みつくりSS
薔薇の答え
今年はどうしようかなあ――畑当番の作業が一区切りついたので自室に戻って少し休憩しようと大倶利伽羅が居室の障子戸を開けた時、そんな独白が聞こえた。見れば文机の前には見慣れた黒いベストの背中。ぴょこぴょこと跳ねている黒髪が唸り声と共に揺れる。光忠、と声を掛けるとぱっと明るい表情が振り返った。
「伽羅ちゃん。内番お疲れ様」
「ああ。あんたももう出陣先から戻ってたのか。怪我は」
「この通り無事さ。他の皆も無傷で帰還したよ」
誉は僕が取ったよ――白い頬に喜色を咲かせるのを見て大倶利伽羅はそれは何よりだと労いの言葉を掛けた。
「それで。さっきから何を悩んでいる」
大倶利伽羅は光忠の傍に寄って机上を覗き込む。と、そこにはレシピ本が広げられていた。添えられている写真はどれも見目にも華やかな洋菓子類で今にも甘い香りが漂ってきそうだ。
「今年のバレンタインはどうしようかなって思って」
「ばれんたいん?」
まるで聞き慣れない言葉に思わず鸚鵡返しで訊ねてしまう。
「あ、そっか。伽羅ちゃんは去年の今頃はまだ本丸に来てなかったよね。バレンタインっていうのは好きな人や日頃からお世話になっている人にチョコレートを渡して好意や感謝を伝える日だよ。二月十四日がそのバレンタインデーなんだ。丁度今から三週間後だね」
光忠の話では、バレンタインには本丸にいる刀達の間でチョコレートやチョコを使った菓子類を贈り合うのが恒例となっているらしい。品物は万屋で買い求めるか、一から手作りする刀もいるらしい。勿論、光忠は後者である。
「変わった習慣だな」
「まあ元々は日本の風習じゃなくて異国の文化だったみたいだけどね。えーと、確か結婚が禁じられていた若い兵士達の婚姻を執り行った人がいたとか」
記録によればバレンタインの起源は二千年近く前に遡る。元々は西暦二六九年二月十四日に処刑された司祭ウァレンティヌスを祭る日だったという。
彼に纏わる逸話はこうだ。
当時のローマ皇帝クラウディウス二世は「若者が戦争へ行きたがらないのは故郷に残る家族や恋人と離れたくないからだ」として結婚を禁じていた。そのような状況の中、結婚もできぬまま戦地へ送られる若者を不憫に思ったキリスト教の司祭ウァレンティヌスは若い兵士の婚姻の儀式を秘密裏に執り行ったのだ。それを知った皇帝はウァレンティヌスを問い糺し、二度と法に背かないよう命じるが、しかし司祭はそれに従わなかったため、処刑されてしまう。その後ウァレンティヌスは「聖バレンタイン」という聖人として広く知られるようになり、十四世紀頃からバレンタインデーとして恋愛に結び付けられるイベントになった――らしい。
「結婚が戦の妨げになるというのは奇妙な考えだな」
説明を聞いて率直に感想を告げると光忠はそうだね――僅かに眉を曇らせる。
「僕達は戦うことが本分の刀だからね。でも人は違う。愛する人と共に穏やかに暮らすことが一番の幸せなんだよ。流石に出陣を厭う気持ちはないけれど、僕だって伽羅ちゃんと一緒に過ごす時間は欲しいもの」
そう言われて大倶利伽羅は納得した。光忠同様、戦で刀を振るうことは当然の義務であり、己の存在理由でもあるが、しかしその一方で恋仲として相手と甘い時間を共有したいと望むのもまた事実だ。だがこうも思う。出陣先からもう二度と戻れない――仮令光忠と離別することになってしまうとしても、戦地へ赴くことを忌避したり、厭うことは決してないだろう。最後まで刀を握り、敵を打ち倒すことが己に課せられた役目であり、矜恃でもあるので。きっと光忠も大倶利伽羅と同じように考えるに違いない。
「バレンタインの話に戻すけど。せっかくだから皆に何か作って渡そうと思うんだけど、どれを作ろうかなって悩んでて。ここは大所帯だからそれなりの量が必要になってくることを考えたらチョコレート味のクッキーやカップケーキが良いかなって」
伽羅ちゃんはどれが良いと思う? ――光忠は机の上に広げていた本を大倶利伽羅に見せる。どれと言われても――大倶利伽羅は戸惑いながら本の頁を捲る。オレンジをあしらったチョコレートケーキ、苺とラズベリーを飾ったハート型のフォンダンショコラ、見た目はシンプルなチョコレートチーズケーキ、定番のトリュフや一口サイズのチョコクッキー、マフィン、ドーナツ、ガトーショコラ、ブラウニーなど様々だ。
「これが美味そうだ」
大倶利伽羅が指差したのは飾り気のないフォンダンショコラ。中からとろりと零れたチョコレートがいかにも濃厚そうだ。濃密な甘さを想像して頬が痛くなる。
「いや、これは大量に作るには向いてないか……?」
言ってしまってからふと思い直すが、書かれているレシピを見てもいまひとつ判らない。普段食事作りの当番で厨には立つが、菓子作りは全くの門外漢である。
「フォンダンショコラが食べたいの? 伽羅ちゃんのリクエストなら応えないとね」
「良いのか?」
「勿論。本命の君には特別に用意するよ」
光忠はにこやかに快諾してフォンダンショコラの頁に付箋を貼る。一方、またもや耳慣れない言葉に大倶利伽羅は首を傾げる。
「本命?」
「そう。バレンタインには本命チョコ、義理チョコ、友チョコとか渡す相手によって種類があるんだ。本命チョコは謂わば一番好きな人や愛してる人に渡すチョコのことだよ。鶴さんや貞ちゃんにあげるチョコは友チョコかな」
「義理チョコは?」
「そうだなあ、特別親しくはしてないけど、日頃お世話になってる相手にあげるチョコのことかなあ」
「……成程」
光忠はカップケーキの頁に付箋を貼ると本を閉じ、大倶利伽羅と向き合うと伽羅ちゃん――腕を伸べ、痩躯を抱き締めた。ふわりと良く知った匂いに包まれる。出し抜けに抱き寄せられて大倶利伽羅は僅かに金眼を見開く。
「おい、何だ急に、」
「ごめん、ちょっとだけこのままでいて」
光忠は恋い慕う相手を抱く腕に力を込める。珍しく甘えてくる光忠に大倶利伽羅は微かに頬を緩めて広い背を抱き返した。それからショートグローブを外して漆黒の髪に触れた。さらりとした手触りを楽しむように梳 る。光忠は目を閉じ、口許に淡い笑みを浮かべて優しい手を享受する。
「バレンタイン、楽しみにしててね。腕によりをかけて美味しいフォンダンショコラ作るから」
「ああ、楽しみにしてる」
大倶利伽羅は答えながら自分は一体彼に何を贈ったら良いのか、思考を巡らせていた。
◆◆◆
彼等がそんなやり取りをした三日、俄に本丸内は慌ただしくなった。時間遡行軍の活発な動きに連日部隊が派遣され、異変の調査と資源集めに奔走した。その一方で日常生活の維持――馬や畑の世話、掃除、洗濯、炊事もこなさなくてはならない。大所帯故に人手が不足することはなかったが、先ののんびりした雰囲気はどこへやら、バレンタインの話で賑わっていた本丸はどことなく殺伐とした空気が漂っていた。入れ替わり立ち代わり部隊が出陣するので全員の顔が揃うのも稀で、光忠も大倶利伽羅も同じ部屋で寝起きしながら擦れ違いの日々が続いた。
そんな状況の下、ある日光忠が出陣先から戻って来ると文机の上に一輪の薔薇が活けられていた。真っ赤なその花は目に沁みるような鮮やかさで光忠の視界に飛び込んできた。慌ただしく余裕がない時ほど一輪の花が齎す美しさは良薬のように効いた。光忠は戦装束を解くのも忘れて束の間、淡い香気を放つ薔薇を眺め遣った。
一体誰が持ち込んだのか、咄嗟に閃いたのは園芸が好きな福島だった。誰かに花を贈ることも好きだと日頃から公言している彼である。
「でも薔薇って本丸 では育ててないよね? 態々福島さん買って来たのかな」
一輪の薔薇が飾られた日を境に日に日に花瓶に活けられる薔薇の本数が増えていった。毎日ではないが、ふと見ると必ず増えているのだ。昨日まで二本だったのが三本に、それから三日間を置いて新たに三本活けられているといった具合だ。花が増える間隔は疎らだが、注意深く考えてみると毎日一輪ずつ増えている勘定になる。それに加えて枯れてしまった薔薇は新しいものに取り替えられるという丹念さだ。不思議なことに薔薇が新たに活けられる場面を光忠は一度も目撃しなかった。
不審に思ってある時、福島を捕まえて自室の薔薇についてそれとなく訊ねてみたが、彼は知らないと言う。嘘を言っているふうでもないし、そもそも嘘を吐くような話でもない。そうとなれば同室の大倶利伽羅が何か事情を知っているだろうと思い至り、彼に問い糺そうとして、辞めた。もし、薔薇の送り主が彼であるならば何か意味があるはずだ。
日を追う事に増えていく真紅の薔薇。
光忠は時折、文机に頬杖をついて提示された薔薇の謎を、心躍らせて眺めた。
――彼は僕に何を伝えようとしているのだろう。
手袋を外し指先でそっと花弁に触れる。水気を含んだその手触りに滑らかな褐色の肌を想った。
「そろそろ伽羅ちゃんと一緒にゆっくり過ごしたいなあ」
光忠の独白が聞き届けられたように二月も十日を過ぎた頃には本丸も徐々に落ち着きを取り戻し、殺気立ったような空気も和らいだ。出陣していた部隊も長く遠征で本丸を空けていた部隊も帰還を果たし、全員無事に揃った日には近侍――務めていたのは大倶利伽羅である――と部隊長五人が主の前に集められ、主より直々に労いの言葉を受けた。また数日は躰をゆっくり休めるようにとの下達もあった。
そんなふうにして迎えたバレンタイン当日。
「皆、カップケーキが焼けたよ」
一皿に四つずつ載せたカップケーキを膳で運びながら粟田口の刀達が集まっている部屋を覗くとわっと短刀達が歓声を上げて光忠の前に群がった。
「わぁ、燭台切さんのお菓子だあ」
「甘い匂いがしてたのはこれだったのか」
「美味しそう〜」
「これ全部燭台切さんが作ったの?」
「そう。今日はバレンタインだからね。日頃の感謝を込めて僕からの友チョコさ。時間がなくてラッピングの用意ができなかったから、そのままで申し訳ないけれど」
さ、召し上がれ――座卓の上に皿を並べると短刀達は行儀良く座って手を合わせた。いただきますの合唱が湧き起こる。
「おっ。美味そうな匂いの出処はここか」
背後で良く知った声がして光忠が振り返ると「みっちゃんお疲れ!」貞宗と鶴丸が戸口に立っていた。
「鶴さん、貞ちゃん。二振りの分のカップケーキもあるよ。厨から取ってくるからちょっと待ってて」
「やり〜! みっちゃんのお菓子は何でも美味しいもんな」
「あ〜光坊、カップケーキはこっちで勝手に戴くぜ。ご馳走さん。お返しは来月に期待しててくれ」
それより――鶴丸は小声になって光忠を手招きする。訝しく思いながら光忠は部屋から出、鶴丸の方に身を傾けると「そろそろ伽羅坊のところへ行ってやれ」部屋で捨てられた犬みたいになってるぜ、と耳打ちされて隻眼を見開いた。――え、捨てられたわんちゃんみたいって。何それ伽羅ちゃん可愛い……じゃなかった。思わず緩みそうになる頬を慌てて引き締める。
「じゃあそうさせて貰おうかな。鶴さん、貞ちゃん、お願いして申し訳ないけど厨にあるカップケーキ、他の刀達にも渡して貰えないかな」
「よし、引き受けた」
「おう! 任せておけ!」
「二振り共ありがとう。宜しくね」
軽く手を振ってその場を立ち去ると「ごゆっくり〜」背中でそんな貞宗の明るい声がした。
「伽羅ちゃんごめん、おまたせ」
光忠が自室に戻ると大倶利伽羅は壁に凭れて本を読んでいた。彼は光忠の姿を認めると開いていた本を閉じて居住まいを正す。傍目にはまるきり無表情に見えるが付き合いの長い光忠には判る。自分を捉えた瞬間の瞳の輝きや微かに緩む口許と眦に好意の色が如実に表れるのを。現に寂しそうだった顔色が今ではぱっと喜色に染まっていた。鶴丸の表現を借りるなら、力無く垂れ下がっていた犬の尻尾が千切れる勢いで振られている状態である。常日頃から孤高であろうとする彼が自分だけに見せる強い執着心に光忠はある種の優越感を憶えずにはいられない。
――どちらかというと伽羅ちゃんはわんちゃんより猫ちゃんみたいなんだけど。
うっかり思考がおかしな方向へ迷走しそうになるのを軌道修正して「約束のフォンダンショコラ、作ってきたよ」光忠は手にした盆から淹れたての紅茶とフォンダンショコラがのった皿とを座卓に並べる。大倶利伽羅は座につくと物珍しそうに薄らと白い粉糖を被った綺麗な円形の洋菓子を眺め遣る。
「そんなに眺めてないで、冷めないうちに召し上がれ」
光忠が小さく微苦笑を洩らすと大倶利伽羅はいただきます――手を合わせてからナイフとフォークを器用に操ってフォンダンショコラを切り分ける。と、中からチョコレートがとろけ出た。温かいチョコレートをスポンジに絡めて一口食べる。
「どう? 美味しい?」
「ああ。美味い」
レシピ本の写真を見た時感じたように、頬が痛くなるような甘さだが、この濃厚な甘味は光忠が普段与えてくれる優しさや情愛、恋刀としての親密さのように感じられた。どこまでも甘やかして、溺愛して、その白い綺麗な手でどろどろに溶かされて。
それは良かったと満足そうに微笑む光忠に「あんたは食べないのか」と言えば、
「カップケーキをたくさん作ってるうちに何だか見てるだけでお腹いっぱになっちゃってね」
眉尻を下げてへらりと笑う。
「一体何個作ったんだ」
「四十か五十個くらいかな?」
「そんなにか。大仕事だな」
朝餉の後から彼の姿を見なかったのはずっと厨に籠ってカップケーキ作りに勤しんでいたからだろう。
「作るのは楽しいし、苦じゃないけれどね。皆が美味しいって食べてくれるのも嬉しいし。作りがいがあるよ」
料理することがこんなにも楽しいものだとは思わなかったよ――光忠は心 から愉快そうに告げて大倶利伽羅がフォンダンショコラを平らげるのを眺めた。
「ねえ、伽羅ちゃん」
「何だ」
「あの薔薇は伽羅ちゃんだろう?」
光忠は文机の隅に飾られた真紅の薔薇を一瞥する。
「僕なりにあの薔薇の意味を推理してみたんだけど、聞いてくれるかい?」
拝聴しよう――大倶利伽羅は軽く頷いて温かな湯気を立てているカップに口を付ける。
「花をこうして飾って愛でるのは良いものだね。丁度出陣や遠征続きで忙しい時だったから、随分心が慰められたよ。そう、それで。僕が一番不思議に思ったのは薔薇の本数だ。薔薇が増えてる日もあれば、増えてない日もある。でも本数を数えると毎日一輪ずつ増えている勘定になる。しかもなぜか十二本以上は増えない。薔薇が飾られるようになってから半月以上あったのにも拘わらずね。だから薔薇の数に意味があるんじゃないかと思って昨日調べてみた」
光忠は一つずつあげていく。
一本の薔薇は「あなたしかいない」「一目ぼれ」。
二本の薔薇は「この世界はふたりだけ」。
三本の薔薇は「愛しています」。
四本の薔薇は「一生愛します」「死ぬまで気持ちは変わりません」。
五本の薔薇は「あなたと出会えて心から嬉しいです」。
六本の薔薇は「互いに敬い愛し合いましょう」「あなたに夢中」。
七本の薔薇は「隠れた愛」。
八本の薔薇は「あなたの思いやりに感謝します」。
九本の薔薇は「いつも一緒にいてください」。
十本の薔薇は「あなたは完璧な人です」。
十一本の薔薇は「最愛の人」。
十二本の薔薇は――
「わたしの妻になってください――どう? 花丸は貰えるかな?」
光忠は明るい笑顔を浮かべながら恋刀の顔を覗き込む。と、大倶利伽羅は僅かに視線を逸らして答えた。
「厳密には妻になってくれというのは少し違うが、意味合いとしては正しい。花丸はやろう」
「ふふ、良かった。最初は福島さんが花を飾ってくれたのかなって思ったけど、やっぱり伽羅ちゃんだったね」
大倶利伽羅はカップを手放すと意を決したように一呼吸おいてから言葉を継ぐ。
「俺はあんたみたいに菓子を作れないし、どんなチョコレートを贈ったら良いのか判らなかった」
さてどうしたものかと思案していると、ある時に異国ではバレンタインに花を贈ることもあるらしいと小耳に挟んだのだ。
「確か一期一振だったか。そんな話をしているのを偶然耳にした」
「それで薔薇を買ってきてくれたのかい?」
「まあそうだ。店で花をくれと言ったら今の時期に花を贈るなら薔薇が良いと店の者が言うのでな。そこで薔薇の本数の意味も知った」
薔薇の増え方に間があいたのは単純に戦に駆り出されていたせいで買い求めることができなかったからだ。
「まとめて十二本贈ることも考えたが、それでは伝えきれないと思った」
いつだって欲しい言葉をくれる光忠に対して大倶利伽羅は寡黙だった。感謝や好意を自分なりに伝えてきたつもりだったが、光忠のそれに比べれば圧倒的に少ない自覚はあった。言葉を惜しんでいるわけではない。光忠を前にしてしまうと上手く言葉が出てこなくなってしまうのだ。言いたい言葉も、伝えたい想いも溢れるほどあるのに。
伽羅ちゃん――突然光忠に抱き締められて大倶利伽羅は大きく目を見開いた。ぎゅうと強く背を抱かれる。
「おい、光忠、」
「どうしよう、僕今凄く嬉しい」
この感情を、歓びを、どう言葉で表現したら良いのだろう。好きだと言っても足りない、愛してると言ってもまだ足りない。どうしようもなく彼が愛おしい。泣きたくなるくらいに。
「君の気持ちはいつもちゃんと伝わってるよ。僕を労る気持ちや感謝の気持ちも、好きで愛してくれるのも、全部」
ありがとう――僅かに潤んだ声音に大倶利伽羅は光忠を抱き返す。確かに腕の中にある体温と匂いに大倶利伽羅の鼻の奥がつんと痛くなる。
「僕はずっと伽羅ちゃんと一緒にいるし、これからも傍にいたい」
仮令、この身が消えて無くなっても。
「……それがあんたの答えか」
「うん」
光忠、と名前を呼ぶと深く潤んだ隻眼と出会う。約束を結び合わせるように視線を交わして、どちらともなく無垢な色の唇に口付けた。
「凄く甘いね」
莞爾 する顔はとびきり甘く、優しかった。
――十二本の薔薇の花束はドライフラワーとなって部屋に飾られている。
(了)
今年はどうしようかなあ――畑当番の作業が一区切りついたので自室に戻って少し休憩しようと大倶利伽羅が居室の障子戸を開けた時、そんな独白が聞こえた。見れば文机の前には見慣れた黒いベストの背中。ぴょこぴょこと跳ねている黒髪が唸り声と共に揺れる。光忠、と声を掛けるとぱっと明るい表情が振り返った。
「伽羅ちゃん。内番お疲れ様」
「ああ。あんたももう出陣先から戻ってたのか。怪我は」
「この通り無事さ。他の皆も無傷で帰還したよ」
誉は僕が取ったよ――白い頬に喜色を咲かせるのを見て大倶利伽羅はそれは何よりだと労いの言葉を掛けた。
「それで。さっきから何を悩んでいる」
大倶利伽羅は光忠の傍に寄って机上を覗き込む。と、そこにはレシピ本が広げられていた。添えられている写真はどれも見目にも華やかな洋菓子類で今にも甘い香りが漂ってきそうだ。
「今年のバレンタインはどうしようかなって思って」
「ばれんたいん?」
まるで聞き慣れない言葉に思わず鸚鵡返しで訊ねてしまう。
「あ、そっか。伽羅ちゃんは去年の今頃はまだ本丸に来てなかったよね。バレンタインっていうのは好きな人や日頃からお世話になっている人にチョコレートを渡して好意や感謝を伝える日だよ。二月十四日がそのバレンタインデーなんだ。丁度今から三週間後だね」
光忠の話では、バレンタインには本丸にいる刀達の間でチョコレートやチョコを使った菓子類を贈り合うのが恒例となっているらしい。品物は万屋で買い求めるか、一から手作りする刀もいるらしい。勿論、光忠は後者である。
「変わった習慣だな」
「まあ元々は日本の風習じゃなくて異国の文化だったみたいだけどね。えーと、確か結婚が禁じられていた若い兵士達の婚姻を執り行った人がいたとか」
記録によればバレンタインの起源は二千年近く前に遡る。元々は西暦二六九年二月十四日に処刑された司祭ウァレンティヌスを祭る日だったという。
彼に纏わる逸話はこうだ。
当時のローマ皇帝クラウディウス二世は「若者が戦争へ行きたがらないのは故郷に残る家族や恋人と離れたくないからだ」として結婚を禁じていた。そのような状況の中、結婚もできぬまま戦地へ送られる若者を不憫に思ったキリスト教の司祭ウァレンティヌスは若い兵士の婚姻の儀式を秘密裏に執り行ったのだ。それを知った皇帝はウァレンティヌスを問い糺し、二度と法に背かないよう命じるが、しかし司祭はそれに従わなかったため、処刑されてしまう。その後ウァレンティヌスは「聖バレンタイン」という聖人として広く知られるようになり、十四世紀頃からバレンタインデーとして恋愛に結び付けられるイベントになった――らしい。
「結婚が戦の妨げになるというのは奇妙な考えだな」
説明を聞いて率直に感想を告げると光忠はそうだね――僅かに眉を曇らせる。
「僕達は戦うことが本分の刀だからね。でも人は違う。愛する人と共に穏やかに暮らすことが一番の幸せなんだよ。流石に出陣を厭う気持ちはないけれど、僕だって伽羅ちゃんと一緒に過ごす時間は欲しいもの」
そう言われて大倶利伽羅は納得した。光忠同様、戦で刀を振るうことは当然の義務であり、己の存在理由でもあるが、しかしその一方で恋仲として相手と甘い時間を共有したいと望むのもまた事実だ。だがこうも思う。出陣先からもう二度と戻れない――仮令光忠と離別することになってしまうとしても、戦地へ赴くことを忌避したり、厭うことは決してないだろう。最後まで刀を握り、敵を打ち倒すことが己に課せられた役目であり、矜恃でもあるので。きっと光忠も大倶利伽羅と同じように考えるに違いない。
「バレンタインの話に戻すけど。せっかくだから皆に何か作って渡そうと思うんだけど、どれを作ろうかなって悩んでて。ここは大所帯だからそれなりの量が必要になってくることを考えたらチョコレート味のクッキーやカップケーキが良いかなって」
伽羅ちゃんはどれが良いと思う? ――光忠は机の上に広げていた本を大倶利伽羅に見せる。どれと言われても――大倶利伽羅は戸惑いながら本の頁を捲る。オレンジをあしらったチョコレートケーキ、苺とラズベリーを飾ったハート型のフォンダンショコラ、見た目はシンプルなチョコレートチーズケーキ、定番のトリュフや一口サイズのチョコクッキー、マフィン、ドーナツ、ガトーショコラ、ブラウニーなど様々だ。
「これが美味そうだ」
大倶利伽羅が指差したのは飾り気のないフォンダンショコラ。中からとろりと零れたチョコレートがいかにも濃厚そうだ。濃密な甘さを想像して頬が痛くなる。
「いや、これは大量に作るには向いてないか……?」
言ってしまってからふと思い直すが、書かれているレシピを見てもいまひとつ判らない。普段食事作りの当番で厨には立つが、菓子作りは全くの門外漢である。
「フォンダンショコラが食べたいの? 伽羅ちゃんのリクエストなら応えないとね」
「良いのか?」
「勿論。本命の君には特別に用意するよ」
光忠はにこやかに快諾してフォンダンショコラの頁に付箋を貼る。一方、またもや耳慣れない言葉に大倶利伽羅は首を傾げる。
「本命?」
「そう。バレンタインには本命チョコ、義理チョコ、友チョコとか渡す相手によって種類があるんだ。本命チョコは謂わば一番好きな人や愛してる人に渡すチョコのことだよ。鶴さんや貞ちゃんにあげるチョコは友チョコかな」
「義理チョコは?」
「そうだなあ、特別親しくはしてないけど、日頃お世話になってる相手にあげるチョコのことかなあ」
「……成程」
光忠はカップケーキの頁に付箋を貼ると本を閉じ、大倶利伽羅と向き合うと伽羅ちゃん――腕を伸べ、痩躯を抱き締めた。ふわりと良く知った匂いに包まれる。出し抜けに抱き寄せられて大倶利伽羅は僅かに金眼を見開く。
「おい、何だ急に、」
「ごめん、ちょっとだけこのままでいて」
光忠は恋い慕う相手を抱く腕に力を込める。珍しく甘えてくる光忠に大倶利伽羅は微かに頬を緩めて広い背を抱き返した。それからショートグローブを外して漆黒の髪に触れた。さらりとした手触りを楽しむように
「バレンタイン、楽しみにしててね。腕によりをかけて美味しいフォンダンショコラ作るから」
「ああ、楽しみにしてる」
大倶利伽羅は答えながら自分は一体彼に何を贈ったら良いのか、思考を巡らせていた。
◆◆◆
彼等がそんなやり取りをした三日、俄に本丸内は慌ただしくなった。時間遡行軍の活発な動きに連日部隊が派遣され、異変の調査と資源集めに奔走した。その一方で日常生活の維持――馬や畑の世話、掃除、洗濯、炊事もこなさなくてはならない。大所帯故に人手が不足することはなかったが、先ののんびりした雰囲気はどこへやら、バレンタインの話で賑わっていた本丸はどことなく殺伐とした空気が漂っていた。入れ替わり立ち代わり部隊が出陣するので全員の顔が揃うのも稀で、光忠も大倶利伽羅も同じ部屋で寝起きしながら擦れ違いの日々が続いた。
そんな状況の下、ある日光忠が出陣先から戻って来ると文机の上に一輪の薔薇が活けられていた。真っ赤なその花は目に沁みるような鮮やかさで光忠の視界に飛び込んできた。慌ただしく余裕がない時ほど一輪の花が齎す美しさは良薬のように効いた。光忠は戦装束を解くのも忘れて束の間、淡い香気を放つ薔薇を眺め遣った。
一体誰が持ち込んだのか、咄嗟に閃いたのは園芸が好きな福島だった。誰かに花を贈ることも好きだと日頃から公言している彼である。
「でも薔薇って
一輪の薔薇が飾られた日を境に日に日に花瓶に活けられる薔薇の本数が増えていった。毎日ではないが、ふと見ると必ず増えているのだ。昨日まで二本だったのが三本に、それから三日間を置いて新たに三本活けられているといった具合だ。花が増える間隔は疎らだが、注意深く考えてみると毎日一輪ずつ増えている勘定になる。それに加えて枯れてしまった薔薇は新しいものに取り替えられるという丹念さだ。不思議なことに薔薇が新たに活けられる場面を光忠は一度も目撃しなかった。
不審に思ってある時、福島を捕まえて自室の薔薇についてそれとなく訊ねてみたが、彼は知らないと言う。嘘を言っているふうでもないし、そもそも嘘を吐くような話でもない。そうとなれば同室の大倶利伽羅が何か事情を知っているだろうと思い至り、彼に問い糺そうとして、辞めた。もし、薔薇の送り主が彼であるならば何か意味があるはずだ。
日を追う事に増えていく真紅の薔薇。
光忠は時折、文机に頬杖をついて提示された薔薇の謎を、心躍らせて眺めた。
――彼は僕に何を伝えようとしているのだろう。
手袋を外し指先でそっと花弁に触れる。水気を含んだその手触りに滑らかな褐色の肌を想った。
「そろそろ伽羅ちゃんと一緒にゆっくり過ごしたいなあ」
光忠の独白が聞き届けられたように二月も十日を過ぎた頃には本丸も徐々に落ち着きを取り戻し、殺気立ったような空気も和らいだ。出陣していた部隊も長く遠征で本丸を空けていた部隊も帰還を果たし、全員無事に揃った日には近侍――務めていたのは大倶利伽羅である――と部隊長五人が主の前に集められ、主より直々に労いの言葉を受けた。また数日は躰をゆっくり休めるようにとの下達もあった。
そんなふうにして迎えたバレンタイン当日。
「皆、カップケーキが焼けたよ」
一皿に四つずつ載せたカップケーキを膳で運びながら粟田口の刀達が集まっている部屋を覗くとわっと短刀達が歓声を上げて光忠の前に群がった。
「わぁ、燭台切さんのお菓子だあ」
「甘い匂いがしてたのはこれだったのか」
「美味しそう〜」
「これ全部燭台切さんが作ったの?」
「そう。今日はバレンタインだからね。日頃の感謝を込めて僕からの友チョコさ。時間がなくてラッピングの用意ができなかったから、そのままで申し訳ないけれど」
さ、召し上がれ――座卓の上に皿を並べると短刀達は行儀良く座って手を合わせた。いただきますの合唱が湧き起こる。
「おっ。美味そうな匂いの出処はここか」
背後で良く知った声がして光忠が振り返ると「みっちゃんお疲れ!」貞宗と鶴丸が戸口に立っていた。
「鶴さん、貞ちゃん。二振りの分のカップケーキもあるよ。厨から取ってくるからちょっと待ってて」
「やり〜! みっちゃんのお菓子は何でも美味しいもんな」
「あ〜光坊、カップケーキはこっちで勝手に戴くぜ。ご馳走さん。お返しは来月に期待しててくれ」
それより――鶴丸は小声になって光忠を手招きする。訝しく思いながら光忠は部屋から出、鶴丸の方に身を傾けると「そろそろ伽羅坊のところへ行ってやれ」部屋で捨てられた犬みたいになってるぜ、と耳打ちされて隻眼を見開いた。――え、捨てられたわんちゃんみたいって。何それ伽羅ちゃん可愛い……じゃなかった。思わず緩みそうになる頬を慌てて引き締める。
「じゃあそうさせて貰おうかな。鶴さん、貞ちゃん、お願いして申し訳ないけど厨にあるカップケーキ、他の刀達にも渡して貰えないかな」
「よし、引き受けた」
「おう! 任せておけ!」
「二振り共ありがとう。宜しくね」
軽く手を振ってその場を立ち去ると「ごゆっくり〜」背中でそんな貞宗の明るい声がした。
「伽羅ちゃんごめん、おまたせ」
光忠が自室に戻ると大倶利伽羅は壁に凭れて本を読んでいた。彼は光忠の姿を認めると開いていた本を閉じて居住まいを正す。傍目にはまるきり無表情に見えるが付き合いの長い光忠には判る。自分を捉えた瞬間の瞳の輝きや微かに緩む口許と眦に好意の色が如実に表れるのを。現に寂しそうだった顔色が今ではぱっと喜色に染まっていた。鶴丸の表現を借りるなら、力無く垂れ下がっていた犬の尻尾が千切れる勢いで振られている状態である。常日頃から孤高であろうとする彼が自分だけに見せる強い執着心に光忠はある種の優越感を憶えずにはいられない。
――どちらかというと伽羅ちゃんはわんちゃんより猫ちゃんみたいなんだけど。
うっかり思考がおかしな方向へ迷走しそうになるのを軌道修正して「約束のフォンダンショコラ、作ってきたよ」光忠は手にした盆から淹れたての紅茶とフォンダンショコラがのった皿とを座卓に並べる。大倶利伽羅は座につくと物珍しそうに薄らと白い粉糖を被った綺麗な円形の洋菓子を眺め遣る。
「そんなに眺めてないで、冷めないうちに召し上がれ」
光忠が小さく微苦笑を洩らすと大倶利伽羅はいただきます――手を合わせてからナイフとフォークを器用に操ってフォンダンショコラを切り分ける。と、中からチョコレートがとろけ出た。温かいチョコレートをスポンジに絡めて一口食べる。
「どう? 美味しい?」
「ああ。美味い」
レシピ本の写真を見た時感じたように、頬が痛くなるような甘さだが、この濃厚な甘味は光忠が普段与えてくれる優しさや情愛、恋刀としての親密さのように感じられた。どこまでも甘やかして、溺愛して、その白い綺麗な手でどろどろに溶かされて。
それは良かったと満足そうに微笑む光忠に「あんたは食べないのか」と言えば、
「カップケーキをたくさん作ってるうちに何だか見てるだけでお腹いっぱになっちゃってね」
眉尻を下げてへらりと笑う。
「一体何個作ったんだ」
「四十か五十個くらいかな?」
「そんなにか。大仕事だな」
朝餉の後から彼の姿を見なかったのはずっと厨に籠ってカップケーキ作りに勤しんでいたからだろう。
「作るのは楽しいし、苦じゃないけれどね。皆が美味しいって食べてくれるのも嬉しいし。作りがいがあるよ」
料理することがこんなにも楽しいものだとは思わなかったよ――光忠は
「ねえ、伽羅ちゃん」
「何だ」
「あの薔薇は伽羅ちゃんだろう?」
光忠は文机の隅に飾られた真紅の薔薇を一瞥する。
「僕なりにあの薔薇の意味を推理してみたんだけど、聞いてくれるかい?」
拝聴しよう――大倶利伽羅は軽く頷いて温かな湯気を立てているカップに口を付ける。
「花をこうして飾って愛でるのは良いものだね。丁度出陣や遠征続きで忙しい時だったから、随分心が慰められたよ。そう、それで。僕が一番不思議に思ったのは薔薇の本数だ。薔薇が増えてる日もあれば、増えてない日もある。でも本数を数えると毎日一輪ずつ増えている勘定になる。しかもなぜか十二本以上は増えない。薔薇が飾られるようになってから半月以上あったのにも拘わらずね。だから薔薇の数に意味があるんじゃないかと思って昨日調べてみた」
光忠は一つずつあげていく。
一本の薔薇は「あなたしかいない」「一目ぼれ」。
二本の薔薇は「この世界はふたりだけ」。
三本の薔薇は「愛しています」。
四本の薔薇は「一生愛します」「死ぬまで気持ちは変わりません」。
五本の薔薇は「あなたと出会えて心から嬉しいです」。
六本の薔薇は「互いに敬い愛し合いましょう」「あなたに夢中」。
七本の薔薇は「隠れた愛」。
八本の薔薇は「あなたの思いやりに感謝します」。
九本の薔薇は「いつも一緒にいてください」。
十本の薔薇は「あなたは完璧な人です」。
十一本の薔薇は「最愛の人」。
十二本の薔薇は――
「わたしの妻になってください――どう? 花丸は貰えるかな?」
光忠は明るい笑顔を浮かべながら恋刀の顔を覗き込む。と、大倶利伽羅は僅かに視線を逸らして答えた。
「厳密には妻になってくれというのは少し違うが、意味合いとしては正しい。花丸はやろう」
「ふふ、良かった。最初は福島さんが花を飾ってくれたのかなって思ったけど、やっぱり伽羅ちゃんだったね」
大倶利伽羅はカップを手放すと意を決したように一呼吸おいてから言葉を継ぐ。
「俺はあんたみたいに菓子を作れないし、どんなチョコレートを贈ったら良いのか判らなかった」
さてどうしたものかと思案していると、ある時に異国ではバレンタインに花を贈ることもあるらしいと小耳に挟んだのだ。
「確か一期一振だったか。そんな話をしているのを偶然耳にした」
「それで薔薇を買ってきてくれたのかい?」
「まあそうだ。店で花をくれと言ったら今の時期に花を贈るなら薔薇が良いと店の者が言うのでな。そこで薔薇の本数の意味も知った」
薔薇の増え方に間があいたのは単純に戦に駆り出されていたせいで買い求めることができなかったからだ。
「まとめて十二本贈ることも考えたが、それでは伝えきれないと思った」
いつだって欲しい言葉をくれる光忠に対して大倶利伽羅は寡黙だった。感謝や好意を自分なりに伝えてきたつもりだったが、光忠のそれに比べれば圧倒的に少ない自覚はあった。言葉を惜しんでいるわけではない。光忠を前にしてしまうと上手く言葉が出てこなくなってしまうのだ。言いたい言葉も、伝えたい想いも溢れるほどあるのに。
伽羅ちゃん――突然光忠に抱き締められて大倶利伽羅は大きく目を見開いた。ぎゅうと強く背を抱かれる。
「おい、光忠、」
「どうしよう、僕今凄く嬉しい」
この感情を、歓びを、どう言葉で表現したら良いのだろう。好きだと言っても足りない、愛してると言ってもまだ足りない。どうしようもなく彼が愛おしい。泣きたくなるくらいに。
「君の気持ちはいつもちゃんと伝わってるよ。僕を労る気持ちや感謝の気持ちも、好きで愛してくれるのも、全部」
ありがとう――僅かに潤んだ声音に大倶利伽羅は光忠を抱き返す。確かに腕の中にある体温と匂いに大倶利伽羅の鼻の奥がつんと痛くなる。
「僕はずっと伽羅ちゃんと一緒にいるし、これからも傍にいたい」
仮令、この身が消えて無くなっても。
「……それがあんたの答えか」
「うん」
光忠、と名前を呼ぶと深く潤んだ隻眼と出会う。約束を結び合わせるように視線を交わして、どちらともなく無垢な色の唇に口付けた。
「凄く甘いね」
――十二本の薔薇の花束はドライフラワーとなって部屋に飾られている。
(了)
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