みつくりSS

からくれない

 筆記具を探して大倶利伽羅が文机の傍らにある棚の抽斗を開けると見慣れないものが目に入った。掌に収まるくらいの、丸い黒漆の入れ物は蓋の表面に金泥で梅の花が絵付されている。アクセントとして螺鈿の三日月が左上に浮かんでいた。一目見て女物の、高価らしいそれを手に取ると「あ、それ」背後から聞き慣れた声音が飛んでくる。長身を振り仰ぐと「こんなところにあったんだ」伸びてきた光忠の手がひょいと大倶利伽羅の掌から黒漆の入れ物を取り上げた。
「それは何だ?」
 黒手袋を目で追いながら問うと「気になる?」悪戯っぽく隻眼が細められた。きゅうと笑う金眼が黒漆に刻まれた三日月と重なる。
「明らかに女物だろう。誰にやるんだ」
 万屋の娘か――些か棘を含んだ調子で言葉を重ねると光忠が声を立てておかしそうに笑った。
「真逆。違うよ。伽羅ちゃんという恋刀がいるのに女の子にプレゼントをあげて口説いたりしないよ」
 まあ確かにこれは女の子が使うものではあるけれど――光忠は一頻り笑った後、大倶利伽羅の隣に腰を下ろすとほらこれ、と黒漆の蓋を取って見せた。
「これは――」
 大倶利伽羅の双瞳そうどうが僅かに見開かれた。金泥の梅花と螺鈿の月の下から現れたのは艶やかな韓紅からくれないだった。微かに梔子くちなしの香りがする。鮮やかなそれは唇を彩るかた紅だった。光忠は事情を説明する。
「少し前に万屋の女将さんから貰ったんだよ。好きなにでも渡せってさ。必要ないって断ったんだけれど良いから持っていけって」
 あんまり断るのも却って失礼にあたると考えてその場を収めるためにも素直に受け取ったのだ。万屋を切り盛りする女将は満足そうな笑顔を浮かべながら「今度連れといでよ」そんなこと言うので光忠は曖昧に頷いて店を後にしたのだった。
 かた紅を受け取ったまでは良かったが、はなから渡す相手などいなかったから忽ち困ってしまった。真逆道で行き会った見知らぬ女性に押し付けるわけにもいかず、かといって捨ててしまうのは忍びない。女将の厚意を無下にするには良心が咎めた。そんなことがあって抽斗の中に仕舞ったまますっかり忘れて、二月が経っていた。
 成程な――光忠の話を聞いた大倶利伽羅は内心で自分の早合点を少々苦く思いながら「捨てられないなら、他の連中にやれば良い」山伏国広や次郎太刀辺りにでも。彼奴等なら使うんじゃないのか――そう言うと隻眼が瞬かれた。
 山伏や次郎太刀、石切丸などは普段、目許に朱を差している。それは古来より伝わる魔除けの法であり、彼等の刀剣の由来の反映でもある。
「うーん、山伏くん達にあげるのも良いけれど、」
 光忠は何かを考えるような素振りをしながら徐に黒手袋を外すと人差し指にかた紅を取り、大倶利伽羅の下唇をなぞった。
「おい、」
「思った通り、伽羅ちゃんに似合ってる」
 鮮やかな韓紅は大倶利伽羅の深い色の肌を際立たせ、下唇を彩るかた紅が彼の混じり気のない、硬質な美しさを引き立てていた。あかは大倶利伽羅の色だ――光忠はうっとりと微笑すると顔を近付けて梔子の香気を纏った唇にそっと口付けた。
「今度、万屋の女将さんに伽羅ちゃんのこと紹介しようか」
「辞めとけ。女将が卒倒するぞ。それに紹介するもなにも、向こうだって俺の顔くらい知っているだろう」
 光忠ほどではないが大倶利伽羅とて万屋に出入りしているのだ。光忠に恋刀として女将に紹介されて一体どんな顔で今後買い物に行けば良いというのか。それに本当に女将が驚きのあまり倒れてしまったらと思うと居た堪れない。大倶利伽羅がそんなことを言えば「そうかなあ。女将さんは肝が据わってる人だから大丈夫だと思うけど」光忠はのんびりと懐疑的な言葉を口にする。
「あんたがその気でも俺は一緒に行かないからな」
「それは残念だな。本当は君のこと言いふらしたいのに」
 光忠と大倶利伽羅が恋仲であることは周囲には公言していない。お互いに、あれこれと周りから詮索されては敵わないと思ったのがその理由だが、しかし光忠は時々無性に大倶利伽羅との関係を言いたくて堪らなくなる瞬間があった。僕の恋刀はこんなに素敵な刀なんだよ――それは子供が無邪気に珍しい玩具を見せびらかす気持ちに似ている。
「それは流石に勘弁してくれ。というか、あんた本当に見かけによらず独占欲が強いな」
「だって仕方ないじゃないか。伽羅ちゃんのことが大好きなんだから」
 それともこういう僕は嫌い?――わざとらしく耳元で囁くと形の佳い耳がさっと韓紅に染まった。
「……嫌いではない、」
 視線を外して素っ気なく呟くと白い素手が大倶利伽羅の頤を捉えた。
「せっかく綺麗にしたのに紅が滲んじゃったね」
 光忠は眉尻を下げながらよれて輪郭からはみ出たかた紅を親指の腹で拭う。と、出し抜けにショートグローブに包まれた両の手が白いかんばせを掴んで引き寄せた。呼吸いきごと奪うように唇が重なる。二度目の接吻は長かった。
「別に、また塗り直せば良い」
 何度だって真赤な梔子の花弁を蹂躙すれば良いのだ。韓紅に染まった唇は愛する者に摘み取られるのを待っている。 
 大倶利伽羅の言葉に、光忠は虚を衝かれたように瞠目したが「僕、君のそういうところも大好き」ふと笑み崩れた。

(了)
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