みつくりSS

Black&Red

会話が途切れがちになったかと思うと左肩に重みを感じた。見ると広光くんの頭あった。え、もしかして寝てる……?
「広光くん?」
 小声で名前を呼んでも返事がない。俯けた顔を覗き込むと彼は目を閉じていた。わ、本当に寝てる……! 寝顔すっごい可愛い……! 急に胸がドキドキしてくる。疲れちゃったのかな。一日中歩き回ったし。ちらと腕時計を見るとあと一時間ほどで日付が変わる時間だった。
 遅い時間帯のせいもあってか、車両内の乗客は僕達しかいなかった。そのことにほっと安堵する。男同士が身を寄せ合っているのは傍から見たらやはり異様に映るに違いない。それに無防備に眠っている彼の姿を他の誰にも見せたくなかった。そこまで考えて自分の独占欲の強さに呆れてしまう。彼は僕のものじゃないのに。
 彼との出逢いは今年の春、電車の中でだ。毎朝の通勤時に何だかとても恰好良くて綺麗な子がいるな、なんて思って見ていたのがきっかけ。ある時会社近くのカフェに彼がいるのを見て、そこで初めて広光くんに僕を認識して貰えた――と思っていたけれど、どうやら彼の方も僕の存在は以前から知っていたらしい。それを彼の口から聞いた時はとても驚いた。「あんたデカくて目立つから」と言っていたけれど、本当かな? でもどんな理由であれ、広光くんが僕のことを見知っていてくれたことは僥倖だ。単純に嬉しい。
 広光くんと初めて会話したのはゴールデンウィークが明けた頃で、そこでやっと自己紹介をした。彼の名前は相州広光。今年十九歳になるS大学の一年生。会社近くのカフェで一緒にいた女の子は本当は男の子でバイト先の後輩らしい。因みに彼は高校生で乱ちゃんという名前みたい。どうして二人があそこにいたのかは訊いても答えてくれなかったから未だに不明だったりする。たまたま、偶然といわれたらそれまでだけれど、あそこビジネス街で学生はあんまり見かけない場所でもあるから、ちょっと不審に思わなくもない。まあ、別に良いけど。深く考えないでおこう。
 自己紹介して、連絡先を交換して、何となくメッセージのやりとりをして。通勤時に会えば他愛もないを会話して。そんなささやかな交流をしていたけれど、やっぱりそれだけじゃ物足りなくて、思い切って食事に誘ってみたら「その日に少し出掛けないか」と向こうからお誘いの言葉が飛んできた。バイト先で水族館の優待券を貰ったそうで、捨てるのも勿体ないからって。願ってもないお誘いに僕は即答した。――僕で良ければぜひ。答えてしまってから、浮かれてがっついてる自分が恥ずかしくなった。向こうはまだ十代の学生、僕は二十代半ばの社会人。時々、僕が年上だから気を遣ってそれとなく付き合ってくれてるのかな、なんて考えてしまう。水族館のことだって「せっかくだから僕じゃなくて友達や彼女と行ってきたら?」というのが本来あるべき流れなのに、僕は嬉しさのあまりそんなこともすっ飛ばして「僕で良ければぜひ」なんて言ってしまったのである。本日めでたく彼と水族館に行って――そのあと食事に行ったのは言うまでもない――楽しく過ごしてきたわけだけれど、でも建前とか社交辞令とか、そういうのを忘れたらいけないよね……って絶賛一人反省会中。もっと恰好良い大人な振舞いをしなくちゃ。そうは思っても好きな人からデートのお誘いを受けたら舞い上がっちゃうよね、とっても情けないけれど。デートだなんて言ったら広光くん、厭な顔しそうだけど。でも今日の水族館に遊びに行ったのはまごうとなきデートだ――と僕は思っている。
 静かな寝息を立てている彼を見遣る。
 僕は広光くんのことが好きだ。
 初めて電車の中で見かけた時からきっと好きだったんだと思う。所謂一目惚れというやつだ。広光くんは恰好良くて綺麗で可愛い。アラサーの男が十代の男の子に入れ込んでるなんて滑稽だけれど、こればかりは仕方がない。だって好きなのだ、彼のことが。
 電車が減速してプラットホームに滑り込む。やがて停車し、ドアが開き、二三人の男女が乗車して再び動き出す。広光くんが降りる駅まであと二駅。もう少ししたら起こさなくちゃ。でも――。耳の奥で血脈が大きく鳴ってきゅうと心臓が引き攣れる。
 無造作に膝の上に置かれた広光くんの手にそっと触れる。細くて長い指。僕の手より一回り小さくて肉が薄い掌。形の佳い手だ。きゅっと指を絡めて繋ぐ。
 この手はどんなふうに相手に触れるのだろう。どんなふうに相手を求めるのだろう。この手にどうか離してくれるなと縋られたい。絡めた指をほどかないで欲しい――そんな酷く青い、陳腐なことを思って自嘲する。
「……いつか好きだって言えたら良いのにな」
 程なくして次の駅に辿り着く。
 彼との別れまであと一駅。

 ◆◆◆ 

 酒が飲めないのは損だと思う。こういう時、よく女子が使う「酔っちゃった」という言い訳ができないのが苦しい。もう少しだけ傍に近付きたい――誘惑には抗えない。厭がられたら止めれば良い。内心でそんな言い訳をしつつ、寝ているふりをしてそっと頭を光忠の肩に凭れさせた。ふわりと良い匂いがして心臓が跳ねる。何の香水を使っているのだろう。それともシャンプーの匂いだろうか。同じものが欲しいから教えろと言ったら流石に引かれるか。引かれるな、確実に。それは困る。
 夕飯を食う時、酒を注文しようとして光忠に止められた。「まだ未成年でしょ」「今は十八歳で成人だ。問題ない」「大ありだよ! 二十歳になったらお酒奢ってあげるから、それまではだーめ」そんなふうに言われたらおとなしく引きさがるしかない。というか、そんなに気安く来年の約束なんてして良いのか、あんた――そう思ったけれど言わなかった。最低でも来年の誕生日まではまだ光忠とこんなふうに付き合えるのが嬉しい。いや、そう言うとやや語弊がある。光忠とは付き合いたい。友人としてではなく、恋人として。でもそんなのは夢のまた夢だ。俺は今絶賛片想い中なのだ。六歳年上の長船光忠という、やたら顔が良い男に。
 初めて出逢ったのが今年の四月で、会話をするようになったのが五月。連絡先も交換した。メッセージはいつも光忠の方から送ってくる。内容はどれも他愛もないもので、道端で可愛い猫がいたとか綺麗な花が咲いてたとか、虹が出てたとか――逐一写真と共に送られてくるのである。一方、俺の方から送ったことは一度もない。連絡を取りたい気持ちはあるものの、一体何を書いて送ったら良いのか判らないのだ。用事がない限り普段メッセージアプリを使わないから猶更だ。彼からのメッセージにも一言だけとかスタンプだけで済ませてしまうことが多い。電話も同じだ。ふと声が聞きたくなってもどんな言い訳をしてかけて良いものか頭を悩ませてしまい、結局電話帳の画面を開いてまた閉じることを繰り返している。
 今日はバイト先の後輩である乱の後押しもあって光忠と水族館に出掛けた。優待券を貰ったという口実には嘘はないものの、そのチケットの出所は乱その人である。「ボクは二人を応援しているからね」というのがその理由らしいが、面白がっているの間違いだろう、絶対。光忠には興味ないと断られるだろうと思ったが、二つ返事で了承を得てしまった。乱に報告すると「やったね! このまま押せ押せで夜はお持ち帰りされちゃえ!」と一人で盛り上がっていたが、できることなら俺もお持ち帰りされたい。どうすればお持ち帰りに持ち込めるかと乱に相談したところ「そこは古典的手法で『酔っちゃったあ♡』じゃないの?」との回答であったが、飲酒を阻止されたのは先の通り。だからこうして寝たふりをしているのだが、果たして上手くいくだろうか。
 ちらと薄目を開けて光忠を一瞥する。光忠はじっと足元に目を落としている。伏し目がちになると意外と睫毛が長いことに気付く。引き結ばれた唇は柔らかそうだ。あの横顔にキスしたい。というか、キスされたい。光忠、あんたが好きだ。だからキスしてくれ。
 電車が減速して停車する。あと少しで降りなければならない。厭だ、帰りたくない。そんな愚にも付かないことを考えていると手に温かいものが触れた。そっと手の甲を撫でられる。薄く瞳を開けると光忠の白い手が見えた。彼の大きな手は俺が寝入っているのを確かめるように触れると指を絡めて手を繋いでくる。俗にいう恋人繋ぎである。そう認識したら一気に躰が熱くなった。思わず叫びそうになってぐっと堪える。寝たふりをしろ、相州広光。だが暴れだした心臓は一向に鎮まってくれない。だって光忠の方から手を握ってきたのだ。これは、俺を連れて帰るという意思表示だろうか……? 恋愛をしたことがないから良く判らない。
 光忠の手は乾いていて温かく、思ったより筋張っている。でも綺麗な手だと思う。
 今ここで手を握り返したら彼はどんな顔をするだろうか。ほんの少しでも好意が伝わるだろうか。それとも手を繋いでいることになんの意味もないのだろうか。
「……いつか好きだって言えたら良いのにな」
 耳が拾った光忠の独白にはっとした。
 あんたが好きなのは誰だ――今すぐ問い詰めたいのを我慢してやり過ごす。俺じゃない別の誰かを想ってこの手を握っているのか。俺は誰かの代わりに過ぎないのか? 楽しかった今日のことも、本当は――。高揚していた気持ちが急降下して冷めていく。大体、大人である彼がガキの俺を本気に相手にするわけがない。今更のようにその事実に気が付いて愕然とした。
 電車は次の駅に停車する。
 俺は手を振りほどけないまま、早く降車する駅に着かないかとそればかり考えていた。

(了)
7/37ページ
スキ