山崎退
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スーパーには毎日色々な人がやってくる。
食料品を大量にカゴに詰めた家族や、惣菜だけ買って帰る女性。お酒とおつまみを買う男性に、いちご牛乳を大量に買っていく男性。
日々色々なお客さんを目にするが、私の記憶に残るのはよっぽど強い印象を持った人だけだ。そもそも、スーパーでの買い物も一期一会みたいなところあると思う。
そんな中、ここ最近で一際目を引いたのは、あんパンと牛乳を大量に買い込む男性だ。あんぱんと牛乳。ただそれだけを袋に詰め込めるだけ買っていく。
最初は流れ作業上のことなので、何も気にしていなかった。だけど、買っていくものが固定されていると流石に覚える。
あんパンと牛乳を買う彼を見かけ始めて十日ほど経った。
「あ、袋一緒でいいです」
「かしこまりました」
今日も今日とて大量のあんパンと牛乳。認識した時からやつれてきている気がした。
ありがとうございました、と背中を見送って思う。好物なのかな。毎日、朝昼晩と同じものを食べる人がいるとテレビで見たことがある。そういうタイプの人なのかも。
それにしても、ここで買っていくのはあんパンと牛乳だけ。毎日、毎食、あんパンと牛乳は栄養が偏りすぎる。私が知らないだけで、そういうダイエット方法があったりするんだろうか。ダイエットなんてしなくても良さそうだけど。
あんパンと牛乳を買う彼を見かけ始めて二十日ほど経った。
長蛇の列を捌き、ほっとひと息つく。今日はあの人来ない日なのかな。そう思いながらレジの中で肩甲骨をほぐしていると、反対のレジに入ったのが見えた。
見ていると、彼はおもむろにレジスタッフの顔面に何かを思いっきりぶつけた。遠目からでもなんとなく餡子が飛び散ったなと分かる。そして、やっぱり今日もあんぱんと牛乳だった。
あんパンと牛乳を買う彼を見かけ始めて四十日ほど経った。
最近、彼をとんと見かけない。頭をよぎったのは倒れたりしてないか、だった。あれだけ大量のあんパンと牛乳で身体を壊したりしてないのかな。かなりの頻度で見かけていたから、いざ見なくなると心配になる。
日々やって来るお客さんを個人として見ることなんてないのに。やっぱり、あんパンと牛乳で固定された彼への印象が薄まらない。それどころか、どんどん濃くなっていく。
あの人はただのお客さん。そう言い聞かせて、次の人のカゴを見ると、ペットボトルの飲み物とジャン.プが一冊。
「袋一緒でいいです」
聞き覚えのある声がして、お客さんの顔を見ると、さっきまで考えていたあんパンと牛乳の人だった。
元気そうな顔に安心感を覚えた。この人、他のものも買うんだ。
ただのお客さんなのに、こんなに気になってしまうのは彼が特殊な買い物を続けていたせいだ。絶対そう。
「ありがとうございました」
視線だけで背中を追うと、袋から飲み物を出し自動ドアをくぐって行った。
退勤後の帰路を歩く。久しぶりに姿が見れて良かった、なんて。頭の半分くらいを占める存在に頭を抱える。どうしてこんなに気になってしまうのか。彼はただのお客さん。もう接点なんて持てないかもしれないのに気にしてどうする。
そんなことを考えて歩いていたら、誰かにぶつかって体がよろける。
「わっ、すみません」
ぶつかった人は何も言わず走っていってしまった。なんだろう。また歩き始めようとしたところで、鞄が無いことに気がついた。
「ひったくり!?」
離れていく犯人はまだ見える。走り始めた瞬間、私を追い抜かして走っていく男の人がいた。見覚えがあるようなその背中はとっても頼もしく、私にとってのヒーローになっていく。
彼はあっという間に追いついて、ひったくり犯を転けさせ、羽交い締めにしたのが見える。
息も絶え絶えに追いついた頃には、手錠がかけられた犯人の上でどこかに電話している、あんパンと牛乳を買っていく彼がいた。
「あ、キミ、大丈夫?怪我とかしてない?」
電話が終わったらしい。先程の頼もしい姿とは変わって、柔らかな声が私の心を震わす。
「はい、大丈夫です」
「良かった。でも無理したら駄目だよ」
はい、と鞄を手渡される。一瞬触れた指が熱い。ドクドクと脈打つ心臓は走って苦しいだけじゃない、甘い音も運んでくる。
「本当にありがとうございました。なんてお礼を言ったらいいか……」
「いいの、いいの。たまたまあの場にいて、キミを助けられて良かった」
彼が呼んだらしい真選組の人がひったくり犯を車両に連行していく。いずれこの人もここから去ってしまう。その前に名前だけでも聞きたかった。ずっと見てきた彼のことを、もっと知りたいと思ってしまった。
「あの、お名前教えてもらえませんか……?」
緊張の気持ちを持て余して、胸の前で自分の手を握る。着物越しにドクッドクッと心臓の鼓動が煩くて、痛い。
「名乗るほど大したことしてないから」
「でも……!」
「おい、早くコイツ連れて行け」
怒気が混じった声が後ろから飛ぶ。振り返ると、眼光が鋭い煙草をくわえた人が立っていた。
「はーい!……キミ、家はこの辺り?」
「少し先です」
「それなら、あの人に送ってもらうといいよ」
「え、あっ……」
副長ー!とこの場を去っていく後ろ姿に手を伸ばしても届くことは無かった。
・・・・・・・・・・
翌日。寝て起きても考えるのはあの人のことばかりだった。逞しい背中と優しい声が忘れられない。夢の中で姿を見たのはさすがに重症だとひとり笑ってしまう。
とくんとくんと胸打つ感覚は、彼への気持ちが嘘じゃないって主張しているみたいだ。
副長と呼んでいたから、真選組の人なんだよね。今日、町中で真選組の人を見かけたら頑張って聞いてみよう。迷惑になってもいけないので聞くのは今日の一回だけ。事件対応をしていない、最初に見かけた人にしよう。そう決めて、買い出しに行く準備を始めた。
タバコ屋の前に真選組の隊服を着た人がいるのを見つけた。土方さんだ。周りに誰もおらず、ひとり。これはチャンスかも。
大勢に聞かれても話が変な方に拗れるかもしれないし、昨日少しお話をして、怖い雰囲気はあるけど、無闇矢鱈に喋る人じゃないのは分かった。
「あの、すみません」
「あ?……アンタ、昨日の」
「はい、昨日はお世話になりました」
お辞儀をして頭を上げると、煙草の香りが鼻をくすぐる。
「別に大したことはしてねェ。それが仕事なんでな。……それで何か用か」
鋭い目が私を見つめて背中に緊張が走った。でも、ここで引く訳にはいかない。どうしても、もう一度あの人に会いたいから。深呼吸をして、土方さんを見つめ返した。
「聞きたいことがあるんです。昨日助けてくれた方の名前が知りたいんです。その、お礼をしたくて」
嘘は言っていない。お礼を言いたいのは本当。あわよくば、そこからちょっとでも親しくなれたらいい。
「礼は昨日言ってたように見えたが。それに名前まで知る必要はないじゃねぇのか」
「惚れてしまったんです、あの人に」
「は」
「前から見かけてて、ずっと気になってたんです。昨日助けてもらった時の背中が本当にかっこよくて、その後優しく声をかけてもらって好きだって」
「ストップ、ストーップ。分かった、アンタの気持ちはよく分かった」
土方さんの制止を聞いてようやく、何を口走ったか自覚して、顔が赤くなっていくのがわかる。
穴があったら入りたい。顔を手で覆って隠す私の頭上から大袈裟なため息が聞こえた。面倒なやつだと思われた。絶対。
顔を伏せたままにも出来なくて、恐る恐る顔をあげる。土方さんが言いづらそうに視線を数回動かし、頭の後ろをかく姿が目に入った。
「…………アイツは、あれだ。ただのミントン狂いだ」
「ミントン……狂い……」
深刻そうなトーンから出てきた言葉に呆気にとられてしまった。ミントンってバドミントンのことだよね。公園でラケットを振る彼の姿が頭に浮かんで、思わず笑ってしまう。
「だれがミントン狂いですか!酷いですよ!俺には山崎退っていう立派な名前が……って、あ!!」
突然、電柱から飛び出してきたのは、あんぱんと牛乳を買っていた人だった。会えた喜びが、胸の中に花を咲かすくらい心躍る。
やまざきさがる。うん、覚えた。勇気を出して鬼の副長と呼ばれる土方さんに声をかけてよかった。数分前の自分にグッジョブと親指を立てている私の横で、土方さんの二回目の大きなため息が吐かれる。
「お前、せっかく人が気を使って……」
「それはありがとうございます!でも、ミントン狂いは無いでしょ!」
「嘘は言ってねェだろ!?嘘は!つか、なんでテメーがここにいんだ!」
「副長を探してたんですよ!そしたら副長が彼女と話し始めたんで、電柱の影で様子を伺ってました」
「普通に話しかければいいだろ!」
ぎゃあぎゃあと言い合いを始めた隊服の二人を前に立ち尽くす。浮かれていた気持ちはしぼんだ風船のようだ。
気を使って、ということは名前を伝えることを伏せるような事情があるのだ。それに気づかず、押しかけるような形で聞き出してしまったことが恥ずかしい。
それに話初めから電柱の影にいたってもう全部聞かれてたって事、だよね。いっそ、自身で穴を掘って江戸の裏側に出たい。
「それで、えーと、キミは俺の名前を知りたいんだっけ」
「……はい。でも迷惑でしたよね、すみません」
「いやァ、迷惑ってわけじゃないんだよ。本当に」
ひらひらと片手を振りながら、彼は眉尻が下がった顔で笑う。対して土方さんは難しい顔で咳払いをして、煙草の火を消した。
「悪かったな、不誠実な対応をした」
「いえ、私の方こそ」
お互いに頭を下げる。
「改めて、俺は山崎退って言います。キミは?」
「ナマエです」
「ナマエさん」
名前を呼ばれただけで嬉しい。好き、がじわじわと胸をしめる。だめだ、欲が出てしまう。当たって砕けろ。どうせ、もう彼への気持ちは聞かれてしまったようなものだ。
「あの、もう私の気持ちを聞かれたと思うので、開き直ってお願いがあります」
「なあに」
「山崎さんが迷惑だって言うまで、アタックしてもいいですか?」
目をぱちぱちとさせる山崎さんと、新しく吸おうとした煙草を落とす土方さん。
「あはは、そんな宣戦布告受けたの初めてだよ。俺、こう見えて結構歳いってるけど……」
「関係ありません」
「そう?それなら、お手柔らかに?ナマエさん」
もっと山崎さんの色々な顔が見たい、名前をもっと呼ばれたい。
拒否されなかった時点で、印象がマイナスじゃないことを喜ぶべきだ。まずは、予定のないお休みの日を聞き出すところから始めよう。
山崎さんの隣に立つための奮闘の日々が今、始まった。
2025.8.14
食料品を大量にカゴに詰めた家族や、惣菜だけ買って帰る女性。お酒とおつまみを買う男性に、いちご牛乳を大量に買っていく男性。
日々色々なお客さんを目にするが、私の記憶に残るのはよっぽど強い印象を持った人だけだ。そもそも、スーパーでの買い物も一期一会みたいなところあると思う。
そんな中、ここ最近で一際目を引いたのは、あんパンと牛乳を大量に買い込む男性だ。あんぱんと牛乳。ただそれだけを袋に詰め込めるだけ買っていく。
最初は流れ作業上のことなので、何も気にしていなかった。だけど、買っていくものが固定されていると流石に覚える。
あんパンと牛乳を買う彼を見かけ始めて十日ほど経った。
「あ、袋一緒でいいです」
「かしこまりました」
今日も今日とて大量のあんパンと牛乳。認識した時からやつれてきている気がした。
ありがとうございました、と背中を見送って思う。好物なのかな。毎日、朝昼晩と同じものを食べる人がいるとテレビで見たことがある。そういうタイプの人なのかも。
それにしても、ここで買っていくのはあんパンと牛乳だけ。毎日、毎食、あんパンと牛乳は栄養が偏りすぎる。私が知らないだけで、そういうダイエット方法があったりするんだろうか。ダイエットなんてしなくても良さそうだけど。
あんパンと牛乳を買う彼を見かけ始めて二十日ほど経った。
長蛇の列を捌き、ほっとひと息つく。今日はあの人来ない日なのかな。そう思いながらレジの中で肩甲骨をほぐしていると、反対のレジに入ったのが見えた。
見ていると、彼はおもむろにレジスタッフの顔面に何かを思いっきりぶつけた。遠目からでもなんとなく餡子が飛び散ったなと分かる。そして、やっぱり今日もあんぱんと牛乳だった。
あんパンと牛乳を買う彼を見かけ始めて四十日ほど経った。
最近、彼をとんと見かけない。頭をよぎったのは倒れたりしてないか、だった。あれだけ大量のあんパンと牛乳で身体を壊したりしてないのかな。かなりの頻度で見かけていたから、いざ見なくなると心配になる。
日々やって来るお客さんを個人として見ることなんてないのに。やっぱり、あんパンと牛乳で固定された彼への印象が薄まらない。それどころか、どんどん濃くなっていく。
あの人はただのお客さん。そう言い聞かせて、次の人のカゴを見ると、ペットボトルの飲み物とジャン.プが一冊。
「袋一緒でいいです」
聞き覚えのある声がして、お客さんの顔を見ると、さっきまで考えていたあんパンと牛乳の人だった。
元気そうな顔に安心感を覚えた。この人、他のものも買うんだ。
ただのお客さんなのに、こんなに気になってしまうのは彼が特殊な買い物を続けていたせいだ。絶対そう。
「ありがとうございました」
視線だけで背中を追うと、袋から飲み物を出し自動ドアをくぐって行った。
退勤後の帰路を歩く。久しぶりに姿が見れて良かった、なんて。頭の半分くらいを占める存在に頭を抱える。どうしてこんなに気になってしまうのか。彼はただのお客さん。もう接点なんて持てないかもしれないのに気にしてどうする。
そんなことを考えて歩いていたら、誰かにぶつかって体がよろける。
「わっ、すみません」
ぶつかった人は何も言わず走っていってしまった。なんだろう。また歩き始めようとしたところで、鞄が無いことに気がついた。
「ひったくり!?」
離れていく犯人はまだ見える。走り始めた瞬間、私を追い抜かして走っていく男の人がいた。見覚えがあるようなその背中はとっても頼もしく、私にとってのヒーローになっていく。
彼はあっという間に追いついて、ひったくり犯を転けさせ、羽交い締めにしたのが見える。
息も絶え絶えに追いついた頃には、手錠がかけられた犯人の上でどこかに電話している、あんパンと牛乳を買っていく彼がいた。
「あ、キミ、大丈夫?怪我とかしてない?」
電話が終わったらしい。先程の頼もしい姿とは変わって、柔らかな声が私の心を震わす。
「はい、大丈夫です」
「良かった。でも無理したら駄目だよ」
はい、と鞄を手渡される。一瞬触れた指が熱い。ドクドクと脈打つ心臓は走って苦しいだけじゃない、甘い音も運んでくる。
「本当にありがとうございました。なんてお礼を言ったらいいか……」
「いいの、いいの。たまたまあの場にいて、キミを助けられて良かった」
彼が呼んだらしい真選組の人がひったくり犯を車両に連行していく。いずれこの人もここから去ってしまう。その前に名前だけでも聞きたかった。ずっと見てきた彼のことを、もっと知りたいと思ってしまった。
「あの、お名前教えてもらえませんか……?」
緊張の気持ちを持て余して、胸の前で自分の手を握る。着物越しにドクッドクッと心臓の鼓動が煩くて、痛い。
「名乗るほど大したことしてないから」
「でも……!」
「おい、早くコイツ連れて行け」
怒気が混じった声が後ろから飛ぶ。振り返ると、眼光が鋭い煙草をくわえた人が立っていた。
「はーい!……キミ、家はこの辺り?」
「少し先です」
「それなら、あの人に送ってもらうといいよ」
「え、あっ……」
副長ー!とこの場を去っていく後ろ姿に手を伸ばしても届くことは無かった。
・・・・・・・・・・
翌日。寝て起きても考えるのはあの人のことばかりだった。逞しい背中と優しい声が忘れられない。夢の中で姿を見たのはさすがに重症だとひとり笑ってしまう。
とくんとくんと胸打つ感覚は、彼への気持ちが嘘じゃないって主張しているみたいだ。
副長と呼んでいたから、真選組の人なんだよね。今日、町中で真選組の人を見かけたら頑張って聞いてみよう。迷惑になってもいけないので聞くのは今日の一回だけ。事件対応をしていない、最初に見かけた人にしよう。そう決めて、買い出しに行く準備を始めた。
タバコ屋の前に真選組の隊服を着た人がいるのを見つけた。土方さんだ。周りに誰もおらず、ひとり。これはチャンスかも。
大勢に聞かれても話が変な方に拗れるかもしれないし、昨日少しお話をして、怖い雰囲気はあるけど、無闇矢鱈に喋る人じゃないのは分かった。
「あの、すみません」
「あ?……アンタ、昨日の」
「はい、昨日はお世話になりました」
お辞儀をして頭を上げると、煙草の香りが鼻をくすぐる。
「別に大したことはしてねェ。それが仕事なんでな。……それで何か用か」
鋭い目が私を見つめて背中に緊張が走った。でも、ここで引く訳にはいかない。どうしても、もう一度あの人に会いたいから。深呼吸をして、土方さんを見つめ返した。
「聞きたいことがあるんです。昨日助けてくれた方の名前が知りたいんです。その、お礼をしたくて」
嘘は言っていない。お礼を言いたいのは本当。あわよくば、そこからちょっとでも親しくなれたらいい。
「礼は昨日言ってたように見えたが。それに名前まで知る必要はないじゃねぇのか」
「惚れてしまったんです、あの人に」
「は」
「前から見かけてて、ずっと気になってたんです。昨日助けてもらった時の背中が本当にかっこよくて、その後優しく声をかけてもらって好きだって」
「ストップ、ストーップ。分かった、アンタの気持ちはよく分かった」
土方さんの制止を聞いてようやく、何を口走ったか自覚して、顔が赤くなっていくのがわかる。
穴があったら入りたい。顔を手で覆って隠す私の頭上から大袈裟なため息が聞こえた。面倒なやつだと思われた。絶対。
顔を伏せたままにも出来なくて、恐る恐る顔をあげる。土方さんが言いづらそうに視線を数回動かし、頭の後ろをかく姿が目に入った。
「…………アイツは、あれだ。ただのミントン狂いだ」
「ミントン……狂い……」
深刻そうなトーンから出てきた言葉に呆気にとられてしまった。ミントンってバドミントンのことだよね。公園でラケットを振る彼の姿が頭に浮かんで、思わず笑ってしまう。
「だれがミントン狂いですか!酷いですよ!俺には山崎退っていう立派な名前が……って、あ!!」
突然、電柱から飛び出してきたのは、あんぱんと牛乳を買っていた人だった。会えた喜びが、胸の中に花を咲かすくらい心躍る。
やまざきさがる。うん、覚えた。勇気を出して鬼の副長と呼ばれる土方さんに声をかけてよかった。数分前の自分にグッジョブと親指を立てている私の横で、土方さんの二回目の大きなため息が吐かれる。
「お前、せっかく人が気を使って……」
「それはありがとうございます!でも、ミントン狂いは無いでしょ!」
「嘘は言ってねェだろ!?嘘は!つか、なんでテメーがここにいんだ!」
「副長を探してたんですよ!そしたら副長が彼女と話し始めたんで、電柱の影で様子を伺ってました」
「普通に話しかければいいだろ!」
ぎゃあぎゃあと言い合いを始めた隊服の二人を前に立ち尽くす。浮かれていた気持ちはしぼんだ風船のようだ。
気を使って、ということは名前を伝えることを伏せるような事情があるのだ。それに気づかず、押しかけるような形で聞き出してしまったことが恥ずかしい。
それに話初めから電柱の影にいたってもう全部聞かれてたって事、だよね。いっそ、自身で穴を掘って江戸の裏側に出たい。
「それで、えーと、キミは俺の名前を知りたいんだっけ」
「……はい。でも迷惑でしたよね、すみません」
「いやァ、迷惑ってわけじゃないんだよ。本当に」
ひらひらと片手を振りながら、彼は眉尻が下がった顔で笑う。対して土方さんは難しい顔で咳払いをして、煙草の火を消した。
「悪かったな、不誠実な対応をした」
「いえ、私の方こそ」
お互いに頭を下げる。
「改めて、俺は山崎退って言います。キミは?」
「ナマエです」
「ナマエさん」
名前を呼ばれただけで嬉しい。好き、がじわじわと胸をしめる。だめだ、欲が出てしまう。当たって砕けろ。どうせ、もう彼への気持ちは聞かれてしまったようなものだ。
「あの、もう私の気持ちを聞かれたと思うので、開き直ってお願いがあります」
「なあに」
「山崎さんが迷惑だって言うまで、アタックしてもいいですか?」
目をぱちぱちとさせる山崎さんと、新しく吸おうとした煙草を落とす土方さん。
「あはは、そんな宣戦布告受けたの初めてだよ。俺、こう見えて結構歳いってるけど……」
「関係ありません」
「そう?それなら、お手柔らかに?ナマエさん」
もっと山崎さんの色々な顔が見たい、名前をもっと呼ばれたい。
拒否されなかった時点で、印象がマイナスじゃないことを喜ぶべきだ。まずは、予定のないお休みの日を聞き出すところから始めよう。
山崎さんの隣に立つための奮闘の日々が今、始まった。
2025.8.14