高杉晋助
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横並びのカウンターで隣に座る銀髪は、つまらなさそうにおちょこを揺らす。
「横っ面でも引っぱたいてやれば良かったのによォ」
カラクリが暴走した祭りの日に、高杉に出会った話をすると、懐かしい提案が彼から出てきた。
十年ほど前の記憶は、寂しさを伴って、欠けた心を撫でる。
「まあ、それもありだったね」
「オイオイ……。昔のお前に聞かせてやりてぇ言葉だな」
「ふふ、喧嘩した訳じゃないし、それで何か変わる訳でもないだろうけどね。……あのこと覚えてるんだ。意外」
「忘れるわけねェだろ。人の頬、思いっきり引っぱたきやがって」
「ごめんって」
おちょこに残った日本酒を飲み干す。喉を通っていく感覚。頬を思いっきり引っぱたいたら、叩かれた方はこのくらい熱いのだろうか。
◾︎
「高杉と喧嘩ァ?」
「喧嘩っていうか、ちょーっと気まずくなってて、どうやって話しかけようかな〜みたいな……」
心底興味無い、怠いと鼻をほじりながら銀色頭の男の目が言う。いつもは死んだ魚のような目をしている癖に、こういう時だけ感情が乗るのはなんなのか。
「なんでお前らの痴話喧嘩に俺が巻き込まれなきゃいけねーんだよ」
「ち、ちちち痴話喧嘩なんかじゃ……!」
私と高杉は付き合ってはいない。私が彼に片想いをしている状況で、伝えるならせめて、この戦いが終わってからと決めている。
でも、彼の力にはなりたくて、高杉率いる鬼兵隊に入り、私にできる限り刀を振るった。兵法には明るくないので、そこは邪魔にならないように少しずつ、高杉に聞いたりしていた。
ただ、ここ数日は、高杉となるべく顔を合わせないようにしていた。何か言いたげな表情をする彼から逃げて、その度に胸がズキズキ痛むのに耐えられなくなった。謝れば済む話なのに、逃げすぎて、話しかけるキッカケを掴めずにいる。
「はいはい、そういうのいいから。つか、ヅラに聞けば?」
「桂には相談済み。銀時って高杉とよく喧嘩してるし、長期間喋らない時とかあるでしょ?話すキッカケ作りとか、仲直りの仕方も知ってそうじゃん」
「知らねーよ、そんなもん」
ピンッと彼の鼻から掘り出された鼻くそが飛んでいく。
銀時と高杉の言い合いは日常茶飯事。その癖、戦場を駆け、背中を合わせて戦う二人の息はピッタリ。共に戦う同士たちもそう言う。
この戦に参加する前からの仲だと聞いている。それは話題にも出た桂もだ。
今この場にはいない、狂乱の貴公子が頭に浮かぶ。
先に相談をした彼は至極真面目な顔で、「話しかけづらいなら、物で理由付けをすれば良かろう。意表も付きやすい。例えば、そうだな。……ヤクルコ、あるいは歩狩汗がいいんじゃないだろうか」と言った。
「例えばヤクルコの場合だが、ヤクルコを六本用意する。それを高杉にやる」
「……それで?」
「ヤクルコに含まれている乳酸菌やらなんやらのパワーでシックスパックになる。そうなれば、やつも喧嘩など忘れて」
「うん、分かった。ありがとう、桂」
話の途中でぶった切ってしまったが、今回は仕方がない。そもそも、ヤクルコでシックスパックが作れるなら、誰も苦労しない。本当にその効果があるなら、自動販売機で売られている歩狩汗くらいのぼったくり金額になっているに違いない。
「……まあ、ヤクルコか歩狩汗かは置いておいても、お前から話すきっかけを作ってやれば、高杉も話くらい聞いてくれるだろうよ」
「そうじゃないと困っちゃう」
肩を竦めて自嘲気味に笑ってみせる。高杉の姿を見かけて、それとなく避けてしまうのは私の方なのに、そのきっかけでさえも、もし振られてしまったら、もうどうしようもない。
「何が原因で喧嘩などしているか知らんが、早く仲直りしろ。貴様らの最近の空気には俺らも迷惑しているんだ」
◾︎
「ヘェ、もうそれでいいんじゃね?」
「……そう思うなら、ヤクルコ代、六本分」
「ンな金あるわけねーだろ! なんで他人の痴話喧嘩に金出さなきゃいけねぇんだ!」
銀時に向かって差し出した手をバシッと叩かれた。シンプルに痛い。というか、さっき鼻ほじっていた手じゃなかった? 手を服になすっていると、銀時の目が向けられる。
「何が原因でお前らはそうなってんだよ」
「……私が戦ってる途中に負傷して、仲間庇って、大きめの怪我した日があったの。高杉に、無茶すんじゃねェ、死にてェのかって怒られて」
「まァ、そうだろうな」
あの時の高杉の静かな怒りと、滲み出ていた焦燥感は覚えている。いつ誰が死んでもおかしくない。死ぬなと言っても、それが実現できるかは誰にも分からない。戦場で、不安要素はなるべく排除するべきだ。それでも外さず使ってくれている内に、役に立たなきゃいけないという思いに焦りを勝手に感じていた。あんな、悲しそうな顔をさせるつもりはなかったのに。
「その後の戦で、高杉も似たような事をしたの」
複数人に囲まれ、手負いの兵を庇いながらの戦。駆けつけた時には、敵は全員地に伏していた。そんな状況でほぼ傷が無いのは流石としか言いようがない。
「高杉が強いのはよく知ってる。簡単に死なないのも。だけど、無茶したら死んじゃうのは高杉も一緒。だから、喧嘩っていうか、言い合いになった。……一方的に私が気まずくなってるだけ」
傷を作って帰ってきたやつが言うんじゃねェ、と言われて、何も言い返せず、逃げ出したのだ。感情的になっていたとはいえ、面倒臭い女すぎる。
「全く同じことを、アイツも思っただろうよ」
「……そう、それは分かる」
ひとりで立っていた高杉を見た瞬間、心配で胸が押し潰されそうになった。
その事を思い出して、ため息をつく。そんな私を見た銀時は頭を掻きながら言う。
「横っ面でも引っぱたいてやればいんじゃね」
「引っぱたく? ……ちょっと過激すぎない?」
「お互い同じようなことやらかしてんだ。喧嘩を双方気持ちよく収めるなら、夕陽とともに河川敷でって相場は決まってんだろ。……お前のゴーレム並に硬いグーだと死人が出ちまうが、パーならまあ、大丈夫だろ」
「誰がゴーレムよ。……パーで死なないかどうか、一撃、アンタで試しても良いんだけど?」
「すんませんでしたァアアアア!!!」
頭を低くする銀時の頭を見下ろして、彼の提案について考えてみる。正面に見据えた高杉の横っ面に平手をする。考えただけで、身体が震えた。
戦場での上司に、しかも好きな人に手を上げる。なんて、いくら喧嘩中だからと言っても出来るわけない。そもそも、迷惑かけている私から頬を平手打ちってもう意味が分からない。
「力だめした後に痛恨の平手をする。これで喧嘩両成敗」
「……引っぱたくなんて、で、出来ない」
「あ?なんでだよ」
「だって、じょ、上司だし、迷惑かけたの私だし、それに……好きな人相手に出来るわけないじゃん……!」
「……お前アイツのことなんだと思ってんの?プライドは高いが身長は低いただのむっつ……ふべらっ!」
「なるほど、こういう風にすればいいのね」
「いきなり何すんだ! こんのクソアマ! つーかさっき謝っただろ!!」
クソ痛いんですけど!? 等とギャンギャン叫ぶ銀時の声をバックミュージックに、自分の手のひらと銀時の顔を交互に見る。赤くなっている銀時の頬と、手のひらにジンジンと残る痛み。強制的に練習台になってもらった銀時には悪いけど、やっぱり高杉には出来ないと思った。
「マジでゴーレム級じゃねぇか。刀振り回してるより、拳振り回してた方がいいだろ。ッテテ」
「ごめん、銀時、反射的に手が動いた。すぐ氷と救急箱持ってくるから!」
走り出そうとした私を銀時の手が阻む。早く冷やすなりしないと、痛むだろうに。
やったのは私だけど、赤くなった頬が目に入ってチクチクと良心が痛み始めた。
「……いや、いいわ。お前今日、夕飯当番だったろ?早く行かねぇと迷惑かけんぞ」
「それはそうなんだけど。……本当にいいの?」
「あァ。その辺のやつに手当してもらう。……これくらいのもん、アイツに食らわしてやれ」
でも、と躊躇する私に、さっさと行けと手を振られ、心残りは少しあるものの、炊事場に急いだ。
◾︎
夜。仲間と見張りを変わり、一度、高杉と話すきっかけをつくるアイテムを腰につけたバッグに入れ、彼を探す。夕飯時は、炊事担当の人達と食べていたため、高杉と話す時間が無かった。
月明かりが綺麗な夜だ。梟の鳴き声と仲間たちの声を遠くに、拠点にしている廃寺の倉庫前に一人でいた高杉を見つけた。向こうも私を探していたらしい。思っていたより早く出会えて良かった。
数日ぶりのちゃんとした対面。月の光に照らされる顔は、少し苛立っているように見える。話すきっかけを、と袂に手を入れかけたところで、彼に先制を取られた。
「銀時に強烈なものをやったらしいじゃねぇか」
「あれは……! その場のノリというか、なんというか」
見られてたのか。高杉に。思わず顔を覆ってしまった。羞恥心が身体を駆けていく。穴があったら入りたい。
「み、見てたの?」
「いや? 銀時に聞いた」
銀時から聞いたと言うことは、腫れた頬も見ているはずだ。頬を指して、大袈裟にあのゴーレム女にやられたとでも言ったのだろう。戦場ではさておき、それ以外の場所では、可憐に見られたいという乙女心が分からないのか。平手打ちしておいて言うことでは無いか。高杉にはなるべく粗暴な女だとは思われたくない。
「ど、どういう風に聞いたか聞いてもいいですか」
「数日は跡が残る、強烈なものをナマエから貰ったと、それは腹が立つ顔で言っていたな」
「ソ、ソウデスカ」
「……お前らがそんな仲だとは知らなかったな」
冷や汗が流れる。なんだその言い方。最悪だ。絶対わざとだ。わざと銀時は高杉が勘違いさせるような言い方をしている。余計に話が拗れてしまう。腹が立つ笑い顔を浮かべる銀時が頭を過ぎった。
「ち、違う! そんな仲って、そんなこと無い……! 銀時が大袈裟に言ってるだけで、ただの」
「俺にも……俺にもくれねェか」
「……え?」
小さく呟かれた言葉に心が乱される。
混乱する私を見る高杉の立ち姿から、謎の威圧感を感じ始める。思わず後ずさりをすると、高杉も一歩距離を詰めてきた。
その攻防を繰り返していると、トンっと背中に壁がぶつかった。高杉との距離は半歩で詰められそうなくらい近い。これだと左右にも逃げられなくて、非常にマズい。
「そんな仲じゃねェっていう、銀時には出来て、俺には出来ねェって?」
「そりゃあ、できませ」
ゴッという音の後、顔のすぐ横から土壁がパラパラと視界の端に舞う。出来ません、と言える雰囲気ではなくなってしまった。
静かに見下ろされる中、頬に手を伸ばす。高杉が真っ直ぐこちらを見ていて、とてつもなくやりづらい。ちょっとだけ目を閉じてくれないかな。じっと見つめてみるが意図は通らず、負けじと見つめられる。
声を出すのもはばかられる、そんな空気の中での見つめ合いに早くも白旗を降ったのは私だった。ダメだ、見つめあっているのは心臓に悪い。早く終わらせてしまおう。
彼の顔に向かって手を伸ばす。深呼吸をして、伸ばした手をほんの数センチ離して、高杉の頬を軽く叩いた。ぺちっと軽い間の抜けた音。
「……どういうつもりだ」
「わっ……!」
手首を掴まれ、グッと高杉の顔が寄ってくる。場違いに鼓動が早くなっていく。
「どういうって……。け、喧嘩収めるなら、横っ面叩いてやれって言われて、色々あって、銀時の頬に思いっきり、一発……」
「頬? …………あァ、そういう事か。チッ、銀時の野郎、紛らわしい言い方しやがって」
ひとり納得する彼に首を傾げれば、話を聞いた状況を教えてくれた。
高杉曰く、夕飯時、胡座で肘をついている銀時から話を聞いたと言う。暗くなった空の下、焚き火の向こう側で頬を隠すように顔を支えていたらしいから、赤くなっていたのなんて分からないだろう。
仲直りを手伝ってくれようとしているのか、状況をこじらせたかったのか。銀時の行動原理がイマイチ掴めない。明日、問い詰めてやる。
ようやく手首が解放されて、大きく息を吐く。威圧されて思わずやってしまったけど、軽く触れただけだから許して欲しい。罪悪感が上回って思いっきり平手打ちなんて出来るわけ無かった。
「……ごめんなさい。避けたりしてた事も、無茶した事も、全部。もう疑わない。高杉は私が心配しなくても強い。ただその背中に勝手に着いて行って、護るから」
「……あァ」
ようやく、半歩くらいは追いつけた気がする。勝手に追いかけてるだけだけど。
満月をバックに立つ高杉からさっきまでの威圧感は感じなかったが、距離はそのままで退けてくれる様子が無い。
「高杉?」
「いや、なに。喧嘩両成敗ってんなら、俺からもナマエにしねェとなって思っただけだ」
「それは、そうだね……」
何をされるんだろう。なんでも甘んじて受ける覚悟はあるけど、私を見る目から彼の意図は読めなくて少し怖い。
高杉の手が伸びてきて、思わずぎゅっと目を瞑る。数秒経っても何もしてこない。
逆に怖くなってきた。目の前に高杉いるよね?気配を消して、目を開けたら私の前から消えてる、とかだったら少し悲しい。
十秒以上経っても何も無く、様子を見るために恐る恐る目を開く。眩しい月光、それから正面にいる高杉の柔らかな視線。それらを浴びて、胸が甘く痺れていく。
冷たい指先が頬に軽く当たって、離れていった。
「これで、おあいこだ」
ふっと笑った高杉が言った。
「これでって、本当にこれでいいの?」
「あァ。これでいい。お前からの仕返しが怖いからな」
「し、しないよ!」
「どうだか」
くくく、と笑いながら、数歩離れる高杉。距離が離れても、私を見る目は変わらない。そんな目で見ないで欲しい。きゅっと締め付けられる胸に、そろそろ無視が出来なくなりそうだ。
余計な事を言ってしまう前に、なんとか空気を変えたい。どうしようと、腰に手を当てたところで、アレを持っていた事を思い出す。
「あっ、そうだ、これ」
バッグからヤクルコを取り出す。両手の指それぞれで三本挟んで、計六本。桂のアドバイスを受けて、一応持ってきていたものだ。使うタイミングを最初に逃して以来、すつかり忘れていた。
「な、仲直りの盃、的な……?」
無言の視線が痛い。やっぱり六本も要らなかった。気まずさで、バッグに戻そうとした私の手から、ヤクルコが一本取られる。
「一本だけだ」
「……うん! ありがとう」
綺麗な月明かりの下で交わした小さな乾杯は、私たち二人だけの秘密だ。
◾︎
一夜明け、雲ひとつない青空。鳥の囀りがよく聞こえる。朝ご飯までの時間、銀時と桂にお礼と報告をしようと思って辺りを見回していると、呑気に歩いている銀髪天パを見つけた。早足で近づくと、私に気がついた銀時が驚いた表情を浮かべる。
「銀時、昨日はどうも」
「あァ。仲直り出来たんだ? 良かったじゃねーか。じゃあ俺はこれで……」
「待って」
逃げ出そうとする彼の首根っこを掴んで引き止める。
「な、なんだよ」
「アドバイスには感謝してる。ありがとう。でも、高杉にわざと勘違いさせるような言い方したでしょ」
「……一切記憶にございません」
目を思いっきり逸らされた。確信犯だ。
「どうして、そんな言い方したのよ。誤解を解くの大変だったんだけど!」
「そりゃ悪かったって。別に嘘は言ってねぇだろ。嘘は。……そんな事より、ナマエちゃんの方こそ、どういうことだよ」
「な、なにが?」
「なにが?じゃねーだろ。高杉の野郎、傷一つ無いんだけど!?銀さんがお前に食らったコレくらいのモン、やってやるって言ってなかったけ?」
「そこまで言ってないけど!?」
食らわせてこい、と言われはしたが、頷きも返事もしていない。はあーあ、と大袈裟にため息をつく銀時の頬は綺麗に手当されている。寝る前に手当してもらったのだろうか。ちょっと安心した。
「待てよ。もしかして、見えないところに赤い痕が」
「よーし、銀時、反対側の頬にも一撃あげる」
「冗談だって! 手、下ろそ? な?」
「まあまあ、良いではないか、銀時。貴様の頬ひとつで高杉の機嫌が直り、二つでコイツの機嫌が直るなら安いものだろう」
「そうそう、そがな男前にしてもろうて羨ましい限りじゃ」
桂と坂本くんまでやって来た。爆音の笑い声が耳を通過する。朝から元気だ。
「いい訳あるか!! ダブルでいらねーよ! そもそも、俺は既に充分男前ですけど!? 羨ましいってんなら、コイツに頼んでやってもらえよ」
「そんなもの必要ない」
「いやァ、遠慮する」
「アンタたち、好き勝手言い過ぎじゃない?」
桂と坂本くんから一歩距離を取られた。腕のリーチから逃げなくてもいいじゃないか。
早く離せと喚く銀時を解放して、彼と桂くんふたりを見る。
「銀時も桂もありがとう。お陰で、またちゃんと話せるようになったよ」
「おう」
「別に大したことはしていない」
「そんなに楽しそうな事をしとったなら、わしも手伝ったのに」
「あはは、また何かあったら相談させてもらうよ」
坂本くんには悪いけど、もうこういう事で相談することは無い気がする。
もう迷わない。一人の仲間として、彼の行く先を信じると決めたのだから。
◾︎
「……思い出したら痛くなってきた。頬に思い出し紅葉浮かんできてない? あと、慰謝料請求していい? とりあえず、今日のここ持ち。あとは……先月と合わせた家賃八万」
「なんでよ。アンタの家賃滞納事情は関係ないでしょ! 聞いてもらったから、ここ持ちくらいなら良いけど」
ケチだなと返ってきたので、直ぐにお酌をしていた手を止めて、自分のおちょこに注ぐ。
店の丸い照明を反射する水面に、あの月夜を思い出させる。背中を追いかけると決めたのに、結局途中でそれも叶わなくなってしまった。
「……次会ったら」
「ん?」
「絶対、引っぱたく」
「そうしろ」
どうせ本人を前にすれば、どういう状況だとしても結局は出来ない。でも、そう思っていないと、過激派攘夷浪士として世間に知られている彼に何があるかなんて分からない。
昔以上に、危険と背中合わせの高杉の生きている姿を見れると思っていないと、心は欠け続けてしまう。
結局私は、彼の横っ面は叩けない。
2026.3.12
「横っ面でも引っぱたいてやれば良かったのによォ」
カラクリが暴走した祭りの日に、高杉に出会った話をすると、懐かしい提案が彼から出てきた。
十年ほど前の記憶は、寂しさを伴って、欠けた心を撫でる。
「まあ、それもありだったね」
「オイオイ……。昔のお前に聞かせてやりてぇ言葉だな」
「ふふ、喧嘩した訳じゃないし、それで何か変わる訳でもないだろうけどね。……あのこと覚えてるんだ。意外」
「忘れるわけねェだろ。人の頬、思いっきり引っぱたきやがって」
「ごめんって」
おちょこに残った日本酒を飲み干す。喉を通っていく感覚。頬を思いっきり引っぱたいたら、叩かれた方はこのくらい熱いのだろうか。
◾︎
「高杉と喧嘩ァ?」
「喧嘩っていうか、ちょーっと気まずくなってて、どうやって話しかけようかな〜みたいな……」
心底興味無い、怠いと鼻をほじりながら銀色頭の男の目が言う。いつもは死んだ魚のような目をしている癖に、こういう時だけ感情が乗るのはなんなのか。
「なんでお前らの痴話喧嘩に俺が巻き込まれなきゃいけねーんだよ」
「ち、ちちち痴話喧嘩なんかじゃ……!」
私と高杉は付き合ってはいない。私が彼に片想いをしている状況で、伝えるならせめて、この戦いが終わってからと決めている。
でも、彼の力にはなりたくて、高杉率いる鬼兵隊に入り、私にできる限り刀を振るった。兵法には明るくないので、そこは邪魔にならないように少しずつ、高杉に聞いたりしていた。
ただ、ここ数日は、高杉となるべく顔を合わせないようにしていた。何か言いたげな表情をする彼から逃げて、その度に胸がズキズキ痛むのに耐えられなくなった。謝れば済む話なのに、逃げすぎて、話しかけるキッカケを掴めずにいる。
「はいはい、そういうのいいから。つか、ヅラに聞けば?」
「桂には相談済み。銀時って高杉とよく喧嘩してるし、長期間喋らない時とかあるでしょ?話すキッカケ作りとか、仲直りの仕方も知ってそうじゃん」
「知らねーよ、そんなもん」
ピンッと彼の鼻から掘り出された鼻くそが飛んでいく。
銀時と高杉の言い合いは日常茶飯事。その癖、戦場を駆け、背中を合わせて戦う二人の息はピッタリ。共に戦う同士たちもそう言う。
この戦に参加する前からの仲だと聞いている。それは話題にも出た桂もだ。
今この場にはいない、狂乱の貴公子が頭に浮かぶ。
先に相談をした彼は至極真面目な顔で、「話しかけづらいなら、物で理由付けをすれば良かろう。意表も付きやすい。例えば、そうだな。……ヤクルコ、あるいは歩狩汗がいいんじゃないだろうか」と言った。
「例えばヤクルコの場合だが、ヤクルコを六本用意する。それを高杉にやる」
「……それで?」
「ヤクルコに含まれている乳酸菌やらなんやらのパワーでシックスパックになる。そうなれば、やつも喧嘩など忘れて」
「うん、分かった。ありがとう、桂」
話の途中でぶった切ってしまったが、今回は仕方がない。そもそも、ヤクルコでシックスパックが作れるなら、誰も苦労しない。本当にその効果があるなら、自動販売機で売られている歩狩汗くらいのぼったくり金額になっているに違いない。
「……まあ、ヤクルコか歩狩汗かは置いておいても、お前から話すきっかけを作ってやれば、高杉も話くらい聞いてくれるだろうよ」
「そうじゃないと困っちゃう」
肩を竦めて自嘲気味に笑ってみせる。高杉の姿を見かけて、それとなく避けてしまうのは私の方なのに、そのきっかけでさえも、もし振られてしまったら、もうどうしようもない。
「何が原因で喧嘩などしているか知らんが、早く仲直りしろ。貴様らの最近の空気には俺らも迷惑しているんだ」
◾︎
「ヘェ、もうそれでいいんじゃね?」
「……そう思うなら、ヤクルコ代、六本分」
「ンな金あるわけねーだろ! なんで他人の痴話喧嘩に金出さなきゃいけねぇんだ!」
銀時に向かって差し出した手をバシッと叩かれた。シンプルに痛い。というか、さっき鼻ほじっていた手じゃなかった? 手を服になすっていると、銀時の目が向けられる。
「何が原因でお前らはそうなってんだよ」
「……私が戦ってる途中に負傷して、仲間庇って、大きめの怪我した日があったの。高杉に、無茶すんじゃねェ、死にてェのかって怒られて」
「まァ、そうだろうな」
あの時の高杉の静かな怒りと、滲み出ていた焦燥感は覚えている。いつ誰が死んでもおかしくない。死ぬなと言っても、それが実現できるかは誰にも分からない。戦場で、不安要素はなるべく排除するべきだ。それでも外さず使ってくれている内に、役に立たなきゃいけないという思いに焦りを勝手に感じていた。あんな、悲しそうな顔をさせるつもりはなかったのに。
「その後の戦で、高杉も似たような事をしたの」
複数人に囲まれ、手負いの兵を庇いながらの戦。駆けつけた時には、敵は全員地に伏していた。そんな状況でほぼ傷が無いのは流石としか言いようがない。
「高杉が強いのはよく知ってる。簡単に死なないのも。だけど、無茶したら死んじゃうのは高杉も一緒。だから、喧嘩っていうか、言い合いになった。……一方的に私が気まずくなってるだけ」
傷を作って帰ってきたやつが言うんじゃねェ、と言われて、何も言い返せず、逃げ出したのだ。感情的になっていたとはいえ、面倒臭い女すぎる。
「全く同じことを、アイツも思っただろうよ」
「……そう、それは分かる」
ひとりで立っていた高杉を見た瞬間、心配で胸が押し潰されそうになった。
その事を思い出して、ため息をつく。そんな私を見た銀時は頭を掻きながら言う。
「横っ面でも引っぱたいてやればいんじゃね」
「引っぱたく? ……ちょっと過激すぎない?」
「お互い同じようなことやらかしてんだ。喧嘩を双方気持ちよく収めるなら、夕陽とともに河川敷でって相場は決まってんだろ。……お前のゴーレム並に硬いグーだと死人が出ちまうが、パーならまあ、大丈夫だろ」
「誰がゴーレムよ。……パーで死なないかどうか、一撃、アンタで試しても良いんだけど?」
「すんませんでしたァアアアア!!!」
頭を低くする銀時の頭を見下ろして、彼の提案について考えてみる。正面に見据えた高杉の横っ面に平手をする。考えただけで、身体が震えた。
戦場での上司に、しかも好きな人に手を上げる。なんて、いくら喧嘩中だからと言っても出来るわけない。そもそも、迷惑かけている私から頬を平手打ちってもう意味が分からない。
「力だめした後に痛恨の平手をする。これで喧嘩両成敗」
「……引っぱたくなんて、で、出来ない」
「あ?なんでだよ」
「だって、じょ、上司だし、迷惑かけたの私だし、それに……好きな人相手に出来るわけないじゃん……!」
「……お前アイツのことなんだと思ってんの?プライドは高いが身長は低いただのむっつ……ふべらっ!」
「なるほど、こういう風にすればいいのね」
「いきなり何すんだ! こんのクソアマ! つーかさっき謝っただろ!!」
クソ痛いんですけど!? 等とギャンギャン叫ぶ銀時の声をバックミュージックに、自分の手のひらと銀時の顔を交互に見る。赤くなっている銀時の頬と、手のひらにジンジンと残る痛み。強制的に練習台になってもらった銀時には悪いけど、やっぱり高杉には出来ないと思った。
「マジでゴーレム級じゃねぇか。刀振り回してるより、拳振り回してた方がいいだろ。ッテテ」
「ごめん、銀時、反射的に手が動いた。すぐ氷と救急箱持ってくるから!」
走り出そうとした私を銀時の手が阻む。早く冷やすなりしないと、痛むだろうに。
やったのは私だけど、赤くなった頬が目に入ってチクチクと良心が痛み始めた。
「……いや、いいわ。お前今日、夕飯当番だったろ?早く行かねぇと迷惑かけんぞ」
「それはそうなんだけど。……本当にいいの?」
「あァ。その辺のやつに手当してもらう。……これくらいのもん、アイツに食らわしてやれ」
でも、と躊躇する私に、さっさと行けと手を振られ、心残りは少しあるものの、炊事場に急いだ。
◾︎
夜。仲間と見張りを変わり、一度、高杉と話すきっかけをつくるアイテムを腰につけたバッグに入れ、彼を探す。夕飯時は、炊事担当の人達と食べていたため、高杉と話す時間が無かった。
月明かりが綺麗な夜だ。梟の鳴き声と仲間たちの声を遠くに、拠点にしている廃寺の倉庫前に一人でいた高杉を見つけた。向こうも私を探していたらしい。思っていたより早く出会えて良かった。
数日ぶりのちゃんとした対面。月の光に照らされる顔は、少し苛立っているように見える。話すきっかけを、と袂に手を入れかけたところで、彼に先制を取られた。
「銀時に強烈なものをやったらしいじゃねぇか」
「あれは……! その場のノリというか、なんというか」
見られてたのか。高杉に。思わず顔を覆ってしまった。羞恥心が身体を駆けていく。穴があったら入りたい。
「み、見てたの?」
「いや? 銀時に聞いた」
銀時から聞いたと言うことは、腫れた頬も見ているはずだ。頬を指して、大袈裟にあのゴーレム女にやられたとでも言ったのだろう。戦場ではさておき、それ以外の場所では、可憐に見られたいという乙女心が分からないのか。平手打ちしておいて言うことでは無いか。高杉にはなるべく粗暴な女だとは思われたくない。
「ど、どういう風に聞いたか聞いてもいいですか」
「数日は跡が残る、強烈なものをナマエから貰ったと、それは腹が立つ顔で言っていたな」
「ソ、ソウデスカ」
「……お前らがそんな仲だとは知らなかったな」
冷や汗が流れる。なんだその言い方。最悪だ。絶対わざとだ。わざと銀時は高杉が勘違いさせるような言い方をしている。余計に話が拗れてしまう。腹が立つ笑い顔を浮かべる銀時が頭を過ぎった。
「ち、違う! そんな仲って、そんなこと無い……! 銀時が大袈裟に言ってるだけで、ただの」
「俺にも……俺にもくれねェか」
「……え?」
小さく呟かれた言葉に心が乱される。
混乱する私を見る高杉の立ち姿から、謎の威圧感を感じ始める。思わず後ずさりをすると、高杉も一歩距離を詰めてきた。
その攻防を繰り返していると、トンっと背中に壁がぶつかった。高杉との距離は半歩で詰められそうなくらい近い。これだと左右にも逃げられなくて、非常にマズい。
「そんな仲じゃねェっていう、銀時には出来て、俺には出来ねェって?」
「そりゃあ、できませ」
ゴッという音の後、顔のすぐ横から土壁がパラパラと視界の端に舞う。出来ません、と言える雰囲気ではなくなってしまった。
静かに見下ろされる中、頬に手を伸ばす。高杉が真っ直ぐこちらを見ていて、とてつもなくやりづらい。ちょっとだけ目を閉じてくれないかな。じっと見つめてみるが意図は通らず、負けじと見つめられる。
声を出すのもはばかられる、そんな空気の中での見つめ合いに早くも白旗を降ったのは私だった。ダメだ、見つめあっているのは心臓に悪い。早く終わらせてしまおう。
彼の顔に向かって手を伸ばす。深呼吸をして、伸ばした手をほんの数センチ離して、高杉の頬を軽く叩いた。ぺちっと軽い間の抜けた音。
「……どういうつもりだ」
「わっ……!」
手首を掴まれ、グッと高杉の顔が寄ってくる。場違いに鼓動が早くなっていく。
「どういうって……。け、喧嘩収めるなら、横っ面叩いてやれって言われて、色々あって、銀時の頬に思いっきり、一発……」
「頬? …………あァ、そういう事か。チッ、銀時の野郎、紛らわしい言い方しやがって」
ひとり納得する彼に首を傾げれば、話を聞いた状況を教えてくれた。
高杉曰く、夕飯時、胡座で肘をついている銀時から話を聞いたと言う。暗くなった空の下、焚き火の向こう側で頬を隠すように顔を支えていたらしいから、赤くなっていたのなんて分からないだろう。
仲直りを手伝ってくれようとしているのか、状況をこじらせたかったのか。銀時の行動原理がイマイチ掴めない。明日、問い詰めてやる。
ようやく手首が解放されて、大きく息を吐く。威圧されて思わずやってしまったけど、軽く触れただけだから許して欲しい。罪悪感が上回って思いっきり平手打ちなんて出来るわけ無かった。
「……ごめんなさい。避けたりしてた事も、無茶した事も、全部。もう疑わない。高杉は私が心配しなくても強い。ただその背中に勝手に着いて行って、護るから」
「……あァ」
ようやく、半歩くらいは追いつけた気がする。勝手に追いかけてるだけだけど。
満月をバックに立つ高杉からさっきまでの威圧感は感じなかったが、距離はそのままで退けてくれる様子が無い。
「高杉?」
「いや、なに。喧嘩両成敗ってんなら、俺からもナマエにしねェとなって思っただけだ」
「それは、そうだね……」
何をされるんだろう。なんでも甘んじて受ける覚悟はあるけど、私を見る目から彼の意図は読めなくて少し怖い。
高杉の手が伸びてきて、思わずぎゅっと目を瞑る。数秒経っても何もしてこない。
逆に怖くなってきた。目の前に高杉いるよね?気配を消して、目を開けたら私の前から消えてる、とかだったら少し悲しい。
十秒以上経っても何も無く、様子を見るために恐る恐る目を開く。眩しい月光、それから正面にいる高杉の柔らかな視線。それらを浴びて、胸が甘く痺れていく。
冷たい指先が頬に軽く当たって、離れていった。
「これで、おあいこだ」
ふっと笑った高杉が言った。
「これでって、本当にこれでいいの?」
「あァ。これでいい。お前からの仕返しが怖いからな」
「し、しないよ!」
「どうだか」
くくく、と笑いながら、数歩離れる高杉。距離が離れても、私を見る目は変わらない。そんな目で見ないで欲しい。きゅっと締め付けられる胸に、そろそろ無視が出来なくなりそうだ。
余計な事を言ってしまう前に、なんとか空気を変えたい。どうしようと、腰に手を当てたところで、アレを持っていた事を思い出す。
「あっ、そうだ、これ」
バッグからヤクルコを取り出す。両手の指それぞれで三本挟んで、計六本。桂のアドバイスを受けて、一応持ってきていたものだ。使うタイミングを最初に逃して以来、すつかり忘れていた。
「な、仲直りの盃、的な……?」
無言の視線が痛い。やっぱり六本も要らなかった。気まずさで、バッグに戻そうとした私の手から、ヤクルコが一本取られる。
「一本だけだ」
「……うん! ありがとう」
綺麗な月明かりの下で交わした小さな乾杯は、私たち二人だけの秘密だ。
◾︎
一夜明け、雲ひとつない青空。鳥の囀りがよく聞こえる。朝ご飯までの時間、銀時と桂にお礼と報告をしようと思って辺りを見回していると、呑気に歩いている銀髪天パを見つけた。早足で近づくと、私に気がついた銀時が驚いた表情を浮かべる。
「銀時、昨日はどうも」
「あァ。仲直り出来たんだ? 良かったじゃねーか。じゃあ俺はこれで……」
「待って」
逃げ出そうとする彼の首根っこを掴んで引き止める。
「な、なんだよ」
「アドバイスには感謝してる。ありがとう。でも、高杉にわざと勘違いさせるような言い方したでしょ」
「……一切記憶にございません」
目を思いっきり逸らされた。確信犯だ。
「どうして、そんな言い方したのよ。誤解を解くの大変だったんだけど!」
「そりゃ悪かったって。別に嘘は言ってねぇだろ。嘘は。……そんな事より、ナマエちゃんの方こそ、どういうことだよ」
「な、なにが?」
「なにが?じゃねーだろ。高杉の野郎、傷一つ無いんだけど!?銀さんがお前に食らったコレくらいのモン、やってやるって言ってなかったけ?」
「そこまで言ってないけど!?」
食らわせてこい、と言われはしたが、頷きも返事もしていない。はあーあ、と大袈裟にため息をつく銀時の頬は綺麗に手当されている。寝る前に手当してもらったのだろうか。ちょっと安心した。
「待てよ。もしかして、見えないところに赤い痕が」
「よーし、銀時、反対側の頬にも一撃あげる」
「冗談だって! 手、下ろそ? な?」
「まあまあ、良いではないか、銀時。貴様の頬ひとつで高杉の機嫌が直り、二つでコイツの機嫌が直るなら安いものだろう」
「そうそう、そがな男前にしてもろうて羨ましい限りじゃ」
桂と坂本くんまでやって来た。爆音の笑い声が耳を通過する。朝から元気だ。
「いい訳あるか!! ダブルでいらねーよ! そもそも、俺は既に充分男前ですけど!? 羨ましいってんなら、コイツに頼んでやってもらえよ」
「そんなもの必要ない」
「いやァ、遠慮する」
「アンタたち、好き勝手言い過ぎじゃない?」
桂と坂本くんから一歩距離を取られた。腕のリーチから逃げなくてもいいじゃないか。
早く離せと喚く銀時を解放して、彼と桂くんふたりを見る。
「銀時も桂もありがとう。お陰で、またちゃんと話せるようになったよ」
「おう」
「別に大したことはしていない」
「そんなに楽しそうな事をしとったなら、わしも手伝ったのに」
「あはは、また何かあったら相談させてもらうよ」
坂本くんには悪いけど、もうこういう事で相談することは無い気がする。
もう迷わない。一人の仲間として、彼の行く先を信じると決めたのだから。
◾︎
「……思い出したら痛くなってきた。頬に思い出し紅葉浮かんできてない? あと、慰謝料請求していい? とりあえず、今日のここ持ち。あとは……先月と合わせた家賃八万」
「なんでよ。アンタの家賃滞納事情は関係ないでしょ! 聞いてもらったから、ここ持ちくらいなら良いけど」
ケチだなと返ってきたので、直ぐにお酌をしていた手を止めて、自分のおちょこに注ぐ。
店の丸い照明を反射する水面に、あの月夜を思い出させる。背中を追いかけると決めたのに、結局途中でそれも叶わなくなってしまった。
「……次会ったら」
「ん?」
「絶対、引っぱたく」
「そうしろ」
どうせ本人を前にすれば、どういう状況だとしても結局は出来ない。でも、そう思っていないと、過激派攘夷浪士として世間に知られている彼に何があるかなんて分からない。
昔以上に、危険と背中合わせの高杉の生きている姿を見れると思っていないと、心は欠け続けてしまう。
結局私は、彼の横っ面は叩けない。
2026.3.12
