みつくりSS
Satisfy
不意に背中に重みを感じて大倶利伽羅は僅かに琥珀色の双瞳 を見開いた。振り向かずとも判る。自分相手にこんなことをしてくる刀は一振りしかいない。と、ぎゅうと逞しい腕が胴に絡んでぐりぐりと肩の辺りに額を擦り寄せられる。
「おい、光忠」
手元で広げていた本を閉じながらどうしたと問うと「今皆出払っていないから」くぐもった声が答えた。
光忠の言葉に、いつもは誰かしらの気配があり、さざめきに包まれている本丸が今日に限ってやたら静かな理由を知った。出陣と遠征の他、買い出し部隊も出動しているらしい。そういえば朝餉の席で味噌と醤油が切れたと歌仙が言っていたのを思い出す。大所帯故、食糧品や日用品の買い出しは荷物持ちとして複数の刀手 を要する。今日は天気も良いから散歩がてら買い出しに付き合った刀もいるに違いない。
「あんたは一緒に行かなかったのか」
平素、買い出し部隊長として財布を預かっている光忠が居残っているのは珍しい。それにこんなふうに甘えてくるのも。
「僕はちょっと休憩」
「俺にくっついて休憩になるのか」
「うん。今充電中だから」
光忠は更に大倶利伽羅を抱き締める腕に力を込めて鼻先を柔らかな鳶色の髪にうずめてすんと匂いを嗅ぐ。洗髪剤の清潔な匂いと陽向 の匂い。それから仄かに香る丁子油の香り。以前、光忠が大倶利伽羅のために選んで贈った丁子の髪油を使ってくれていることを知って嬉しくなる。
「光忠、一回離れろ」
「んー、もうちょっとだけ」
「これじゃあんたのことを抱き締めてやれないだろう」
大倶利伽羅がそう言うと腕の縛めが解かれ、背に感じていた温もりが離れていく。光忠に向き直り、ほら来い――腕を広げると驚いたように隻眼が瞬かれた。微かに目許が染まっているのは気のせいだろうか。
「どうした?」
「いや、何だか少し気恥しいというか……」
光忠の目が泳ぐ。普段人目を憚るようなもっと凄いこともしているのに、こんなことで照れて恥ずかしがるなんて。光忠の羞恥心の基準を不思議に思いながら大倶利伽羅は小さく微苦笑を洩らした。
「あんたやっぱり可愛いな」
「えぇ、こんな図体の大きい男が可愛いだなんておかしいでしょ」
光忠は困惑しきった様子で眉を曇らせる。いつもそうだ。大倶利伽羅が光忠を可愛いと言うと決まって彼は困ったように狼狽えてみせる。それも彼なりの含羞 みと思えばますます彼を可愛く思うのだが、あまり言うと本格的に臍を曲げ兼ねない。
「俺があんたを可愛いと言うのは見た目のことじゃないんだがな。――充電とやらをしなくても良いのか」
再度促すと「じゃあちょっとだけ」おずおずといった風情で腕 が伸びてきてゆるく抱き締められた。肩口に白い額が伏せられて大倶利伽羅はあやすように黒い頭と広い背をぽんと優しく慰撫する。
「あんたは働きすぎのきらいがあるが、そのお陰で皆助かってる。俺も含めてな。いつもありがとう。毎日お疲れ様」
「うん。伽羅ちゃん、どうもありがとう。そう言って貰えると凄く嬉しいよ」
光忠は最愛の刀から贈られる優しい労りの言葉を噛み締める。蓄積していた疲労も大倶利伽羅お陰でいっぺんに吹き飛ぶ心地だ。彼はいつもいつも光忠が望む言葉をくれる。それにどれだけ救われているか彼は知っているだろうか。
「伽羅ちゃん大好き」
「あんたはいつもそればかりだな」
光忠が頬に喜悦を浮かべると大倶利伽羅はどこか呆れたように息を吐く。光忠は好意を伝えることに躊躇 いがない。些細なことにも謝意を口にし、恋仲の大倶利伽羅には惜しみなく睦言を囁く。光忠からの好きも愛してるも大倶利伽羅は抱えきれないほど貰っているのだ。嬉しい反面、その好意にどう返して良いものか思い悩むことも屢々 だ。
「だって伽羅ちゃんのこと好きだから」
「一体俺のどこがそんなに良いんだ」
思わずそんなことを言うとあれ言ったことなかったっけ――金眼が意外そうに見開かれた。
「伽羅ちゃんのことは全部好きだよ。格好良いし、優しいし。戦での君の勇猛果敢ぶりや苛烈で凛々しい姿は何度見ても惚れ惚れするよ。普段は物静かで落ち着きがあって、伽羅ちゃんの傍にいると不思議とほっと落ち着くんだ。それから僕が作ったものを何でも美味しそうに食べてくれるのも見てて気分が良いし、ちょっと含羞むみたいに笑う顔が凄く可愛い」
あと閨での姿もね――湿度のある声音で耳許で囁くと形の佳 い耳殼がさっと朱を帯びる。
「あ、あんた……っ」
大倶利伽羅は反射的に躰を離し、吐息が触れた耳を片手で抑えて隻眼を睨 め付ける。光忠はこういうところが狡いと思う。声ひとつで簡単に心乱されてしまう。
「顔を真っ赤にしちゃってかーわい」
伽羅ちゃんは何を想像したのかな――きゅうと悪戯っぽく隻眼が細められる。
「……それは、あんたが一番良く知っているだろう」
秘め事の予期と予感、それに続く期待を教えたのは他ならぬ目の前にいる男だ。恋、という感情すらも。光忠がいなければ終 ぞ知らなかったものだ。愛すること、慈しむこと、睦み合うこと、全て。
「ふふ、やっぱり君には敵わないなあ」
光忠は淡く微笑んで痩躯を抱くと「伽羅ちゃんのお陰で元気を充填できたよ。ありがとう」読書の邪魔しちゃってごめんね――光忠はぽんと鳶色の頭を撫でると立ち上がる。八つ時の準備があるからとその場を立ち去ろうとする長身の手を「光忠、待て」と大倶利伽羅は掴んで引き留めた。金眼が振り返る。
「なんだい?」
大倶利伽羅が無言でじっと白い貌 を見上げると光忠は彼の眼差しの意味を読み取って身を屈めて顔を寄せた。そっと薄く開かれた無垢な色の唇へ口付ける。と、しなやかな両の腕が首に絡んで、バランスを欠いた光忠の躰が傾いで大倶利伽羅諸共畳の上に倒れ込んだ。
「わ、伽羅ちゃんごめん、」
慌てて身を起こそうとする光忠を押し留めるように「他の連中が戻ってくるまでゆっくり充電していけ」大倶利伽羅は広い背中に腕を回す。何も『充電』したいのは光忠ばかりではないのだ。
恋刀の意図を正しく理解した光忠は「それじゃあお言葉に甘えて」痩躯を抱き返して微笑すると秀でた額に唇を落とした。
(了)
不意に背中に重みを感じて大倶利伽羅は僅かに琥珀色の
「おい、光忠」
手元で広げていた本を閉じながらどうしたと問うと「今皆出払っていないから」くぐもった声が答えた。
光忠の言葉に、いつもは誰かしらの気配があり、さざめきに包まれている本丸が今日に限ってやたら静かな理由を知った。出陣と遠征の他、買い出し部隊も出動しているらしい。そういえば朝餉の席で味噌と醤油が切れたと歌仙が言っていたのを思い出す。大所帯故、食糧品や日用品の買い出しは荷物持ちとして複数の
「あんたは一緒に行かなかったのか」
平素、買い出し部隊長として財布を預かっている光忠が居残っているのは珍しい。それにこんなふうに甘えてくるのも。
「僕はちょっと休憩」
「俺にくっついて休憩になるのか」
「うん。今充電中だから」
光忠は更に大倶利伽羅を抱き締める腕に力を込めて鼻先を柔らかな鳶色の髪にうずめてすんと匂いを嗅ぐ。洗髪剤の清潔な匂いと
「光忠、一回離れろ」
「んー、もうちょっとだけ」
「これじゃあんたのことを抱き締めてやれないだろう」
大倶利伽羅がそう言うと腕の縛めが解かれ、背に感じていた温もりが離れていく。光忠に向き直り、ほら来い――腕を広げると驚いたように隻眼が瞬かれた。微かに目許が染まっているのは気のせいだろうか。
「どうした?」
「いや、何だか少し気恥しいというか……」
光忠の目が泳ぐ。普段人目を憚るようなもっと凄いこともしているのに、こんなことで照れて恥ずかしがるなんて。光忠の羞恥心の基準を不思議に思いながら大倶利伽羅は小さく微苦笑を洩らした。
「あんたやっぱり可愛いな」
「えぇ、こんな図体の大きい男が可愛いだなんておかしいでしょ」
光忠は困惑しきった様子で眉を曇らせる。いつもそうだ。大倶利伽羅が光忠を可愛いと言うと決まって彼は困ったように狼狽えてみせる。それも彼なりの
「俺があんたを可愛いと言うのは見た目のことじゃないんだがな。――充電とやらをしなくても良いのか」
再度促すと「じゃあちょっとだけ」おずおずといった風情で
「あんたは働きすぎのきらいがあるが、そのお陰で皆助かってる。俺も含めてな。いつもありがとう。毎日お疲れ様」
「うん。伽羅ちゃん、どうもありがとう。そう言って貰えると凄く嬉しいよ」
光忠は最愛の刀から贈られる優しい労りの言葉を噛み締める。蓄積していた疲労も大倶利伽羅お陰でいっぺんに吹き飛ぶ心地だ。彼はいつもいつも光忠が望む言葉をくれる。それにどれだけ救われているか彼は知っているだろうか。
「伽羅ちゃん大好き」
「あんたはいつもそればかりだな」
光忠が頬に喜悦を浮かべると大倶利伽羅はどこか呆れたように息を吐く。光忠は好意を伝えることに
「だって伽羅ちゃんのこと好きだから」
「一体俺のどこがそんなに良いんだ」
思わずそんなことを言うとあれ言ったことなかったっけ――金眼が意外そうに見開かれた。
「伽羅ちゃんのことは全部好きだよ。格好良いし、優しいし。戦での君の勇猛果敢ぶりや苛烈で凛々しい姿は何度見ても惚れ惚れするよ。普段は物静かで落ち着きがあって、伽羅ちゃんの傍にいると不思議とほっと落ち着くんだ。それから僕が作ったものを何でも美味しそうに食べてくれるのも見てて気分が良いし、ちょっと含羞むみたいに笑う顔が凄く可愛い」
あと閨での姿もね――湿度のある声音で耳許で囁くと形の
「あ、あんた……っ」
大倶利伽羅は反射的に躰を離し、吐息が触れた耳を片手で抑えて隻眼を
「顔を真っ赤にしちゃってかーわい」
伽羅ちゃんは何を想像したのかな――きゅうと悪戯っぽく隻眼が細められる。
「……それは、あんたが一番良く知っているだろう」
秘め事の予期と予感、それに続く期待を教えたのは他ならぬ目の前にいる男だ。恋、という感情すらも。光忠がいなければ
「ふふ、やっぱり君には敵わないなあ」
光忠は淡く微笑んで痩躯を抱くと「伽羅ちゃんのお陰で元気を充填できたよ。ありがとう」読書の邪魔しちゃってごめんね――光忠はぽんと鳶色の頭を撫でると立ち上がる。八つ時の準備があるからとその場を立ち去ろうとする長身の手を「光忠、待て」と大倶利伽羅は掴んで引き留めた。金眼が振り返る。
「なんだい?」
大倶利伽羅が無言でじっと白い
「わ、伽羅ちゃんごめん、」
慌てて身を起こそうとする光忠を押し留めるように「他の連中が戻ってくるまでゆっくり充電していけ」大倶利伽羅は広い背中に腕を回す。何も『充電』したいのは光忠ばかりではないのだ。
恋刀の意図を正しく理解した光忠は「それじゃあお言葉に甘えて」痩躯を抱き返して微笑すると秀でた額に唇を落とした。
(了)