二燭SS
その意味はまだ、
深夜、ふと喉の乾きを憶えて目が醒めた光忠は布団から抜け出した。廊下に出ると底冷えするような冷気が足元からのぼってきて思わず両の手で自身の躰を摩った。立春を迎えたとはいえ、暖かな季節はまだ遠い。こうも冷えると桜が綻ぶ季節が待ち遠しくなる。
ぺたぺたと素足で寝静まった廊下を進むと黒い影がゆらりと揺れ動いた。
「そこに誰かいるの?」
夜戦組が帰城したのかと思ったが、違った。振り返ったのは昨日顕現したばかりの二筋樋貞宗だった。一体こんな夜更けにどうしたのかと問いながら彼に歩み寄る。太刀と見紛う逞しい体躯は今は銀鼠色の着流しに包まれている。戦装束が洋装故、和装は新鮮な印象があった。
「ああ、アンタ。確か燭台切といったか。何だかさっきから腹の具合がおかしくてな」
お陰で眠れないのだと静かに告げる。
「えっ、もしかしてお腹痛い? 大丈夫かい?」
「いや、痛みはない。ただ変な感じだ」
二筋樋は着流しの上から腹を摩るとぐきゅるるるとその場にそぐわない音が彼等の間に割って入った。光忠は隻眼を丸くした後、破顔した。
「それは空腹っていうんだよ。お腹が減っている証拠さ」
「空腹?」
人の身を得たばかりの二筋樋には身体の生理的欲求が一体何なのか良く判らないらしい。彼は不思議そうに青い瞳を瞬かせて自身の腹を見た。
「夕飯はちゃんと食ったんだがな」
「食べ足りなかったのかもしれないし、夜中に起きてるとお腹が減ることは良くあることだよ」
「アンタも?」
「僕はちょっと喉が乾いただけ。君は軽く何かお腹に入れた方が良いかもね。お夜食作ってあげるよ」
こう見えて料理は得意なんだと笑うと二筋樋は「じゃあ頼む」と小さく頷いて光忠の後に続いた。
二振り連れ立って厨へ行くと「適当に座ってて」光忠は二筋樋に言ってから冷蔵庫を開けて中を覗き込む。二筋樋は言われた通り厨の隅に置かれていた丸椅子を引っ張ってきて作業台の前に腰を下ろした。
光忠は冷蔵庫から卵とベーコンを取り出すと小さな片手鍋に水と夕餉の残りの冷や飯を入れて火にかけた。煮立つ間にベーコンを切り、卵を椀に割り入れて溶く。
「なあ、ここには貞宗の刀は俺の他にいないのか?」
手持ち無沙汰の二筋樋は頬杖をつきながら広い背に投げかける。光忠は二筋樋が顕現して初めて言葉を交わした刀だ。どうやら彼は主直々に新刃 の世話係を仰せつかさっているらしく、何かと気にかけて本丸での生活のあれこれを二筋樋に教えていた。
「いるよ。亀甲くんと物吉くんと貞ちゃんがね。皆それぞれ遠征に出てるけど、早ければ明日には戻ってくるはずだよ」
貞ちゃんは僕と旧知の仲でね前の主が同じだったんだよ――光忠は昔を懐かしむような口吻でそんなことを付け加える。
「皆とっても良い刀だよ。君が来たのを知ったら凄く喜ぶんじゃないのかな。僕も君みたいな刀が貞ちゃんのお兄さんで嬉しいよ」
「そりゃどうも。早く皆に会ってみたいもんだな。――アンタにも兄弟がいるのか?」
「うん。実休さんと福島さんがね。僕の兄なんだ」
名前を聞いて思い出す。どちらも華やかな雰囲気がある刀だが、見た目に反して彼等は薬草や花に詳しいらしく、歓迎の印にと二振りから花束と薬草茶をプレゼントされたのには驚いてしまった。勿論、有難く受け取ったのは言うまでもない。
「燭台切は弟なのか」
碧眼を丸くして意外だと呟くと「僕だって驚いたよ」隻眼が振り返る。
「二振り共とても良い刀だし、僕も好きだけれど、“お兄ちゃんって呼んで”という圧だけはちょっと困っちゃうかな」
「“弟”であることが厭なのか」
「厭っていうか、突然現れた兄に弟として甘えろって言われても戸惑っちゃうよ」
光忠は初期の頃に顕現した刀である。本丸が恙無く運営できるようにと皆の先頭に立って主を支え、引っ張ってきた自負と矜恃がある。後からやってきた兄達に甘えろと言われてもそう簡単にできるわけもない。そんな光忠の思いは知ってか知らずか、福島は毎日のように「お兄ちゃんと呼んでも良いんだぞ」と言っては弟を困らせているのだった。
「なるほど。肝に銘じておこう」
兄弟とは難しいものだな――二筋樋は内心で呟きながら一人頷く。
「ああごめん、別に君のことをどうこう言いたいわけじゃなかったんだ。二筋樋くんが貞ちゃん達に“お兄ちゃん”って呼んで欲しければお願いしてみても良いと思うよ」
「いや、勉強になったよ」
光忠はベーコンを鍋に入れ、軽く火が通ったところでコンソメの顆粒を加えて塩を振り、味を整えると溶き卵を回し入れて軽く鍋の中を攪拌 した。最後の仕上げに粉チーズと黒胡椒をかける。
はいどうぞ熱いから気を付けて――皿に盛り付け、スプーンを添えて二筋樋の前に置いた。出来上がったのはリゾットである。
「本当はもっとたくさんチーズを使うんだけど、あんまり重たいと胃に負担がかかるから粉チーズだけ使ったよ」
ほかほかと温かな湯気と匂いが二筋樋の食欲を刺激して再び腹の虫が鳴いた。いただきます――手を合わせてからスプーンを手に取り、一匙掬って食した。
「どう? 口に合うかな?」
「ああ、美味い」
期待が込められた瞳に薄く笑って答えるとそれは良かったと光忠は安堵したように微笑した。
「アンタ料理が得意なんだろう? カツ丼は作れるか?」
「作れるけど……君の好物なのかい?」
「好物というか、馴染み深い食べ物でね。話を聞く時にはうってつけなんだ」
「そう。じゃあ明日の夜にでも作ってあげるよ。丁度僕が厨番だからね」
「ありがとう」
二筋樋がにこりと微笑むと光忠は隻眼を一瞬瞠目してじっと打刀を見た。
「うん? やっぱりアンタも腹減ったのか?」
急に押し黙った光忠を不審に思ったのか、二筋樋は怪訝そうに首を傾げる。左耳のピアスが揺れて鈍く光った。
「ううん、何でもない。お茶淹れるけど、君も飲むだろう?」
光忠は何かを振り切るように緩く頭 を振るとガス台の前に立ち、水を入れた薬缶を火にかける。――吸い込まれそうな青い瞳が綺麗だ、なんて。口が裂けても言えない。じんわりと帯びてくる顔の熱が鬱陶しくて無意味に冷たい流水で手を洗う。
程なくして湯が沸き、二人分の茶を淹れて彼の前に置いた。
「何だか不思議な匂いがするな」
二筋樋はすんとマグカップから香る匂いを嗅ぐ。花のような匂い。
「これはハーブティだよ。寝付きを良くする効果があるんだって、実休さんが」
良い香りだよね――光忠は少し冷ましてからカップに口を付けた。ふわりと薔薇や加密列 の香りが口の中に広がる。
「へえ、そうなのか」
二筋樋は琥珀色の液体を興味深げに見遣ってカップを手に取った。一口口に含んで「なんだか不思議な味だな」花を食べてるみたいだ――眉根を寄せてぼそりと呟いた。
「まあ好みは分かれるかな。苦手な子もいるしね」
「良薬は口に苦しってな」
「そうだね」
光忠が薄く笑うと二筋樋は「何事も経験だな」そんなことを口にしてリゾットとハーブティを平らげた。
厨を後にした二振りは冷える廊下を足音を殺して歩いて部屋へと戻った。
「それじゃあ、おやすみ」
光忠が軽く手を振って自室へ向かおうとするのを、大きな手が阻んだ。手首を掴まれて振り向く。
「なんだい?」
「いや、世話をかけて悪いんだが……」
二筋樋は言い淀む。居心地が悪そうに視線を惑わせながら「寝る、というのも良く判らない。どうしたら良いんだ?」おずおずといった風情で告げた。
「え? 昨日はどうしてたの?」
「気が付いたら朝になってた」
「もしかして寝てないのかい?」
「それも良く判らない」
「うーん、そうか。全く寝てないっていうわけじゃなさそうだけど……僕は主から君のお世話係をお願いされてるからなあ」
仕方ない――光忠は意を決したように二筋樋の手を掴むと「ちょっと失礼するよ」部屋主の断りもなく襖を開けて中に入った。それから敷かれた布団の中に潜り込む。
「ほら、こっちにおいで」
ぼんやりと部屋の前で立ち尽くしている二筋樋に手招きする。二筋樋は言われるままに光忠の隣に躰を横たえると長い腕に抱き寄せられた。頭を抱え込まれて光忠の胸に耳を押し付ける形になる。
「僕も顕現したばかりの頃はどうやって眠って良いのか判らなくて困ったことがあったんだけどね。――こうして目を閉じてじっとしているんだ」
「……音が聞こえる」
とくとくと穏やかな音が柔らかく耳朶を打つ。
「うん。心臓の音だよ。人の躰の生命維持をする大切な部分だ。ここが傷付けば死ぬ――折れる。だから守るように胸には骨があるんだ」
「そうか。アンタは温かいな」
「僕だけじゃないよ。人の身を持つもの、生きてるものは皆こんなふうに温かくて柔らかくて、脆い」
火と水と鋼鐵でできている刀達 とは大違いだ――白い手が幼子をあやすように黒髪を撫でる。
「この心臓の音は僕達が生まれた鋼鐵を打つ音に似てるかもしれないね」
名だたる刀工達が丹精込めて造りあげた刀剣の産声はきっとこんなふうだったのではないかと光忠は時々思うのだ。
命が生まれる音、命を刻む音はどこまでも穏やかに続いていく――。
「燭台切。おやすみ」
二筋樋は薄く開いた瞼を閉じて眠りの淵に滑り落ちていくのを待った。伝わる温もりが酷く心地良いと感じながら。
◆◆◆
……くん、二筋樋くん――名前を呼ばれて意識が浮上する。眼裏 が赤くなって光を感じた。
「何……?」
薄く目を開けると「おはよう」快活な声音と共に光忠の顔が視界に飛び込んできた。
「燭台切……?」
醒め切らない目でぼんやりと白い貌 を見遣る。
「その様子だとぐっすり眠れたみたいだね。ほら、もう起きないとじきに朝餉の時間だ。顔洗って着替えないと」
「あ、ああ……」
二筋樋はのろのろと躰を起こして欠伸を一つ。がしがしと寝乱れた頭を掻いてぐっと躰を伸ばすと眠気が剥がれていく。先に起きていたらしい光忠は既に着替えを済ませていて白いシャツに黒ネクタイ、ベストといういつもの出で立ちである。トレードマークの黒手袋、眼帯も装着していて隙がない。
「アンタ早いな」
障子戸を透かして差し込む朝陽が眩しい。今日も良く晴れていそうだ。
「昨晩は助かった。色々ありがとう」
「どういたしまして」
光忠はにこりと明るく微笑む。
「なあ、燭台切。また――」
――また昨日みたいに一緒に寝て欲しい、だなんて。
「また? なんだい?」
不意に言葉を途切れさせた二筋樋を不審に思ったのか光忠は不思議そうに金色の瞳を瞬かせる。
「いや、何でもない。顔洗ってくる」
二筋樋は立ち上がると光忠の顔を見ないようにして部屋を後にした。いってらっしゃい――穏やかな声が背後で聞こえた。
「俺はどうかしている」
しゃんとしろ――己を叱咤するように両の手で頬を叩く。この妙な気持ちも人の身を得たせいなのだろうか。全く人間とは不可解なものだと溜息を零して冷たい廊下を歩いた。
――二筋樋が抱いた感情の意味をまだ、知らない。
(了)
深夜、ふと喉の乾きを憶えて目が醒めた光忠は布団から抜け出した。廊下に出ると底冷えするような冷気が足元からのぼってきて思わず両の手で自身の躰を摩った。立春を迎えたとはいえ、暖かな季節はまだ遠い。こうも冷えると桜が綻ぶ季節が待ち遠しくなる。
ぺたぺたと素足で寝静まった廊下を進むと黒い影がゆらりと揺れ動いた。
「そこに誰かいるの?」
夜戦組が帰城したのかと思ったが、違った。振り返ったのは昨日顕現したばかりの二筋樋貞宗だった。一体こんな夜更けにどうしたのかと問いながら彼に歩み寄る。太刀と見紛う逞しい体躯は今は銀鼠色の着流しに包まれている。戦装束が洋装故、和装は新鮮な印象があった。
「ああ、アンタ。確か燭台切といったか。何だかさっきから腹の具合がおかしくてな」
お陰で眠れないのだと静かに告げる。
「えっ、もしかしてお腹痛い? 大丈夫かい?」
「いや、痛みはない。ただ変な感じだ」
二筋樋は着流しの上から腹を摩るとぐきゅるるるとその場にそぐわない音が彼等の間に割って入った。光忠は隻眼を丸くした後、破顔した。
「それは空腹っていうんだよ。お腹が減っている証拠さ」
「空腹?」
人の身を得たばかりの二筋樋には身体の生理的欲求が一体何なのか良く判らないらしい。彼は不思議そうに青い瞳を瞬かせて自身の腹を見た。
「夕飯はちゃんと食ったんだがな」
「食べ足りなかったのかもしれないし、夜中に起きてるとお腹が減ることは良くあることだよ」
「アンタも?」
「僕はちょっと喉が乾いただけ。君は軽く何かお腹に入れた方が良いかもね。お夜食作ってあげるよ」
こう見えて料理は得意なんだと笑うと二筋樋は「じゃあ頼む」と小さく頷いて光忠の後に続いた。
二振り連れ立って厨へ行くと「適当に座ってて」光忠は二筋樋に言ってから冷蔵庫を開けて中を覗き込む。二筋樋は言われた通り厨の隅に置かれていた丸椅子を引っ張ってきて作業台の前に腰を下ろした。
光忠は冷蔵庫から卵とベーコンを取り出すと小さな片手鍋に水と夕餉の残りの冷や飯を入れて火にかけた。煮立つ間にベーコンを切り、卵を椀に割り入れて溶く。
「なあ、ここには貞宗の刀は俺の他にいないのか?」
手持ち無沙汰の二筋樋は頬杖をつきながら広い背に投げかける。光忠は二筋樋が顕現して初めて言葉を交わした刀だ。どうやら彼は主直々に
「いるよ。亀甲くんと物吉くんと貞ちゃんがね。皆それぞれ遠征に出てるけど、早ければ明日には戻ってくるはずだよ」
貞ちゃんは僕と旧知の仲でね前の主が同じだったんだよ――光忠は昔を懐かしむような口吻でそんなことを付け加える。
「皆とっても良い刀だよ。君が来たのを知ったら凄く喜ぶんじゃないのかな。僕も君みたいな刀が貞ちゃんのお兄さんで嬉しいよ」
「そりゃどうも。早く皆に会ってみたいもんだな。――アンタにも兄弟がいるのか?」
「うん。実休さんと福島さんがね。僕の兄なんだ」
名前を聞いて思い出す。どちらも華やかな雰囲気がある刀だが、見た目に反して彼等は薬草や花に詳しいらしく、歓迎の印にと二振りから花束と薬草茶をプレゼントされたのには驚いてしまった。勿論、有難く受け取ったのは言うまでもない。
「燭台切は弟なのか」
碧眼を丸くして意外だと呟くと「僕だって驚いたよ」隻眼が振り返る。
「二振り共とても良い刀だし、僕も好きだけれど、“お兄ちゃんって呼んで”という圧だけはちょっと困っちゃうかな」
「“弟”であることが厭なのか」
「厭っていうか、突然現れた兄に弟として甘えろって言われても戸惑っちゃうよ」
光忠は初期の頃に顕現した刀である。本丸が恙無く運営できるようにと皆の先頭に立って主を支え、引っ張ってきた自負と矜恃がある。後からやってきた兄達に甘えろと言われてもそう簡単にできるわけもない。そんな光忠の思いは知ってか知らずか、福島は毎日のように「お兄ちゃんと呼んでも良いんだぞ」と言っては弟を困らせているのだった。
「なるほど。肝に銘じておこう」
兄弟とは難しいものだな――二筋樋は内心で呟きながら一人頷く。
「ああごめん、別に君のことをどうこう言いたいわけじゃなかったんだ。二筋樋くんが貞ちゃん達に“お兄ちゃん”って呼んで欲しければお願いしてみても良いと思うよ」
「いや、勉強になったよ」
光忠はベーコンを鍋に入れ、軽く火が通ったところでコンソメの顆粒を加えて塩を振り、味を整えると溶き卵を回し入れて軽く鍋の中を
はいどうぞ熱いから気を付けて――皿に盛り付け、スプーンを添えて二筋樋の前に置いた。出来上がったのはリゾットである。
「本当はもっとたくさんチーズを使うんだけど、あんまり重たいと胃に負担がかかるから粉チーズだけ使ったよ」
ほかほかと温かな湯気と匂いが二筋樋の食欲を刺激して再び腹の虫が鳴いた。いただきます――手を合わせてからスプーンを手に取り、一匙掬って食した。
「どう? 口に合うかな?」
「ああ、美味い」
期待が込められた瞳に薄く笑って答えるとそれは良かったと光忠は安堵したように微笑した。
「アンタ料理が得意なんだろう? カツ丼は作れるか?」
「作れるけど……君の好物なのかい?」
「好物というか、馴染み深い食べ物でね。話を聞く時にはうってつけなんだ」
「そう。じゃあ明日の夜にでも作ってあげるよ。丁度僕が厨番だからね」
「ありがとう」
二筋樋がにこりと微笑むと光忠は隻眼を一瞬瞠目してじっと打刀を見た。
「うん? やっぱりアンタも腹減ったのか?」
急に押し黙った光忠を不審に思ったのか、二筋樋は怪訝そうに首を傾げる。左耳のピアスが揺れて鈍く光った。
「ううん、何でもない。お茶淹れるけど、君も飲むだろう?」
光忠は何かを振り切るように緩く
程なくして湯が沸き、二人分の茶を淹れて彼の前に置いた。
「何だか不思議な匂いがするな」
二筋樋はすんとマグカップから香る匂いを嗅ぐ。花のような匂い。
「これはハーブティだよ。寝付きを良くする効果があるんだって、実休さんが」
良い香りだよね――光忠は少し冷ましてからカップに口を付けた。ふわりと薔薇や
「へえ、そうなのか」
二筋樋は琥珀色の液体を興味深げに見遣ってカップを手に取った。一口口に含んで「なんだか不思議な味だな」花を食べてるみたいだ――眉根を寄せてぼそりと呟いた。
「まあ好みは分かれるかな。苦手な子もいるしね」
「良薬は口に苦しってな」
「そうだね」
光忠が薄く笑うと二筋樋は「何事も経験だな」そんなことを口にしてリゾットとハーブティを平らげた。
厨を後にした二振りは冷える廊下を足音を殺して歩いて部屋へと戻った。
「それじゃあ、おやすみ」
光忠が軽く手を振って自室へ向かおうとするのを、大きな手が阻んだ。手首を掴まれて振り向く。
「なんだい?」
「いや、世話をかけて悪いんだが……」
二筋樋は言い淀む。居心地が悪そうに視線を惑わせながら「寝る、というのも良く判らない。どうしたら良いんだ?」おずおずといった風情で告げた。
「え? 昨日はどうしてたの?」
「気が付いたら朝になってた」
「もしかして寝てないのかい?」
「それも良く判らない」
「うーん、そうか。全く寝てないっていうわけじゃなさそうだけど……僕は主から君のお世話係をお願いされてるからなあ」
仕方ない――光忠は意を決したように二筋樋の手を掴むと「ちょっと失礼するよ」部屋主の断りもなく襖を開けて中に入った。それから敷かれた布団の中に潜り込む。
「ほら、こっちにおいで」
ぼんやりと部屋の前で立ち尽くしている二筋樋に手招きする。二筋樋は言われるままに光忠の隣に躰を横たえると長い腕に抱き寄せられた。頭を抱え込まれて光忠の胸に耳を押し付ける形になる。
「僕も顕現したばかりの頃はどうやって眠って良いのか判らなくて困ったことがあったんだけどね。――こうして目を閉じてじっとしているんだ」
「……音が聞こえる」
とくとくと穏やかな音が柔らかく耳朶を打つ。
「うん。心臓の音だよ。人の躰の生命維持をする大切な部分だ。ここが傷付けば死ぬ――折れる。だから守るように胸には骨があるんだ」
「そうか。アンタは温かいな」
「僕だけじゃないよ。人の身を持つもの、生きてるものは皆こんなふうに温かくて柔らかくて、脆い」
火と水と鋼鐵でできている
「この心臓の音は僕達が生まれた鋼鐵を打つ音に似てるかもしれないね」
名だたる刀工達が丹精込めて造りあげた刀剣の産声はきっとこんなふうだったのではないかと光忠は時々思うのだ。
命が生まれる音、命を刻む音はどこまでも穏やかに続いていく――。
「燭台切。おやすみ」
二筋樋は薄く開いた瞼を閉じて眠りの淵に滑り落ちていくのを待った。伝わる温もりが酷く心地良いと感じながら。
◆◆◆
……くん、二筋樋くん――名前を呼ばれて意識が浮上する。
「何……?」
薄く目を開けると「おはよう」快活な声音と共に光忠の顔が視界に飛び込んできた。
「燭台切……?」
醒め切らない目でぼんやりと白い
「その様子だとぐっすり眠れたみたいだね。ほら、もう起きないとじきに朝餉の時間だ。顔洗って着替えないと」
「あ、ああ……」
二筋樋はのろのろと躰を起こして欠伸を一つ。がしがしと寝乱れた頭を掻いてぐっと躰を伸ばすと眠気が剥がれていく。先に起きていたらしい光忠は既に着替えを済ませていて白いシャツに黒ネクタイ、ベストといういつもの出で立ちである。トレードマークの黒手袋、眼帯も装着していて隙がない。
「アンタ早いな」
障子戸を透かして差し込む朝陽が眩しい。今日も良く晴れていそうだ。
「昨晩は助かった。色々ありがとう」
「どういたしまして」
光忠はにこりと明るく微笑む。
「なあ、燭台切。また――」
――また昨日みたいに一緒に寝て欲しい、だなんて。
「また? なんだい?」
不意に言葉を途切れさせた二筋樋を不審に思ったのか光忠は不思議そうに金色の瞳を瞬かせる。
「いや、何でもない。顔洗ってくる」
二筋樋は立ち上がると光忠の顔を見ないようにして部屋を後にした。いってらっしゃい――穏やかな声が背後で聞こえた。
「俺はどうかしている」
しゃんとしろ――己を叱咤するように両の手で頬を叩く。この妙な気持ちも人の身を得たせいなのだろうか。全く人間とは不可解なものだと溜息を零して冷たい廊下を歩いた。
――二筋樋が抱いた感情の意味をまだ、知らない。
(了)