戀―REN―

観覧車―人工楽園―

「国木田君、あれに乗ろう」
彼の手を引いて指差したのは煌びやかなネオンに輝く観覧車。デートコースの定番だ。国木田君は少し渋っていたけれど、チケットを買って列に並んだ。
「次の方、どうぞー」
 係員に促されてゆっくり動くゴンドラに乗り込む。扉が閉じられた箱は少しずつ地を離れて天へと昇っていく。密閉された空間、ふたりきりの小さな世界はやがて高みに届いて足元に広がる美しいヨコハマの夜景を俯瞰するのは宛ら創造主のよう。
「綺麗だね」
 半ば同意を求めて云ったのにうんともすんとも返事がない。
「国木田君?」
 不審に思って彼を見遣れば視線がぶつかる。あろうことか国木田君は外を見ずにずっと私を見ていたらしい。何だか急に恥ずかしくなって俯くと彼も我に返った様子で「す、すまんッ」慌てて視線を逸らしていた。ちらりと盗み見れば国木田君の顔が赤い。きっと私の顔も赤くなっている筈だ。耳が酷く熱いから。と、不意に指先が触れ合った。咄嗟に手を引こうとすると彼の手が追いかけてくる。最初は遠慮がちに手を繋いで、それから指を絡ませて。繋いだ手は温かい。
「ずっと此処にいたいな」
 恋人達を閉じ込めている小さな人工楽園は地を目指して降下する。ゆっくり、ゆっくり。確実に。観覧車の終わりは楽園からの追放。
「観覧車みたいな小さなふたりきりの世界で生きられたら良いのにね」
 すると黙っていた国木田君が口を開く。俺はそんなのは御免だと。
「こんな狭い箱の中に閉じ籠っていたら、何処にも行けないだろう。延々と同じ場所を廻るだけだ。それよりも俺はお前と一緒にもっと色々な景色が見たい」
 開かれた世界にいる、色々な表情のお前が見たい――私を見る彼の眼差しは何処までも真っ直ぐで。この真摯な瞳に何度、心を奪われてきただろう。幾度、胸を貫かれただろう。
「……そっか。そうだね」
 ああでも。もう直ぐで終わってしまう。ふたりだけの楽園が。まだ、もう少しだけ。彼の存在を濃密に感じ取れる此処にいたい。
「ねぇ、国木田君。もう一周だけ良いかな? 口付けをくれ給えよ」
 悪戯っぽく笑いかけると国木田君は顔をこれ以上ないくらいに顔を赤らめた。
 二周目の天辺に差し掛かった時、国木田君は私の望み通りに優しい接吻キスをくれた。初めてであろう彼の接吻は、少しぎこちなかったけれど。
 唇を合わせながら彼の内奥にある心に触れた気がした。それは切なさを伴って私の胸底を慄わせる。
 何故だろう。こんなにも切なくて悲しいのは。確かに愛されているのに。私も彼を愛しているのに。
 唇が離れた時、片目から雫を落とした私を見て国木田君は酷く狼狽えていたけれど、でも涙の理由は自分でも説明出来なかった。
 彼は指先でそっと涙を拭ってくれた。とても優しい手付きで。
 泣けば涙を拭ってくれる人がいる。
 寂しければ抱き締めてくれる人がいる。
 求めれば応えてくれる人がいる。
 私は幸福で、幸福過ぎるので、酷く悲しかった。
 でも国木田君が傍にいてくれることは無上の歓びだった。
 私はこれから先も彼の隣に在り続けるのだろう。
 戯れに死の影を追いながら、死の気配に誘惑されながら、それでも私は彼と共に生きることを選び取るだろう。

 何処へも行けない人工楽園から追放された恋人達は、開かれたこの残酷な世界に楽園を築いて、生きていく。
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