小夜の話では大倶利伽羅と同郷の燭台切は彼のことを「表情豊かで良い刀だ」と評しているらしいが、本当にそうだろうかと疑ってしまう。俄かには信じがたい。確かに悪い刀ではないのだろう。一応、渋々といった形ではあるが、買い出しに付き合ってくれてるのだし。ただ「表情豊か」というは絶対嘘だと思う。今だって何を考えているのか判らない無表情である。一体これのどこが表情豊かなのか燭台切に教えて欲しいくらいだ。それとも自分の眼がおかしいのだろうか――歌仙は双眸を瞬かせて片手で右眼を擦ってみる。と、隣からおいどうした――感情の乗らない声音が飛んできた。驚いて彼を見遣ると相変わらず感情の読めない相貌がこちらをじっと見ていた。
「い、いや――別にどうもしないよ」
注視される瞳に歌仙はややたじろいで緩く
歌仙は懐から買い物する品をリストアップしたメモを取り出し「あとは鶯丸に頼まれた茶だけだな」確認して呟くと「あの店が良いんじゃないのか」大倶利伽羅が指をさす。つられるように歌仙がそちらに目を放つと茶屋があった。どうやらそこは甘味処も兼ねているらしく、店先に
「丁度良い、少し休憩していこう」
大倶利伽羅を促して茶屋へ行くと早速腰掛で躰を休めた。店の奥から出てきた女将に茶と芋羊羹を注文する。大倶利伽羅も同じものをくれと女将に頼んだ。
荷物を脇に置いてほっと息を吐く。頭上から降り注ぐ陽光はまだ夏の名残が色濃いが、肌を撫でる空気や空模様はすっかり秋めいている。暑さは感じるが湿度が低いため、そこまで不快な暑気ではない。歌仙の目の前を赤蜻蛉が音もなく横切っていく。薄い翅が陽射しを反射して煌めいた。長閑な眺めに筆と短冊が欲しくなる。程なくして冷えた茶と芋羊羹が運ばれてきた。それぞれ勘定を支払う。
「色鮮やかな蜜色の芋羊羹、とても美味しそうだ。この
歌仙が芋羊羹がのった小皿を手に取って
「美味いな」
「もう食べているのかい? 大倶利伽羅、もっとじっくり見た目も味わい給えよ」
食べ物は目でも味わうものだと歌仙が言うと「出されたものは早く食べないと鮮度が落ちるんでね」そんな冗談とも本気ともつかない言葉が返ってくる。これだから田舎者は――内心で毒づきながらいただきますと手を合わせて歌仙も芋羊羹を口にした。滑らかな舌触りと自然な甘さが上品で美味だ。一つお土産に買って帰ろうと思い付く。きっと小夜も喜ぶだろう。
「作れるか」
「え?」
「芋羊羹」
「材料があれば作れるが……これを作って欲しいのかい?」
大倶利伽羅の言っていることが信じられず、思わず聞き返してしまう。
「あんたこういうの得意だろう。無理なら、いい」
つまらなそうに告げると大倶利伽羅は正面を向いて茶を啜った。
「無理ではないよ。貴殿が食べたいというなら作るのも
あの大倶利伽羅が自分に何か頼みごとをしてくるとは思ってもみなかったのだ。同じ屋根の下で共同生活を送り、出陣で一緒になることはあるものの、普段それほど言葉を交わすことはないから猶更だ。伊達の刀の中で一番交流があるのは燭台切である。料理好きな彼とは厨仕事を共にすることが多いのがその理由だ。
「おかしいか?」
「おかしいとは思っていないけれどね。だがそうだな、貴殿はもう少し愛想というものを憶えた方が良い」
「そんなもの憶えて何になる」
表情を崩さないままふんと一匹竜王は鼻を鳴らす。無視されると思っていたが、会話をする意思はあるらしい。ずっと黙っているのは気詰まりなので歌仙は言葉を続ける。
「不愛想でつんけんしているよりは愛想があった方が相手だって厭な気持にならないだろう? それに今は皆で共同生活をしているんだ。貴殿のような態度でいられたら本丸の運営にも差し障りが出る。ただでさえうちの本丸はマイペースな刀が多いんだ。そうなったら主だって困るだろう」
「どうでも良いな。俺は戦えればそれで良い」
「ほう。では芋羊羹は要らない、と?」
「それは……」
芋羊羹を人質に取られて大倶利伽羅はぐっと唇を噛む。と、歌仙は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「貴殿の態度もそういう性分だというのは判るが、少しは燭台切を見習い給えよ」
「――俺はあいつのようにはなれない」
光忠ほど俺は強くない――大倶利伽羅は眉根を寄せてどこか苦しそうに呟いた。眦には、傷口に誤って手を触れてしまったかのような痛苦が滲んでいた。こんなふうに彼が感情を露わにするところを歌仙は初めて見た。何か悩み事でも抱えているのだろうか――俄かに心配になってしまう。大倶利伽羅と仲が良いとは決して言えないが、大切な仲間であることには変わりがない。
「貴殿は燭台切と比べて遜色ないと思うが」
刀種は違えど能力にそこまで差があるようには思えない。打撃力だって申し分ない。日々の鍛錬の賜物である。取っ付きにくいところはあるが、大倶利伽羅が真面目な刀なのは歌仙はこれまでの共同生活で知っていた。すると大倶利伽羅は「俺が言っているのはそういう強さではない」いつもの無表情に戻って残り半分の芋羊羹を竹串で一口大に切り分ける。
「精神力――所謂心の強さというやつだ」
「そうかい? 大倶利伽羅が軟弱のようには見えないけれどね」
馴れ合うことを嫌い、群れることを良しとせず、ひとりで戦いひとりで死ぬと言って憚らない孤高の刀が軟弱であろうはずがない。歌仙がそんなことを口にすると「あんた、遡行軍との戦いが終わることをどう思う」唐突に訊ねられて芋羊羹を食べる手が止まってしまう。
「どうって、それは喜ばしいことだと思うよ。歴史を改変しようとする不埒な輩がいなくなるんだからね。僕達のこれまでの戦いもやっと報われるってものだよ。大倶利伽羅は違うのかい?」
「本音を言えばこの戦いに終わりがなければ良いと思っている」
「ただの刀に戻って大事に箱の中に仕舞われるのが厭なのかい?」
刀は武器である――物は使われてこそ意味があるのだから、美術品のように扱われることに抵抗があるのだろう。その気持ちは判らなくもない。
「まあ、それもあるが。今の生活が喪われるのが惜しい――と言ったら、あんた笑うか」
歌仙は我が耳を疑った。あの大倶利伽羅の口から出た言葉とは思えなかった。戦うことしか頭にない刀だとばかり思っていたので。
「流石に笑ったりはしないさ。意外だとは思ったけれどね。確かに、自由が利く躰があるのは良いものだ。刀ではできないことができるからね。歌を詠んだり、書を書いたり、花を活けたり、料理したり。ここでの生活は楽しい。――後学のために訊いておこう。大倶利伽羅は何をしている時が一番楽しい? 何が好きだい?」
大倶利伽羅は芋羊羹の最後の一口を茶で流し込むとごちそうさまでした、と手を合わせて荷物を抱えて立ち上がった。
「食い終わったから先に行くぞ」
「あ、待ち給え、大倶利伽羅!」
歌仙の声がまるで聞こえていないような素振りで大倶利伽羅は足早に立ち去っていく。歌仙も急いで芋羊羹を平らげると適当に茶葉を見繕って買い、慌てて見慣れた背中を追いかける。
「全く、君という刀は。置いていくなんて酷いじゃないか」
隣を歩きながら口角を下げて抗議すると「客らしい女がいたから」抑揚のない声音が答える。歌仙が振り返って茶店の方を見遣ると確かに先程まで自分達が占領していた腰掛に女が座っている。大倶利伽羅は長居したら迷惑だと思ったのだろう。それならそうと言ってくれれば良いのに――本当に言葉が足りない刀だ。やれやれと今日何度目かしれない溜息を吐いてふと花屋が目に留まった。
「おや、珍しい。黒百合だ」
歌仙の声につられるように大倶利伽羅も目を向ける。軒先に置かれた桶の中に褐色の花があった。雅をこよなく愛する男の説明によると黒百合はその花弁の色合いから茶の席に飾るのに好まれる花らしい。だが大倶利伽羅が思ったのは全く別のことだ。――まるで光忠みたいだ。
「せっかくだ、買っていこう。大倶利伽羅、少し待っていてくれ給え」
「俺も買う」
「部屋に飾るのかい?」
「いや、
返ってきた言葉に歌仙は殆ど手に持った荷物を取り落としそうになった。 今日は大倶利伽羅に驚かされてばかりだ。歌仙が唖然としている横で大倶利伽羅は店番の女に黒百合を包んでくれと言いつけている。女は贈り物ならこの花も一緒に合せると見栄えが良くなると言って白い花を持ってきたが、大倶利伽羅は不要だとして退けた。歌仙も黒百合を買い、揃って店を出る。そこでお土産にする芋羊羹を買い忘れたことに思い至った。――まあ、作れば良いか。材料は幾らでも手に入るのだし。
「その花、誰にあげるんだい?」
大倶利伽羅が誰かに贈り物をするなど嘘みたいだ。一体誰に渡すのか考えてみたが、主か仲良くしている伊達の面々だろう。それくらいしか思い付かない。それともどこかに好いた
「あんたには関係ないだろう」
芋羊羹――歌仙が呟くと隣を歩む一匹竜王は観念したように吐息を洩らすと相手の名を明かした。
「――光忠に」
「ああ、やはりね。そんなことだろうとは思ったよ。一瞬、懸想した相手にでも渡すのかと――」
そこまで言いかけた時、大倶利伽羅の頬が紅潮した。
「えっ」
――その反応はなんだ。
「な、なんだ、光忠のことが好きで悪いかっ」
「何だって!?」
素っ頓狂な歌仙の声に大倶利伽羅は顔を真っ赤にして「い、今のは忘れてくれ……」先走ってうっかり秘密を暴露してしまった己を恥じた。顔を赤らめて俯く打刀の横で歌仙は茶屋での会話を反芻して黙考する。
大倶利伽羅が戦いの永続を望む理由。
本丸での生活を手放したくないその訳。
それは判る。遡行軍との戦いが続く限り、本丸での暮らしも続いていく。好いた相手――燭台切と一緒にいることができるから。
では、光忠ほど俺は強くはない――この言葉の真意はなんであろう? それが不可解だ。
「真逆君が燭台切に懸想しているとはね。孤高の一匹竜王が随分と可愛いところがあるじゃないか」
「うるさい。というか早く忘れろ」
「忘れろと言われてもそう都合よくできてないからね」
「鶴丸なら三歩歩いたら忘れるぞ」
「それ、本人に言うてくれるなよ。というか、貴殿のそれは殆ど悪口だぞ」
慎み給えと窘めると隣を歩く竜王はふんと鼻を鳴らした。
暫く無言で道を進む。秋の気配を孕んだ風が心地よく頬を撫でていく。田畑が広がる畦道に出ると点々と赤いものが目に付いた。彼岸花である。獣が遺体を食い荒らさぬよう、墓場に植えられたことによりあまり良いイメージがない花であるが、繊細な花は美しいと歌仙は思う。まるで地上に咲いた線香花火のような。赤も綺麗だが白いそれも楚々として美しい。毒があるなんて嘘みたいだ。否、毒があるから美しいのか。
「――それで。燭台切には伝えないのかい?」
「ないな。言ったところで迷惑がられるだけだ」
間髪入れず即答する大倶利伽羅の横顔を歌仙は見詰める。浅黒い肌に燃えるような金色の瞳。だが意外と目付きは穏やかだ。そういえば伊達の刀達は皆同じ瞳の色をしているなと思い出す。恰も彼らの強い繋がりを示すかのように。
「僕から見た印象では燭台切も君のことを好いているように思うけれどね」
「あいつは誰にでもそうなんだ。別に俺だけが特別なわけじゃない」
燭台切は誰に対しても親切で優しい刀だ。それはまごうとなき彼の美点であるが、恋慕を寄せる大倶利伽羅としては少々複雑な気持ちになるのも確かだ。皆に分け隔てなく優しい彼を苦く思いながら、しかしそんなところも好ましく思う。きっと惚れたが負けとはこういうことをいうのだろう。
「でもせっかく好意を伝えられる環境にあるんだ。気持ちを伝えずにいるのは勿体ない気がするけれどね。それにその花、」
「花? この黒百合がどうかしたか?」
大倶利伽羅は首を傾げて歌仙が指さす黒百合を見遣る。
「文系の刀であるこの僕が竜王様に良いことを教えよう」
◆◆◆
光忠ちょっと良いかい――名前を呼ばれて広げていた本から顔を上げると部屋の入口に兄二振りが立っていた。内番の仕事が終わったばかりなのか彼らはラフな内番着姿である。そういう燭台切は今日は非番で、今もレシピ本を読んでいたところだった。
「実休さんに福島さん。何か用かい?」
「たまには兄弟水入らずでお茶でもどうかと思ってね」
福島は手に持った盆を軽く掲げて見せる。盆の上には三人分の芋羊羹と湯呑が載っていた。横から「お茶は大陸のものだよ」実休が注釈をつける。燭台切は喜んで兄達を迎え入れた。広げていた本を片付け、いそいそと座布団を用意して彼らに座るように促す。福島は座卓の上に湯呑と芋羊羹が載った小皿をそれぞれ置いて腰を落ち着ける。その隣に実休が座った。彼らが燭台切の居室を訪ねてくるのはそう多くはない。その逆も然りで、兄弟刀とはいえ他のそれと比べてやや距離があった。といっても、仲が悪いとか馬が合わないとかではなく、単純に実休と福島が顕現して日が浅いことに因る。彼らがこの本丸に来て漸く二ケ月半が過ぎようとしていた。
「美味しそうな芋羊羹だね。お茶も良い香りだ」
燭台切がそう言うと「この芋羊羹は歌仙兼定のお手製だよ。大倶利伽羅と一緒に作ったそうだ」福島が説明する。そう言われてみれば大倶利伽羅の姿が朝餉のあとから見えなかった。どこに行ったかと思えば厨にいたのか。しかも歌仙と一緒に。一体どういう経緯があったのかは知れぬが大倶利伽羅が他の刀と仲良くすることは良いことだ。何だか嬉しくなってしまう。
早速いただくよ――燭台切はいただきますと手を合わせると蜜色の羊羹に竹串を刺して口へ運んだ。薩摩芋のほろりとした甘さが口の中に広がる。口当たりも滑らかだ。兄達の期待に満ちた四つの瞳が弟を見詰める。燭台切が「とっても美味しいよ」にこやかに告げると実休と福島はほっとしたように口元を綻ばせた。それから彼らも手を合わせてから芋羊羹を食す。
「実休さん、このお茶は大陸のものだと言っていたけれど、何て言うお茶なんだい?」
燭台切は湯呑茶碗を手に取りながら香りをすんと嗅ぐ。仄かに甘みがある香りの茶は淡い琥珀色。口に含んでみると渋みが少なく、まろやかな味わいだった。
「これは白豪銀針という白茶の最高級品でね。茶樹の新芽のみを使ったお茶なんだ」
実休によれば夏バテや胃の不調を和らげる効果があるらしい。
「へえ、そうなんだ。こんなに良いお茶を振舞って貰って何だか悪いような気がするよ」
「良いんだよ、光忠。僕が一緒に飲みたかったんだからね」
「そうそう。茶屋で買い物した時から実休は光忠と一緒に茶を飲むんだってずっと言ってたんだから。――俺も何か持ってくれば良かったかな」
「ああそんなに気を遣わないでよ。でも二振り共、どうもありがとう」
「可愛い弟のためなら何でもしたくなるよ。ねえ、福島」
兄に話を振られた福島は大真面目に頷いて朗らかに笑った。日頃から何かにつけて「お兄ちゃんと呼んで欲しい」と言って憚らない彼らであったが、この時ばかりは燭台切も本当に「兄さん」と呼んでも良いような気持ちだった。ある日突然「兄」として顕現した二振りを前に戸惑いが大きかった燭台切であったが、兄弟とは良いものだと
「おや、黒百合だ」
ふと福島は壁際の文机の上に飾られている一輪の花に目を止めた。
「ああ、あの花は昨日伽羅ちゃんから貰ったんだ。黒い百合なんて珍しいよね」
「――呪い」
「え?」
「ちょっと、実休」
ぽつりと呟く長男を二振りは凝視する。
「え、僕もしかして伽羅ちゃんから呪われてるの!?」
「いや、そうじゃないんだ。実休が言ったのはその花に纏わる逸話……というか、伝説みたいな話でね」
光忠は聞いたことがないかな?――狼狽える弟に穏やかに福島が告げるのを実休が引き取る。
「越中に残る伝説でね。早百合伝説とも黒百合伝説とも言われている。元織田信長の家臣であった佐々政成の寵愛を受けた側室の早百合姫が不義密通の咎で処刑された時に“立山に黒百合咲く頃、佐々家は滅亡する“という言葉を残したらしい。書物にも記録があるけれど、創作だという噂もあるから真偽は定かではないんだけれどね。それ故に黒百合の花言葉は――」
「呪い――か。あんなに綺麗な花なのに」
燭台切は黒百合を瞳に映す。凛とした佇まいが美しい。控え目でありながら、堂々とした存在感がある。――まるで伽羅ちゃんみたいだ。
「でももっと別の花言葉もある」
「別な?」
「そう。恐らく大倶利伽羅はそっちを念頭に置いて光忠にプレゼントしたんじゃないかな。黒百合のもう一つの花言葉は“恋”」
「えっ」
福島の台詞を耳にして俄かに耳が熱を持つ。おやおや光忠顔が真っ赤だよ――実休がにこりと微笑む。追い打ちをかけるように福島も俺の弟は全く可愛いなと笑う。兄達の温かい眼差しが居た堪れなくて燭台切は俯いた。顔にのぼってきた熱を散らそうにも上手くいかない。うぅ恰好悪い穴があったら埋まりたい――そんな燭台切の胸中を知ってからしらずか、福島が言葉を続ける。
「これはある民族に伝わる伝説なんだけれど、好きな人への想いを込めた黒百合をその人の傍へそっと置いて相手が花を手に取れば二人は結ばれるってね」
「良かったね、光忠。彼とは両想いだ」
一体どこで憶えたのか実休は胸の前で両の手でハートを作って見せる。
「待って待って、伽羅ちゃんはそんなつもりはないんじゃないのかなっ。僕に花をくれたのだってたまたまだろうし……、」
「そうかな。花を誰かに贈ることは少しだけ特別感があるように思うけどね。少なくとも光忠に対して何らかの好意はあるんじゃないかな」
「そりゃまあ彼とは旧知の仲だし、嫌われてはないと思うけれど……でも僕のことは仲間のうちの一振りくらいにしか思ってないんじゃないかなあ」
燭台切は溜息を吐くと芋羊羹を頬張る。福島は花が好きな男だから花言葉の知識はそれなりにあるのは判るが、大倶利伽羅にその手の知識があるとは思えない。きっと黒百合の花言葉なんて何も知らないに違いない。本当に昨日、花をくれたのはたまたま――彼の気まぐれだろう。燭台切が黒百合を受け取った時も「歌仙が立ち寄った花屋で見付けたから」と大倶利伽羅は言っていた。燭台切は思いがけないプレゼントに文字通り舞い上がるほどに喜んだが一体どういうつもりで彼が花をくれたのか、あまり深く考えてはいなかったのだ。それは余計な期待を抱かぬようにという自制心と嬉しさのあまり思考が抜け落ちていたせいでもある。
「光忠は大倶利伽羅に気持ちを伝えないのかい?」
実休に言われて燭台切は
「それは……あんまり考えていないかな」
「どうして? せっかく再会できたのに?」
「再会できたからこそだよ」
「なるほど。光忠は今の関係を壊したくないわけだ」
福島は頷きながら白茶を啜る。実休が見繕った高級品だけあって美味い。
「うん。それもあるし、彼には嫌われたくないから……、」
燭台切は声を落として湯呑に視線を落とす。淡い琥珀色の
こんなことは誰にも口が裂けても言えないが、もし大倶利伽羅に想いを告げて拒絶でもされたらショックのあまり寝込むか折れてしまうだろう。我ながら情けないと思うが仕方がない。何せ奥州で別れてからというもの長い間、思慕を募らせていたのだから。長い年月を経て物に魂が宿るように、この恋情もそのうち目に見える形となって自分や大倶利伽羅の前に現れるのではないかと時折空想をしておかしく思った。
「虎穴に入らずんば虎子を得ずだよ、光忠」
次男が唄うように告げる。
「せっかく大倶利伽羅と再会できたんだ。想いを伝えるにはまたとないチャンスだ。俺達は刀であり物だ。所有者を選べない。またいつ離れ離れになってしまうか判らない。少なくとも遡行軍との戦いが終われば今ある躰も消えてなくなる。だから伝えたいことがあるなら今のうちに積極的に伝えないと」
そうだろう?――福島は片眼を瞑って見せる。
「僕達はね、光忠に幸せになって欲しいんだよ」
兄は弟の幸せな姿を見ることが一番の幸せなんだから――そう言って実休は優しく笑った。
◆◆◆
伽羅ちゃんいるかい?――聞き慣れた声が襖の向こうからして報告書に筆を走らせていた大倶利伽羅は手を止めた。締め切った襖を開けると光忠が盆を手にした立っていた。
「なんだ、光忠」
「取り込み中だったかな? この間実休さんから美味しいお茶を貰ってね。おはぎも作ったから一緒にどうかなって思ったんだけど……」
「そうか。せっかくだ、貰うとしよう」
中に入れと促して大倶利伽羅は座卓の上に広げた書類を一つにまとめて片付け、座布団を出してやる。光忠はお邪魔しますと室内に足を踏み込んだ。
現在、大倶利伽羅は火車切と部屋を使っているが、彼が本丸にやってくるまでは光忠と同室だった。部屋割りが変更されたのは本丸の生活に早く慣れるためにも火車切は兄の傍にいるのが一番だろうと主が考えてのことだ。主の意見は尤もだと思ったから光忠も異を唱えることなく別の部屋に移ったのだ。その甲斐もあってか火車切も今ではすっかり本丸の皆と馴染んで楽しそうに日常生活を送っている。今頃彼は道場で太鼓鐘を相手に手合わせをしているはずだ。あとで彼らの分のおはぎも持っていってやろうと考えて光忠は座布団の上に腰を据えた。
「伽羅ちゃん、どれにする?」
「この緑のやつはずんだじゃないのか」
「あ、それは抹茶味だよ。たまにはちょっと変わった味も良いかなと思って」
光忠が今回用意したのはつぶあん、きなこ、胡麻、抹茶の四種類である。お彼岸も近いことからおやつに拵えたのだ。大倶利伽羅が抹茶とつぶあんを選ぶと光忠は小皿にそれらを取り分けて彼の前に置いた。さあどうぞ召し上がれ――大倶利伽羅はいただきますと手を合わせて抹茶がまぶされたおはぎにかぶりついた。ふわりと抹茶の香りが口に広がる。
「どう? 美味しいかい?」
問われてもぐもぐと咀嚼しながら頷くと正面にある白い
「お茶も美味しいから飲んでみてよ。中国の高級品なんだって」
実休から聞いた効能を話して聞かせると大倶利伽羅は物珍しそうな顔をして温かい茶を啜った。どれくらい高価な茶なのかは知れぬが、確かに美味い。香りも良い。大倶利伽羅がそう伝えると光忠は満足そうに笑ってきなこのおはぎを口にする。
「この間の芋羊羹もとても美味しかったよ。歌仙くんと一緒に作ったんだって?」
「ああ、一緒に作ったというか、少し手伝っただけだ」
芋羊羹を作ってくれという望みは果たされたものの、それならば君も手伝い給えと歌仙に捕まったのだ。お願いをした手前、拒否もできず、歌仙に言われるままあれこれと手伝ったのだ。
「君が他の刀と仲良くしているのは何だか僕も嬉しいよ」
「別に仲良くしてない。成り行き上、仕方なかっただけだ」
大倶利伽羅が素っ気なく答えると光忠は小さく笑う。――こういうところが伽羅ちゃんらしいな。
「そうそう、伽羅ちゃんから貰った黒百合。この間、実休さんと福島さんから面白い話を聞いたよ」
光忠はさりげなくそう切り出して兄達から聞いた黒百合に纏わる二つの伝説を大倶利伽羅に話して聞かせる。
「呪いの話はちょっと怖いけれど、恋の伝説の方はロマンチックだよね。伽羅ちゃん、知ってた?」
前者の方は初耳である。後者は先日、歌仙から聞かされて知っていた。そう、花を買い求めた日に歌仙が“良いこと”として教えたのがそれだったのである。だが大倶利伽羅は知らないと嘘を吐いた。ここで是と答えてしまえば自分の本心が露見してしまうと思ったので。歌仙には光忠に告白するようにと背中を押されたが大倶利伽羅は言うつもりがなかった。――いずれは喪われると知っていて手に入れて何の意味がある。今ある人の形は仮初にすぎないのに。
「僕はね、伽羅ちゃんが恋の逸話を知っていたら良いなって思ったよ」
光忠の言葉に俄かに心臓が跳ねた。が、大倶利伽羅は平静を装って茶に口を付ける。
「……それはどういう意味だ」
「君が僕のことが好きで、それで花をプレゼントしてくれたら僕の気持ちも報われるのになあって」
「は、」
金色の双眸を大きく見開いて正面に座る男を信じられない気持ちで凝視する。おはぎを食べる手が途中で止まってしまう。――こいつは今、なんて言った? 僕の気持ちが報われる? は? 本当に?
「あんた何言って、」
すると隻眼は困惑したように眉尻を下げて薄く笑う。それから生真面目な表情を作って言葉を紡ぐ。
「本当は打ち明けるつもりはなかったんだけれどね、でもきっともうこんな機会はないだろうから言うよ。僕は伽羅ちゃんのことが好きだよ。それは仲間とか友達とかに抱く感情じゃなくてもっと特別な好意だ。もし君が僕のことを嫌いじゃないなら、恋刀として付き合って欲しい。返事は今すぐじゃなくて良いからさ、少し考えてくれないかな」
ね?と優しく微笑みかけられて一気に熱がのぼって来、顔が火照った。耳まで燃えるように熱い。光忠を直視できなくて大倶利伽羅は俯いた。
「な、なんで今そんなこと言うんだ、あんたは」
そんな雰囲気じゃなかっただろう――羞恥心からそんな恨み言ともつかないような言葉を吐く。俺だって心の準備というものがあるんだ、あんたそれ判ってるのか。せっかくのおはぎの味が判らなくなっただろうが。というかなんでそんなに嬉しそうなんだ、光忠! 怒涛のように言いたいことは押し寄せるがどれも口から出ることはなかった。
「びっくりさせちゃってごめん。でも言うなら今しかないと思ったんだよ。――君の態度を見ると全く脈はないってわけじゃなさそうだね」
顔真っ赤にしちゃって可愛い――光忠は何か眩しいものを見るかのように瞳を細めてみせる。
「それは――、」
大倶利伽羅は言葉に詰まって唇を噛む。これでは歌仙の思惑通りだと癪に障ったが、ここまで来たら仕様がない。王手である。チェックメイトだ。どうあってもこの男からは逃れられないらしい。誰とも馴れ合わないと決めたのが莫迦みたいだ。やはり惚れたが負けなのだ。光忠には一生勝てる気がしない。大倶利伽羅は大きく息を吐くと腹を括ったように真っ直ぐに正面を見た。ずっと焦がれていた月に手を伸ばす。
「あんたの気持ちは受け入れる。俺も、光忠のことは憎からず思っているからな。但し、」
「但し?」
「次、俺のことを置いて行ったら――その時は一生赦さないからな」
――地の果てまで追いかけてやる。
あの時の喪失感を味わうのは二度と御免だ。次は耐えられる気がしない。
「勿論だよ。僕の方こそ君のことずっと離さないからね」
この身がなくなってもずっと――光忠が
(了)
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