みつくりSS

Cat day anomaly

 光忠――大倶利伽羅は農具などが仕舞われている納屋の扉を開けて薄闇が蟠る奥へ呼びかける。と、微かな物音がした。
 ――居る。
 目を凝らして気配を探り、納屋の中へ足を踏み入れた。
「光忠。大丈夫か」
 抑揚のない声音で問うと「伽羅ちゃん……?」どこか不安そうな声が返ってくる。やはり主が言っていたことは本当らしい。聞いた時はそんな莫迦げた異常バグなどあるものかと一顧だにしなかったし、今でも信じられない気持ちでいるが、光忠がこうして人目を避けて隠れているのはやはりおかしな異常バグのせいだろう。
 大倶利伽羅は納屋の中ほどまで進み、隅の方で蹲る白っぽい影を見遣る。頭からタオルか何かを被っているらしい。まるで俺は写しだからと卑屈になっている刀みたいだ。光忠らしくもない。
「伽羅ちゃんごめん、今僕物凄く情けない姿になってるから独りにして欲しい」
 近寄る大倶利伽羅の気配を察知したのか、光忠は怯えたように身を小さくして言う。
「そう言われて放っておけるわけがないだろう」
「でも、」
「良いから。光忠」
 すると薄闇の中で金色の隻眼が光った。大倶利伽羅は足音を殺して蹲る光忠に近付き、その場に膝をつくと顔を覗き込む。目が合ったのを合図に布を掴んで取り去ると、ぴょこりと黒い三角の耳が現れた。猫耳である。光忠の頭には何とも可愛らしい猫の耳が生えていた。
「やはり主の話は本当だったんだな」
「なんで僕がこんな目に……」
 こんな格好悪い姿誰にも見られたくなかったのに――光忠は心底弱りきった様子で膝を抱え、恥じ入るように顔を伏せた。
 大倶利伽羅が主から聞かされた話はこうだ。
 ――毎年二月になると刀剣男士に猫耳と尻尾が生える異常バグが発生する。
 特に二月二十二日前後は異常の発生率が飛躍的に高まるらしく、今日は二月二十日であることから見事に――残念なことにというべきか――異常が生じた。それが光忠だったのだ。彼の言によれば今朝目が醒めたら猫耳と尻尾が生えていたらしい。
 当本丸でこの異常が出たのは今回が初めてであるが、他の本丸や政府側の報告ではこの奇妙な異常が発生する理由も原因も不明であり、放っておけばそのうち治ることから、深刻なものではないと判断されて殆ど無視されてきたという。他の刀ならこの異常を他愛もないと面白がって終わるところだが、常日頃から身なりや格好良さに拘りがある伊達男にとってはそうはいかなった。こんな姿は衆目に晒せないと厨仕事も放り出して誰にも見つからないようにと納屋に隠れていたのだ。初めに燭台切がいないと言い出したのは一緒に厨番をすることが多い歌仙で、光忠の捜索に白羽の矢が立ったのは恋刀でもある大倶利伽羅だった。本丸中どこを探しても彼の姿がなかったので、これはおかしいと怪しんだ末、主に問い糺したところ異常バグの話題が出、もしかしたら燭台切に異常が生じてるのかもと言われて納屋に来てみれば実際その通りだった。
「放っておけばそのうち治るそうだ」
「そうなの?」
 光忠は瞳を瞬かせて恋刀を見た。僅かに安堵したような顔色に大倶利伽羅も密かに胸を撫で下ろす。
「ああ。主の話では早ければ一日、長くても三日で解消するらしい。この件については念の為主には口止めをしておいたが、正解だったな」
「長くて三日かあ」
 溜息混じりに呟いて忌々しそうに黒髪からぴょこりと覗く耳に触れる。引っ張っても勿論取れないし、神経もしっかり通っているのか触覚もあった。ほんのり温かい気もする。と、物珍しそうに見ていた大倶利伽羅が「少し触っても良いか」手を伸ばしてくる。戸惑いながら光忠が頷くとショートグローブに包まれた指先が耳の頂点に触れた。
「あっ」
 思わず出てしまった声に光忠は慌てて口許を手で覆う。大倶利伽羅も彼の反応に驚いたように瞠目した。
「ごめん、変な声出して」
「いや……これじゃ良く判らないな」
 そう言ってグローブを外して今度は素手で触れてみる。指先に伝わる柔らかさや仄かな温かみは猫のそれで、本物と言って良かった。薄いながらもやや芯があるような猫耳の感触が指先に心地よくて大倶利伽羅は飽きずに弄んだ。親指と人差し指で軽く摘んで表面を撫で、やんわり引っ張ってみると光忠の唇からあえかな吐息が洩れる。
「尻尾もあるんだったな」
 光忠の背後を覗き込むと長く優雅な尻尾が見えた。触るぞと前置きしてから、艶やかな黒毛に覆われた尻尾に優しく触れた。こちらも本物の猫らしく、しなやかな硬さがあった。
「可愛いな」
「か、可愛いって、」
「喉は鳴らさないのか」
 顎の下を擽るように撫でると光忠は僕は猫じゃないよと言いつつ、隻眼を細めてみせる。喉こそ鳴らさないが仕草は完全に猫だ。その様があまりにも可愛らしいので「あんた暫くその姿でも良いんじゃないのか」つい口を滑らせてしまった。
「酷いよ伽羅ちゃん。僕はこんな姿情けなくて恥ずかしいのに」
 光忠は眉を曇らせて口角を下げる。怒っているのか猫耳の耳も平たく伏せられて、所謂イカ耳の状態になる。
「悪かった。あんたを傷付けるつもりはなかった。ただ俺は光忠がどんな姿でも好ましく思うし、愛おしい」
 それだけは判って欲しいと宥めるように告げると大きな黒猫は小さく頷いた。抱き締めても良いかと訊ねると長い尻尾が大倶利伽羅の腕に巻き付いた。肩を抱き寄せると背中を抱き返され、尻尾がほどける。
「いずれここにも人が来る。他の連中が朝餉を食ってる間に裏から回って部屋へ戻ろう。異常バグが治るまで体調不良で寝込んでることにすれば良い。俺が世話を引き受ける。誰もあんたに近寄らせない」
「迷惑かけてごめん。さっきも何だか八つ当たりみたいになってしまったし……」
 ぴんと立った猫耳が今度は判り易く萎れる。――ああクソッ本当に可愛いなあんたは。大倶利伽羅は猫耳を視界の端に捉え、内心で地団駄を踏む勢いで吐き捨てる。勿論顔にはおくびにも出さず、冷静な態度を崩さない。
「気にする必要はない。突然こんなことになって感情的にも混乱してたんだろう。こんな時くらい俺を頼ってくれ」
「どうしよう、伽羅ちゃんが格好良すぎる」
「伊達男のあんたにそう言われるのは気分が良いな」
 ふと薄く笑うとゆらゆらと揺れる尻尾の先が大倶利伽羅の手に触れ、手首に巻き付く。
「伽羅ちゃん、ありがとう。本当に君は優しい刀だね。少しの間迷惑かけてしまうけど、宜しくね」
「ああ、任せておけ」
 俺は一旦戻って様子を見てくるから少し待ってろ――そう言って立ち上がった時。
「伽羅ちゃん、それ、」
 光忠は瞳を大きく見開いて愕然とした様子で告げた。
「何だ?」
「伽羅ちゃんにも猫耳生えてる」
「は?」
 嘘だろ?と頭に触ってみると髪の毛ではない質感のものに触れた。柔らかくもしなやかな硬さがあるそれ。恐る恐る背後を振り返って視線を落とす。縞模様のある茶色い毛に覆われた長い尻尾が揺れていた。

 ――猫の日異常バグはどの刀にも発生しうるのだということをこの時初めて知った二振りであった。

(了)
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