みつくりSS

インクブルー

 わあ随分立派な竹だねぇ――門のあたりまで出迎えた光忠が驚嘆の声をあげると青竹を抱える山伏国広は白い歯を見せて得意そうに笑った。
「うむ。どうせなら大きい方が良かろうと思うてな」
「これだけの竹を切り出して運んで来るのは大変だっただろう?」
 山伏が山から採ってきた目が醒めるような色をした青竹は三メートル近くはあるだろうか。天に真っ直ぐに伸びた竹は多くの笹を茂らせ、微風そよかぜを受けるとさらさらと涼し気な音を立てた。
「なんのこれしき。拙僧にかかれば造作もない。元より山には慣れておるし、皆の楽しみのためだ」
 山伏はまるで疲れた様子を見せず、カカカと朗笑して額に滲んだ汗を手甲で拭う。
「本当に助かったよ、山伏くん。どうもありがとう。戻ってきたばかりで申し訳ないんだけど、少し休んだあとで良いからその竹を中庭の真ん中あたりに立てて欲しいんだ」
 光忠が竹を支えるための角材や縄は物置にあることを説明すると「承知した。皆が楽しく飾り付けできるよう、拙僧が抜かりなく準備しよう」山伏は厭な顔一つせず引き受けた。それからふと改まったように口を開く。
「燭台切殿。ひとつ頼みがあるのだが」
「何だい?」
「傷薬を貸してくださらんか」
「傷薬?」
 どこか怪我でもしたのかい?――鸚鵡おうむ返しに問いながら山伏に気遣わしげな目を向けると「いや、拙僧ではない」小さく微苦笑を漏らしながら顔の前で手を振ってみせる。
「山に手負いの小鹿がおってな。まだ乳離れしたばかりであろう。不用意に手を触れてはと思い、そのままにして戻って来てしまったが、がやはり気になってな」
 どういう状況で怪我をしたのかは知れないが、血が滲んだ後ろ足を引き摺っていたのだという。小鹿は思うように歩けないらしく、数歩歩んではその場にうずくまることを繰り返していたらしい。下山途中だった山伏は少しの間離れた場所から様子を見ていたが、手当できるような道具は何も持っていなかったのもあり、哀れに思いつつも手を出さずに山を下りたのだった。
「そういうことなら、僕より薬研くんに相談した方が良いんじゃないかな。動物に僕達が使うような薬が有効か判らないし……」
「成程。それもそうでござるな」
 山伏は顎を撫でながら光忠の言葉を聞いて首肯する。
「薬研くん呼んでこようか?」
「いや、それには及ばん。燭台切殿も何かと忙しかろう」
「そう? 薬研くんならついさっき畑にいるのを見たよ」
 相分かった――山伏は頷くと青竹を肩に担いで踵を返す。竹の方手伝いが必要だったら声をかけてね、と内番着の背中に言うと山伏は笑って親指を立てて応じた。
 中庭へと姿を消す山伏を見送ってから光忠は一旦自室に戻った。と、今少し良いか――良く知った声が聞こえたかと思うと音もなく開いた襖から大倶利伽羅の顔が覗いた。
「伽羅ちゃん。何か用かい?」
 部屋に入るように促すと大倶利伽羅は神妙な面持ちで光忠の向かいに腰を下ろし、小脇に抱えていた赤い包みを差し出した。包みには金色のリボンがかけられている。一目見て贈り物だと知れた。
「えっと、これは……?」
 光忠は赤い包みと真向かいに座る男の顔をとを見比べる。と、大倶利伽羅は些か居心地が悪そうに伏し目がちになりながら「それはあんたにだ。鶴丸と貞と、俺からだ」平坦な声で告げた。
「え? 僕に? 伽羅ちゃん達から?」
 こんなプレゼントを貰う謂れはどこにもない。どうして――突然のサプライズプレゼントを訝る光忠に「今日であんたが本丸ここに来て丁度一年だ。だからそれの祝いだ」また日頃の感謝も込めての贈り物なのだと大倶利伽羅は付け加えた。
 今日――七月三日。
 光忠が刀剣男士として顕現した日。
 伊達の刀として一番最後に姿を現したのが光忠だった。先に顕現した大倶利伽羅や鶴丸、太鼓鐘は今か今かと光忠が来るのを待っていた。尤も、大倶利伽羅はそんな態度はおくびにも出さなかったが。しかし内心では誰よりも待ち侘びていた。奥州で別れたきりの光忠に再会できるのを。あの時、光忠がまたね伽羅ちゃん、と笑ったから。その言葉だけをずっとよすがにしてきたのだ。そして再会は無事果たされた。丁度一年前の今日に。
「開けても良いかな?」
「ああ」
 あまり期待するなよ――大倶利伽羅は出かかった言葉を呑み込んで頷くだけに留めた。光忠は金色のリボンを丁寧な手付きで解くと包みを開いて中身を取りだした。
「これは――エプロン?」
 両の手で目の前で広げたそれはまさしくエプロンであった。シンプルなデザインのそれは深みのある青色で胸元にはワンポイントとしてデフォルメされた蜜蜂と蜂蜜と判る絵柄が控えめに刺繍されている。
「あんたは料理するの好きだからな。包丁と迷ったが、種類が多すぎてどれが良いのか判らなくて断念した」
 同じ刃物でも刀と厨で使う包丁は違う。しかも包丁は刺身包丁や菜切り包丁、肉切り包丁など、種類も様々だ。本人に選ばせる案もあったがそれだと光忠が遠慮するだろうと太鼓鐘が言ったので却下され、ああでもないこうでもないと皆で話し合った結果、エプロンに落ち着いたのだった。
「でもどうして蜜蜂と蜂蜜なの?」
「光忠の“みつ”だ。あいつもトレードマークをつけているだろう。上杉の……、」
「あいつ? ああ、小豆さんのことかい?」
 すいーつ職人を自称する小豆長光の愛用のピンクのエプロンにはワンポイントに小豆がプリントされている。大倶利伽羅から見て――大半の刀も同じように思っているだろうが――あのセンスは理解の範疇を超えている。彼のエプロン姿を見る度にもう少し落ち着いた色味の方が似合うように思うのだが、本人に言うつもりはない。そんな義理もないし、余計なお世話である。
「一応、俺は刺繍は入れない方が良いんじゃないかとあいつらには言ったんだがな」
 無駄に装飾はせずにそのまま渡した方が良いと大倶利伽羅は鶴丸と太鼓鐘に直言したが二振りは聞く耳を持たず、それどころか非常に乗り気で「みっちゃんにもトレードマークを入れようぜ!」「そうだな貞坊!」眩しいまでの表情で笑い合っていた。俺はもう知らん――ひっそりと諦念の溜息を吐いたのはここだけの話。
「色は俺の見立てだ」
 七月三日にちなんで選んだ色だ。日付ごとにそれぞれ色が割り振られているのは最近暇潰しに斜め読みした雑誌から得た知識である。その色は誕生日色と呼ばれるものらしい。刀である自分達には誕生日などというものはないが、本丸に顕現した日を誕生日とするならば、あながち間違いでもあるまい。七月三日の誕生日色はインクブルー――深みのある青色だ。日が沈み、夜が始まる頃の空の色。インクブルーはやがて夜に染って漆黒になる。漆黒もまた、光忠の色だ。
「そうだったんだ。どうもありがとう。凄く嬉しいよ。あとで鶴丸さんと貞ちゃんにもお礼を言わないとね」
 鶴丸と太鼓鐘は戦に出ていて留守にしている。早く片付けば日が暮れる前には戻ってくるだろう。
 大切にするね――光忠が大事そうにエプロンを畳むと「さっき山伏国広と何を話していた」大倶利伽羅が静かに呟いた。
 光忠の交友関係が広いのは知っていたが、山伏と親しげに会話している様は初めて見た。「修行」「山籠り」「筋肉」の三点セットを口癖のように言う山伏は大倶利伽羅と同く不動明王を戴く刀だが、あまりにも気質が違いすぎて苦手だ。いつも明るく前向きな山伏は悪い刀ではないことは判っているが、普段口数が少ない大倶利伽羅からすれば少々――否かなり――暑苦しい。
「何だ、見てたのかい? 別に大した話はしてないよ。山伏くんが山で竹を採って帰ろうとしたら怪我した小鹿と出会って、最初はどうにできないからそのままにして帰って来たけれどやっぱり気になるから傷薬を貸してくれって。山伏くん、優しいよね 」
「竹を採ってきた? どうしてまた、」
 大倶利伽羅は訊ねながら、そういえば彼は随分と大きな青竹を抱えていたことを思い出す。
「ああ、ほら、もうすぐ七夕だろう? 今朝から短刀の子達が皆で折り紙で飾りを作ろうって言っててさ。でも肝心の竹が無かったからどうしようかって話してたら山伏くんが採って来てくれるって。山は拙僧の庭みたいなものだからって」
 七夕は雨が降らないと良いんだけれど――光忠は開いた障子戸へと視軸を転じ、僅かに覗く切り取られた空を見る。今日は梅雨の中休みらしく、目に沁みるような紺碧が広がっている。降り注ぐ陽射しはすっかり夏のそれだ。朝からここぞとばかりに溜まった衣類やタオルを洗濯をしたおかげで庭には夥しい洗濯物がはためいている。
「あ、そうだ。伽羅ちゃんも短冊にお願い事書いてね」
 はい、と光忠は文机の上に置かれていた水色の短冊を大倶利伽羅に手渡した。先刻、五虎退から燭台切さんと大倶利伽羅さんにと渡されたものだ。
「いや、俺はいい。そういうのは俺抜きでやってくれ」
 邪魔したな――短冊を畳の上に放って腰を浮かせようとする彼の手首を黒手袋が掴んだ。
「待って伽羅ちゃん。なんか怒ってる?」
 光忠は探るような目で精悍な顔を見詰める。と、僅かに視線が逸らされる。
「別に――」
「じゃあ、やきもち?」
「な、」
 俄に褐色の頬が紅潮する。やきもちなんぞやくものか――しかし気持ちとは裏腹に言葉は喉の奥につかえて出てこない。眉根を寄せて押し黙る大倶利伽羅を光忠はきゅうと瞳を細めて見遣る。
「僕が山伏くんと仲良さそうに話してるのを見て面白くなかったんだろう?」
「……別にそんなんじゃない。光忠が珍しい相手と一緒にいたから、」
「伽羅ちゃんは素直じゃないなあ」
 まあそういうところも可愛いんだけど――光忠は小さく笑う。一方、大倶利伽羅は眉間に皺を立てて厭そうに片頬を攣らせている。黒手袋は掴んだ手首からその輪郭を撫でるように移動してショートグローブに包まれた手を指を絡めて握る。おい離せ――やろうと思えば簡単に振りほどけるのに、黒手袋を振りほどけない。拒めない。そんな自分にも大倶利伽羅は苛立って呆れてしまう。光忠は恋刀の葛藤を察したように穏やかに告げる。
「僕は本丸ここの皆が好きだし、仲良くしたいと思っているけれど、でも伽羅ちゃんだけが特別。君だけだよ、僕は」
 それを忘れないで――複雑な表情を浮かべている大倶利伽羅ににこりと微笑みかけるとまだ熱を孕んだままの精悍に引き締まった頬に軽く唇を触れた。と、襖の向こうで燭台切と呼ぶ声がする。声の主は歌仙だ。恐らく夕餉の献立についての相談だろう。厨仲間としての連帯感があるのか歌仙は光忠と仲が良く、食事についてのあれこれを日頃から相談し合っている。
「ごめん、僕行かなきゃ。――短冊それ、あとで五虎退くんが取りに来るからちゃんと書いて渡すんだよ」
 燭台切いないのかい――歌仙の声に急かされるようにして光忠は立ち上がると大倶利伽羅の頭をぽんと撫でてから歌仙くん何だい?――慌ただしく部屋を出て行った。
 襖が閉まり、二振りの気配が遠ざかってから大倶利伽羅は大きく溜息を吐いた。今更のようにどっと心臓が鳴って更に耳が熱くなる。顔が燃えるように熱い。
 ――伽羅ちゃんだけが特別。
 ――それを忘れないで。
「……忘れたつもりはなかったんだがな」
 はあと脱力して独白する。
 どんなに光忠が自分を想ってくれているかは厭というほど知っている。一度離れてしまった分、より愛そうとしてくれているのも判っている。だが、それでもまだ足りないと彼が差し出す愛情を貪欲に喰らい尽くそうとする自分がいるのだ。正直、他の刀に嫉妬するなんて格好悪い。らしくない。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃ。しかし光忠と離れるという考えは毛頭ない。やっと手に入れたのだ。長年焦がれていた美しい月を。みすみす手放してなるものか。
 大倶利伽羅は目の前に置かれた水色の短冊に視線を落とす。――こういうことは柄ではないけれど。
「願い事か。願い事は――」
 想うことはただ一つだ。
 大倶利伽羅は短冊を手に取ると文机の前に座り直し、ペン立てから筆記具を取ると迷いなく紙面にペン先を走らせた。

(了)
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