みつくりSS

春、来たる

 僕って伽羅ちゃんに嫌われてるのかなあ――光忠が溜息混じりで呟くのを鶴丸は心底意外に思いながら聞いた。
 昼餉を終えた厨の洗い場には夥しい量の茶碗や食器類が種類別に積み重ねられている。普段あまり厨仕事に携わることの少ない鶴丸であったが、この種の作業に手慣れている歌仙や宗三が遠征で留守にしているのもあり、光忠の直々の指名で厨に立つことになったのだ。洗い物を手伝って欲しいと頼まれた時は特に疑問には思わなかったが、何か悩み事を聞いて欲しくてそれとなく自分を厨に呼んだのだろうと今になって鶴丸は悟った。
「伽羅坊となにかあったのかい?」
 あまり深刻にならないよう、気軽に訊ねてみる。浮かない顔色の光忠はそれがね――やや重たげに告げた。
「今日で十日経つけど伽羅ちゃんは顕現したばかりだろう? だから色々慣れないことがあったり困ったりしていたら手助けしたいし、遠慮なく頼って欲しいんだけど、でも伽羅ちゃんは必要ないって……僕のことを煩わしく思ってるみたいでね。それどころか、一緒におやつ食べようって誘っても俺はいいって断られちゃって。元々彼は独りで静かに過ごしたいタイプなのも判ってるけど、なんだか寂しいなって」
 せっかくまた会えたのに――眉尻を下げる光忠はこれまで鶴丸が見たこともないほどに悄気しょげかえっていた。無様な姿は見せたくないと常日頃からその振る舞いにすら気を遣っているあの光坊が、と思うとどうにかしてやりたくなってしまうのは人情というものだろう。生まれも刀派もまるで違うが、彼は身内といって過言では無い。息子や孫というには少々無理があるけれど。
「なるほどなあ。だが、それだけじゃ光坊を嫌っている証拠ではないだろう。単純に君に迷惑をかけたくないだけじゃないのかい? 光坊はいつも忙しくしてるからな」
 畑仕事や馬の世話を嫌がる者が多い中で、積極的に仕事をこなす光忠は本丸内でも重宝されている。それに加えて厨仕事も完璧にこなすのだから頼られないはずがない。仕事量が偏らないように主も取り計らってはいるものの、殊に料理を作ることに関してはそれなりに慣れが必要になってくる。光忠も簡単な料理は他の刀達に教えてはいるが、厨仕事の主戦力としての地位はこれからも変わらないだろう。尤も、光忠としては料理することは殆ど趣味のようなもので大して苦には思っていないのだが。
 光忠は鶴丸の言葉にそうかなあ? と訝しそうに首を傾げながら泡立たてたスポンジで手際よく汚れた食器類を洗っていく。悩み事があれど、厨仕事は普段通り抜かりない。泡まみれになった皿を鶴丸が水で流して清めていく。
「鶴さん、なにか聞いてない?」
「伽羅坊からか? そうだなあ……」
 のんびり言いながら思案する。
 光忠は知らない。大倶利伽羅が顕現した日、本人がいないところでどれだけ喜んでいたのかを。光忠が本当にいた――鶴丸にそう言ったのだ、大倶利伽羅は。表情こそ変化に乏しかったが、背後に満開の桜を背負っていたのを鶴丸はしかと見た。
 それもそのはずである。光忠が仙台藩から水戸藩に貰われて行った時、大倶利伽羅は随分と塞ぎ込んでいたのだから。余程光忠がいなくなったことが堪えたのだろう。貞宗も寂しそうにはしていたが、大倶利伽羅の場合はもっと深刻そうな態度であった。鶴丸はそんな彼の様子を傍から見ていて察するものがあった。そしてその予期と推測は「光忠が本当にいた」と喜びを露わにした言葉によって決定的なものになった。しかし、それは自分の口から伝えるべきことではない。大倶利伽羅が直接、光忠へ告白すべきことだ。――本当は言ってしまいたい気持ちはあるが。だが、俺が口出しして良いことではない。
 鶴丸は明るく笑いながら告げる。
「光坊のことを悪く言っているのは耳にしたことはないし、そもそも伽羅坊はそんな刀じゃない。不満があるならこそこそせずにはっきり面と向かって言う奴だ。それは君も良く知っているだろう?」
 大倶利伽羅は真っ直ぐで誠実な刀だ。光忠がそうであるように。貞宗もそうだ。伊達家伝来の刀は皆、性根が真っ直ぐで優しいのだ。自分もまたそうでありたいと鶴丸は願う。末永く皆の傍にいられるように。今の主も大事だが、長く共にあった彼等のことも鶴丸は大切に想い、親愛の情を抱いているのだった。
「まあ俺達は昔からの顔馴染みだからな。光坊が伽羅坊の態度をよそよそしく思うのは判るが、それこそ顕現したばかりなんだ。周りには色んな刀がいるから環境に馴染むのに今は手一杯なのかもしれん。少し余裕ができたらまた伽羅坊の様子も変わるだろうよ」
 鶴丸は気落ちしている光忠を慰めるように言って隣の長身に笑いかけた。と、隻眼もふと薄く笑んで「うん。そうだね、鶴さんの言う通りだ」小さく頷く。
「今は僕も無理に干渉しないでおくよ。伽羅ちゃんにも彼なりのペースがあるだろうし」
「ああ、それが良い。またなにかあればこの鶴さんに相談しな」
 大舟に乗ったつもりで、とおどけると光忠はおかしそうに笑った。それから思い出したように「今日のおやつはずんだ餅だよ。粗方下準備は終わってるけど、鶴さんも作るの手伝ってくれないかな?」と言うと見た目に反して年嵩の男は「光坊お手製のずんだ餅か。そいつは良いなあ」ついでに熱い緑茶もつけてくれと朗らかに言うのだった。

 ◆◆◆

 大倶利伽羅が空になった皿を下げに厨へ行くと見知った背中があった。こちらが口を開く前に長身が振り返り「あ、伽羅ちゃん」声をかけれて一瞬、戸惑ってしまう。
「おやつのずんだ餅はどうだったかな?」
 君の口に合ったなら良いんだけど――隻眼は窺うように大倶利伽羅を見遣る。注意深く裡側を探るような目付きに胸の裡を悟られまいと表情を引き締めて大倶利伽羅は応じた。
「ああ、美味かった」
 ご馳走様と短く伝えるとぱっと光忠の表情が華やいだ。背後にあるはずのない満開の桜が見えて大倶利伽羅は怯んだ。「美味しい」と言われたことが余程嬉しかったのか光忠は上機嫌ににこにこと笑いながら「伽羅ちゃんが来たら絶対食べさせてあげようって思って美味しいずんだ餅を作れるように練習してたんだ。気に入ってくれて本当に良かった」また作るからねと大倶利伽羅の手から皿を受け取り、流しで水に浸けた。
「……あんたはここで何をしてる」
 何となく立ち去りがたくて訊ねると「洗ったお茶碗を仕舞おうと思って。それにそろそろお米も研がなきゃだし」光忠はなんでもないように告げると先刻鶴丸と洗った食器類に残った僅かな水気を布巾で拭う。
「俺がやる」
「え、」
 大倶利伽羅の申し出に光忠は心底驚いて目を丸くする。すると「今日は非番でやることがなくて暇だからな」そんな答えが返ってくる。勿論、それは嘘ではなかったが光忠と一緒に居たいがための方便でもあった。初め光忠は恐縮したように「せっかくの休みなのにごめんね」と謝罪を口にしたが後から「とても助かるよ、どうもありがとう」にこやかに礼を告げた。大倶利伽羅はあくまでも冷淡な態度を崩さなかったが、内心は喜悦に満ちていた。単純に光忠の役に立てることが嬉しかった。
 大倶利伽羅が食器類を棚の中に片付けている横で光忠は釜に計った生米を入れて人数分の米を研ぐ。大所帯故にその量も尋常ではない。なかなかの大仕事である。
「今日の夕餉はなんだ」
 黙っているのも気詰まりに感じて大倶利伽羅が問うと「今夜は白身魚の煮付けとほうれん草の白和え、牛蒡ごぼうのきんぴら、玉葱とわかめの味噌汁だよ」食べ盛りの子にはちょっと物足りないかもしれないからデザートに苺を用意したと言う。
「伽羅ちゃんはさ、なにが食べたい? なにが好き? なんでも作るよ」
「なにって……」
 好きなものなんて決まっている。すぐそこにいるあんただ――とは言えるはずもない。彼が問うてるのはそういう意味ではないし、何より食べたいより食べられたいのだ、自分は。その唇で、その躰を使って余すことなく食べて欲しい。思考が妙な方へ流れ出す。
 昔から光忠は優しい。だから勘違いしそうになる。彼に特別な好意を持たれているのではないかと。実際は違うのに。光忠は誰に対しても分け隔てなく接する刀だ。そんな彼だからこそ大倶利伽羅は惹かれ、またどうしようもない悋気にも悩まされた。つまるところ、大倶利伽羅が光忠に「俺に構うな」と冷淡な態度を示したのは偏に恋心故だったのだ。が、今こうして光忠に対して態度を軟化さているのは鶴丸からの助言に他ならない。先程一緒に――というか、勝手に傍に寄ってきて居座られただけなのだが――おやつのずんだ餅を食しながら言われたのだ。――好意を返されて疎ましく思う者はいない、と。
「好意は花束みたいなもんさ。綺麗な花束を突然渡されたとしてその場で捨てる輩はそういないし、光坊は喜んで受け取ってくれるだろうよ」
 そんなふうに鶴丸は言って大倶利伽羅を諭した。余計な口を挟むなと思わないでもなかったが、鶴丸が自分を案じていることは判ったのでおとなしく頷いたのだった。何だかんだで鶴丸も優しいのだ。光忠も鶴丸も貞も、なぜ自分に優しくするのか不思議に思うが、しかしそんな彼等を好ましく感じているのも偽らざる気持ちだった。
「……はんばーぐとやらが食いたい。貞が美味いと言っていた」
「オーケー、任せて。明日の夕飯は腕によりをかけてハンバーグを作るよ」
「それから、」
「うん? なんだい?」
 光忠は米を研ぐ手を止めて大倶利伽羅を振り返る。彼はこちらを見ないまま淡々と告げる。
「からあげやかれーも食ってみたい。あとおむらいすも」
「伽羅ちゃんからリクエストして貰えるのは凄く嬉しいな。作りがいがあるよ」
 ――好意には好意を。光忠には綺麗な花束を。
 大倶利伽羅は意を決したように言葉を継ぐ。
「……俺は光忠が作る飯は何でも美味いと思うし、食べてみたい。それに、あんたが顕現したばかりの俺を気にかけてくれるのは嬉しかった。……また会えたのも嬉しい、」
 突然ガタンと大きな音がして大倶利伽羅はおいどうした――弾かれたように視軸を光忠へ転じた。と、隻眼は白皙を朱に染めながら口許を手で覆っていた。
「光忠、あんた、」
 大倶利伽羅が瞠目する一方、光忠は狼狽えながら視線を落として惑わせる。頭がのぼせたようにぐわんと視界が揺れた。
「な、なんか急に胸がドキドキして……ごめん、僕おかしいよね!? 僕どうしちゃったんだろう。伽羅ちゃんに嬉しいって言われたら突然顔が熱くなって……それで……え、なにこれ、」
「……光忠、それは……、」
 大倶利伽羅の言葉も続かなかった。彼も褐色の頬を真っ赤にしていたので。
 お互い沈黙したまま、ただ足元を見詰めていた。


「鶴さん、どうする?  これ?」
「どうするもこうするも、俺達にはどうしようもないさ」
 鶴丸と貞宗はこっそり厨の中を覗いて密やかに言葉を交わす。ずんだ餅を食べ終わって皿を下げに来てみれば光忠と大倶利伽羅が乙女のように頬染め合っている場に出会でくわしたのだ。詳しい経緯いきさつは知れないが、大体の予想はつく。
「みっちゃんと伽羅はやっぱりらぶらぶだったんだなー」
「貞坊も気が付いてたか」
 鶴丸が瞳を瞬かせると「当ったり前だろう? 短刀の偵察能力を舐めるなよ。というか、そんなのなくてもバレバレだったけどな!」ほんと伽羅は判り易いよなあと貞宗は白い歯を見せて笑う。
「すっかり春だなあ」
 鶴丸は唄うように告げて、あるはずもない彼等の背後に咲き乱れる薄紅色を愛でるのだった。

(了)
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