一年生春編 運命に翻弄される春

 新入生歓迎会が終わった翌日。
 書斎にいた親父、エルネスト・ラウレールに「つがいとなる女を見つけた」と告げると、それはもう嬉しそうに笑った。
 こんなにも笑う親父を見たのは、生まれて初めてかもしれない。

「良かったなイワン。相手のお嬢さんはお前の事情を知っているのか?」
「ああ。あいつはオレが悪魔族の先祖返りだって承知しているし、夢魔の姿を見た上で答えた」

 悪魔だと承知しているかどうか。そこが何より重要だ。オレの母親のようになられても困る。アラセリスならその心配はなさそうだが。

「ふむ。夢魔であることを抜きにしても、お前はかなりの毒舌家。お前と一緒にいられるのなら、天使のように心の広い子なんだな」
「何が天使だ。アラセリスは心が広いどころか、心が狭いぞ。気が強くてちょっとつつくとすぐ言い返してくる。そのくせすぐ泣くし、花畑や星空を見て喜ぶようなガキっぽいところがあるし……」

 親父は紅茶をテーブルに置いて、ビロード張りの椅子にもたれる。

「心が狭くて気が強くて子どもっぽいのが気に入らないなら、つがいを解消しなさい。先週送られてきた侯爵家からの見合い話に、求婚を受けると返事を書いてもいいんだよ」

 代わりはいくらでもいるという態度に、腸が煮えくり返る。

「ふざけるなクソ親父!! アラセリス以外誰がオレのつがいになれるっていうんだ。オレは他の女なんて充てがわれたって結婚しないぞ!」

 全部諦めてどこかの令嬢と政略結婚しろだなんて話、受け入れられるものか。

「ほらほら、翼をしまいなさい。このわたしが、理解のない人間をお前の妻に据えるわけがないだろう。怒りで人化《じんか》が解けるくらいには、愛しているんだね」

 夢魔の力を持ってないくせに、親父はオレの心のうちを見透かす。
 
 人生経験の差というやつだろう。親父に言い返すだけ無駄。いつも丸め込まれて終わる。
 バカバカしくなって、天井をあおいだ。
 

「今度うちに連れてきなさい。わたしもアラセリスさんに会ってみたいな」
「……話しておく」

 父親に会ってくれなんて言ったら倒れそうだ。
 慌てるあまり百面相するアラセリスの顔が簡単に想像できて、笑ってしまった。
  

 
 自室へ戻るため廊下を歩くと、怯えた目をした老執事が急ぎ足で立ち去る。
 これはいつものこと。もう慣れた。

 魔族との戦争時代を知る者は、オレを見ると怯える。
 オレは戦後の生まれだし、オレ自身がこいつらに何かしたわけではないのに、なぜこんな扱いをされなければならないのか。



 学院についてすぐ、仕事を処理するため生徒会室に向かった。

 先に来ていたのはアラセリス一人だけだった。
 書類整理をしていたアラセリスは、顔を赤らめながらうつむく。
 昨夜のことを思い出しているのか、目が泳いで挙動不審。

「あ、お、おはよう、ございます……」

 せっかく他に誰もいないんだ。
 ちょっとしたいたずら心で、アラセリスの頬を両手で挟む。

「おはよう、アラセリス。挨拶ならちゃんと顔を見て言え。昨夜の積極性はどこいった」
「いたいれふ〜」

 目に涙をためて訴えてくる。
 うん、こいつの泣き顔を見るとゾクゾクする。
 体に流れる悪魔の血ゆえの嗜虐性なのかそれとも、支配欲からか。
 独り占めしたいという欲と、もっと泣かせたいという欲にかられる。

 これから授業があるから、あまりおおっぴらにいじめられないのが残念だ。

「アラセリス」

 名前を呼び、口づけをして、生気と魔力を分けてもらう。
 やっぱりアラセリスの力は、何度味わっても甘美で、惹き付けられる。オレを愛してくれているからなのだろうか。これほど美味な心を他に知らない。

 アラセリスの手がオレのシャツを掴む。
 唇を離すと、ようやくアラセリスはまっすぐにオレを見た。

「おはようございます、イワン……えへへ。なんか、やっぱり照れちゃいますね」

 ほんのり、アラセリスの目元に朱がさす。
 怯える様子なんてひとかけらもない。

 どうしようもなく惹かれて、後戻りできない、昨夜アラセリスはそう言った。
 オレももう後戻りできない。
 アラセリスの背を抱き寄せて、首筋に顔を埋める。アラセリスの手がオレの背に回される。
 もとからこいつと一つの命だったような、不思議な安心感がある。

 昨日までと同じようで違う新しい関係が、こうして始まった。



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