一年生夏編 恋人と過ごす夏

 夕食のあとお風呂を済ませて、みんなはリビングでカードゲームに興じています。

 イワンは輪に交じらず、窓辺の椅子に座って読書しています。
 イワンが髪を解いているところを初めて見ました。
 肩甲骨につくほど長い紺の髪は、しっとり湿り気を帯びています。
 体格ががっしりしているわけではないけれど、それでもちゃんと男の人ってわかります。

「どうした?」
「イワン、みんなとカードしないんです?」
「ローレンツは自分が勝つまでやめないから嫌だ。徹夜で相手をやらされたこともあるんだぞ」
「幼馴染って大変なんですね」

 イワンは窓の外を指差して、視線だけ私に向けます。

「ここからプルメリアが咲いている丘まで歩いて行ける」
「ほんとですか!? 行きたいです!」

 ミーナ様に「散歩してきます」と、ひと声かけて、二人で外に出ました。
 
 イワンが光玉《ウィルオウィスプ》を喚んで、明かりにします。ふわふわと浮いて追従してくるかわいい光です。

 手を引かれて夜道を歩くこと十五分。
 だんだん甘い香りが漂ってきて、低木が並ぶ花畑に到着しました。

「きれいですね」
「ああ」

 イワンは服が汚れるのも構わず、地面に座りました。とんとん、と横を手で叩くのでそこに腰を下ろします。

 しばらくの沈黙のあと、イワンが口を開きます。

「あの日、どうしてオレを助けようと思った? 好かれるようなことをした覚えがないんだが」
「たしかに意地悪しかされてませんでしたね。でも、どうしても助けないとって思ったんです。私のために危険を承知で来てくれたから」

 納得したのかしてないのか、イワンは横目で私を見ます。

「もう一つ。ずっと疑問だったんだが、口づけで魔力を渡すなんてどこで知った。学院で教えることじゃないのに」
「あ、それはセシリオ様が」

 言いかけて、しまったと思いました。
 肩を押されて、視界が一面空になる。同時にイワンが私の手を掴んで押さえ込みます。

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「セシリオが、なんだ?」

 瞳は金色。普段隠している翼まで出ていて、すごく、怒っているのがわかります。

「お、怒らないでください。イワンと婚約する前の話です」

 これはちゃんと説明しないと、取り返しがつかなくなってしまいます。

「私が治癒魔法を使って倒れた日、覚えてますか? あの日の帰り際、セシリオ様が『二番目に効率がいい魔力回復方法を教えてあげよう』ってキスしてきて……。そ、その一回きりですよ!?」

 私だって、もしイワンが知らぬ間に他の女の子にキスされたら怒ります。
 イワンの怒りはもっともなんですが、怖いです。

「ふん、なるほど、間接的にセシリオに助けられたわけか。あのときは、手を介しても回復しないくらい消耗していたからな」

 わかってくれたのは良かったですが、私の体は地面に押さえつけられたままです。

「事情はわかったが、気に食わないのは確かだ」

 イワンが屈んで、私の耳に、首筋に舌を這わせる。あたたかな感触とプルメリアの甘い香りでクラクラします。

「そ、それを言うなら、イワンも私に従属魔法、かけようとしたことがあったでしょう? あれ、他の人にもやったことありますか?」
「ないな。大抵は魅了術で操れるから。アラセリスだけ魅了術が効かなかったから、上位互換の従属術を試したのに効かない。聖属性だからだってあとでわかった」

 こともなげに言われました。
 聖属性……治癒魔法を使える人はこれに属します。
 主に魔族が使う闇魔法に耐性があって、戦争のとき盾として重用されたと魔法史で習いました。

「じゃあキスの魔法を試そうとしたのは私が初ですか。それで私のファーストキスは奪われたわけですか」
「相手の魔力を奪い、同時に魔法をかけられる。夢魔にとって利点しかない魔法なんだって祖父さんが言ってたな」

 価値観の違いというのを感じます。道理でなんの躊躇いもなくしてきたわけです。

「ファーストキスだったのか」
「大丈夫。私が合意してないのでノーカウントです」

 息ができないくらいに、深く口づけられました。
 イワンはいたずらっ子の顔で舌なめずりする。

「これも、していいって言われてないならノーカウントなわけだな」
「うぅ……ずるいです」  

 恥ずかしくて、顔が燃えてしまいそうなほど熱いです。

「合意します。どんとこいです」

 イワンは笑って、瞳を閉じる。
 最初に降り立ったあの日とは、全く違う関係になった私たち。
 この場所で、私はもう一度あなたとキスをする。


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