心礎
長期の遠征から帰還した静形薙刀は主に報告を済ませた後、戦装束を解くために自室へと向かった。時刻は既に真夜中近くとだけあって本丸は寝静まり、まるで夜の底をたった独りで歩んでいるような心地であった。
「こんばんは。えっと君は――」
彼は軽く会釈をすると静形を探るように金眼を瞬かせた。
「俺は静形薙刀だ」
「静形さん。初めまして。僕は燭台切光忠。つい先日この本丸に来たんだ。これから宜しくね」
にこやかに告げる燭台切の言葉を受けて合点がいった。
「ああそうか、主が言っておったのは燭台切のことか。新しい刀剣男士が顕現したと先程聞いた。俺達――第二部隊が帰還したから燭台切の歓迎の宴を開きたいとも」
どうやら主は賑やかなことが好きらしく、新しく刀剣男士が顕現する度に歓迎会だと称して一席設けるのが恒例となっていた。静形も例に漏れず主や他の刀達から歓待を受けた。それももう一年以上前のこと。静形がそんなことを口にすると「へぇ、それは楽しみだな。僕もその時は張り切ってご馳走作りをするよ」燭台切は嬉しそうに微笑する。
「主役自ら手料理を振る舞うのか」
「こう見えて僕は料理するのが得意でね。元主の政宗公の影響ではあるんだけど」
「ほう。政宗公とな」
静形は瞳を眇めて燭台切を見遣る。右眼を覆う眼帯も元主を反映したものなのだろう。――彼にも語るべき過去がある。そう思ったら途端に足元から己の存在が消えて無くなるようなうそ寒い気持ちに囚われた。唇を噛み締め、手にした薙刀の柄を硬く握る。
「静形さん?」
急に黙り込んでしまった静形を不審に思ったのか、燭台切は不思議そうに彼の顔を覗き込む。と、静形は我に返り、取り繕うように表情を和らげる。
「いや、こんな夜更けに燭台切は何をしていたのだろうと思ってな。俺はこの通り遠征から戻ったところだ。刀とは違い、人の身は休息を要する。そろそろ自室に戻られて躰を休めた方が良かろう」
すると燭台切は曖昧に頷いて視軸を夜空に転じる。静形もつられるようにして軒下から天を仰ぐが、そこに見るべきものは何もなかった。月も星もない漆黒は過去を持たない静形の内面を表しているようでもあった。愛でるべきものがない夜はこんなにも荒涼として寂しいものなのかと改めて思う。
「――人の身はまだ慣れぬか」
燭台切がその場を動こうとしないので何となく静形も立ち去り難く感じて彼の隣に腰を下ろした。
「そうだね。お腹が空いたり、疲れて眠くなったり、怪我をしたら痛みを感じたり、そういうのはまだ慣れないというか、不思議な感じがするよ」
「何となく判るぞ。俺は力が強いから、加減を間違うとうっかり物を壊してしまうことがある。だから生き物に触れるのが恐ろしい」
気を付けてはいるが――静形は自嘲するように薄く笑う。
「そうなんだ。でも静形さんは優しいから大丈夫だよ」
「優しい? 俺が?」
思わぬ燭台切の言葉に静形は首を傾げる。
「そう。生き物を傷付けたくないと思うから力加減にも気を配るし、触れることも怖いと感じる。そういう君の優しい気持ちは花であれ馬であれ、他の刀達にもちゃんと伝わってるよ」
「……それは初めて言われたな」
悪い気はしないが、こうも面と向かって言われると少々面映ゆい。戸惑いを隠せない静形を燭台切は何か眩しいものを見るように眺めて小さく笑みを零した。それからふと真顔になって「僕にも怖いものがある」静かに独白する。
「夢を見るんだ。この躰が焔に包まれて焼かれていく夢を何度も。――ただの刀であった時の僕は罹災してね。逃げ出す術もなく火に焼かれて焼失してしまったんだ」
地獄のような光景を今でも鮮明に憶えている。大きく大地が揺れ、建物が倒壊し、あちらこちらで火の手が上がり、人々は悲鳴を上げながら逃げ惑う――もうもうと立ち上る煙と空まで真っ赤に染めた焔はこの世のものとは思われぬほど凄惨だった。燭台切は火に呑まれながらこんな形で自分は朽ち果てるのかと絶望に似た気持ちを抱いた。形あるものはいつか壊れるとは真実にして世の理であるが、それでも割り切れなかった。
「ただの夢を怖がるなんておかしいと自分でも思うけれど、でもあの最期の時の光景を繰り返し見るのは――少し辛い」
燭台切は白い
「それは難儀なことだな。繰り返し見るその夢を恐れるのは何もおかしなことではあるまい。言わば燭台切の見る夢は絶命の瞬間であろう。そのような夢を幾度も見るのはどの刀であっても厭わしく思うだろう」
だが――静形は言葉を選んで尚も重ねる。
「こう言っては無礼かも知れぬが、銘も逸話も持たない俺からすれば、忘れられぬ過去がある燭台切が羨ましくもある」
感情をのせずに淡々と告げる静形を燭台切は弾かれたように見遣った。刹那、目が合って静形はふと弱々しく笑う。
「過去――記憶や逸話はそのまま燭台切光忠という刀を形造るものだろう。それは今ここに在るという確かな礎となり、己を支えるものだ。燭台切のように自身の過去を厭わしく感じている刀もここにはいるが、しかしそれを含めて己自身なのだ。それがなければ己ではなくなるだろうし、またどんなに否定しようとも過去は変えられぬ」
過去を否定し、無かったことにしようとする行為は、それを捻じ曲げるという意味で遡行軍とやっていることは同じだ。
「今はまだ辛いだろうが、ここで過ごすうちに夢を見ることがなくなるかもしれぬし、あるいは全く違う意味を持つようになるかもしれぬぞ。俺も、自分と同じように過去の記憶を持たぬ刀達とこの本丸で出会ったことで、それならば新しい記憶を作れば良いと思い至った」
脇差の鯰尾と骨喰とで新しい記憶を作る会を結成したのだと静形は誇らしげに言う。徒らに過去に縛られてはならぬ――暗にそう告げて隻眼を見詰める。黙って静形の言葉に耳を傾けていた燭台切は「そうだね、君の言う通りだ」淡く微笑して頷いた。
「ありがとう。お陰で少し気が楽になったよ」
「いや、こちらこそすまない。勝手なことを言った」
にこやかに応じる燭台切に対して静形は恐縮しきったように身を小さくする。と、不意に腹の虫が鳴いた。まるで場違いな音に一瞬顔を見合わせて「いや、これは、その、」静形は酷く狼狽えて戦装束から覗いている腹を両腕で隠すように抱える。
「遠征帰りだったものね。お疲れ様。話を聞いてくれたお礼も兼ねてお夜食作るよ。僕も何だか小腹空いてきちゃったし、一緒に食べよう」
燭台切は立ち上がると静形に着替えてくるように言って一足先に厨へと向かう。
「燭台切」
静形は遠ざかる背に声をかける。大切な言葉を言いそびれていた。何だい? ――隻眼が振り返る。
「ありがとう。燭台切は良い刀だな」
静形が衒いなく告げると新入りの刀剣男士は気恥しそうに笑った。
(了)
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