みつくりSS

フラテル・フラトリ

 またその話か――大倶利伽羅が溜息を吐きながら眉間に皺を立てると隣で器用に剪定鋏を操る福島は「可愛い弟にはお兄ちゃんって呼んで欲しいじゃないか」さも当然と言った口振りで返した。
 福島が本丸に顕現してから万事この調子であった。兄弟刀である燭台切光忠を見るやいなや「お兄ちゃんって呼んでくれ」と末弟に迫って光忠をフリーズさせたのは記憶に新しい。光忠に兄弟刀がいたのを殆どの刀は知らなかったから福島の言動に皆一様に驚愕し、度肝を抜かれた。その場にいた大倶利伽羅も大変驚いたが、一番驚いて動揺していたのはやはり光忠本人であったろう。ある日突然「お兄ちゃんと呼んでくれ」と言われたら誰だって戸惑う。
 事ある毎に福島は光忠にお兄ちゃん呼びをねだっていたがこれまで一度も呼ばれた試しはない。その愚痴とも相談ともつかないものをなぜか大倶利伽羅は度々聞かされており、今現在も内番の畑作業のついでに行われている福島ご自慢の薔薇の手入れの手伝いをしながら――これについても大倶利伽羅は思うところがあったが渋々手を貸していた――何度目か知れない「どうしたらお兄ちゃんと呼んでくれるのか」といった悩みを打ち明けられている次第であった。
 福島は慣れた様子で剪定鋏を使って見事な咲きぶりの薔薇を一輪切ると足元に置かれた水を張ったバケツへ入れていく。
 皐月は丁度薔薇の盛りである。暗褐色の赤い薔薇は爛漫と花を開かせて馥郁ふくいくたる芳香を放っていた。香りの強い品種らしく、香気は濃密で、ただ咲いた薔薇の中に立っているだけで花の中に溺れていきそうな錯覚を憶えた。
「この薔薇はミスター・リンカーンといってね、三兄弟の長男なんだ」
「花にも兄弟があるのか」
 福島の説明に大倶利伽羅が不思議そうに首を傾げてみせると「交配親が同じだからそう呼ばれてるんだ」次男はオクラホマ、三男はパパ・メイアンだと言いながらそれぞれ指をさし示す。どの薔薇も黒みがかった花弁が特徴で三種合わせて俗に『黒薔薇三兄弟』と呼ばれているらしい。最も色が深いのがオクラホマでシックな佇まいは次男とされている福島に似合の薔薇だ。三男のパパ・メイアンは大輪で、華美で豪奢な雰囲気が如何にも光忠らしいと大倶利伽羅は思った。
 どれも花の色は似通ってはいるが、良く見ると花弁の形が違う。ミスター・リンカーンの花弁はやや丸みを帯びているが、パパ・メイアンは花弁が尖っている。オクラホマは両者の中間型ともいえる形で半剣弁咲きというらしかった。
「ミスター・リンカーンは実休、オクラホマは俺、パパ・メイアンは光忠だ」
 福島は唄うように告げながら黒薔薇を摘み取っていく。薔薇を自分達になぞらえるほどには『兄弟』というものに思い入れがあるらしい。花が好きな彼らしいといえばそうだが、どうしてそこまで固執するのか、大倶利伽羅にはやや不可解である。その疑問を福島にぶつけると「君にだって可愛い弟がいるじゃないか」なぜ判らないのだと焔色の瞳に逆に問われてしまった。
 大倶利伽羅の弟とは火車切のことである。彼もこの本丸の一員となって日が浅い。今日は練度を上げるためだと光忠が率いる部隊と共に戦に出ていて留守にしている。
「確かに火車切は俺の兄弟刀ではあるが、可愛いかどうかは別だ」
「え、どうして。弟なら特別可愛いだろうに」
 福島は心底意外そうに瞳を瞬かせて大倶利伽羅を見遣る。
「大事な仲間であることには変わりはないが、あいつを可愛いと思ったことはないからな」
 可愛い弟、というのが大倶利伽羅にはいまいち判らないのだ。勿論、だからといって火車切を厭うているわけではない。同じ刀剣男士として信頼する気持ちは持ち合わせているつもりだ。だが『可愛い』と言われると、何を以して、一体どこが『可愛い』のか判らない。光忠同様、突然『兄』となった自分には『弟』にどう接するのが正解なのか、考えあぐねている部分があるのだ。
「お兄ちゃんなのに?」
「……俺は別にあいつから兄と呼ばれたいと思ったことはない。そもそもどうしてあんたはそこまで光忠からの“お兄ちゃん”呼びに拘るんだ」
 光忠はいつも福島のことを『福島さん』と呼んでいる。長兄とされる実休のことも『実休さん』と呼んでいて、兄の『あ』の字もない。福島ほどではないが、実休もまた末弟から『兄さん』と呼ばれたい願望を持っているのを大倶利伽羅は知っている。
「だって兄は弟に頼られるものだろう? 粟田口なんて皆一期一振のことを“いち兄”って呼んで慕っているし」
 うちの光忠は俺や実休のことを頼りない兄だと思っているのかもな――福島は少しだけ寂しそうな翳を片頬に浮かべてぱちん、とパパ・メイアンを一輪、鋏で切った。
「……なぜそう思う」
 大倶利伽羅は手に持った如雨露じょうろで水をやりながら静かに問うた。薔薇へ注ぐ水が初夏の陽射しを受けてきらきらと虹色に輝く。すると福島は「本当はさ、もっと俺達のことを頼って欲しいんだよ」眉尻を下げて弱々しく微笑した。
「でも光忠は独りで何でもできてしまうから……」
 兄弟の中で一番最初に顕現したのは光忠であり、本丸での生活も長い。厨仕事は誰よりも得意だし、掃除も繕い物も含めてその他細々とした事柄もそつなくこなす。誰に対しても分け隔てなく優しい性格も相俟って何かと周囲から頼られることが多い。そのことを福島は兄として複雑な気持ちで見ているのだろう。皆に頼られる弟を誇らしく思いながら、兄である自分を頼ってくれない寂しさを抱えて。だからせめて自分を『お兄ちゃん』と呼んで慕って欲しい――そんな福島のいじらしいような真情を知って大倶利伽羅は密かに笑みを零した。何となく彼の気持ちが判るから。
「あいつにはあいつなりにこの本丸を引っ張ってきた矜恃がある。兄であるあんたにおいそれと甘えるような無様な姿を見せたくないんだろう」
 光忠は常に格好良くあることを信条、美徳とする刀だ。頼るより頼られたい、甘えるより甘えられたい、 そんな刀でもある。もっと恋仲である自分にも頼って甘えて欲しいと大倶利伽羅は思うのだが、光忠はそれを良しとしない。いつも大倶利伽羅ばかりが甘やかされているのだ。偶には思い切り光忠を甘やかしたいとあれこれ画策するものの、これまで上手くいった試しがない。
「兄と呼んでくれと迫る前にもっと頼ってくれと言った方が良いんじゃないのか。そうしたらあいつもいつかあんたのことを“お兄ちゃん”と呼んでくれる時がくるかもしれない」
 火車切同様、実休を含めて福島もまたこの本丸に顕現して日が浅い。ただの刀であった頃、彼等の関係がどうであったのか大倶利伽羅には窺い知れないが、『お兄ちゃん』と呼んで頼って欲しいのならば信頼関係を築くのが先だ。
 大倶利伽羅がそんなことを言えば「なるほど」福島は目から鱗が落ちたかのように呟いた。
「光忠が戻ってきたらそれとなく言ってみるよ。もっと俺達兄を頼ってくれって」
「そうか。まあ、頑張れ」
 適当に相槌を打つと大倶利伽羅――軽く肩を叩かれて振り返ると目の前に一輪の白薔薇が差し出された。大倶利伽羅が瞠目すると「相談にのってくれたお礼に」福島は些か含羞む。
「この薔薇、光忠がいつ咲くか心待ちにしていた奴なんだよ」
 突然変異なのか、黒薔薇の中に混じって一輪だけ白い蕾をつけた薔薇を光忠は珍しがっていつ頃花開くのか楽しみにしていたという。それが今日咲いたのだ。
「俺が受け取って良いのか」
「ああ、大倶利伽羅から光忠にプレゼントしたらきっと喜ぶよ。なんせ君はうちの弟の恋刀で未来の伴侶なんだし」
「な……っ、」
 福島の言葉に大倶利伽羅は手にしていた如雨露を取り落とした。ことんと軽い音を立てて足元に如雨露が転がる。
「あれ、違ったかい?」
 福島は怪訝そうにわなわなと口許をふるわせている大倶利伽羅の顔を覗き込む。
 大倶利伽羅と光忠の関係は特別隠してはいないが、かといって公にしているわけでもない。だが面と向かって彼との関係について言及されるのは流石に居た堪れない。瞬時にカァッと耳が熱くなる。穴があったら埋まりたい。
 大倶利伽羅が肯定も否定もできずにいると福島は「うちの光忠の恋仲の相手はどんな奴かと思っていたが、大倶利伽羅なら安心だ」悪戯っぽく笑う。そこで初めて大倶利伽羅は彼が毎回のようにお兄ちゃん呼びについて話をしてくる理由を悟った。つまり、そういうことだ。
「祝言をあげる時の花飾りは俺に任せてくれ。とびきり豪奢で綺麗なものを作るから」
 これからも兄弟共々宜しく――福島は固まっている大倶利伽羅に白い薔薇を握らせて晴れ晴れと朗笑するのだった。
 
(了)
18/37ページ
スキ