国太SS
Aurelia aurita:the end.
「あ。彼処、観ても良い?」
そろそろ帰ろうかと帰路に足を向けていたところで太宰が国木田の外套の袖を掴む。何だと国木田が彼の目線を追うと紺碧に塗られた壁に表示される海月の二文字。
「ああ、良いぞ」
「やった」
喜色を白い頬に咲かせて太宰は先に海月が展示されているブースへと足を踏み入れる。国木田は薄く苦笑を洩らして彼を追った。
「わあ。綺麗」
「ほう。これは、凄いな」
国木田も相槌を打ちながら目の前にある水槽に瞠目した。
照明が絞られた展示室は蒼く打ち沈み、室内の中央に設えられた円柱型の大きな水槽は天井を支えるように聳えていた。ライトアップされたその中を無数の水海月がゆったりと漂っていた。水槽を彩る光は緩やかに変色して華を添える。幻想的な光景に二人は暫く無言で見入った。
「そう云えばさ、海月って最期は海水に溶けてしまうらしいよ。良いよねえ。痛みもなく、苦しみもなく、躰が水に溶けてしまうなんて。とても素敵だ」
揺らめく海月を眸に映しながら太宰はうっとりと告げる。死への憧憬を語る恋人を横目で見遣りながら「またお前はそのような戯言を……」いい加減、云い飽きた言葉を呆れて零す。しかし言葉を吐き出す舌は何時も苦く、慣れることはない。
「あー、ごめん。つい、ね」
太宰は長身を見ながらへらりと笑う。そうしてから再び水槽へと視軸を転じる。半透明の海月はふよふよとあちらこちらに揺れながら自由気ままに漂流していた。光を受けて赤く染まる。
「何だか癒されるねえ」
「ああ、そうだな」
国木田も厚い硝子の向こうを覗き込みながらゆらゆらと目の前を過ぎて行く個体を見詰めた。そんな静かな横顔をそっと太宰は盗み見る。
険が取れた穏やかな目許。揺蕩う海月を追う眼差しが思いの他、真剣であることに稚気を感じて自然と頬が緩む。可愛いな、だなんて。海月よりも君の方がよっぽど――。
「ん? どうした?」
太宰の視線に気が付いて国木田は首を傾げた。彼の頬が赤いのは水槽を照らす光のせいだろうか。
「ううん、何でもないけど。――海月、飼いたいなあ」
「本気で云っているのか? どうせ、水を替えたり水槽を洗う手間を俺に押し付ける心算だろう」
「ありゃ。ばれたか」
全く悪びれる様子もなく太宰は舌を出す。
「お前は自分のことも満足に世話が出来ないからな。俺はお前の世話で手一杯だ。海月の世話をしている暇はない」
至極真面目に云い放って国木田は溜め息を吐く。太宰に反論の余地はなかった。
「海月が見たいなら、また来れば良い」
他の生き物もな――当たり前のように告げられる未来の約束に、太宰は微笑んだ。ありがとうと呟いて。
⁂
店内に所狭しと並べられた土産物に視線を彷徨わせながら国木田は吟味していく。社員達には皆で食べられる菓子が良いだろうと大入りの焼き菓子の箱を手に持った籠の中へ数個入れる。
他に何かないかと物色しているとチンアナゴのキーホルダーが目に入った。隣にはチンアナゴを模した筆記具まである。国木田は吸い寄せられるように陳列されたチンアナゴグッズの前まで来ると、キーホルダーを一つ手に取ってしげしげと眺めた。
――結構、可愛い……気がする。
しかし其処で太宰に盛大に揶揄われたことを思い出して、商品を戻した。
チンアナゴグッズを持っていたら絶対にくだんの件について、社員の前で面白可笑しく語られるのがオチだ。流石にそれは恥ずかし過ぎる。恥ずかし過ぎて死ねる。
国木田は羞恥に溜まった熱を冷ますように溜め息を吐くと、太宰を探してぐるりと店内を見回した。程良く混雑している店内であったが、ひょろりと高い背故に直ぐに見つかった。太宰はぬいぐるみが並んでいる棚の前にいた。
「おい、だざ――」
背後から近付き、数歩の距離を残して国木田は立ち止まった。太宰は彼の気配をまるで察する素振りもなく、ぬいぐるみに手を伸ばしてはちょっと抱きかかえて、また棚に戻す、という動作を繰り返していた。
白熊、ラッコ、シャチ、ペンギン。次に手にしたのは鮫だ。
一体何をしているのか――怪訝に思いながら見ていたが、真剣な顔でぬいぐるみを選んでいる様子が妙におかしくて、堪らず国木田は噴き出した。と、太宰が焦ったふうに振り返った。そうしてから手に持っていた鮫を慌てて背後に隠す。
「え、ちょっと、国木田君! 何時から其処にいたのッ⁉」
驚いている顔が酷く赤い。こんなにも動揺を見せている太宰が珍しく、国木田は笑いながら目を細めて恋人を見遣った。素直に可愛いと思った。
太宰は手にした鮫のぬいぐるみを棚に戻して俯く。穴があったら入りたい――本気でそう思っていた。
「否、少し前からだが。何だ、ぬいぐるみが欲しいのか?」
太宰の隣に立って棚を眺める。チンアナゴもあったが、目を逸らして見なかった振りをした。チンアナゴは、鬼門だ。
「ほら、好きなものを選べ」
「え?」
頭上から降ってくる柔らかな声に太宰は顔を上げる。
「良いから。どれが良い? 鮫が良いのか? それとも白熊か?」
国木田は上機嫌だった。これ程までに甘い顔を見せる彼を不思議に思いながら、太宰はおずおずと云った風情でペンギンのぬいぐるみを指さした。このペンギンは彼等の前で仲睦まじい姿を見せていた、あのペンギンを模したものだった。
「良し。ペンギンだな。他には?」
国木田はペンギンを籠に入れて辺りを見回す。
「待って、国木田君。それ、本当に買ってくれるの? と云うか、値段見た?」
ぬいぐるみ結構値が張るけれど――太宰は申し訳なさそうに云って籠の中のペンギンを見詰めた。
ぬいぐるみは飾るくらいしか途用がない。そのようなものに金を使うなど、平素から無駄遣いを嫌う国木田が赦す筈がない。具体的な途用がない、食べられもしないぬいぐるみに、千円札四枚分。
「無理しなくて良いよ。自分で買うから。気持ちだけ有難く頂くね」
ぬいぐるみを掴もうとする太宰の手を国木田は押し止めた。
「良いんだ。これは俺が太宰に買ってやりたいんだ。今日の記念に」
淡く微笑まれて、太宰は只、頷くことしか出来なかった。
――どうしよう。
心臓が激しく鳴っていた。冷めた筈の熱が再び上ってくる。
籠を持って店内を歩く国木田の真っ直ぐな背に太宰は目を向けた。
――あんなに優しい国木田君は、反則だ。
ときめいて騒ぐ胸は、暫く落ち着きそうもない。
⁂
帰宅をして国木田が作った夕食を共に囲んだ後、温かい珈琲を飲みながら、今日のデートを楽しく振り返った。その時、やはり太宰はチンアナゴの件を持ち出して「あの時の国木田君、本当に面白かったなあ」くつくつと笑った。国木田はぶり返す羞恥心に居心地が悪かったが、それでもまあ太宰が楽しかったのなら良いかと半ば諦めるような気持で、何時までも笑いを収めない恋人を眺めていた。
「そろそろ帰るよ」
カップが空になったところで太宰はご馳走様と立ち上がって掛けていた外套を手にする。
「ああ。明日、遅刻するなよ」
「え~、どうかなあ。今日、沢山動いたから起きられないかも」
「ちゃんと起きろ、ド阿呆」
「そんなに怖い顔したら、せっかくの男前が台無しだよ」
「う、五月蠅いッ」
「ふふ、照れちゃって」
そんな何時もの応酬を交わしながら短い廊下を歩いて、玄関に辿り着く。
「国木田君、今日はありがとう。おやすみなさい」
靴を履いて出て行こうとする彼を慌てて国木田は引き留めた。そうしてから一旦、居間に戻り、忘れ物だとペンギンのぬいぐるみが入った手提げ袋を差し出した。ああそれ――太宰は薄く笑って、
「国木田君のところに飾っておいてよ」
「何故だ? 自分の家に置いておきたいんじゃないのか?」
また訳の解らぬことを云いおって――国木田は目を瞬かせる。
「私がいなくて寂しい時はさ、そのペンギンを私だと思って、抱っこしなよ」
良いアイディアでしょうと悪戯っぽく鳶色の瞳が笑う。
国木田君がペンギンを抱っこしている姿、可愛いだろうなあ――国木田は彼の独白に耳を貸さず、
「――寂しいのはお前の方だろう」
無防備に立っている痩躯を抱き締めた。手提げ袋が床に落ちる。
「え、ちょ、国木田君?」
「太宰、」
目を丸くしている彼に構わず、唇を奪った。太宰の手が惑った末、国木田の腕に縋りつく。一度、唇が離れて再び重なり合う。太宰は柔らかな熱を享受しながら、そう云えば今日は接吻 もしていなかったとぼんやり思った。
「……これじゃあ、私、帰れなくなってしまうよ」
太宰は悩ましげに眉根を寄せて国木田の胸に頭を預ける。
「すまん」
それは形だけの謝罪だった。
――寂しいのは、自分も同じだ。
国木田は細い肩を押し返して「ほら、もう帰れ。明日、遅刻するなよ」何事もなかったように――先程の熱情が嘘だったように、静かに告げた。
「うん。それじゃあ、今度こそ。国木田君、おやすみなさい」
太宰はにっこり微笑んで扉の向こうへと消えた。
彼を見送ってから、足元に落ちている手提げ袋を拾い上げる。
居間に戻って袋の中からぬいぐるみを取り出す。
何処に飾ろうかと考えて、国木田は本棚の上に置いた。
「何だか、変な感じだな」
呟いて、独り笑う。ペンギンのぬいぐるみは部屋に馴染んでいなかった。成人男性の部屋にぬいぐるみ。滑稽とも云える組み合わせに、しかし国木田は微笑ましい気持ちになる。
今日一日、太宰と過ごした時間がまざまざと思い出された。
笑った顔も、恥ずかしそうに動揺していた姿も、気まずそうにしていた様子も、自分を揶揄う悪戯っぽい表情も、全部。
「もう一つ、買ってくるか。お前も、独りでは寂しかろう」
なあ治――国木田は笑いかけて、次は何時水族館でデートをするか、愛用の手帳を繰りながら思案するのだった。
(了)
「あ。彼処、観ても良い?」
そろそろ帰ろうかと帰路に足を向けていたところで太宰が国木田の外套の袖を掴む。何だと国木田が彼の目線を追うと紺碧に塗られた壁に表示される海月の二文字。
「ああ、良いぞ」
「やった」
喜色を白い頬に咲かせて太宰は先に海月が展示されているブースへと足を踏み入れる。国木田は薄く苦笑を洩らして彼を追った。
「わあ。綺麗」
「ほう。これは、凄いな」
国木田も相槌を打ちながら目の前にある水槽に瞠目した。
照明が絞られた展示室は蒼く打ち沈み、室内の中央に設えられた円柱型の大きな水槽は天井を支えるように聳えていた。ライトアップされたその中を無数の水海月がゆったりと漂っていた。水槽を彩る光は緩やかに変色して華を添える。幻想的な光景に二人は暫く無言で見入った。
「そう云えばさ、海月って最期は海水に溶けてしまうらしいよ。良いよねえ。痛みもなく、苦しみもなく、躰が水に溶けてしまうなんて。とても素敵だ」
揺らめく海月を眸に映しながら太宰はうっとりと告げる。死への憧憬を語る恋人を横目で見遣りながら「またお前はそのような戯言を……」いい加減、云い飽きた言葉を呆れて零す。しかし言葉を吐き出す舌は何時も苦く、慣れることはない。
「あー、ごめん。つい、ね」
太宰は長身を見ながらへらりと笑う。そうしてから再び水槽へと視軸を転じる。半透明の海月はふよふよとあちらこちらに揺れながら自由気ままに漂流していた。光を受けて赤く染まる。
「何だか癒されるねえ」
「ああ、そうだな」
国木田も厚い硝子の向こうを覗き込みながらゆらゆらと目の前を過ぎて行く個体を見詰めた。そんな静かな横顔をそっと太宰は盗み見る。
険が取れた穏やかな目許。揺蕩う海月を追う眼差しが思いの他、真剣であることに稚気を感じて自然と頬が緩む。可愛いな、だなんて。海月よりも君の方がよっぽど――。
「ん? どうした?」
太宰の視線に気が付いて国木田は首を傾げた。彼の頬が赤いのは水槽を照らす光のせいだろうか。
「ううん、何でもないけど。――海月、飼いたいなあ」
「本気で云っているのか? どうせ、水を替えたり水槽を洗う手間を俺に押し付ける心算だろう」
「ありゃ。ばれたか」
全く悪びれる様子もなく太宰は舌を出す。
「お前は自分のことも満足に世話が出来ないからな。俺はお前の世話で手一杯だ。海月の世話をしている暇はない」
至極真面目に云い放って国木田は溜め息を吐く。太宰に反論の余地はなかった。
「海月が見たいなら、また来れば良い」
他の生き物もな――当たり前のように告げられる未来の約束に、太宰は微笑んだ。ありがとうと呟いて。
⁂
店内に所狭しと並べられた土産物に視線を彷徨わせながら国木田は吟味していく。社員達には皆で食べられる菓子が良いだろうと大入りの焼き菓子の箱を手に持った籠の中へ数個入れる。
他に何かないかと物色しているとチンアナゴのキーホルダーが目に入った。隣にはチンアナゴを模した筆記具まである。国木田は吸い寄せられるように陳列されたチンアナゴグッズの前まで来ると、キーホルダーを一つ手に取ってしげしげと眺めた。
――結構、可愛い……気がする。
しかし其処で太宰に盛大に揶揄われたことを思い出して、商品を戻した。
チンアナゴグッズを持っていたら絶対にくだんの件について、社員の前で面白可笑しく語られるのがオチだ。流石にそれは恥ずかし過ぎる。恥ずかし過ぎて死ねる。
国木田は羞恥に溜まった熱を冷ますように溜め息を吐くと、太宰を探してぐるりと店内を見回した。程良く混雑している店内であったが、ひょろりと高い背故に直ぐに見つかった。太宰はぬいぐるみが並んでいる棚の前にいた。
「おい、だざ――」
背後から近付き、数歩の距離を残して国木田は立ち止まった。太宰は彼の気配をまるで察する素振りもなく、ぬいぐるみに手を伸ばしてはちょっと抱きかかえて、また棚に戻す、という動作を繰り返していた。
白熊、ラッコ、シャチ、ペンギン。次に手にしたのは鮫だ。
一体何をしているのか――怪訝に思いながら見ていたが、真剣な顔でぬいぐるみを選んでいる様子が妙におかしくて、堪らず国木田は噴き出した。と、太宰が焦ったふうに振り返った。そうしてから手に持っていた鮫を慌てて背後に隠す。
「え、ちょっと、国木田君! 何時から其処にいたのッ⁉」
驚いている顔が酷く赤い。こんなにも動揺を見せている太宰が珍しく、国木田は笑いながら目を細めて恋人を見遣った。素直に可愛いと思った。
太宰は手にした鮫のぬいぐるみを棚に戻して俯く。穴があったら入りたい――本気でそう思っていた。
「否、少し前からだが。何だ、ぬいぐるみが欲しいのか?」
太宰の隣に立って棚を眺める。チンアナゴもあったが、目を逸らして見なかった振りをした。チンアナゴは、鬼門だ。
「ほら、好きなものを選べ」
「え?」
頭上から降ってくる柔らかな声に太宰は顔を上げる。
「良いから。どれが良い? 鮫が良いのか? それとも白熊か?」
国木田は上機嫌だった。これ程までに甘い顔を見せる彼を不思議に思いながら、太宰はおずおずと云った風情でペンギンのぬいぐるみを指さした。このペンギンは彼等の前で仲睦まじい姿を見せていた、あのペンギンを模したものだった。
「良し。ペンギンだな。他には?」
国木田はペンギンを籠に入れて辺りを見回す。
「待って、国木田君。それ、本当に買ってくれるの? と云うか、値段見た?」
ぬいぐるみ結構値が張るけれど――太宰は申し訳なさそうに云って籠の中のペンギンを見詰めた。
ぬいぐるみは飾るくらいしか途用がない。そのようなものに金を使うなど、平素から無駄遣いを嫌う国木田が赦す筈がない。具体的な途用がない、食べられもしないぬいぐるみに、千円札四枚分。
「無理しなくて良いよ。自分で買うから。気持ちだけ有難く頂くね」
ぬいぐるみを掴もうとする太宰の手を国木田は押し止めた。
「良いんだ。これは俺が太宰に買ってやりたいんだ。今日の記念に」
淡く微笑まれて、太宰は只、頷くことしか出来なかった。
――どうしよう。
心臓が激しく鳴っていた。冷めた筈の熱が再び上ってくる。
籠を持って店内を歩く国木田の真っ直ぐな背に太宰は目を向けた。
――あんなに優しい国木田君は、反則だ。
ときめいて騒ぐ胸は、暫く落ち着きそうもない。
⁂
帰宅をして国木田が作った夕食を共に囲んだ後、温かい珈琲を飲みながら、今日のデートを楽しく振り返った。その時、やはり太宰はチンアナゴの件を持ち出して「あの時の国木田君、本当に面白かったなあ」くつくつと笑った。国木田はぶり返す羞恥心に居心地が悪かったが、それでもまあ太宰が楽しかったのなら良いかと半ば諦めるような気持で、何時までも笑いを収めない恋人を眺めていた。
「そろそろ帰るよ」
カップが空になったところで太宰はご馳走様と立ち上がって掛けていた外套を手にする。
「ああ。明日、遅刻するなよ」
「え~、どうかなあ。今日、沢山動いたから起きられないかも」
「ちゃんと起きろ、ド阿呆」
「そんなに怖い顔したら、せっかくの男前が台無しだよ」
「う、五月蠅いッ」
「ふふ、照れちゃって」
そんな何時もの応酬を交わしながら短い廊下を歩いて、玄関に辿り着く。
「国木田君、今日はありがとう。おやすみなさい」
靴を履いて出て行こうとする彼を慌てて国木田は引き留めた。そうしてから一旦、居間に戻り、忘れ物だとペンギンのぬいぐるみが入った手提げ袋を差し出した。ああそれ――太宰は薄く笑って、
「国木田君のところに飾っておいてよ」
「何故だ? 自分の家に置いておきたいんじゃないのか?」
また訳の解らぬことを云いおって――国木田は目を瞬かせる。
「私がいなくて寂しい時はさ、そのペンギンを私だと思って、抱っこしなよ」
良いアイディアでしょうと悪戯っぽく鳶色の瞳が笑う。
国木田君がペンギンを抱っこしている姿、可愛いだろうなあ――国木田は彼の独白に耳を貸さず、
「――寂しいのはお前の方だろう」
無防備に立っている痩躯を抱き締めた。手提げ袋が床に落ちる。
「え、ちょ、国木田君?」
「太宰、」
目を丸くしている彼に構わず、唇を奪った。太宰の手が惑った末、国木田の腕に縋りつく。一度、唇が離れて再び重なり合う。太宰は柔らかな熱を享受しながら、そう云えば今日は
「……これじゃあ、私、帰れなくなってしまうよ」
太宰は悩ましげに眉根を寄せて国木田の胸に頭を預ける。
「すまん」
それは形だけの謝罪だった。
――寂しいのは、自分も同じだ。
国木田は細い肩を押し返して「ほら、もう帰れ。明日、遅刻するなよ」何事もなかったように――先程の熱情が嘘だったように、静かに告げた。
「うん。それじゃあ、今度こそ。国木田君、おやすみなさい」
太宰はにっこり微笑んで扉の向こうへと消えた。
彼を見送ってから、足元に落ちている手提げ袋を拾い上げる。
居間に戻って袋の中からぬいぐるみを取り出す。
何処に飾ろうかと考えて、国木田は本棚の上に置いた。
「何だか、変な感じだな」
呟いて、独り笑う。ペンギンのぬいぐるみは部屋に馴染んでいなかった。成人男性の部屋にぬいぐるみ。滑稽とも云える組み合わせに、しかし国木田は微笑ましい気持ちになる。
今日一日、太宰と過ごした時間がまざまざと思い出された。
笑った顔も、恥ずかしそうに動揺していた姿も、気まずそうにしていた様子も、自分を揶揄う悪戯っぽい表情も、全部。
「もう一つ、買ってくるか。お前も、独りでは寂しかろう」
なあ治――国木田は笑いかけて、次は何時水族館でデートをするか、愛用の手帳を繰りながら思案するのだった。
(了)