みつくりSS
ア、秋
夜半、ふと何かの気配を感じて光忠は目を醒ました。のそりと布団の上に身を立てて閉じられた襖に向けて誰何 する。と、僅かな沈黙を挟んでから「俺だ」と聞き慣れた声音が返ってくる。光忠は布団から抜け出すと襖を開けて隻眼を瞬かせた。
「伽羅ちゃん」
真夜中の暗がりに佇んでいたのは恋刀であった。寝間着姿の大倶利伽羅はどこかきまりが悪そうに俯いている。
「こんな時間にどうしたんだい?」
もしかして眠れない?――彼の顔を覗き込みながら穏やかに問いかけると小さく頷いた。
「それならホットミルクでも作ろうか」
「いや、それはいい。それより――」
大倶利伽羅は言い淀んでちらと光忠の肩越しに室内に視線を放つ。そんな彼の様子に何事かを察した光忠は頬を緩めて「じゃあこっちにおいで」褐色の手を掴んで部屋へ招き入れた。そのまま自分が寝ていた布団に引き入れる。光忠の体温で温 まった布団に包まれて大倶利伽羅はほっと躰を緩めた。じんわりとした温かさが沁み入るようだ。すんと愛しい相手の匂いを嗅ぐと心が酷く寛いだ。光忠も大倶利伽羅の隣に身を横たえて手枕をする。
「伽羅ちゃん、一体いつから僕の部屋の前にいたの」
彼の手も足も随分と冷えている。部屋まで来たは良いが、そこで長いこと逡巡していたのだろう。素直に部屋に入ってくれば良いのに――三十分ほどいたと答える恋刀のいじらしさを思って光忠は小さく微苦笑を洩らす。
「寒くてどうにも寝付けなくてな」
大倶利伽羅は呟きながら光忠に躰を寄せる。
つい先日まで猛暑が続いていたのに、暦 が改まってから急激に気温が下がった。朝晩は肌寒いくらいだ。今夜は雨が降っていたせいか特に冷えた。人の躰とは難儀なもので、急な気候の変化についていけず、体調不良を起こしている刀も少なくない。つい昨日もやれ頭が痛いだの、腹を下しただのと訴えているのを耳にしたばかりだ。
「あれ? 寝る前に湯たんぽ持っていかなかったっけ?」
大倶利伽羅の言葉に光忠は首を傾げる。
「ああ、火車切が寒がるから貸してやった」
正確に言えば寒がっていたのは毛玉の方である。火車切と大倶利伽羅は同室なのだ。弟刀が本丸へ来てから光忠と同室だった大倶利伽羅は居室を移ったのである。それは火車切が少しでも早くここでの生活に慣れるようにと主が計らったからで、その甲斐があってか彼も早々に周囲と溶け込んで楽しそうにしていた。現在、光忠は一人で部屋を使っている。これも大倶利伽羅との関係を知っている主による計らいである。
「ふふ、伽羅ちゃん、ちゃんとお兄ちゃんしてるんだ」
「別にこれくらい普通だろう。そのにやけ顔やめろ」
「無理。君が可愛すぎるから」
ぎゅうと痩躯を抱き締めるとおい光忠――不満そうな声が上がるものの、満更でもないのか、大倶利伽羅は抵抗しなかった。
「この際だから言っておくが。あんたもいい加減、福島と実休を『お兄ちゃん』と呼んでやれ」
一体どういうわけなのか彼らは日頃から「光忠がお兄ちゃんと呼んでくれない」と愚痴とも相談ともつかないものを大倶利伽羅に言ってくるのである。彼らを邪険に扱うことはできず、かといって適当にあしらうこともできずにとりあえずその都度話は聞いてやるものの、毎回となると流石に鬱陶しい。「うちの光忠が可愛い」という弟自慢にもいささか食傷気味だ。尤も、兄達が知らない光忠の可愛い姿を大倶利伽羅は知っているのだが。絶対に教えられないけれど。
「うーん、そうは言っても……」
光忠は眉根を寄せて複雑そうな顔色になる。
「なんだ、兄のことが嫌いなのか」
「真逆。彼らのことは好きだよ。同じ刀剣男子としても信頼しているし、僕にも良くしてくれるしね。でも今更二振りのことを『お兄ちゃん』と呼ぶのは抵抗があるというか……柄じゃないよ」
本当に柄ではないのだ。「お兄ちゃん」と素直に甘えるような質 でもないし、立場でもない。光忠は元来より甘えるより甘やかす方、頼るより頼られる方が性にあっているのだ。兄達より先に顕現し、長く本丸にいて皆を引っ張ってきたという自負もある。単純に恥ずかしい、照れくさいという気持ちも多分にあった。
「想像してごらんよ。僕が実休さんや福島さんに『お兄ちゃん』って甘えてる姿、おかしいだろう? 君が火車切くんに甘えるようなものだよ」
「まあ……それは確かに」
自分が弟である火車切に甘えている姿など情けなさすぎて腹を切りたくなる。見た奴全員道連れだ。和泉守兼定ではないが、士道不覚悟により切腹。
「だろう? それに僕がちょっと甘えても良いかなって思ってるのは伽羅ちゃんだけだよ」
「俺は良いのか」
きょとんと瞳を見開いて隻眼を見遣ると「だって君は特別だからね」光忠は朗らかに笑った。それから口調を改めて告げる。
「夏が終わるのは何だか少し寂しい気がしていたけど、秋も良いものだね」
「そうだな。食い物が美味い」
「薩摩芋に栗、柿、葡萄、梨、新米も出るし秋刀魚も美味しい時期だ。紅葉も綺麗だし」
「芋煮」
大倶利伽羅がぽつりと呟く。芋煮は言わずと知れた東北の郷土料理である。里芋の収穫時期である秋に屋外でするのが通例で、味付けや具材は地域で違う。宮城は味噌に豚肉、山形の方は醤油に牛肉を使う――らしい。
「ああ、皆で芋煮をするのも良いねえ。今度主くんに言ってみるよ」
「――それから、」
「うん? それから何?」
言葉の先を促すと大倶利伽羅は何でもないと口を噤んでしまった。が、光忠には彼の言いたいことは凡 そ推測ができた。――秋はこうして君にくっつく口実ができるのも僕としては嬉しいんだけどな。
光忠は柔らかな鳶色の髪の毛をくしゃりと撫でると「躰温まってきた? 眠れそう?」顔を近付けて金色の双眸を覗き込む。と、しなやかな腕 が伸びて来、首に絡んで掌が白い項を撫でた。
「俺は単にあんたを湯たんぽ代わりにしに来たわけじゃない」
大倶利伽羅の言葉に込められた意味を正しく理解した光忠は口元に笑みを浮かべると誘うように開かれている唇に口付けた。
夜は静かに更けていく。
(了)
夜半、ふと何かの気配を感じて光忠は目を醒ました。のそりと布団の上に身を立てて閉じられた襖に向けて
「伽羅ちゃん」
真夜中の暗がりに佇んでいたのは恋刀であった。寝間着姿の大倶利伽羅はどこかきまりが悪そうに俯いている。
「こんな時間にどうしたんだい?」
もしかして眠れない?――彼の顔を覗き込みながら穏やかに問いかけると小さく頷いた。
「それならホットミルクでも作ろうか」
「いや、それはいい。それより――」
大倶利伽羅は言い淀んでちらと光忠の肩越しに室内に視線を放つ。そんな彼の様子に何事かを察した光忠は頬を緩めて「じゃあこっちにおいで」褐色の手を掴んで部屋へ招き入れた。そのまま自分が寝ていた布団に引き入れる。光忠の体温で
「伽羅ちゃん、一体いつから僕の部屋の前にいたの」
彼の手も足も随分と冷えている。部屋まで来たは良いが、そこで長いこと逡巡していたのだろう。素直に部屋に入ってくれば良いのに――三十分ほどいたと答える恋刀のいじらしさを思って光忠は小さく微苦笑を洩らす。
「寒くてどうにも寝付けなくてな」
大倶利伽羅は呟きながら光忠に躰を寄せる。
つい先日まで猛暑が続いていたのに、
「あれ? 寝る前に湯たんぽ持っていかなかったっけ?」
大倶利伽羅の言葉に光忠は首を傾げる。
「ああ、火車切が寒がるから貸してやった」
正確に言えば寒がっていたのは毛玉の方である。火車切と大倶利伽羅は同室なのだ。弟刀が本丸へ来てから光忠と同室だった大倶利伽羅は居室を移ったのである。それは火車切が少しでも早くここでの生活に慣れるようにと主が計らったからで、その甲斐があってか彼も早々に周囲と溶け込んで楽しそうにしていた。現在、光忠は一人で部屋を使っている。これも大倶利伽羅との関係を知っている主による計らいである。
「ふふ、伽羅ちゃん、ちゃんとお兄ちゃんしてるんだ」
「別にこれくらい普通だろう。そのにやけ顔やめろ」
「無理。君が可愛すぎるから」
ぎゅうと痩躯を抱き締めるとおい光忠――不満そうな声が上がるものの、満更でもないのか、大倶利伽羅は抵抗しなかった。
「この際だから言っておくが。あんたもいい加減、福島と実休を『お兄ちゃん』と呼んでやれ」
一体どういうわけなのか彼らは日頃から「光忠がお兄ちゃんと呼んでくれない」と愚痴とも相談ともつかないものを大倶利伽羅に言ってくるのである。彼らを邪険に扱うことはできず、かといって適当にあしらうこともできずにとりあえずその都度話は聞いてやるものの、毎回となると流石に鬱陶しい。「うちの光忠が可愛い」という弟自慢にもいささか食傷気味だ。尤も、兄達が知らない光忠の可愛い姿を大倶利伽羅は知っているのだが。絶対に教えられないけれど。
「うーん、そうは言っても……」
光忠は眉根を寄せて複雑そうな顔色になる。
「なんだ、兄のことが嫌いなのか」
「真逆。彼らのことは好きだよ。同じ刀剣男子としても信頼しているし、僕にも良くしてくれるしね。でも今更二振りのことを『お兄ちゃん』と呼ぶのは抵抗があるというか……柄じゃないよ」
本当に柄ではないのだ。「お兄ちゃん」と素直に甘えるような
「想像してごらんよ。僕が実休さんや福島さんに『お兄ちゃん』って甘えてる姿、おかしいだろう? 君が火車切くんに甘えるようなものだよ」
「まあ……それは確かに」
自分が弟である火車切に甘えている姿など情けなさすぎて腹を切りたくなる。見た奴全員道連れだ。和泉守兼定ではないが、士道不覚悟により切腹。
「だろう? それに僕がちょっと甘えても良いかなって思ってるのは伽羅ちゃんだけだよ」
「俺は良いのか」
きょとんと瞳を見開いて隻眼を見遣ると「だって君は特別だからね」光忠は朗らかに笑った。それから口調を改めて告げる。
「夏が終わるのは何だか少し寂しい気がしていたけど、秋も良いものだね」
「そうだな。食い物が美味い」
「薩摩芋に栗、柿、葡萄、梨、新米も出るし秋刀魚も美味しい時期だ。紅葉も綺麗だし」
「芋煮」
大倶利伽羅がぽつりと呟く。芋煮は言わずと知れた東北の郷土料理である。里芋の収穫時期である秋に屋外でするのが通例で、味付けや具材は地域で違う。宮城は味噌に豚肉、山形の方は醤油に牛肉を使う――らしい。
「ああ、皆で芋煮をするのも良いねえ。今度主くんに言ってみるよ」
「――それから、」
「うん? それから何?」
言葉の先を促すと大倶利伽羅は何でもないと口を噤んでしまった。が、光忠には彼の言いたいことは
光忠は柔らかな鳶色の髪の毛をくしゃりと撫でると「躰温まってきた? 眠れそう?」顔を近付けて金色の双眸を覗き込む。と、しなやかな
「俺は単にあんたを湯たんぽ代わりにしに来たわけじゃない」
大倶利伽羅の言葉に込められた意味を正しく理解した光忠は口元に笑みを浮かべると誘うように開かれている唇に口付けた。
夜は静かに更けていく。
(了)