みつくりSS

烏玉の、

 光を受けて眼裏まなうらが赤くなる。朝か――睡りの淵からぼんやりと浮上する意識で思って大倶利伽羅は薄く瞼を開いた。
「おはよう、伽羅ちゃん」
 聞き慣れた声音に引っ張られるようにしてああおはよう――そう言いかけて絶句した。蟠っていた眠気が一気に吹き飛んだ。
「光忠、あんたそれ、」
 瞠目する視線の先で隻眼が困ったように眉尻を下げる。
「僕も起きてびっくりしたよ。何だか懐かしい夢を見たと思ったら、こうなってるんだもの」
 大倶利伽羅が驚くのも無理もない。一体どういうわけなのか、光忠の短い漆黒の髪がぞろりと長く伸びていた。
「他は? あんた躰は大丈夫なのか?」
 明らかに動揺している大倶利伽羅に対して光忠は「ただ髪の毛が伸びただけだよ。心配しないで」落ち着きを払って告げる。たがそう言われても素直に頷くことはできない。一晩で突然髪が伸びたのだ。何らかの異常が生じているに違いない。とにかく主に報告へ、と布団から起き上がって部屋を出て行こうとする大倶利伽羅を光忠は手を掴んで押し止めた。
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ」
「いや、しかし……、あんた何でそんなに冷静なんだ、」
「こうなるは初めてじゃないんだ」
「え?」
 光忠の言葉にふと躰の力が抜ける。――何だって? 初めてじゃないだと?
「まだ伽羅ちゃんがここへ来る前にも同じことがあったんだ」
「そう……なのか……でもなぜ……?」
 訝しみながら布団の上に腰を降ろして胡座をかく。
「多分夢のせいだと思う」
「夢?」
 先程光忠は懐かしい夢を見たと言っていた。大倶利伽羅が鸚鵡おうむ返しに問うと隻眼は小さく頷いてどこか遠くを見るような目付きで夢の内容を語り出す。
「政宗公とね、縁側で将棋をさしてるんだ。陽射しがとても暖かくて、庭には花が咲いてて……多分、鶯かな。鳥のさえずりも聞こえたよ。政宗公と他愛もない話をしながら対局して、でも僕は一局も勝てなくてね。彼は最後呆れながら、どれ私が燭台切に手解きをしてやろう、なんて子供みたいに笑ってた」
 勿論、実際に元主とそんなやりとりをしたことは一度もない。付喪神であった光忠の姿を政宗公がその眼に映すことはなかった。ただ刀である燭台切光忠を見ていただけだ。物として、戦の道具として。
「あんまり懐かしくて嬉しかったから、多分夢に僕の気持ちが強く引っ張られちゃったのかもね」
 付喪神だった頃の僕は髪が長かったから――光忠は淡く微笑む。
「確かに、あの頃のあんたは髪が長かったな」
 大倶利伽羅も良く憶えている。仙台藩に共にあった頃、いつかその艶のある烏玉ぬばたまの髪へ触れたいとずっと焦がれていた。付喪神の身ではついぞ叶わぬままだった。だけど、今は。
「髪に触れて良いか」
「え、うん、」
 大倶利伽羅は手を伸ばし、背中まである漆黒の髪に触れた。こしがあるさらりとした手触りは普段と変わらない。深い色のために青みを帯びた黒色こくしょくは澄明な夜空のようでもある。これほど美しい黒は見たことがない。何ものにも染まらない色。端正な漆黒。鮮やかな黒。燭台切光忠に一等相応しい。この色が好きだと思う。長い髪を手に取って軽く口付ける。あの頃は赦されなかった行為。
「昔から思っていたが、長い髪のあんたも美しいな」
「そんなに好きかい?」
 光忠は微かに含羞む。
「ああ、切ってしまうのが惜しいくらいだ」
「それじゃあ――」
 このまま抱いてあげようか――とん、と布団の上に押し倒され、烏玉のとばりが降りる。射し込む旭日が遮られて夜になる。大倶利伽羅を見下ろす瞳が金色こんじきに燃えている。満月がすぐそこに、ある。
 褐色の手を伸ばし白いかんばせに触れた。
「ああ、ぜひそうしてくれ――」
 大倶利伽羅は密やかに囁いて目を閉じ、月夜の口付けを待った。

(了)
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