優しさ日和
大倶利伽羅が出陣先から戻り、光忠の姿を探して厨を覗くと珍しい刀がそこにいた。
「鶴丸、貞」
背後から声をかけると二振り同時に振り返り、ぱっとその顔に笑みを咲かせた。
「伽羅! おかえり!」
「伽羅坊か。お疲れさん。思ったより早かったな」
戦果はどうだったと訊ねる鶴丸に首尾は上々、誉を取ったことを手短に伝えると「そりゃ何よりだ」「流石、伽羅だな!」大倶利伽羅本人より喜んでみせる。
「光忠は? 何かの用事で外に出ているのか」
大倶利伽羅が出陣先から戻って来る際、光忠が労いの言葉と共に出迎えるのが常だが、今日に限って彼の姿がなかった。確か今日の当番表には馬当番とあったはずだが、
「光坊の奴、ちょっと風邪をひいたみたいでな」
「そうそう。びっくりしたよなあ、あの時の加州と大和守の慌てぶりったらなかったぜ」
「何?」
大倶利伽羅が眉間に皺を立てると「伽羅坊が出た後にな、調子悪そうにしてたんだよ。咳をしてて」君気が付かなかったか? ――鶴丸に問い返される。
光忠と大倶利伽羅は同室である。朝起きて顔を合わせた時はいつも通りであったし、体調不良には見えなかった。出陣する前も「伽羅ちゃん、気を付けて行ってらっしゃい。ご武運を」そう言っておまじないだと額に口付けを寄越したくらいである。
「いや、俺には普段と変わりなく見えたが」
「そうか。まあ光坊のことだから君に心配かけないように振舞っていたのかもなあ」
のんびり告げる鶴丸の後を太鼓鐘が頷きながら引き取る。
「みっちゃんってそういうところあるよな。格好悪い姿を見せたくないのかもしれないけど、でもこんな時くらい、もっと周りに頼ったり甘えたりすれば良いのに」
太鼓鐘の言い分は尤もである。他の刀達のことはやたら世話を焼いたり心配したり、気を遣ってあれこれと立ち回るのに自分のこととなると後回しにしがちだ。
「加州と大和守が大騒ぎしなけりゃ、ずっと具合いが悪いのを隠してただろうな」
「みっちゃんの我慢強さも考えものだよな」
「全くだ」
「――それで、あんた達は厨で何をしてるんだ」
大倶利伽羅は二振りに近付いてひょいと後ろから覗き込んだ。火にかけられた土鍋がぐつぐつと煮えている。ふわりと味噌の匂いが香った。
「粥か?」
「大正解! 風邪といったらお粥だろう?」
「梅干しを切らしてたから、味噌と卵の粥を俺達で作ってたんだよ。伽羅坊、戦で疲れているところ使って悪いが、こいつを部屋まで持って行ってくれないか?」
鶴丸が火を止める横で太鼓鐘が棚から匙や茶碗を取り出す。
「それは構わないが。……これは食っても大丈夫なのか?」
見た目はごく普通で問題はなさそうだが、実際は判らない。こう言ってはなんだが、炊事に不慣れな鶴丸が関わっていると思うと不安になってしまう。体調が悪い光忠に変なものを食べさせるわけにはいかない。すると年嵩の刀は「伽羅坊、酷いっ」両手で顔を覆ってわっと泣き真似をする。
「幾ら何でも俺だって粥ぐらいは作れるぜ? なあ、貞坊」
「伽羅、大丈夫だって。そのために俺も一緒に作ったんだし。心配なら味見してみろよ」
太鼓鐘はフォローになっているような、なっていないような言葉を並べると新しい匙を取り出して火からおろしたばかりの土鍋から粥をひと匙、掬い取って大倶利伽羅に差し出した。大倶利伽羅は湯気が立つ粥に息を吹きかけて冷ましてから口にする。
「どうだ?」
期待に満ちた四つの瞳が大倶利伽羅をじっと注視する。
「……美味い」
予想に反して粥は優しい味だった。少し塩気が足りない気もしたが、病人食ならこんなものだろう。味見が呼び水になったのか、俄に空腹を憶えた。考えてみたら今朝戦に出てから何も口にしていない。時刻も昼を疾うに過ぎている。と、大倶利伽羅の様子を察した太鼓鐘が「伽羅には昼餉に握り飯を用意してあるぜ」盆の上にある皿を顎でしゃくる。綺麗な三角の形をした握り飯が二つ皿の上に鎮座していた。こちらは厨番だった宗三が拵えたものらしい。
「俺達はここの後片付けがあるから後は頼んだぜ!」
「伽羅坊もゆっくり休めよ。俺達も後で光坊の様子を見にいくから」
「ああ、判った」
大倶利伽羅は光忠の食事と自分の握り飯をのせた盆を持って厨を後にした。
◆◆◆
戦装束のまま盆を手にして廊下を歩いていると向かいから石切丸が歩いてくるのが見えた。手には神官らしく御幣を持っている。しかし彼の自室は大倶利伽羅と光忠の部屋がある離れとは別だ。道場に神棚があり、毎朝そこで祈祷をしているのは知っているが、道場から戻って来るにしても方向が違うし、何よりお勤めの時間帯も違う。今朝はあげられなかった祝詞を今頃済ませてきたのかと大倶利伽羅が怪訝に思いながら歩いていると「やあ大倶利伽羅さん」にこやかに石切丸が話しかけてきた。普段あまり言葉を交わさないので、少し戸惑ってしまう。だが大太刀は気にした様子もない。
「戦から戻って来たんだね。お疲れ様。燭台切さんのことは聞いてるかな」
「ああ、今しがた鶴丸達から聞いたが。あんたは、」
「うん、私も丁度今彼のところに行って加持祈祷をしてきたところだよ」
石切丸は病気平癒にご利益がある神社の神刀である。だがそれは腫れ物に効力があるのではなかったか。どんな病にでも有効なのだろうか。そんな疑問が脳裏を掠めたが「加州さんと大和守さんが
「光忠が労咳? 風邪じゃなかったのか?」
「いやね、流石に私も燭台切さんはただの風邪だと思うのだけど、二振り共も血相を変えて言うものだから断れなくてね。まあ私も心配だったからお見舞いも兼ねて」
手に持った御幣を軽く胸の前で振る。
「それで、光忠の様子は」
「少し熱があるみたいで、咳もしていたね。でも本人はそこまで具合いが悪いわけじゃないと言っていたよ」
「――あんたから見てどう思う」
大倶利伽羅は自然と険しい顔色になって訊ねると石切丸は不思議そうに瞳を僅かに見開く。
「え? 私から見てかい? 私はお医者様ではないから正確な見立てはできないけれど、ゆっくり躰を休めていれば二、三日で快癒すると思うよ」
だからそんなに心配しなくても大丈夫だよ――石切丸は紅を差した眦を和らげて安心させるように告げた。彼は大倶利伽羅が光忠の病状を深刻に受け止めていると思ったらしい。大倶利伽羅はただ単純に光忠本人の言葉が信用できないと思っただけだ。周囲に体調が悪いのを隠すくらいだ、石切丸にも心配かけまいとその場を取り繕っていたに違いない。
「大倶利伽羅さんは燭台切さんと同室だったね。君も風邪が
「心遣い、痛み入る」
それじゃあ私はこれで――石切丸は軽く会釈をし、大倶利伽羅の横を通り抜けて立ち去っていく。少しの間、緑の衣を見送ってから再び歩みを進めて、閉じられた自室の襖の前に立つと「光忠、俺だ。入るぞ」一言断りを入れてから襖を開けた。
「あ、伽羅ちゃん」
光忠は横になっていた布団から身を起こして「おかえりなさい。お疲れ様」お出迎えできなくてごめんね――へらりと眉尻を下げて笑った。
「それは別に良い。あんた、風邪をひいたって皆から聞いたが大丈夫なのか」
大倶利伽羅は室内に足を踏み入れ、光忠の近くに腰を下ろすと手にした盆を傍らに置く。見たところ病人らしさはない。ただ熱があるのは本当のようで少し瞳がとろんとしている。
「皆からどう聞いたのか知らないけれど、そんなに具合いが悪いわけでもないんだよ。ちょっと咳が出るくらいで。熱も微熱程度だし」
「加州と大和守が労咳だと騒いで石切丸まで押しかけて来たそうだが」
ああその話――光忠は軽く咳をしながらおかしそうに小さく笑う。
「加州くんと大和守くん、どうやら前の主を労咳で亡くしてるみたいでね。それで僕がちょっと咳をしたら労咳かもしれないって大騒ぎしちゃって。僕が幾ら大丈夫だって言っても全然聞いてくれなくてさ。部屋に連れて行かれて布団に押し込まれちゃったよ」
「成程そういうことか。所謂、トラウマという奴だな」
彼等の大事な主を奪った病も最初は軽い咳から始まったのだろう。本人もただの風邪だと思っていたのかもしれない。結核だと気が付いた時にはもう手遅れだったのだろう。それに時代も悪かった。当時は効果的な治療法も特効薬もなかったのだ。日に日に肺を蝕まれていくのはさぞ苦しかったに違いない。
「そうだね。でも今の時代、労咳なんて滅多にないし、治療薬だってあるからそうそう死にはしないんだけどね」
「だが風邪は万病の元とも言う。拗らせたらことだ。咳がとれるまで大人しく寝てるんだな。――飯は食えそうか」
光忠のために鶴丸と貞宗が粥を拵えたのだと言うと「鶴さんと貞ちゃんが作ってくれたの? 嬉しいなあ。ちょっとお腹減ったし、せっかくだから頂くよ」後でお礼を言わないとね――にこりと微笑する。大倶利伽羅は土鍋の蓋を取ると温かな湯気が立つ味噌と卵の粥を匙で茶碗に掬い入れる。それから一口分を匙に取って息を吹きかけて冷ましてから、そらと光忠の口許に持っていく。と、隻眼が戸惑ったように瞬かれる。
「え、」
「心配するな、味見してみたが美味かったぞ」
「えっと、そうじゃなくて、自分で食べられるんだけど……」
「良いから。口を開けろ。ほら、あーん、」
「あ、あーん……?」
光忠が躊躇いがちに口を開けると匙が差し込まれる。口内に味噌の風味が広がる。きちんと出汁も入れてあるのだろう、薄味ながら鰹と昆布の風味もしっかりしていて美味しい。
「僕、このお粥好きかも」
「それは何よりだ。また作って貰え」
「伽羅ちゃんには僕が作ってあげるね」
まあそんな機会はない方が良いんだけれど――光忠は付け加えながら片頬に笑みを浮かべる。
大倶利伽羅は光忠のペースに合わせて粥を匙に掬って口許へ運ぶ。最初は気恥ずかしそうにしていた光忠も途中から慣れた様子で大倶利伽羅の好きにさせていた。土鍋の中身が半分ほど減ったところで「もうお腹いっぱい」光忠は残してしまったのを申し訳なさそうにしながらご馳走様でしたと手を合わせた。大倶利伽羅もそれ以上無理に食べさせようとはせず、匙と茶碗を手放すと茶を淹れた湯呑みを光忠に手渡した。
「風邪薬は」
「さっき薬研くんが後で持って来てくれるって言ってたんだけど……」
「そうか。じゃあ俺が貰ってくる」
少し待ってろと腰を浮かせかけた時「燭台切の旦那」タイミング良く襖の向こうで薬研の声がした。大倶利伽羅が襖を開けると白衣姿が現れる。なんだ大倶利伽羅の旦那も帰ってたのか――眼鏡の奥で紫色の瞳が見開かれた。
「丁度良かった。今お前のところに薬を貰いに行こうと思っていたところだ」
「ああ、少し遅くなっちまって悪かったな。――燭台切の旦那、調子はどうだ?」
顔色は悪くなさそうだが――薬研は大倶利伽羅の隣に腰を落ち着けると医者然とした態度で訊ねる。
「うん、そんなに悪くないよ。ちょっと躰が怠い感じがするけど。ご飯も今半分くらいは食べたしね」
「そうか。食欲が少しでもあるなら結構だ。一応、高熱が出た時用に解熱剤も用意してきたが、微熱程度なら咳止めだけで大丈夫そうだな」
薬研はそう言いながら持参してきた薬袋を光忠に見せながら説明する。黄色い包みの咳止めの薬は一日三回、食後に服薬すること。三十八度以上熱が出た時はこっちの白い包みの解熱剤を使用すること。また解熱剤の二回目の服用は前回から最低六時間はあけること等々。
「流石に加州と大和守が労咳だって騒いだ時は俺っちも肝が冷えたが、まあ冷静に考えて可能性はほぼないだろうな。また旦那の様子は見に来るが、困ったことがあったらいつでも言ってくれ」
「どうもありがとう。助かるよ。迷惑かけちゃってごめんね」
「迷惑なんかじゃないさ。俺にはこれくらいしかできないんでね。――それから。こいつはいち兄と弟達からの見舞いだ」
薬研は傍らに置いた紙袋に視軸を転じる。つられるようにして光忠と大倶利伽羅もそちらを見遣った。どうやら薬を届けるのが遅くなったのは見舞いの品物を用意するのに時間を要したせいらしい。
「中には桃が入ってる。冷やして後で大倶利伽羅の旦那と一緒に食べてくれ。本当はいち兄も弟達も顔を出したいと言っていたんだが、病人の元に大勢で押しかけても迷惑になるだろうってことで俺が粟田口を代表をして」
「お見舞いまでどうもありがとう。僕からも後でお礼を言うけれど、粟田口の皆に宜しくね」
「なに、燭台切の旦那には日頃から世話になってるんでね、礼には及ばない。これくらい当然さ。それじゃ、くれぐれもお大事に」
薬研は長居は無用とばかりにそれだけ言うと座を立ってひらひらと手を振って部屋を出ていった。すると間を置かず今度は襖の向こうで長谷部の声がする。大倶利伽羅が一体何の用だと襖を開けると戦装束のままの長谷部が書類を手に立っていた。大倶利伽羅と一緒に出陣した彼は着替えもせず事務仕事に勤しんでいたようだ。
「光忠は具合いが悪い。要件なら俺が聞く」
大倶利伽羅がそれとなく長谷部を母屋の方へと追い立てようとすると彼は仲間の言葉を無視して部屋の中を覗き込んだ。
「風邪で寝込んでいると聞いてきてみれば。おい燭台切、刀剣男士たる者が風邪をひくなど、貴様些かたるんでるんじゃないのか」
露骨に厭そうに長谷部は片頬を攣らせてみせる。
「長谷部やめろ」
「長谷部くん迷惑かけてごめんね。動けないほど調子が悪いわけじゃないから、仕事するよ。馬当番の仕事は済んでる頃だと思うけど、僕は何をすれば良いのかな?」
「別に仕事をしろと言いにきたわけじゃない。燭台切は全快するまでは休めとの主からのお達しだ。それから大倶利伽羅、お前もだ」
「は?」
なぜそこで俺の名前が出てくる――大倶利伽羅は瞠目して長谷部を見ると「これも主からの指示だ。大倶利伽羅は燭台切の看病をせよ、と」溜息混じりに告げる。
「要は大倶利伽羅は燭台切のお目付け役だな。無理してでも燭台切は起き出してあれこれ仕事をするだろうからな。それを止めるのが大倶利伽羅の仕事だ」
「なんで俺が」
「俺が言っても燭台切が素直にいうことを聞くとは思えん。勤勉なのは結構だが、倒れるまでされるのは困る」
「えぇ、それ長谷部くんが言うのかい?」
主命とあらば無理をするのは長谷部の方だ。それこそ文字通り倒れてでもその責務を全うしようとする。もういい加減に休んでくれと主に泣かれたのも一度や二度ではない。
「俺はやるべきことをやっているまでだ。というか、そう思うなら早く風邪を治してくれ。主戦力の離脱はこちらとしても痛手だ。それにお前がいないと本丸の運営にも支障をきたす。それくらい判っているだろう」
「うん、早く体調を整えるよ」
「お前達二振りが抜けたところは他の刀に当番を代わって貰っているから、後できちんと礼を言うように」
長谷部は手にしていた当番表を大倶利伽羅に手渡すと燭台切お大事に――どこか含羞むような調子で言うと踵を返して足早に立ち去っていく。
「あれであいつは光忠のことを心配してるんだな」
大倶利伽羅が後ろ手で襖を閉めながらぽつりと呟くと「そうだね、長谷部くんは自分にも他の刀にも厳しい刀だけれど、本当はとっても優しい刀なんだよ。彼はああ言ったけれど、きっと伽羅ちゃんが僕の看病をするように主に提案したのは長谷部くんだね」光忠は微苦笑を洩らす。
長谷部は複雑な内面を抱えながらも生真面目でどこまでも真っ直ぐな刀だ。判りやすい優しさを示すことはあまり多くはないが、だが彼の持つ厳しさは優しさの裏返しなのだ。自由奔放でマイペースな刀が多く集まる中でどうにかして皆をまとめようと先頭に立つことの気苦労の多さや潔癖なまでに与えられた仕事を完璧にやり遂げる姿勢などを傍から見ていると彼こそこの本丸の要であり、一番尊敬されるべき刀なのではないかと光忠は思うのだ。
「とにかく、あんたは薬を飲んでもう休め」
大倶利伽羅がそう言ったところで「燭台切、起きてるー?」襖越しに今度は加州と大和守の声がした。これではちっとも光忠が休めないだろうが――大倶利伽羅は半ば苛立った様子で「もう寝てる。後で来い」顔すら出さずに素っ気なく返答をすると横から「僕は起きてるよ」光忠が声をかけた。
「おい、光忠」
「大丈夫だよ。彼等もきっと心配して様子を見にきてくれたんじゃないかな」
口吻を尖らす大倶利伽羅に光忠は穏やかに言い聞かせると襖が遠慮がちに開かれてひょこりと見知った二振りが顔を覗かせた。
「あ、もしかして俺達邪魔だった?」
何か言いたげな顔をしている大倶利伽羅を認めて加州が言うと「ごめん、僕達すぐ帰るから」大和守が眉尻を下げて謝罪する。
「お前達は何か大きな勘違いしているようだが、光忠は労咳ではないぞ」
「薬研くんもただの風邪だって言ってたし、二、三日もすれば良くなるからあんまり心配しないでね」
大倶利伽羅と光忠がそれぞれ言うと二振りはほっとしたように、それなら良いんだけど――顔を見合わせる。
「薬研から薬は貰ってると思うけど、これを燭台切に渡したくてさ」
加州は手に持っていた丸いものを見せる。青い色をしたそれは表面に白い花が絵付されたアルミケースで中身は咳止め効果のあるのど飴だと言う。わざわざ万屋まで買いに行っていたらしい。光忠の代わりに近くにいた大倶利伽羅が受け取る。
「僕と清光からのお見舞いだよ」
「燭台切、早く元気になってね」
「うん、二振り共どうもありがとう」
光忠がにこやかに告げるとお大事にと言い残して姿を消した。
「こんなに皆が心配してくれるとは思わなかったよ」
入れ替わり立ち代り訪れる見舞い客を見送って光忠は空咳を零しながら呟く。大倶利伽羅は
「光忠は誰に対しても優しいからな」
こうしてみると大倶利伽羅が顕現したばかりの頃、やたらと光忠が構ってきて「伽羅ちゃんがとても優しくて素敵な刀であることを皆に知って欲しいんだよ」と言っていた理由が今になって良く判った。自分が好きな相手が皆から好かれている様を見るのは単純に気持ちが良いのだ。
光忠は薬研が調剤した薬を服薬すると布団に横になった。少し熱が上がってきたのか頭がぼんやりしてくる。
「何かして欲しいことはないか」
「大丈夫だよ。伽羅ちゃんも戦で疲れただろう。僕のことは気にしないでゆっくり休んでおいで」
言いながら咳き込む。もぞりと身を反転させ、大倶利伽羅に背を向けると頭まですっぽりと布団を被った。咳に
「……ねえ、そんなことされると僕凄く困っちゃうんだけど……、」
僅かに朱が差した
「何だ、どうした。俺にどうして欲しい」
「どうせなら口にして欲しいなって……、でもそんなことしたら君に伝染してしまうし……、」
大倶利伽羅が出陣する前に額に接吻をしたのは光忠にとってはぎりぎりの妥協だったのだが、口付けを受けた本人は気が付いてないらしい。――唇にしてしまったら行かせたくなくなってしまうから。きっと接吻だけでは済まなくなってしまう。刀であることの本分を忘れて睦み合うなんてことは赦されない。勿論、風邪のこともあったからおいそれと相手の唇に触れることができなかったのもあるけれど。
何だそんなことか――大倶利伽羅はふと眦を和らげると躊躇いもなく布団を捲って薄く開かれた唇へ自身のそれを重ねた。熱があるせいなのかいつもより熱い唇に感じられた。
「か、伽羅ちゃん……! 君に伝染ってしまったらどうするんだい……!」
光忠は真逆本当に大倶利伽羅が口付けてくるとは思わず慌てたようにわあわあと騒ぐ。赤くなったり青くなったり、忙しい。
「俺はそんなやわではないし、万が一伝染ったとしてもあんたが面倒みてくれるんだろう?」
それに人に伝染した方が早く治るらしいからな――ふんと鼻を鳴らして何でもないように告げると、最後のそれどこ情報だい――光忠は突っ込んでから「もう、本当に僕早く風邪を治すから。風邪治して全快したら伽羅ちゃんのこと一晩中離さないからねっ」高らかに宣言をする。
「ああ、望むところだ。一晩でも二晩でも俺を好きにしたら良い。だから早く元気になってくれ。――光忠、おやすみ」
くしゃりと黒い頭を撫でると「うん、ありがとう。伽羅ちゃん、おやすみなさい」安堵したように隻眼が閉じられた。程なくして薬が効いてきたのか咳が落ち着いて代わりに健やかな寝息が聞こえてくる。大倶利伽羅は広い背中を優しくあやしながらいつまでも穏やかな寝顔を見詰めていた。
(了)
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