二燭SS

Out of the Blue


 やってしまった――二筋樋は布団の上に座りながら内心で蒼褪めながら頭を抱えてしまった。少しだけズキズキと頭が痛む。どうやら二日酔いらしい。明らかに飲みすぎた。飲みすぎてしまった。否、飲まされたというべきか。
 昨晩は誘われるままに太郎太刀や次郎太刀、日本号と酒を酌み交わした。出陣して二筋樋が初めて誉を取った祝いとして酒の席が設けられたのだ――というのは、半分は建前でただ次郎太刀と日本号が酒を飲みたかったのが本音で、二筋樋はそれに付き合わせられたに過ぎない。
 顕現して三月ばかり経った二筋樋は酒を飲むのはほぼ初めてであった。初めて味わった酒は思いの外美味く、酒肴が進んだ。さかなは主に光忠が作ったもので、二筋樋の好物もあった。とりとめのない話を皆でしながら座卓を占める肴をつつきつつ、空になった二筋樋の猪口に次郎太刀と日本号が代わる代わる日本酒を注いでいく。酔っ払うまではあっという間だった。
「はい、追加のおつまみ持ってきたよ」
 光忠がそう言って次郎太刀の部屋を訪れた時、二筋樋は半ば酔い潰れて座卓に突っ伏していたのだ。
「ありがとう。燭台切、悪いけどお巡りさん潰れちゃったみたいだから、部屋まで連れて行ってくれるかい?」
「オーケー。でも次郎太刀くん、あんまり彼に飲ませすぎちゃ駄目だよ」
 二筋樋くんほら起きて――光忠は酒精アルコールで血色を濃くして目を閉じている打刀の肩を揺り起こす。と、伏せられていた睫毛がふるえて潤んだ碧眼が現れる。
「さ、部屋まで送っていくから立って」
 光忠が身を屈めて肩に相手の腕を回そうとした時、白い手におとがいを掴まれた。ずい、と赤らんだ顔が距離を詰めてくる。とろんとした青い目が眠たげで、普段より少しだけいとけなく見えた。
「え、なに、」
 隻眼を瞬かせて二筋樋を見返す。
「あんた本当に綺麗だな。いつ見ても惚れ惚れする。瞳がお月様みたいだ」
 おっ、なんかお巡りさんが燭台切を口説き始めたぜ――日本号がにやけながらこりゃ良いと囃し立てる。
「ちょ、ちょっと二筋樋くん、酔いすぎ、」
「燭台切、好きだ」
 二筋樋は短く告げると無垢な色の唇に口付けた。成り行きを見守っていた三振りからどよめきの声があがるのを聞きながら光忠は大きく瞳を見開いてされるがままになっていた。唇が離れると二筋樋は光忠の肩に凭れかかってそのまま小さく寝息を立てた――。
 二筋樋が憶えているのはここまでである。一番忘れていたいところをしっかり憶えている自分が恨めしい。布団に寝ていたということは光忠が本当に部屋まで送ってくれたのだろう。律儀なことである。
「二筋樋〜、そろそろ朝飯だぜ」
 起きてるかと襖の向こうから顔を出したのは太鼓鐘である。既に身支度を整えており、内番着姿だった。二筋樋がおはようと挨拶すると太鼓鐘も明るく朝の挨拶をして「なんかあんまり元気ねーな?」不思議そうに首を傾げる。
「いや、ちょっと昨晩酒を飲みすぎただけだ」
「あー、確か次郎太刀に捕まってたよな。あんま飲みすぎるなよな。向こうは蟒蛇うわばみだから付き合ってると躰がもたねぇぞ」
「次からは自重する」
「じゃあ俺先に行ってるからな」
 ちゃんと着替えて来いよと言い残して太鼓鐘は立ち去って行った。
「はあ、参ったな」
 朝餉の席に行けば光忠がいる――二筋樋は寝乱れた頭をがしがしと搔いて憂鬱そうに大きく溜息を吐いた。

 顔を洗い、着替えてから食堂として使われている広間へ足を踏み入れると多くの刀剣男士達が銘銘集まって席に着いていた。二筋樋は擦れ違う刀達に朝の挨拶をしながら適当に空いてる場所へ腰を下ろした。座卓の上には既に朝食の膳が置かれており、暖かな湯気を立てていた。今朝の献立は浅利の味噌汁に焼き鮭、卵焼き、大根おろし、焼き海苔、香物。シンプルな和食だが、何となく酒が残ってる二筋樋としては却って有難かった。
 いただきます、と手を合わせてから箸を取り、何気ないふうを装って広間にさっと視線を配らせて光忠を探した。――いた。彼は少し離れた席に伊達刀の面々に囲まれていた。と、こちらの視線に気が付いたのか振り返った。一瞬目が合うと彼は明らかに不快そうな態度でぷいと顔を背けてしまった。――あれは相当怒ってるな。それはそうだ。酔った勢いとはいえ、強引にキスをしてしまったのだから。昨日の自分を殴りたい。
 おはようさん――低い声が頭上から降ってきて顔を上げると日本号が立っていた。彼は邪魔するぜと向かいの座に腰を下ろすと手を合わせてから箸を取った。白菜の漬物を口に放り込んでにやにやと笑いながら「昨日はなかなかのものを見せて貰ったぜ」揶揄からかう口調で告げる。
「真逆あんたが燭台切に懸想してるなんてなあ」
 いやあ驚いたと言う日本号は完全に面白がっている者のそれで、正直居心地が悪い。
「そのことはあまり言ってくれるな。俺も酒が入ってたとはいえ、どうかしていた」
 二筋樋は肩を竦めながら味噌汁に手を付ける。浅利の濃い味がして美味い。
「そうかい。でもまあ酒の失敗は良くあることだ」
 日本号はどこか昔を懐かしむような口調になる。
「……あの後、燭台切は?」
「お前さんを部屋に連れて行ってからは戻って来なかったぜ。今朝はまだ顔を合わせてねぇしな。――で? どうするんだ?」
「どうって……昨晩のことについては謝罪するつもりでいるが」
 赦してくれるとは思ってはいないけれど。とんでもなく失礼なことをしてしまったのだ。セクハラ、不同意猥褻罪という言葉が脳裏をよぎる。刀のお巡りさんが聞いて呆れる。
「そうじゃねぇよ。燭台切にもう一度正面切って告白しねぇのかってことだ」
 日本号は卵焼きを一切れ食べて白飯を掻っ込む。朝から食べっぷりが良い。二筋樋もつられるように卵焼きを食べた。甘じょっぱい味が口の中に広がる。味付けからしてこれを拵えたのは光忠なのだと知る。歌仙はもっと出汁の風味がきいてるし、宗三は甘い卵焼き、塩気が強いものは長曽祢だ。
 再び二筋樋は伊達刀が占める一角を一瞥する。こちらに背を向けているため、光忠の顔は見えなかった。
「俺にはそんな資格はもうない」
 一体どの面下げて告白しろというのか。好きでいる資格すらもうないというのに。これ以上、身勝手なことをしたくない。するわけにはいかない。彼を、傷付けたくない。
 へぇ――日本号は赤みがかかった紫の瞳を一瞬見開いて「あんた見た目通り潔癖だなあ」にやりと笑う。
「それはお前さんの美点だし俺も好ましく思うが、ままならねぇのが恋情ってもんよ」
 ビシッと箸の先を二筋樋に向ける。と、碧眼が瞬かれる。
「あんたにもそういう相手がいるのか?」
「いや、そういうのはいねぇよ。ただ人の世にあって惚れた腫れたはたくさん見てきたからな。大体人の欲望は金、色、権力だ。中でも色は度し難い。一番厄介だ。
お前さんだって判るだろ?」
「まあそれなりには」
 顕現してこの方、あの漆黒に恋焦がれているのだ。恋というものがどれほど切実で自分でもコントロール不能なのか痛いほど知っている。
「ま、こういうのは結局なるようにしかなんねぇもんよ。それに俺達は本来は刀――俺は槍だが――だ。この身がいつまでもあるわけじゃねぇ。いつかは喪う」
「あんた何が言いたい?」
「まあ、もうちっと自分の気持ちを大事にしてもバチは当たらねぇんじゃねぇかねって話だ」
 ――だってあの時、燭台切は。
「だが俺は、」
「とりあえず燭台切とちゃんと話してみるんだな」
 日本号はそう言って笑うと残りの朝餉を平らげた。

 ◆◆◆

 困った――二筋樋は頭を抱えた。それというのも、肝心の光忠が捕まらないからである。幸いなことに彼は遠征や戦に駆り出されず、本丸で細々とした雑事をこなしているようなのだが、二筋樋が内番の作業の合間をみて彼に話しかけようと近付くとすっといなくなったり、誰かに呼ばれたりして全くタイミングが合わないのだ。
 ――明らかに避けられている。
 その事実が重たく心に伸し掛る。嫌われることは覚悟していたが、実際にこうも避けられるとやはり堪えた。彼を忘れると決意したのにこのザマである。日本号の言う通り、恋とはままならないものだ。
 だが、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。きちんと謝罪して、忘れる。日本号はもう少し自分の気持ちを大事にした方が良いと言ってくれたが、光忠をきっぱり諦めることが自分にできる最大のケジメであり、彼に対する精一杯の誠意だった。ぐずぐずはしてられない。
 よし――二筋樋は意を決すると改めて光忠を探し始めた。彼が良くいる厨を覗く。だがそこにいたのは乱と一期一振、五虎退だけだった。どうやらおやつの準備をしているらしい。彼等に光忠の所在を訊ねるとつい先程買い物に出たという。となれば行先は決まっている。万屋だ。二筋樋は礼を言ってその場を立ち去るとその足で外に出た。
 外は寒かった。が、頭上から降り注ぐ陽光は暖かく、その温もりに春の兆しを感じた。深く息を吸い込めば微かに梅花の匂いがして視線を辺りに彷徨わせると色彩が乏しい景色を彩るかのように紅梅が咲いているのが見て取れた。春は少しずつ訪れているのだと思うと不思議と足取りが軽くなった。
 幾つか角を曲がって真っ直ぐ道を進むと賑わった界隈に出る。茶屋、甘味処、蕎麦屋、小間物屋。もうすぐで万屋が見えてくるところで探していた漆黒の人影と出会でくわした。買い物袋を抱えた光忠は二筋樋の姿を認めると一瞬足を止めた後、くるりと背を向けて走り出した。
「あ! 待て!  燭台切!」
 俺から逃げられると思うなよ――二筋樋も遠ざかる背中を全速力で追跡する。機動力なら断然打刀の自分の方が上だ。光忠は振り返ることなく狭い路地へと逃げ込むように入って行く。長屋が入り組んだ形で建ち並ぶ路地を縫うように進んで、しかしその先は行き止まりだった。しまったと思ったが遅い。振り返ると僅かに息を乱した二筋樋が立っていた。一歩、彼が距離を詰めてくる。反射的に後退りするも、背中には壁。逃げられない。王手だ。
「……えっと……、」
 光忠が視線を逸らしたまま躊躇いがちに口を開くと「別に取って食いやしないよ。昨晩のことをあんたに謝りたいだけだ」二筋樋は冷静な声音で告げる。
「その、なんだ、昨日のことは本当にすまなかった。酔っていたとはいえ、あんたに酷いことをした。謝っても簡単に赦してくれるとは思ってない。こうして謝罪することも燭台切からしたらただの自己満足に見えるかもしれない。俺もきっぱりあんたのことは忘れるし、もう近付かない」
「えっ」
「え?」
 目が合い、沈黙が二振りの間に落ちる。
 そんなの狡いよ――光忠は力なく呟くと壁伝いにずるずるとその場に座り込んでしまった。膝を抱えるようにして顔を伏せる。
「狡いって……おい、あんた大丈夫か?」
 彼の言葉の意味が判らず二筋樋は怪訝そうに首を傾げながら光忠の前に膝をつく。
「……君は忘れるって簡単に言うけど、僕はどうしたら良いのさ」
 二筋樋くんがあんなことするから僕は君のこと忘れられなくなっちゃったじゃないか――髪の毛から覗く形の良い耳が真っ赤に染まっていた。二筋樋は信じられない思いで想いびとの言葉を聞いた。――まさに青天の霹靂。
 二筋樋はそっと黒手袋の手を掴んで「顔を見せてくれ」穏やかに促す。
「駄目。今物凄く情けない顔しているから」
「情けない顔してるあんたも可愛いと思う」
 なあ頼む――再度懇願されて光忠は緩慢な動作で顔を上げた。困惑に眉根を寄せ、含羞に染まった顔色を見て「やっぱり可愛い」二筋樋は薄く微笑むと顔を近付け、潤んだ金眼を覗き込む。真っ直ぐ見詰めてくる碧眼に耐えられなくて睫毛を伏せると柔らかなものが唇に触れた。与えられる熱を受け入れるように光忠は白手袋の手を握り返した。

 ◆◆◆

「今朝二筋樋と話たのでしょう? 彼は何と?」
 太郎太刀は畑の土を掘り返しながら少し離れたところで白菜を収穫している日本号に訊ねた。彼等は今日、畑当番なのであった。太郎太刀は今日にスコップを操りながら大根を掘り返して引き抜く。
「あー、なんか燭台切のことは忘れるとかなんとか言ってたぜ。俺はそんなことする必要なんざねぇよってそれとなく言ってやったんだがな」
 日本号は屈めていた身を伸ばして蒼天を仰ぐ。雲ひとつない快晴である。澄んだ青空は触れたら冷たそうだ。
「まあそうでしょうね。あと時の燭台切の反応を見ると」
 太郎太刀は淡々と言いながら昨晩の出来事を思い返す。
 酔った二筋樋に口説かれ、口付けまでされた光忠は生娘のように顔を真っ赤にして固まってしまったのだ。本当に嫌悪し、厭うならば怒りに任せて相手を突き飛ばすことも殴り倒すことだってできたはずだ。だが彼はそうしなかった。と、いうことは。
「まあ外野の俺達が口を挟むことじゃねぇし、そのうち勝手にくっついてるんじゃねぇのかねぇ」
「そうですね、私もささやかながら恋愛成就祈願の祝詞でもあげておきましょうか」
 太郎太刀が僅かに微笑んで告げると「そりゃあ良い。成就したら皆で祝杯をあげようぜ」日本号は朗らかに笑った。

(了)
 
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