二燭SS

Gustus Amoris

 おや珍しい――不意に耳へ届いた声音に光忠は俯けていた顔を上げた。部屋の入口に立っていたのは最近刀剣男士として顕現した三郎国宗だった。その後ろからひょこりと白髪が覗く。鶴丸である。彼等は旧知の仲らしく、非番の時は良くつるんでいるのが見受けられた。今日は二振り仲良く馬当番だったらしく、内番着姿である。
 三郎と鶴丸は勝手知ったるなんとやらで光忠の隣――炬燵に入ると「やっぱり冬は炬燵が一番だなあ」「ええ、そうですねえ」呑気そうに言って冷えた躰をほっと緩めた。炬燵の熱がじんわりと手足に沁みた。
「鶴さん、三郎さんお疲れ様」
 光忠は薄く笑みを浮かべて手近にあった茶器類がのった盆を引き寄せると二振りのために暖かい茶を振舞った。彼等はそれぞれ礼を口にして熱い茶を啜った。
「――して、先程随分深刻そうな表情かおをしてましたが、何か悩み事でもおありで?」
 三郎が水を向けると光忠は曖昧な表情を浮かべて目の前に置かれた小さな箱に視線を落とした。一度封が開けられたそれはシンプルな黒い箱で、掌に収まるサイズである。一見するところ、中身が何であるかは見当もつかない。
「光坊、悩みがあるなら鶴さんが聞くぞ?」
「ええ、私も微力ながら力になりましょう」
 年長の刀二振りから面と向かってそう言われてしまっては「何でもない」「放っておいてくれ」とは言い出しにくい。鶴丸は単に面白がっているだけかと思われたが、存外真面目な声色だったので心配しているのは本当らしい。三郎も好奇心だけで訊いているわけではなさそうだ。このまま一人で考えていても埒が開かない――光忠は意を決して重たげに口を開いた。
「えっと、これはどういう意味かなって思って……」
 光忠は小箱の蓋を開けて二振りに差し出した。ふわりと甘い香りが漂う。現れたのは真っ赤なハート型のチョコレート。その他に白いものや丸いチョコレートもある。端正な形をしたチョコレートが四つ箱の中に収まっていた。
「これはこれは……」
「ほう、あれか、これは“ばれんたいん”ってやつか」
 鶴丸は流石は伊達男、光坊も隅に置けないなあ――口元ににやりと笑みを浮かべる。
 二月十四日は来週である。本丸においてバレンタインは日頃お世話になっている人にチョコレートを贈る日となって久しい。所謂友チョコ、義理チョコの類が刀剣男士達の間で交わされるのだが、それに混ざってひっそりと本命チョコを渡す刀もいなくもない――らしい。
「どこぞの女子おなごに貰ったのです?」
 三郎は鶴丸から基本的なバレンタインの意味を教えられると興味津々とばかりに身を乗り出して艶々と光を弾いているチョコレートと光忠とを見遣った。と、隻眼は眉根を寄せてどこか気まずそうに黒手袋の指先で頬を搔く。
「いや、貰ったのは女の子じゃないんだ。女の子じゃなくて――二筋樋くんなんだ」
 予想もしなかった名前が出てきて二振りは目を丸くした。
「あれまあ」
「へえ、二筋樋貞宗が光坊にねえ」
 話は三日前に遡る。
 顕現したばかりの二筋樋貞宗の教育係を主直々に仰せつかった光忠は本丸での生活を教える一環として共に万屋へ買い出しに行ったのだ。その時、万屋で売っていたチョコレートに二筋樋は興味を示したのである。
「ああ、もうすぐバレンタインだからね。元々は異国の風習だったらしいけど、今では日本でも好きな人や日頃お世話になってる人にチョコレートを贈るんだよ。友チョコとか義理チョコとか言ってね」
 好きな人には本命チョコを――光忠はディスプレイされている真っ赤なハートのチョコレートを指さす。
「愛の告白と共にチョコを贈るなんて、ちょっと面白いよね」
「ちょこれーとを?」
 二筋樋は不思議そうに首を傾げながら目の前にあったチョコレートの詰め合わせを手に取ってめつすがめつする。
「そう。とても甘くて美味しいよ。あの白いのはホワイトチョコ、こっちの赤いのはラズベリー味かな。チョコにも色んな味があるんだよ。抹茶とかコーヒーとか、オレンジ風味のものとか」
「なるほど」
 二筋樋は青い瞳を瞬かせると赤いハート型のチョコレートが入った小箱を一つ手に取り、会計を済ませ、金色のリボンがあしらわれたそれを光忠に差し出した。
「え? これ……?」
 突然のことに光忠が目を丸くすると「アンタにはいつも世話になってるからな」貞宗の刀は何でもないように告げて黒手袋に小箱を握らせたのだ。
「――と、まあそんなふうだったんだけど、きっと本当に他意はなくて、挨拶程度の意味なんだろうけど――」
 光忠はハート型のチョコレートを指先に摘んで弄ぶ。
 先程から彼が頭を悩ませているのはこのハートのチョコレートにあった。つまるところ、このハートに何らかの意味があるのかどうか――口に出してしまえば何とも女々しく、実にくだらない悩みだと思うのだが、一度気になってしまうとどうもいけない。たかがハート、されどハート、だ。何か特別な意味があるのではないかと邪推してしまう自分がおかしいやら悲しいやら。
「なるほどなあ、光坊の恋の悩みかあ」
 話を聞いていた鶴丸は笑みを深めて光忠を見遣った。途端に光忠は身を仰け反らせて素っ頓狂な声をあげる。
「恋!? え、ちょっと鶴さん! 僕はそんなんじゃ、」
「だってそのハートの意味が気になるんだろう? 彼のことをどうとも思っていなかったらハートのチョコのことだって気になったりしないだろう?」
 なあ三郎、と鶴丸に同意を求められた刀はええそうですね、と頷きながら広げた扇の下で薄く笑う。
「刀のお巡りさんが燭台切さんをどう思っているかはご本人にしか判りませんけれど、あなたのその想いは大切になさった方が良いと思いますよ。私達が今こうして人の身でいられるのは束の間、言わば仮初の姿。それならば恋も今のうちに楽しんでおくのが吉かと」
「三郎さん……、」
「まあどうしても気になるなら、ご本人に訊くのが一番ですね」
「おっ、噂をすればなんとやらだな」
 二振りの言葉にたれたように光忠が視軸を部屋の入口へ転じるとくだんの刀が立っていた。内番の作業をしていたのか、白いジャージの裾が薄らと汚れている。
「え、嘘、二筋樋くん!?」
「ああ、悪い。声が聞こえてきたから何を話してるのかと」
 邪魔したか?と訝しむ二筋樋の手を三郎が掴んで彼を部屋に招き入れ、座るように促す。
「ささ、後はお若い方同士で。年寄りは退散しましょう」
 ねぇ鶴さん、と旧知の刀に目配せすると三郎と鶴丸は連れ立って腰を上げた。
「じゃあな、光坊。上手くやれよ」
 鶴丸はニカッと笑うと白い手をひらひらと振って三郎と共に部屋を出て行った。取り残された二振りの間に重たい沈黙が降りる。光忠は視線を惑わせながら言葉を探すが相応しいものは見つからない。ちらと二筋樋を盗み見ると一瞬目が合って心臓が跳ねた。先程の鶴丸の「恋」と言った言葉が思い出されて俄かに耳が熱くなる。真面まともに二筋樋の顔を見られなくて俯く。――らしくない。全然、らしくない。何たる無様な。
「それ、美味かったか?」
 座卓の上に広げられたものが先日光忠に渡したチョコレートだと知って二筋樋は問うた。
「え、ああ、これから食べるところだけど……君も一緒に食べるかい?」
 光忠は丸いトリュフチョコを摘むと彼に差し出す。と、二筋樋は口を開けた。突如見せたいとけないような振る舞いに光忠は目を見開くとふっと笑み崩れて、開かれた口の中にチョコレートを落とした。
「凄く甘いな」
「でも美味しいだろう?」
 初めて味わう濃厚な甘味に二筋樋はやや顔を顰めながらも、光忠の言葉に頷いてみせた。それから真っ赤なハートのチョコを摘みあげると光忠の唇に押し当てる。
「これはアンタに」
 青い瞳が穏やかに眇められる。
 ――このハートのチョコレートに意味があってもなくても。
 光忠は口を開いて押し込められる真っ赤なラズベリー味のチョコレートを食した。
「うん、とっても美味しいよ」
 口の中に広がる爽やかな甘さに光忠は莞爾かんじした。きっとこれが恋の味なのだろうと確信して。

(了)
4/4ページ
スキ