メフィストフェレスの恋

(5)

 月明かりが差し込む寝室には淫靡な湿度が蟠っていた。
「あ……、くに、きだくん、」
 切なげな声を上げる太宰の上に覆いかぶさる国木田は彼の衣服と肌を隠している包帯を乱していく。露になる白皙に指先と唇で愛撫を施し、官能を引き出していく。同時に自身も性感が募って腰がジンと熱く痺れるのを感じていた。組み敷いた太宰の細い首筋を舌でなぞれば甘い吐息を漏らしながらビクンと身が跳ねる。気を良くした国木田は執拗に肌に舌を這わせ、接吻の跡をつける。首に、胸元に。愛しさを込めて。
「あッ、ん、くにきだくん、ま、待って、」
 太宰が慌てたように国木田の肩を押し返して制止する。
「どうした?やっぱり厭か?」
 彼を求めるのは性急すぎただろうかと不安がよぎる。すると太宰は気恥ずかしそうに赤らめた顔を背けて、しどろもどろで答える。
「……えっと……厭とかじゃなくて……、その、私、躰は男だから……どうせするなら、……女性の方が良いのかなって思って……、姿は魔力で自由に変えられるから……、」
 思いがけない太宰の言葉に国木田は目を丸くする。そんなことを気にしていたのかと密かに苦笑しながら、どうしようもなく愛しさが込み上げた。彼を特別に愛すること、慈しむことに心満たされるものを感じながら、同じように太宰の全てを満たしてやりたいと思った。
「成る程な。だが、それには及ばない。俺はそのままのお前が好きだからな、」
 国木田はそれを証明するかのように熱を孕んで隆起した股間をぐっと太宰の太腿に押し付ける。
「く、国木田君ってば、……」
 太宰は更に顔を赤らめる。どんな顔をすれば良いのか解らなくて、顔を見られたくなくて、手近にあった枕を咄嗟に掴んで燃えるように熱い顔を埋めた。おい太宰――少し困ったような国木田の声が降ってくる。
「……君って本当、とんでもない人間だね……、」
「何がだ?」
「何でもないよ、」
 小声で答えながら太宰は思う。
 もう君の愛情に溺れて苦しいくらいなのに、これ以上、与えられたら溺死してしまいそうだと。こんなこと、神様にだって出来やしない。ああ、そうだ。きっと君は天から遣わされた私だけの救世主なんだ。どうか私を連れて行って。眩い光が溢れる楽園へ。

 事後の気だるさを引き摺りながら狭いベッドで身を寄せ合う。太宰は甘えるように国木田の硬く引き締まった胸板に躰を委ねて、うっとりと目を細めていた。彼を捕える眠りはすぐそこまできていた。眠気を誘うのは肉体的な疲労ばかりではなく、国木田の体温や心音、そして太宰を労わる優しい手だった。太宰にとっては、どれもこれも初めて味わうもので、飽和する多幸感に躰がぐずぐずに溶けてしまいそうだと思った。それは国木田としても同じで、愛し合うことの幸福感に浸っていた。
「ふふ、どうしよう。凄く、幸せ、」
「俺も幸せだ、」
 耳に届く国木田の声の甘さはどだろう。太宰は先程まで囁かれていた睦言を思い出して指先がじんわりと痺れるのを感じた。それからふと思う。この幸福は何時までも続かないことを。必ず終わりがくることを。しかも自分が思っているよりも早く。彼を失う未来を想像して涙が出そうになった。
「……太宰?どうした?」
 国木田は眉根を寄せて難しい顔をしている太宰を見て柔らかな蓬髪を弄んでいた手を止める。満ち足りていた気分が潮が引くように冷めていく。もう一度、呼びかけると太宰は緩慢な動作で身を起こしてシーツを裸体に巻きつけてベッドの縁に腰掛ける。つられるように国木田も半身を立てる。太宰の細い背中に視線を向けると気が付いたように彼が振り向く。
「ちょっと未来を想像していたんだ。そうしたら、悲しくなっちゃた、」
「どうして、」
 一体何の不安があるのかと国木田は訝しく思った。すると太宰は眉尻を下げて云う。
「だって。何時か必ず国木田君は死んでしまうから。そうしたら私はまた独りだ、」
 彼と出会うまで知ることのなかったもの――孤独。
「私は長い時間、ずっと人間を見てきた。そのことに私は飽いていた。人間が欲するものは何時の時代もそう変わらない。冨、名声、権力、美貌、不老不死、永遠・・・。くだらないと思っていた。どうしてそんなものが欲しいのか理解出来なかった。特に不老不死や永遠と云う牢獄のような時間についてはね。終わりがないと云うことはそれだけ苦痛が続くと云うことなのにね、」
 太宰は悲しげに微笑む。
「国木田君。私が自分の存在を消して欲しいと願ったのは、君への恋に絶望したからじゃない。ううん、それもあったけれど……一番は孤独に耐えられないと思ったからだよ。国木田君が私を受け入れてくれても、君は私をおいて逝ってしまうから……、」
 国木田は失念していた。太宰を愛しさえすれば、彼を救うことが出来るとばかり思っていたのだ。
「それならば。俺がお前と悪魔の契約を交わして、不死の身となれば良い、」
 彼に何を差し出しても構わなかった。心臓が欲しいと云われたなら、喜んで自ら胸を切り裂いて太宰に捧げただろう。だが、彼はそれを良しとしなかった。
「駄目だよ、国木田君。私はそんなことはしたくないし、出来ないよ。私は人間の国木田君に惹かれて好きになったんだもの。だから私も君だけには人間らしく振舞って接しようとしていたんだ。途中で気持ちが抑えられなくなって正体を明かしてしまったけれど、」
 私も人として国木田君と同じ時間軸で生きたかった――零れた呟きには痛切な響きがあった。
 彼は人を愛したばかりに傷付いて。どうしたら良いのだろう。国木田は太宰を抱き締めようと腕を伸ばしかけて。それだ――或ることが閃いた。太宰此方を向けと細い肩を掴む。不思議そうにしている彼の顔を覗き込む。
「お前、悪魔なんだろう?大抵のことは何でも出来るだろう?それなら人間にもなれるんじゃないか?」
「……それは、」
 考えたことがなかった――太宰は呆気に捕らわれたように力なく云った。
「試す価値はあるだろう。俺も一緒に人間になる方法を探してやる。それでもし、万が一、お前が人になれず、俺が先に逝くことになったら……その時は俺が必ずお前を終わらせてやる。どんな手段を用いてでも、お前に永遠の眠りを与えてやるから。だから俺の傍にずっといろ、」
 俺はお前の全てを引き受けるから。
 罪悪も孤独も悲しみも、その終わりさえも。
 愛しているから――国木田は太宰を引き寄せ、抱き締めた。その腕の強さに太宰は小さく笑う。やっぱり君は救世主だね、と。
「うん?今、何か云ったか?」
 少し躰を離して国木田は首を傾げる。その仕草に太宰は彼の幼き日の姿を重ねて、本当に君は変わらないね――胸の裡が仄かに温かくなるのを感じた。君だけはずっと変わらないでいてね、と胸中で呟く。
「そうだ、太宰。朝になったら、買い物に行こう、」
 心なしか国木田の声は弾んでいた。太宰は少し珍しく思いながら訊ねる。
「うん。良いよ。何買うの?」
「チョコレートだ、」
 赤い包み紙のな――国木田は柔らかく微笑んで、腕の中の愛しい人に口付けた。

(了)
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