400字小説

abduct(みつくり)

始まった――大倶利伽羅は耳へ届いた呻吟に目を醒ました。そっと身を起こして隣で眠る光忠を見遣る。彼は白いかんばせを苦悶に歪めて「熱い……からだが焼ける……火が……火が……、」譫言を洩らす。顕現して日の浅い光忠は毎晩のように魘されていた。彼が夢見ているのは自身の最期――関東大震災で被災した時のことだろう。逃げることも叶わず為す術もなく焔に包まれ焼かれるのはどれほどの恐怖だっただろう。
 光忠――大倶利伽羅は静かに彼の名前を呼んで布団の端を握り締めている白い手を包み込むように柔く握った。
「それはただの夢だ。あんたのからだは焼けていない。綺麗なままだ。だから大丈夫だ」
 すると光忠の顔から痛苦の色が徐々に引いて呼吸も正常に戻っていく。大倶利伽羅は触れていた手を離して布団に身を横たえた。
 光忠は知らない。悪夢にうなされる度に大倶利伽羅がそこから救い出すように声を掛け手を握ることを。
 知らなくて良い。
 彼に抱いている感情も何かも。
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