みつくりSS
月の裏側
大倶利伽羅が長い前髪を掻き上げてその下に隠されている引き攣れたような傷痕を親指の腹でそっと触れると「伽羅ちゃんはそこに触るのが好きだね」光忠は小さく笑う。
「ここは俺しか触れられない場所だからな」
そう言って軽く口付けると「どうせなら口にして欲しいな」甘くねだられて白い貌 が近付いてくる。唇が触れ合い、重なる。柔らかな熱を享受し合いながら戯れに舌先を絡ませた。
「……ん……ぅ、ふ……っ、」
「……は……ん、」
唇がほどけると光忠は柔らかな鳶色の髪をくしゃりと撫でて深い色の素肌を抱き締めた。大倶利伽羅も腕を回して白皙を抱く。広い背を撫でると指先に引っ掻き傷の微細なおうとつを感じて「悪い、あんたに怪我させた」眉を曇らせた。抱かれている間は無我夢中で気がつかなかったが、思い切り引っ掻いてしまったらしい。普段から爪は短く整えるようにしているが、処理の仕方が甘かったのかもしれない。だが光忠は気にした様子はまるでない。
「これくらい何ともないよ。それにこういう色っぽい傷なら大歓迎だ。伽羅ちゃんの方こそ躰は大丈夫かい?」
「大事ない。あんたに優しくして貰ったからな」
先程までたくさん気持ち良くして貰っていたのを思い出して耳が熱くなる。深く潤んだ隻眼がきゅうと細められて朱に染まった形の佳い耳の表面を白い指先が撫でていく。睦み合った後の気怠いような甘い雰囲気に微睡みながら「……月の裏側」ぽつりと大倶利伽羅は呟いた。
「月の裏側?」
「昼間、三日月宗近があんたの眼帯の下のことをそう言っていた」
不思議そうに瞳を瞬かせる光忠に大倶利伽羅は説明する。
「おやつ時に集まっていた連中があんたの眼帯の下は一体どうなっているのかと話題にしていた」
――燭台切さんの眼帯の下ってどうなってるのかな?
そう言ったのは確か秋田だ。
当時、話の俎上にあがっていたのは同席していた鬼丸国綱に関することで、眼帯をしていて戦や日常生活で不便ではないのか、左眼はどうなっているのか、良ければ見せて欲しいと質問攻めに遭っていた。鬼丸は同派の短刀達を煩わしそうにしながらも「確かめたくば、おれと手合わせをして毟り取ってみるんだ」そう嘯 いていた。
「眼帯と言えば、燭台切の旦那もしてるよな」
「鬼丸さんといい、燭台切さんといい、良く片眼で戦えるよね。片眼だと距離感とか上手く掴めなくなりそう。視野も狭くなるし」
薬研がおやつの柏餅を食べながら言うのを乱が頷きながら応じる。
「まあ慣れと言えばそれまでだがな」
鬼丸は事もなげに告げて茶を口にする。
「燭台切さんはこの本丸に長くいるけれど眼帯の下がどうなっているか一度も見たことがないんですよね」
確かに――秋田の言葉に座卓を囲んでいた全振りが首肯する。そこで出たのが冒頭の疑問だった。
厨番が多い光忠は朝が早いせいもあって他の刀が起き出す頃には既に身なりを整えた姿でいるし、風呂を使う時間も遅い。大所帯故に何となく風呂に入る順番も決まっているから、この場にいる刀達は風呂が一緒になることもなかった。事情は他の刀も同じである。恐らく良くつるんでいる太鼓鐘すら彼の右眼がどうなっているのか知らないのではないか。
「俺の封印されし右眼が疼く! ――とか?」
ふざける乱に対して薬研は生真面目な顔で言う。
「なるほど、邪眼系か。それはともかく、眼の色が違うのはありえそうだな。にっかり青江や宗三もそうだし」
「そういえば燭台切さんの元主さんも確か眼帯してましたよね?」
「独眼竜か。そうなると奴の右眼は――」
「右眼は?」
期待に満ちた三振りの目が鬼丸に集まる。と、鬼丸は赤い瞳を僅かに見開いたあとふと口許を緩めた。
「――案外、普通なのかもな」
えぇそうかなあ鬼丸さん本当は何か知ってるんじゃないの勿体ぶってないで教えてよ何もおれは知らんぞおい乱おれの足をつつくな――そんな賑やかな声を庭に面した濡れ縁に座って大倶利伽羅が聞くともなしに聞いていると「粟田口は今日も賑やかだな」いつのまにか隣に腰掛けていた三日月が歌うように言った。
座を立とうとして、大倶利伽羅なら知っておるだろう――穏やかに話しかけられてタイミングを逸してしまった。立ち去るのを諦めて相手の顔を見ないまま問い返す。
「……何を」
「月の裏側を」
三日月は蒼穹に浮かんだ欠けた白い月を指差す。つられるように大倶利伽羅は視軸を天に放った。
「月はここからは表面 だけしか見えぬらしい。どんなに満ち欠けしようとも、どれだけ天を巡ろうともな。そして美しい表面とは違い、裏側は夥しい傷があるという」
「そんなこと、良く知っているな」
「まあじじいだからな」
それは答えになっていないのではないか――そう思ったが口には出さなかった。三日月は鶴丸と違った意味で非常にマイペースな刀だ。空惚けているかと思えば酷く真面目だったり、常に鷹揚な態度を崩さず泰然としているせいで掴みどころがなく、何を考えているのかいまいち判らない。
「はて、月の裏側とは実際にどんなものだろうな」
「……あんたも気になるのか」
「ははは、そう怖い顔をしなくても誰も取ったりはせぬよ。それに本人が見せたがらないのだから無闇に暴くこともできまい」
鬼丸もそう思ったのだからあのように言ったのだろう――三日月は茶を啜って開けられた襖を振り返る。襖の向こうからは粟田口達の賑やかな声が聞こえてくる。今度は今夜の夕餉について話しているらしい。
「月は欠けるからこそ美しい。闇があるからこそ光は輝くというもの」
「あんたが何を言っているのか判らないな」
「何、じじいの独り言だ」
そう言って三日月は朗笑したのだった。
三日月さんはものの例えが上手だなあ――大倶利伽羅から一連の出来事を聞いた光忠はそんな感想を洩らした。
「あんたは本当に月みたいだからな。くるくる表情が変わるし、瞳も満月が燃えているようで美しいし、容姿そのものも麗しいからな」
想いが通じあった時、やっと焦がれていた月に手に届いたと思ったものだ。
「そんなに褒められると何だか照れちゃうね」
光忠は含羞むように笑うと「それにしても皆僕の眼帯の下がどうなっているか気になっているなんて驚いたよ」微苦笑する。――こんな傷痕を見たってどうしようもないのに。
「そのうち見せてくれと粟田口の短刀からせがまれるかもしれないぞ」
「そうだとしても見せるつもりはないけれどね」
伽羅ちゃん以外はね――褐色の手を取って頬擦りする。と、塞がれた瞼の上を優しく指先がなぞった。
――俺の、俺だけの、月の。
大倶利伽羅はそうかと眦を和らげて頷くと間近にある唇に口付けた。
(了)
大倶利伽羅が長い前髪を掻き上げてその下に隠されている引き攣れたような傷痕を親指の腹でそっと触れると「伽羅ちゃんはそこに触るのが好きだね」光忠は小さく笑う。
「ここは俺しか触れられない場所だからな」
そう言って軽く口付けると「どうせなら口にして欲しいな」甘くねだられて白い
「……ん……ぅ、ふ……っ、」
「……は……ん、」
唇がほどけると光忠は柔らかな鳶色の髪をくしゃりと撫でて深い色の素肌を抱き締めた。大倶利伽羅も腕を回して白皙を抱く。広い背を撫でると指先に引っ掻き傷の微細なおうとつを感じて「悪い、あんたに怪我させた」眉を曇らせた。抱かれている間は無我夢中で気がつかなかったが、思い切り引っ掻いてしまったらしい。普段から爪は短く整えるようにしているが、処理の仕方が甘かったのかもしれない。だが光忠は気にした様子はまるでない。
「これくらい何ともないよ。それにこういう色っぽい傷なら大歓迎だ。伽羅ちゃんの方こそ躰は大丈夫かい?」
「大事ない。あんたに優しくして貰ったからな」
先程までたくさん気持ち良くして貰っていたのを思い出して耳が熱くなる。深く潤んだ隻眼がきゅうと細められて朱に染まった形の佳い耳の表面を白い指先が撫でていく。睦み合った後の気怠いような甘い雰囲気に微睡みながら「……月の裏側」ぽつりと大倶利伽羅は呟いた。
「月の裏側?」
「昼間、三日月宗近があんたの眼帯の下のことをそう言っていた」
不思議そうに瞳を瞬かせる光忠に大倶利伽羅は説明する。
「おやつ時に集まっていた連中があんたの眼帯の下は一体どうなっているのかと話題にしていた」
――燭台切さんの眼帯の下ってどうなってるのかな?
そう言ったのは確か秋田だ。
当時、話の俎上にあがっていたのは同席していた鬼丸国綱に関することで、眼帯をしていて戦や日常生活で不便ではないのか、左眼はどうなっているのか、良ければ見せて欲しいと質問攻めに遭っていた。鬼丸は同派の短刀達を煩わしそうにしながらも「確かめたくば、おれと手合わせをして毟り取ってみるんだ」そう
「眼帯と言えば、燭台切の旦那もしてるよな」
「鬼丸さんといい、燭台切さんといい、良く片眼で戦えるよね。片眼だと距離感とか上手く掴めなくなりそう。視野も狭くなるし」
薬研がおやつの柏餅を食べながら言うのを乱が頷きながら応じる。
「まあ慣れと言えばそれまでだがな」
鬼丸は事もなげに告げて茶を口にする。
「燭台切さんはこの本丸に長くいるけれど眼帯の下がどうなっているか一度も見たことがないんですよね」
確かに――秋田の言葉に座卓を囲んでいた全振りが首肯する。そこで出たのが冒頭の疑問だった。
厨番が多い光忠は朝が早いせいもあって他の刀が起き出す頃には既に身なりを整えた姿でいるし、風呂を使う時間も遅い。大所帯故に何となく風呂に入る順番も決まっているから、この場にいる刀達は風呂が一緒になることもなかった。事情は他の刀も同じである。恐らく良くつるんでいる太鼓鐘すら彼の右眼がどうなっているのか知らないのではないか。
「俺の封印されし右眼が疼く! ――とか?」
ふざける乱に対して薬研は生真面目な顔で言う。
「なるほど、邪眼系か。それはともかく、眼の色が違うのはありえそうだな。にっかり青江や宗三もそうだし」
「そういえば燭台切さんの元主さんも確か眼帯してましたよね?」
「独眼竜か。そうなると奴の右眼は――」
「右眼は?」
期待に満ちた三振りの目が鬼丸に集まる。と、鬼丸は赤い瞳を僅かに見開いたあとふと口許を緩めた。
「――案外、普通なのかもな」
えぇそうかなあ鬼丸さん本当は何か知ってるんじゃないの勿体ぶってないで教えてよ何もおれは知らんぞおい乱おれの足をつつくな――そんな賑やかな声を庭に面した濡れ縁に座って大倶利伽羅が聞くともなしに聞いていると「粟田口は今日も賑やかだな」いつのまにか隣に腰掛けていた三日月が歌うように言った。
座を立とうとして、大倶利伽羅なら知っておるだろう――穏やかに話しかけられてタイミングを逸してしまった。立ち去るのを諦めて相手の顔を見ないまま問い返す。
「……何を」
「月の裏側を」
三日月は蒼穹に浮かんだ欠けた白い月を指差す。つられるように大倶利伽羅は視軸を天に放った。
「月はここからは
「そんなこと、良く知っているな」
「まあじじいだからな」
それは答えになっていないのではないか――そう思ったが口には出さなかった。三日月は鶴丸と違った意味で非常にマイペースな刀だ。空惚けているかと思えば酷く真面目だったり、常に鷹揚な態度を崩さず泰然としているせいで掴みどころがなく、何を考えているのかいまいち判らない。
「はて、月の裏側とは実際にどんなものだろうな」
「……あんたも気になるのか」
「ははは、そう怖い顔をしなくても誰も取ったりはせぬよ。それに本人が見せたがらないのだから無闇に暴くこともできまい」
鬼丸もそう思ったのだからあのように言ったのだろう――三日月は茶を啜って開けられた襖を振り返る。襖の向こうからは粟田口達の賑やかな声が聞こえてくる。今度は今夜の夕餉について話しているらしい。
「月は欠けるからこそ美しい。闇があるからこそ光は輝くというもの」
「あんたが何を言っているのか判らないな」
「何、じじいの独り言だ」
そう言って三日月は朗笑したのだった。
三日月さんはものの例えが上手だなあ――大倶利伽羅から一連の出来事を聞いた光忠はそんな感想を洩らした。
「あんたは本当に月みたいだからな。くるくる表情が変わるし、瞳も満月が燃えているようで美しいし、容姿そのものも麗しいからな」
想いが通じあった時、やっと焦がれていた月に手に届いたと思ったものだ。
「そんなに褒められると何だか照れちゃうね」
光忠は含羞むように笑うと「それにしても皆僕の眼帯の下がどうなっているか気になっているなんて驚いたよ」微苦笑する。――こんな傷痕を見たってどうしようもないのに。
「そのうち見せてくれと粟田口の短刀からせがまれるかもしれないぞ」
「そうだとしても見せるつもりはないけれどね」
伽羅ちゃん以外はね――褐色の手を取って頬擦りする。と、塞がれた瞼の上を優しく指先がなぞった。
――俺の、俺だけの、月の。
大倶利伽羅はそうかと眦を和らげて頷くと間近にある唇に口付けた。
(了)