みつくりSS
偽的不眠症
敷いた布団の上に身を立てて大倶利伽羅は隣を窺う。光忠は小さな寝息を立てて眠っていた。羽根布団を顎下まで引き上げた寝姿は彼らしい。やたら寝相が良いのだ。枕元には明日袖を通す内番着、手袋、眼帯が揃えられており、その点を見ても燭台切光忠という刀の折り目正しさが知れた。
薄青い闇に満たされた室内に微かに響く時計の針の音が静寂を深める中、ちらと壁に掛けられた柱時計に視軸を転じると布団に入ってからまだ二時間ほどしか経っていなかった。光忠は寝起きも良ければ寝付きも良いらしい。実に健康的なことである。
光忠、と小さく呼んでみる。すると閉じていた白い瞼が慄 えて薄く開いた。醒めきらない金眼の視線が惑う。と、大倶利伽羅の姿を捉えて「伽羅ちゃんどうしたの……」少し掠れた声が問うた。
「起こして悪い。どうにも寝付けなくてな」
「また?」
光忠は瞳を瞬かせると君の不眠も困ったものだね――我が事のように表情を曇らせる。
大倶利伽羅が寝付けないと悩んでいるのはこれが初めてではない。かれこれ二ヶ月は経つだろうか。主に相談してみても医術の心得がある薬研から眠り薬を貰ってみてもどうにも芳しくない。 不眠や寝不足が躰に与える影響は甚大だ。戦は勿論、日常生活にも支障をきたす。そんな状況をいつまでも放っておくにはいかない。――なので。
「僕の布団にくるかい?」
光忠が布団を捲ると大倶利伽羅は「いつも悪いな」しおらしく謝罪を口にしながら長身の隣へ身を横たえた。
どういうわけなのか大倶利伽羅は光忠と共寝すると良く眠れるという。独りを好むはずの彼ならば他者の気配は煩わしいだけのように思うのだが違うらしい。光忠はそんな大倶利伽羅を些か奇異に思いつつも彼がそれで眠れるなら、と今のように自らの布団に招き入れてやるのだった。
お互いに布団からはみ出ないように横臥して身を寄せ合う。そうしながら光忠はあまり大倶利伽羅の躰に触れないようにとどうにかして距離を取ろうとするが、如何せん独り寝用の寝具である。意図せずとも躰が密着してしまう。
「伽羅ちゃん大丈夫? 眠れそう?」
「ああ、大丈夫だ。あんたの布団の中は温いな」
大倶利伽羅はほっと息を吐く。温かくて良い匂いがする――さりげなく身動 ぎして光忠との距離を詰め、至近距離にある白い貌 を不自然にならない程度に見詰める。いつ見ても綺麗な顔だと思う。
「寒くて寝付けないのかな。まだ朝晩は冷えるしね。湯たんぽとか使ってみると良いかもね。明日買い物ついでに万屋で買ってるよ」
そんなものは必要ない――とは言えず、大倶利伽羅は短く頷いた。
「おやすみ、伽羅ちゃん」
「起こして悪かった。――おやすみ、光忠」
目を閉じて暫くしてから大倶利伽羅はそっと瞼を持ち上げた。寝入っているかどうか、気配を探ってから無造作に置かれた白い手に触れる。握り返されることのない大きな手を恋しく思いながら、一体いつまで自分はこんな愚かなことを繰り返すのかと後ろめたさに頭を抱えたくなった。
寝付けないというのは嘘だ。否、最初の二、三回は本当だった。どうにも上手く寝付けなくていたらふと目を醒ました光忠が「じゃあ一緒に寝るかい?」本気とも冗談ともつかない口調で言ったので、ものは試しに――とばかりに大倶利伽羅は彼の布団で共寝をしたのだ。何が良かったのかは不明だが効果覿面 。それで大倶利伽羅は味をしめてしまったのだ――快眠の方ではなく、光忠と共寝をするということに対して。彼に惚れているが故に。
いつからなんてもう憶えていない。顕現した時にはもう光忠のことが好きだった。しかし自分の気持ちをどう扱って良いのか大倶利伽羅には判らなかった。好きだと叫び出したい時もあれば、光忠を前にして逃げ出したいような衝動に駆られることもあった。それから今のように傍にいたいという気持ちも。
一匹竜王と称される大倶利伽羅が人知れず片恋の懊悩を抱えているなど一体誰が想像しよう。目の前にいる光忠すら想像を絶するに違いない。
光忠の優しさにつけ込んで良いように利用している――嵩張っていく罪悪感と恋情に引き裂かれながら、それでも彼の傍から離れられずにいた。
音もなく「好きだ」と唇を動かして再び目を閉じた。
◆◆◆
穏やかな寝顔を晒す大倶利伽羅を眺める。こんな可愛い寝顔しちゃって――光忠は小さく微苦笑を洩らしながらそっと耳にかかる柔らかな髪に触れた。と、むずがるように大倶利伽羅の眉根が寄せられたかと思うと甘えるように光忠の胸元に顔をうずめてくる。途端に心臓が乱れて大きく鳴った。宥めようにも動悸はすぐに鎮まらず、伽羅ちゃんに聞こえたらどうしよう――柄にもなく狼狽えてしまう。
参ったなと苦く思いつつも、自分が撒いた種である。大倶利伽羅には何の責任も罪もなく、それどころか助けが必要なのだ。困っている彼につけこんだ己が完全に悪い。
恐る恐る片腕を伸ばして寝入っている彼の背を柔く抱く。今ここで伽羅ちゃんが目を醒ましたらなんて釈明をしたら良いのだろう――光忠は緊張に鈍る思考で必死に考えた末、絞り出したのは「寝惚けてた」。これでいくしかない。そう思ったら少し気が楽になる。
ちらと壁に掛けられた柱時計を一瞥する。まだ夜明けまで遠い時間だったが、眠れそうにもない。
「君が僕の本当の気持ちを知ったら、どう思うのかなあ」
大倶利伽羅が寝付けないと言った時、光忠は半ば冗談めかして「じゃあ一緒に寝るかい?」と申し出たが、それは下心ありきだった。どんな理由であれ、惚れた相手とひとつの布団に収まることは光忠にとって無上の喜びだった。また彼に必要とされ、頼られることも嬉しかった。
しかし実際共寝してみて、これは理性との闘いであることを知った。安心して無防備な寝姿を晒している大倶利伽羅の信頼を裏切ることはできなかったし、したくはない。けれど好きな相手が目の前にいて一切手出しができないは想像以上の苦行で、なるほどこれが煩悩というものかと妙な感動を憶えたくらいだ。山伏のようにこれもまた修行だと己に言い聞かせているものの、いつまで持つか判らない。その癖、共寝をやめるのは寂しく思うのだから全く勝手なものだと呆れてしまう。恋というのは総じて頭をおかしくさせるものらしい。
光忠は鳶色の頭髪に鼻先を入れてすんと嗅ぐ。微かに香る清潔な匂いは花のような甘さがあり、まるで春のようだと思う。麗しい、春三番。
顕現して本丸で再会し、共に過ごすうちに大倶利伽羅に惹かれるようになった。戦で見せる勇猛果敢な姿は勿論、馴れ合うつもりはないと言いながらさりげなく示す優しさややるべきことはきちんとこなす生真面目さも光忠の気に入るところだった。その名に相応しい凛とした佇まいや容姿も美しいと思った。もっと近くで、一番近くで、愛でて触れたいと切望した。
「湯たんぽを使うんじゃなくて、明日からも僕の布団においでよ」
ねぇ伽羅ちゃん――安らかな寝顔を覗き込んで光忠は囁いた。
(了)
敷いた布団の上に身を立てて大倶利伽羅は隣を窺う。光忠は小さな寝息を立てて眠っていた。羽根布団を顎下まで引き上げた寝姿は彼らしい。やたら寝相が良いのだ。枕元には明日袖を通す内番着、手袋、眼帯が揃えられており、その点を見ても燭台切光忠という刀の折り目正しさが知れた。
薄青い闇に満たされた室内に微かに響く時計の針の音が静寂を深める中、ちらと壁に掛けられた柱時計に視軸を転じると布団に入ってからまだ二時間ほどしか経っていなかった。光忠は寝起きも良ければ寝付きも良いらしい。実に健康的なことである。
光忠、と小さく呼んでみる。すると閉じていた白い瞼が
「起こして悪い。どうにも寝付けなくてな」
「また?」
光忠は瞳を瞬かせると君の不眠も困ったものだね――我が事のように表情を曇らせる。
大倶利伽羅が寝付けないと悩んでいるのはこれが初めてではない。かれこれ二ヶ月は経つだろうか。主に相談してみても医術の心得がある薬研から眠り薬を貰ってみてもどうにも芳しくない。 不眠や寝不足が躰に与える影響は甚大だ。戦は勿論、日常生活にも支障をきたす。そんな状況をいつまでも放っておくにはいかない。――なので。
「僕の布団にくるかい?」
光忠が布団を捲ると大倶利伽羅は「いつも悪いな」しおらしく謝罪を口にしながら長身の隣へ身を横たえた。
どういうわけなのか大倶利伽羅は光忠と共寝すると良く眠れるという。独りを好むはずの彼ならば他者の気配は煩わしいだけのように思うのだが違うらしい。光忠はそんな大倶利伽羅を些か奇異に思いつつも彼がそれで眠れるなら、と今のように自らの布団に招き入れてやるのだった。
お互いに布団からはみ出ないように横臥して身を寄せ合う。そうしながら光忠はあまり大倶利伽羅の躰に触れないようにとどうにかして距離を取ろうとするが、如何せん独り寝用の寝具である。意図せずとも躰が密着してしまう。
「伽羅ちゃん大丈夫? 眠れそう?」
「ああ、大丈夫だ。あんたの布団の中は温いな」
大倶利伽羅はほっと息を吐く。温かくて良い匂いがする――さりげなく
「寒くて寝付けないのかな。まだ朝晩は冷えるしね。湯たんぽとか使ってみると良いかもね。明日買い物ついでに万屋で買ってるよ」
そんなものは必要ない――とは言えず、大倶利伽羅は短く頷いた。
「おやすみ、伽羅ちゃん」
「起こして悪かった。――おやすみ、光忠」
目を閉じて暫くしてから大倶利伽羅はそっと瞼を持ち上げた。寝入っているかどうか、気配を探ってから無造作に置かれた白い手に触れる。握り返されることのない大きな手を恋しく思いながら、一体いつまで自分はこんな愚かなことを繰り返すのかと後ろめたさに頭を抱えたくなった。
寝付けないというのは嘘だ。否、最初の二、三回は本当だった。どうにも上手く寝付けなくていたらふと目を醒ました光忠が「じゃあ一緒に寝るかい?」本気とも冗談ともつかない口調で言ったので、ものは試しに――とばかりに大倶利伽羅は彼の布団で共寝をしたのだ。何が良かったのかは不明だが効果
いつからなんてもう憶えていない。顕現した時にはもう光忠のことが好きだった。しかし自分の気持ちをどう扱って良いのか大倶利伽羅には判らなかった。好きだと叫び出したい時もあれば、光忠を前にして逃げ出したいような衝動に駆られることもあった。それから今のように傍にいたいという気持ちも。
一匹竜王と称される大倶利伽羅が人知れず片恋の懊悩を抱えているなど一体誰が想像しよう。目の前にいる光忠すら想像を絶するに違いない。
光忠の優しさにつけ込んで良いように利用している――嵩張っていく罪悪感と恋情に引き裂かれながら、それでも彼の傍から離れられずにいた。
音もなく「好きだ」と唇を動かして再び目を閉じた。
◆◆◆
穏やかな寝顔を晒す大倶利伽羅を眺める。こんな可愛い寝顔しちゃって――光忠は小さく微苦笑を洩らしながらそっと耳にかかる柔らかな髪に触れた。と、むずがるように大倶利伽羅の眉根が寄せられたかと思うと甘えるように光忠の胸元に顔をうずめてくる。途端に心臓が乱れて大きく鳴った。宥めようにも動悸はすぐに鎮まらず、伽羅ちゃんに聞こえたらどうしよう――柄にもなく狼狽えてしまう。
参ったなと苦く思いつつも、自分が撒いた種である。大倶利伽羅には何の責任も罪もなく、それどころか助けが必要なのだ。困っている彼につけこんだ己が完全に悪い。
恐る恐る片腕を伸ばして寝入っている彼の背を柔く抱く。今ここで伽羅ちゃんが目を醒ましたらなんて釈明をしたら良いのだろう――光忠は緊張に鈍る思考で必死に考えた末、絞り出したのは「寝惚けてた」。これでいくしかない。そう思ったら少し気が楽になる。
ちらと壁に掛けられた柱時計を一瞥する。まだ夜明けまで遠い時間だったが、眠れそうにもない。
「君が僕の本当の気持ちを知ったら、どう思うのかなあ」
大倶利伽羅が寝付けないと言った時、光忠は半ば冗談めかして「じゃあ一緒に寝るかい?」と申し出たが、それは下心ありきだった。どんな理由であれ、惚れた相手とひとつの布団に収まることは光忠にとって無上の喜びだった。また彼に必要とされ、頼られることも嬉しかった。
しかし実際共寝してみて、これは理性との闘いであることを知った。安心して無防備な寝姿を晒している大倶利伽羅の信頼を裏切ることはできなかったし、したくはない。けれど好きな相手が目の前にいて一切手出しができないは想像以上の苦行で、なるほどこれが煩悩というものかと妙な感動を憶えたくらいだ。山伏のようにこれもまた修行だと己に言い聞かせているものの、いつまで持つか判らない。その癖、共寝をやめるのは寂しく思うのだから全く勝手なものだと呆れてしまう。恋というのは総じて頭をおかしくさせるものらしい。
光忠は鳶色の頭髪に鼻先を入れてすんと嗅ぐ。微かに香る清潔な匂いは花のような甘さがあり、まるで春のようだと思う。麗しい、春三番。
顕現して本丸で再会し、共に過ごすうちに大倶利伽羅に惹かれるようになった。戦で見せる勇猛果敢な姿は勿論、馴れ合うつもりはないと言いながらさりげなく示す優しさややるべきことはきちんとこなす生真面目さも光忠の気に入るところだった。その名に相応しい凛とした佇まいや容姿も美しいと思った。もっと近くで、一番近くで、愛でて触れたいと切望した。
「湯たんぽを使うんじゃなくて、明日からも僕の布団においでよ」
ねぇ伽羅ちゃん――安らかな寝顔を覗き込んで光忠は囁いた。
(了)