戀―REN―
Oath kiss
麗らかな陽射しの下、貸し切った広い園庭で探偵社の創立十二周年を記念して祝宴が催されていた。慶事に相応しく、皆白を基調とした華やかな衣装に身を包み、彩り豊かな花々をあしらって社員等の佇まいは美麗にして華麗であった。
純白の卓子被 が掛けられた数個の卓の上には軽食や目にも美しい洋菓子、三鞭酒 の壜が犇めいて賑々しく祝宴に花を添えていた。
卓の周囲に人々は疎らに集って銘々に飲食をしながら、和やかに談笑に興じていた。普段の殺伐とした日常から離れた優雅な宴は束の間の休息でもあった。
そんな祝宴には市警や軍警のトップにあたる人物や政界の要人等の顔もあった。来賓として招かれたのである。物々しい客人は夫々、武装探偵社の功績を称える祝辞を述べ、寿いだ。
国木田は社長に伴うような形で来賓者への挨拶回りを卒なくこなした。一頻り挨拶が済む頃には多少の疲れを感じていた。着慣れない衣装のせいかもしれない。国木田は人の輪から外れて、乾いた喉を三鞭酒で潤した。口当たりの良い酒精 に飲み過ぎないようにと自戒する。
洋杯 が空になったところで相棒の姿がないことに気が付いた。先程までその辺にある椅子に腰掛けていたのだが。
こんな時でも勝手にふらふらと抜け出したのかと苦り切っていると、少し離れた場所に設置された卓子 ――白い布の裾がもぞもぞと波打ったのを視界の端に捉えた。
不審に思って国木田が歩み寄ると図ったかのように布が捲り上がり、ひょこりと黒い蓬髪が覗いた。あろうことか、太宰が潜り込んでいたのだ。
「太宰、お前そんなところで何をしてるんだ?」
呆れながら身を屈めると「ちょっと疲れたから休んでた」珍妙な答えが返って来る。
「はあ? お前、休んでたって、何もそんなところで休まなくたって――」
「ちょっと独りになりたかっただけだよ。流石に今日は抜け出す訳にはいかないからね。こんな服装だし。――ね、国木田君もおいでよ」
太宰は声を弾ませて国木田の手を引っ張る。
「おい、離せ。大の大人が二人して卓子の下に潜り込んでどうするんだ。第一服が汚れるし、こんなことをしている場合では――」
「良いから良いから」
良い訳がない――しかし太宰は全く頓着せず引き摺り込もうとする。
「いい加減にしろ、太宰」
強い語調で告げると相棒は目を細めて形の佳い唇の前に白い指を立てる。黙れと云うことか。此処には多くの来賓がいるのだ。変に騒いで目立つのは避けた方が良い。後々面倒になるもの厭だったので、渋々国木田は太宰に従った。
長身を折り曲げて薄暗い卓子の下に潜り込む。太宰は端に詰めて空間 を空けた。が、流石に狭い。身を屈めないと頭が閊 えた。酷く難儀である。直ぐ横にいる相棒は長い脚を抱えるように座って秘密基地にいるみたいでわくわくするねえと朗らかに笑う。俺はちっともわくわくせんがな――国木田は吐き捨てて、大きく溜め息を吐く。
「それで? お前は一体何がしたいんだ?」
「別に何も。只、ふたりきりになりたかっただけ」
悪びれもせず、しれっと答える太宰に国木田は口をへの字に曲げる。呆れてものが云えない。
「あのなあ。祝宴と雖 も今は職務中で――」
「解ってるよ、それくらい。でもさ、」
太宰は不意に言葉を切って国木田から視線を外し、宙を見る。薄く開かれた唇は何か言葉を探しているのか、沈黙が宿る。彼にしては珍しい様子に国木田は首を捻った。
「何だ? どうした?」
「うん――」
頷いて曖昧に笑う。少し、泣き出しそうな表情で。
「――これまで色々あったけど、皆無事で良かったなあって思ってさ」
嗚呼そう云うことか――国木田は僅かに身を寄せた。肩が触れ合う。
「確かに、色々あったな」
正面を向いて目を細め、何処か遠いところを――膨大な記憶の果てを眼眸 す。太宰が抱いた感傷は国木田の胸にも一種の懐かしさを伴って迫った。
武装探偵社に入社し、調査員として生きた数年は色濃かった。己の人生の五十年分を濃縮したように。まだ生き切っていない未来さえ、先取りしてしまったかのように。
目まぐるしい程に様々な事件があった。幾多の困難が探偵社を襲った。社員が分断され、散り散りになり、一時は壊滅状態にまで陥った。元より死ぬ覚悟はしていなかったが、生の終焉を膚で感じたことは数知れず。血を流しながら数々の死線を潜り抜け、堆く募る絶望の夜を何度も越えて。
死闘の終結を鮮やかに彩った朝焼けは涙が出る程、美しかった。
眩い旭光の下に誰一人欠けることなく、集えたあの瞬間。どうしようもなく、胸が慄えた。
――今日で終わりではないけれど。
でも、今だけは。
太宰の胸にも同じように過去が去来しているのだろう。国木田が白い横顔を見ていると鳶色の瞳が振り向いた。彼は涙で潤んだ眸を微笑に細めて告げる。
「国木田君。これからも、宜しく」
思わぬ相棒の言葉に国木田は一瞬、目を見開いて、ふっと表情を和らげた。
「ああ、こちらこそ。宜しく、太宰」
長い睫毛が伏せられて、どちらともなく唇が近付き合う。
手を、重ね合わせて。
交わす口付けは誓いだった。
これからもずっと共に在ることを。
命ごと背を預け合う相棒として、肩を並べて手を繋ぐ恋人として。
「お前達、其処で何してんの?」
「おうわあッ⁉」
突然、割り込んできた声に叫びながらガンっと国木田は強かに頭を打った。痛みに頭を抱えている国木田を他所に太宰は平然とした態度で云ってのける。
「いえ、ちょっとしたかくれんぼですよ。流石、乱歩さん。見つかってしまいましたね」
優美に微笑むと乱歩は特に何とも思ってないふうで、
「ふうん。ま、どうでも良いけど。皆で集合写真を撮るんだってさ。社長が呼んでる」
それだけ云うと足早に立ち去って行く。遠くで「あの二人、変なところに隠れてた」呑気な名探偵の声がした。あまり云い触らしてくれるなと内心でぼやきながら国木田は卓子の下から這い出る。降り注ぐ陽光が酷く眩しい。
「国木田君、大丈夫?」
「あ、ああ、まあ何とかな」
振り向いて純白の布の下から顔を覗かせている太宰に手を差し伸べた。と、彼は驚いたのか目を瞬く。
「どうした?」
首を傾げて問うと太宰は笑み崩れた。
「何だか国木田君、王子様みたいだなあって思ってさ」
「なッ……! お前、どうして、今そう云うことを……ッ!」
忽ち国木田が羞恥に染まるのを「ふふ、国木田君、真っ赤」楽しげに見遣りながら彼の手を掴んで陽の下に出る。
「これから写真撮影だと云うのに、要らんことを云いおって! この唐変木ッ!」
「やだなあ。私は褒めただけなのにい」
「貴様~、態 とだな⁉ 態とだろう⁉ 太宰ィィィ!」
逆上した国木田はすっかり来賓の存在を忘れ、満身の怒りを込めて太宰の襟首を締め上げた。
「え、ちょ、ま、待って、ホント、苦しい、ぐえッ」
「このまま絞め殺してやるッ」
「ちょっと、あんた達。其処で痴話喧嘩してないで、さっさとこっちに来な。皆待ってるんだから」
呆れたような与謝野の声が背を叩いて、はっと我に返った国木田は締め上げていた手を離した。解放された太宰は助かったとばかりに乱れた襟元を整えてほうと深く息を吐く。
「全く、お前は……ほら、行くぞ」
太宰の手を取って国木田は皆が集っている場所へと歩き出す。
先を行く真っ直ぐな背を見詰めて太宰は自分より一回り大きな温かい手を握り返した。
そうして、思う。
今日が終われば、明日からはまた切った張ったの荒事が日常茶飯事の、死と危険とが隣り合わせの生活に戻る。
だけれども、今、この瞬間だけは。
幸福な笑顔に満ちた溢れた、祝福された優しい世界であれ、と。
麗らかな陽射しの下、貸し切った広い園庭で探偵社の創立十二周年を記念して祝宴が催されていた。慶事に相応しく、皆白を基調とした華やかな衣装に身を包み、彩り豊かな花々をあしらって社員等の佇まいは美麗にして華麗であった。
純白の
卓の周囲に人々は疎らに集って銘々に飲食をしながら、和やかに談笑に興じていた。普段の殺伐とした日常から離れた優雅な宴は束の間の休息でもあった。
そんな祝宴には市警や軍警のトップにあたる人物や政界の要人等の顔もあった。来賓として招かれたのである。物々しい客人は夫々、武装探偵社の功績を称える祝辞を述べ、寿いだ。
国木田は社長に伴うような形で来賓者への挨拶回りを卒なくこなした。一頻り挨拶が済む頃には多少の疲れを感じていた。着慣れない衣装のせいかもしれない。国木田は人の輪から外れて、乾いた喉を三鞭酒で潤した。口当たりの良い
こんな時でも勝手にふらふらと抜け出したのかと苦り切っていると、少し離れた場所に設置された
不審に思って国木田が歩み寄ると図ったかのように布が捲り上がり、ひょこりと黒い蓬髪が覗いた。あろうことか、太宰が潜り込んでいたのだ。
「太宰、お前そんなところで何をしてるんだ?」
呆れながら身を屈めると「ちょっと疲れたから休んでた」珍妙な答えが返って来る。
「はあ? お前、休んでたって、何もそんなところで休まなくたって――」
「ちょっと独りになりたかっただけだよ。流石に今日は抜け出す訳にはいかないからね。こんな服装だし。――ね、国木田君もおいでよ」
太宰は声を弾ませて国木田の手を引っ張る。
「おい、離せ。大の大人が二人して卓子の下に潜り込んでどうするんだ。第一服が汚れるし、こんなことをしている場合では――」
「良いから良いから」
良い訳がない――しかし太宰は全く頓着せず引き摺り込もうとする。
「いい加減にしろ、太宰」
強い語調で告げると相棒は目を細めて形の佳い唇の前に白い指を立てる。黙れと云うことか。此処には多くの来賓がいるのだ。変に騒いで目立つのは避けた方が良い。後々面倒になるもの厭だったので、渋々国木田は太宰に従った。
長身を折り曲げて薄暗い卓子の下に潜り込む。太宰は端に詰めて
「それで? お前は一体何がしたいんだ?」
「別に何も。只、ふたりきりになりたかっただけ」
悪びれもせず、しれっと答える太宰に国木田は口をへの字に曲げる。呆れてものが云えない。
「あのなあ。祝宴と
「解ってるよ、それくらい。でもさ、」
太宰は不意に言葉を切って国木田から視線を外し、宙を見る。薄く開かれた唇は何か言葉を探しているのか、沈黙が宿る。彼にしては珍しい様子に国木田は首を捻った。
「何だ? どうした?」
「うん――」
頷いて曖昧に笑う。少し、泣き出しそうな表情で。
「――これまで色々あったけど、皆無事で良かったなあって思ってさ」
嗚呼そう云うことか――国木田は僅かに身を寄せた。肩が触れ合う。
「確かに、色々あったな」
正面を向いて目を細め、何処か遠いところを――膨大な記憶の果てを
武装探偵社に入社し、調査員として生きた数年は色濃かった。己の人生の五十年分を濃縮したように。まだ生き切っていない未来さえ、先取りしてしまったかのように。
目まぐるしい程に様々な事件があった。幾多の困難が探偵社を襲った。社員が分断され、散り散りになり、一時は壊滅状態にまで陥った。元より死ぬ覚悟はしていなかったが、生の終焉を膚で感じたことは数知れず。血を流しながら数々の死線を潜り抜け、堆く募る絶望の夜を何度も越えて。
死闘の終結を鮮やかに彩った朝焼けは涙が出る程、美しかった。
眩い旭光の下に誰一人欠けることなく、集えたあの瞬間。どうしようもなく、胸が慄えた。
――今日で終わりではないけれど。
でも、今だけは。
太宰の胸にも同じように過去が去来しているのだろう。国木田が白い横顔を見ていると鳶色の瞳が振り向いた。彼は涙で潤んだ眸を微笑に細めて告げる。
「国木田君。これからも、宜しく」
思わぬ相棒の言葉に国木田は一瞬、目を見開いて、ふっと表情を和らげた。
「ああ、こちらこそ。宜しく、太宰」
長い睫毛が伏せられて、どちらともなく唇が近付き合う。
手を、重ね合わせて。
交わす口付けは誓いだった。
これからもずっと共に在ることを。
命ごと背を預け合う相棒として、肩を並べて手を繋ぐ恋人として。
「お前達、其処で何してんの?」
「おうわあッ⁉」
突然、割り込んできた声に叫びながらガンっと国木田は強かに頭を打った。痛みに頭を抱えている国木田を他所に太宰は平然とした態度で云ってのける。
「いえ、ちょっとしたかくれんぼですよ。流石、乱歩さん。見つかってしまいましたね」
優美に微笑むと乱歩は特に何とも思ってないふうで、
「ふうん。ま、どうでも良いけど。皆で集合写真を撮るんだってさ。社長が呼んでる」
それだけ云うと足早に立ち去って行く。遠くで「あの二人、変なところに隠れてた」呑気な名探偵の声がした。あまり云い触らしてくれるなと内心でぼやきながら国木田は卓子の下から這い出る。降り注ぐ陽光が酷く眩しい。
「国木田君、大丈夫?」
「あ、ああ、まあ何とかな」
振り向いて純白の布の下から顔を覗かせている太宰に手を差し伸べた。と、彼は驚いたのか目を瞬く。
「どうした?」
首を傾げて問うと太宰は笑み崩れた。
「何だか国木田君、王子様みたいだなあって思ってさ」
「なッ……! お前、どうして、今そう云うことを……ッ!」
忽ち国木田が羞恥に染まるのを「ふふ、国木田君、真っ赤」楽しげに見遣りながら彼の手を掴んで陽の下に出る。
「これから写真撮影だと云うのに、要らんことを云いおって! この唐変木ッ!」
「やだなあ。私は褒めただけなのにい」
「貴様~、
逆上した国木田はすっかり来賓の存在を忘れ、満身の怒りを込めて太宰の襟首を締め上げた。
「え、ちょ、ま、待って、ホント、苦しい、ぐえッ」
「このまま絞め殺してやるッ」
「ちょっと、あんた達。其処で痴話喧嘩してないで、さっさとこっちに来な。皆待ってるんだから」
呆れたような与謝野の声が背を叩いて、はっと我に返った国木田は締め上げていた手を離した。解放された太宰は助かったとばかりに乱れた襟元を整えてほうと深く息を吐く。
「全く、お前は……ほら、行くぞ」
太宰の手を取って国木田は皆が集っている場所へと歩き出す。
先を行く真っ直ぐな背を見詰めて太宰は自分より一回り大きな温かい手を握り返した。
そうして、思う。
今日が終われば、明日からはまた切った張ったの荒事が日常茶飯事の、死と危険とが隣り合わせの生活に戻る。
だけれども、今、この瞬間だけは。
幸福な笑顔に満ちた溢れた、祝福された優しい世界であれ、と。