戀―REN―
耳は貝殻の名残
珍しく私の自宅に遊びに来た国木田君がさっきからごそごそと棚を漁っていた。
「何か捜してるの?」
「ああ。耳が痒くてな。綿棒か耳掻き棒がないかと……」
「耳掻き棒ならあるよ」
ちょっと待ってねと私は棚の下方にある抽斗を開けて中を探る。使いかけの消毒液や絆創膏の箱の中に混じって埋もれていた目当ての物を引っ張り出して「はい」と国木田君に差し出したところで気が変わった。
「耳掃除、してあげるよ」
にっこり微笑んで見せれば彼は露骨に厭そうな顔をする。
「何が不満なの?」
「否、不満と云うかだな、お前に任せたら鼓膜を突き破りそうで……」
「えー、何それ。幾ら何でもそんなことしないよぅ」
「本当か?」
尚も不審そうに私を見遣る国木田君。私、彼の恋人なのに信用がないなあ。料理が碌に出来ないものだから手先が異様に不器用だと思われているのかも。あながち間違ってはないけどさ。
「大丈夫、私に任せ給え」
「……解った」
国木田君は何処か諦めたように頷く。
「じゃあ、はい。横になって」
私が正座をして促すと彼は恥ずかしいのか、一瞬目を泳がせる。たかが膝枕で照れるなんて、国木田君らしいと云うか何と云うか。もっと凄いことだって数え切れないくらい、しているのに。
「ほら、早く」
「ああ、では、頼む」
意を決したように国木田君は私の膝に頭を載せて横になる。先ずは左耳から。耳殻を指先で摘んで少し引っ張る。耳穴の中を覗きながら慎重に耳掻き棒の先を潜らせた。
「うーん、あんまり汚れてはないけどねえ」
「そうか?」
「うん」
棒の先で痒みを訴える部分をそっと掻く。すると気持ちが良いのか国木田君の目が薄く伏せられた。まるで猫みたい。何だか可愛い。睫毛が長いなあ、とか思ったり。
「国木田君の耳は大きいね。耳が大きい人は善く人の話を聴くって云うよね」
「それならばお前の耳は飾りだな。餃子だ、餃子。俺の話は全く聴いとらんだろう。毎度毎度俺に同じことを云わせるな」
国木田君はむうと膨れる。此処で彼が云っているのは主に仕事のことであろう。
「私、国木田君の話はちゃんと聴いてるよ? 一語一句洩らさずに」
彼がくれる優しい言葉も、叱りつける言葉も、私を愛する時に囁く睦言も。
「どうだかな」
彼は呟いて目蓋を再び閉じる。私は耳掻き棒でかさこそと耳穴の中を掃除ながら、ふと思った。
「耳ってさ、貝殻に似てるね」
複雑な形を造っている耳と巻貝が。内耳にある三半規管も渦を巻いているから、やっぱり其処も巻貝と似ているように思うのだ。
すると国木田君は目を開けて、何かを思ったのか心持ち頭を擡げる。私が手を引くと俄に身を起こした。
どうしたの、と問えば頭を抱え込まれて引き寄せられる。彼の耳と私の耳とがぴったりと合わさった。
聞こえてくるのは波音に酷似した音。貝殻を耳に当てると海の音が聞こえるとは良く云ったもので、確かに今もその濤声 が鳴っていた。
――耳は貝殻の名残だから。
「……海は何処にあるんだろうねえ」
「直ぐ其処にあるだろう」
そう云って国木田君は私の胸に手を触れた。
絶え間なく脈打つ鼓動。引いては押し寄せる、白い波濤。穏やかな表情の海もあれば、荒々しく逆巻いて全てを浚って奪う時もあって。正 しく私の中に、そして国木田君の中にも海があるのだった。
私は国木田君の胸に耳を押し当てて、伝わる優しい音に目を瞑って思いを馳せる。きっとこの中にある海はとても美しいだろう。
何処までも深く、碧く碧く澄んで。
何時か彼の海を訪れてみたい――叶わないと知りながら私は願うのだった。
珍しく私の自宅に遊びに来た国木田君がさっきからごそごそと棚を漁っていた。
「何か捜してるの?」
「ああ。耳が痒くてな。綿棒か耳掻き棒がないかと……」
「耳掻き棒ならあるよ」
ちょっと待ってねと私は棚の下方にある抽斗を開けて中を探る。使いかけの消毒液や絆創膏の箱の中に混じって埋もれていた目当ての物を引っ張り出して「はい」と国木田君に差し出したところで気が変わった。
「耳掃除、してあげるよ」
にっこり微笑んで見せれば彼は露骨に厭そうな顔をする。
「何が不満なの?」
「否、不満と云うかだな、お前に任せたら鼓膜を突き破りそうで……」
「えー、何それ。幾ら何でもそんなことしないよぅ」
「本当か?」
尚も不審そうに私を見遣る国木田君。私、彼の恋人なのに信用がないなあ。料理が碌に出来ないものだから手先が異様に不器用だと思われているのかも。あながち間違ってはないけどさ。
「大丈夫、私に任せ給え」
「……解った」
国木田君は何処か諦めたように頷く。
「じゃあ、はい。横になって」
私が正座をして促すと彼は恥ずかしいのか、一瞬目を泳がせる。たかが膝枕で照れるなんて、国木田君らしいと云うか何と云うか。もっと凄いことだって数え切れないくらい、しているのに。
「ほら、早く」
「ああ、では、頼む」
意を決したように国木田君は私の膝に頭を載せて横になる。先ずは左耳から。耳殻を指先で摘んで少し引っ張る。耳穴の中を覗きながら慎重に耳掻き棒の先を潜らせた。
「うーん、あんまり汚れてはないけどねえ」
「そうか?」
「うん」
棒の先で痒みを訴える部分をそっと掻く。すると気持ちが良いのか国木田君の目が薄く伏せられた。まるで猫みたい。何だか可愛い。睫毛が長いなあ、とか思ったり。
「国木田君の耳は大きいね。耳が大きい人は善く人の話を聴くって云うよね」
「それならばお前の耳は飾りだな。餃子だ、餃子。俺の話は全く聴いとらんだろう。毎度毎度俺に同じことを云わせるな」
国木田君はむうと膨れる。此処で彼が云っているのは主に仕事のことであろう。
「私、国木田君の話はちゃんと聴いてるよ? 一語一句洩らさずに」
彼がくれる優しい言葉も、叱りつける言葉も、私を愛する時に囁く睦言も。
「どうだかな」
彼は呟いて目蓋を再び閉じる。私は耳掻き棒でかさこそと耳穴の中を掃除ながら、ふと思った。
「耳ってさ、貝殻に似てるね」
複雑な形を造っている耳と巻貝が。内耳にある三半規管も渦を巻いているから、やっぱり其処も巻貝と似ているように思うのだ。
すると国木田君は目を開けて、何かを思ったのか心持ち頭を擡げる。私が手を引くと俄に身を起こした。
どうしたの、と問えば頭を抱え込まれて引き寄せられる。彼の耳と私の耳とがぴったりと合わさった。
聞こえてくるのは波音に酷似した音。貝殻を耳に当てると海の音が聞こえるとは良く云ったもので、確かに今もその
――耳は貝殻の名残だから。
「……海は何処にあるんだろうねえ」
「直ぐ其処にあるだろう」
そう云って国木田君は私の胸に手を触れた。
絶え間なく脈打つ鼓動。引いては押し寄せる、白い波濤。穏やかな表情の海もあれば、荒々しく逆巻いて全てを浚って奪う時もあって。
私は国木田君の胸に耳を押し当てて、伝わる優しい音に目を瞑って思いを馳せる。きっとこの中にある海はとても美しいだろう。
何処までも深く、碧く碧く澄んで。
何時か彼の海を訪れてみたい――叶わないと知りながら私は願うのだった。