みつくりSS

突然の出逢いはスーパーマーケットで

 俺は相州広光である。大学二年生。しがないスーパーのアルバイト店員だ。時給千百円。もう少し賃金の高いところに転職したいが、自宅から近いので我慢している。
 そんな俺は今、絶賛職務中である。スーパーの店員としてデイリー棚――日配品の乳製品コーナーの棚整理をしているのだ。賞味期限が近いものを手前に置いて、明日賞味期限がくる品物に半額値引きのシールを貼っていく。シールが貼られるとすぐ買い物客の手が伸びて来て買い物かごへ入れられる。ちらと背後を振り返ると大抵、半額シール待ちの客が所在なげに立っていて、目当ての商品にシールが貼られるのを今か今かと待っている。いつもの光景だ。
 シールを貼り終えて少し移動する。乱立する牛乳パックを整理して半額値引きシールを貼り、次は飲むヨーグルトのパックにかかる。
 棚の隙具合を見るとヨーグルトの売上が頗る良いのが判る。恐らく時期的なものだろう。花粉症には腸内環境を整えると良いとかなんとか、耳にしたことがある。幸い俺は花粉症ではないから、日頃ヨーグルトを食べる機会はあまりない。だが、それも一週間前までの話。
 ずらりと並んだ飲むヨーグルトの九九〇ミリリットルのパックを前にして思わずにやけた。俺の推しがいるから。
 商品を整理するふりをしてしげしげと眺め、見詰める。今日も俺の推しは最高に格好良い。黒髪に整った白い顔立ちの、黒い戦装束を纏った燭台切光忠。それが俺の最推しの二次元キャラクターだった。
 燭台切光忠とはその名前が示す通り、刀剣をモチーフにしたゲームキャラクターである。普段ゲームをしない俺はまるで知らなかったのだが、そのゲームはかなり人気があり、なんと今年で十周年という歴史を持つ。メディアミックスも豊富で漫画、アニメ、小説から舞台やミュージカル、映画までと手広い。当然、元ネタとなった刀剣の展示会とのコラボレーションも多い。
 俺がそのゲームをプレイしたきっかけは同じ大学に通う友人の一言だった。
「この大倶利伽羅っていうキャラ、なんか広光に似てねぇ?」
 そう言って見せられたスマホの画面には褐色の肌の青年がいた。左腕の龍の彫り物が特徴的だった。
 確かに肌の色や目の色は似てると思う。だが顔立ちはどうだろうか。こんなに整ってはいないと思う。俺がそう言うと彼は「そうかなあ? 結構似てると思うけど。広光、イケメンだって同じ学部の女子が騒いでるし。それに声の感じとか、あんまり人とつるまない性格とかさ。結構、てか、かなり似てるよ」制作会社密かにお前のことモデルにでもしてたんじゃねーの? ――彼は面白がって笑った。勿論、モデル云々はありえない。俺が「別に似てない」と否定すると「広光もやってみなよ。結構面白いよ、これ。簡単なゲームで無課金でも遊べるし」そう言って勧めてきたのだ。
 そこまで言われたら気になるのが人情というもので、俺は早速ゲームアプリを入れてプレイしてみた。
 友人が言う通り、思っていたよりずっとシンプルなゲームで、刀剣男士なるキャラクターを六人一組自由に編成して敵を倒していくものだった。事前知識が無かったので初期刀には歌仙兼定を選んだ。理由は特にない。何となくだ。
 友人が俺に似ていると言ったキャラは初めから所持しているわけではなく、鍛刀するかゲームを進めてドロップで入手するしかないそうで、ひとまず鍛刀というものをしてみた。所謂ガチャというやつだ。刀剣モチーフのゲームらしく、鍛刀をするにも木炭、玉鋼、冷却材、砥石という四種類の素材が必要で、それぞれの組み合わせによって出るキャラクターも違うらしい。良く判らないまま、適当な数値で資源を投入し、鍛刀してみたら。
 鍛刀時間、三時間。
 この鍛刀時間が長いほどレアキャラらしいことは後で知ったのだが、三時間も待つのは嫌だったので手伝い札というものを使った。この札を使うと待つことなく鍛刀や手入れができるのだ。
 桜の花が一輪落ちるムービーを挟んで表示されたのが。
『僕は、燭台切光忠。青銅の燭台だって切れるんだよ。……うーん、やっぱり格好つかないな』
 俺はそのヴィジュアルとボイスに、一瞬で落ちた。
 それからというもの、俺は時間さえあればゲームをプレイした。燭台切光忠を第一部隊長において出陣しまくった。彼が顕現してから三週間で特レベルをマックスまでもっていき、短刀から修行に出して育てた方が良いというセオリーをガン無視して即彼を修行に出した。九十六時間経て帰城した極の燭台切光忠も文句なしに、最高に格好良かった。
 毎日ゲームにログインしてせっせとプレイし、経験値を積み上げ、時には課金し、資源を集め、限定キャラの鍛刀期間が来れば迎えるまで鍛刀し、景趣、軽装、祝装なども少しずつ収集していく。
 くだんの大倶利伽羅という刀剣男士も鍛刀で入手した。燭台切光忠の次にやってきたのが彼だったのだ。確かに声は少し似ているかもしれない。だが顔や性格はどうか。人とべたべたつるんでバカ騒ぎするのは好みではないし、独りで静かに過ごすことは好きだか、流石にここまで無愛想ではない……と思う。それはそれとして、大倶利伽羅も格好良いキャラだと思う。最推しと元主繋がりがあるのは何となく嬉しい。
 ゲームにすっかりはまってしまった俺はグッズも欲しくなってネットで探し回った。勿論買うのは燭台切光忠のグッズだ。はまるのが遅かったせいで買えないものも多かったが、それでも毎月にのように色々なグッズが出るし、有難いことに過去のグッズの再販もあって、俺は嬉々として財布の紐を緩めて――というか最早紐すらないガバガバ状態で――燭台切光忠に貢いだ。いや、貢いだ先は販売会社だが。しかし気持ち的には彼に貢いでいる感覚だった。俺は光忠が好きなのだ。だって頗る格好良いのだ。見た目も中身も(中身についてはアニメを見て知った)。真のイケメンとは彼のことをいうのだ。俺はそう信じて疑わない。俺のことをイケメンだなんだと言う奴もいるらしいが、光忠に比べたら俺は全然イケメンなんかじゃない。凡庸そのものだ。
 毎日ゲームをして楽しみ、自宅では燭台切光忠のグッズに囲まれ、そしてこのバイト先でも光忠が拝める日がこようとは思わかった。
 俺は飲むヨーグルトのパックを丁寧に、綺麗に美しく並べ直していく。刀剣男士十振りも揃うと壮観だ。華やかだし、目立つ。販促力も増すというものだ。
 パッケージデザインに使用されているのは燭台切光忠の他に、三日月宗近、にっかり青江、豊前江、薬研藤四郎、へし切長谷部、山姥切国広、小狐丸、加州清光、大倶利伽羅の十振り。味とイメージカラーでそれぞれ振り分けられており、光忠はプレーンの青だ。大倶利伽羅は赤で苺。苺か……なんというか、随分可愛らしいな。
 光忠の隣に大倶利伽羅のパッケージを並べる。他意はない。一応。
 まだ家の冷蔵庫に一パックあるが、明日辺りにでももう一パック買うつもりだ。勿論、光忠のパッケージのものを。一人暮らしなので飲み切るのが大変だが、これも推しのためだ。俺が大量に彼のパッケージデザインのヨーグルトを買ったとしても、貢献しているのは光忠自身ではなくて、製造会社なのだが。それでも買ってしまう。できることならこの棚に並んでいる光忠を買い占めたいくらいだ。だって好きなのだ。だから空になったパックも捨てられずにいる。洗って棚に並べてあるのだ。
「今日も光忠は格好良いな」
 ぼそりと呟くと「あの、すいません」声をかけられて振り返った。「いらっしゃいませ」も「すみません」も、言えなかった。俺は反射的に叫んでしまった。
「光忠!?」
「え!?」
 俺の目の前には燭台切光忠そっくりの、寧ろそのままゲームから抜け出てきたかのような男が立っていたのだ。黒髪に整った白い顔立ち、金眼。
 会社帰りらしい黒スーツに身を包んだ高身長の男は酷く驚いた顔で俺を見ていた。ものもらいでも患っているのか、これまたゲーム通りに右眼は白い眼帯で覆われている。
「あ、いや、すみません。えっと、」
「棚の商品を取りたいんですけど……」 
「ああすみません、邪魔でしたね」
 慌てて飲むヨーグルトの前から退くと光忠そっくりの男はどこか躊躇いがちに商品を手に取った。大倶利伽羅のパッケージの飲むヨーグルトを、一本。こんなふうに客を見るのは良くないと判っていたが、見るなという方が無理だ。物凄いイケメンの、それも俺の最推しにそっくりの男が目の前にいるのだ。閉店が近いので買い物客はあまり多くないが、これが昼間だったら大勢の衆目を集めるに違いない。
 俺がぼうっと彼を見ていると「あの、」遠慮がちに話かけられた。なんだか声まで光忠に似ている。程よい低音の、柔らかい声音。そう思ったら急に心臓がドキドキしてくる。胸が苦しい。
「はい、何かお探しでしょうか?」
 声が震えそうになるのを、どうにか抑えて冷静を保つ。
「こんなこと突然言うのも失礼だと判っているんですが、このキャラクターに似てるって言われたことはありませんか?」
 彼はそう言ってカゴに入れた飲むヨーグルトのパッケージを指さす。
「はあ、まあ……ありますけど、」
 すると黒スーツの男はどこかほっとしたように表情を和らげて「ああ、やっぱり。僕もずっとそう思ってて」砕けた口調で話しだす。
「君、S大の学生さんだろう? 週に何度か朝の電車内で見かけるんだ。君、格好良いから目立つし、それにこのキャラクターにそっくりだから、」
 それから彼は少し慌てたように懐を漁って「これじゃあまるきり不審者だね。僕はこういう者です」取り出した小さな紙片を俺に手渡した。名刺には勤めている社名と肩書き、名前、連絡先が記されていた。名前を見て二度驚いた。――長船光忠。長船って。しかも光忠。
「……お客さんも、あのゲームのキャラクターに似てるって言われませんか?」
 思い切って訊ねてみると男は少し困惑したような顔色で頷いた。
「実はそうなんだよね。最近まで全然あのゲームのことは知らなかったんだけど、会社の後輩の子がそう話してるのを偶然耳にして。ちょっと気になって調べたら、確かに少しだけ似てるかなって。名前も似てるというか、下の名前が同じだし」
 せっかくだからどんなものか試しにプレイしてみたところ、すっかりはまってしまったらしい。だからこうして今もコラボ商品を買っているのだろう。
「推しキャラは大倶利伽羅ですか?」
「うん、そう。流石に大っぴらには言えないけれどね。いい歳した大人が二次元のキャラクターにはまってるのはちょっと恥ずかしくて……」
「俺もそのゲーム、やってます」
「え」
「最推しは燭台切光忠。見た目も中身も良い」
 すると長船光忠と名乗る男は驚きながらもどこか嬉しそうに笑った。その笑顔があんまりにも綺麗で美しくて格好良いので。心臓が、壊れた。
 光忠が笑ってる。
 俺の目の前で。
 もっと、彼と話したい。もっと、彼のことが知りたい。もっと、たくさん。色んなことを。
 そう思って話しかけようとした時。
 ――三番レジ応援をお願いします。
 無情にも店内放送が入った。そういえばバイト中だったんだ、俺は。
「すみません、俺レジに行かないと、」
「こちらこそお仕事の邪魔してごめんね。ずっと君と話してみたかったから、話せて嬉しかったよ。どうもありがとう」
 それじゃあと立ち去ろうとする彼に、俺は急いで制服のエプロンのポケットからメモ帳を取り出し、一枚紙を切り取ると、名前と連絡先を書いて差し出した。
「もっと色々話したい」
 最推しにそっくりの男は一瞬、金色の瞳を瞬かせてメモ紙を一瞥すると、ふと目許を和らげて受け取った。
「オーケー、じゃあ後で連絡するね」
 広光君お仕事頑張ってね――大事そうにメモ紙を懐に仕舞うと、にこりと微笑んで精肉コーナーへと立ち去っていった。俺は少しの間その背中をぼんやりと見詰めていた。
「……か、格好良かった……!」
 小声で叫んでその場にうずくる。駄目だ、立てない。早くレジに行かなければならないのに。
 しかも、光忠からちょっと良い匂いがした。あの香りはなんだろう? 少し甘い匂い。思い出して急激に全身が熱くなる。頭がのぼせて視界が揺れる。
 最推しは現実にいた。本当に、いた。三次元で実在していた。光忠。長船光忠。奇跡のイケメン。見た目も声も、多分中身すらも。
 本当に本当に、これは、俺は、俺は、俺は……!
「光忠好きだ……ッ!」
 小声で叫びながら現実で出逢ってしまった最推しの笑顔を噛み締めていた。

(了)
 
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