拝啓、風見鶏だった僕へ。

 九月半ばには、体調がいくらか落ち着いてきた。
 初田のアドバイスを受けて、昼間に飲んでいたホットミルクを、布団に入る一時間前に飲むように切りかえた。
 半信半疑だったけれど、言われた時間に飲むようになってから眠りが深くなったような気がする。
 少なくとも数分で起きるような浅い眠りはなくなった。

 お守りの効果、なんて考えて笑う。

 金曜の夕方、ミオからメッセージが届いた。

『センリ。明日、海に行こう
 体調がわるかったら、ことわってね』

 センリが体調を崩した日のことですごく罪悪感をもっているようで、ミオは前以上にセンリを気遣う。
 
 ミオが悪いわけではないのに責任を感じるなんて、根が優しい子だと思う。
 海を選ぶのも、音が苦手だと言ったセンリのために静かなところを選ぼうとした結果だろう。

『いいよ。行こう』


 土曜日の九時に七里ヶ浜駅で待ち合わせ、改札外でミオと落ち合う。

「センリ、大丈夫?」
『だいじょうぶだよ』

 ミオは、店でお取り寄せを頼んでいたサロペットを着ていた。アイボリーとカジュアルなデザインがミオによく似合う。
 センリはノートに書き出す。
 スマホに打ち込めば漢字で表示できるけれど、自分で書くようにしないと平仮名すら忘れそうな気がして、ペンを握った。

『にあうね』
「ありがとう。センリのおかげで、買えた。学校帰りに受け取りに行ったの。このサコッシュは、とらかどさんが選んでくれた」

 ミオはサコッシュも持ち上げて満面の笑顔だ。あの日対応してくれた店員は、他の店員にもきちんと耳のことを伝えておいてくれたそうで、他の店員も質問に筆談で対応してくれたらしい。

 優しさの連鎖で、聞いているセンリも温かい気持ちになる。

『よかったね、ミオ』
「うん。水浴の時期終わったし、すいてたら、うるさいひといなくて、センリもつかれないかなって」
『ありがとう』

 最近センリは考えていた。
 センリに優しさをくれる人たちは、センリの顔色を伺っているわけではないし、センリによく思われようと行動しているわけではない。
 けれどセンリは救われる。

 相手の機嫌を窺って相手が望む言葉を考えるセンリとは、似て非なるものだ。

 何がどう違うのか。
 それはきっと、寄り添う気持ち、思いやりがあるかどうかだ。
 相手が望む言葉を選べばいいなんていう上っ面のその場しのぎに、センリの気持ちはひとかけらも含まれていない。

 心のこもらない言葉ではだめなのだ。


(僕、相手を思いやれる人になりたいな。みんなにしてもらったみたいに)


 ミオと海までの道を歩き、目の前のコンビニで飲み物だけ買って、砂浜への階段を降りる。


 寄せて返す波の音。海の上をいく風の音。潮の香りが強くなる。
 夏休みが終わっているから、先月に比べると人は少ない。
 夏よりは少ないだけで、サーファーや投釣りの人、犬の散歩中の人がチラホラといる。


 ミオが砂浜をゆっくり歩いて振り返る。

「センリ、ほら、江ノ島」
『今日ははれたから、シーキャンドルもよく見えるね』

 展望台、シーキャンドル。
 島の中で突出して高い塔だから遠目にもよくわかる、江ノ島の観光名所の一つだ。

「ねえ、センリ。海はどんな音がするの? マンガでは、ザザーンって字で書かれていることが多いでしょう。本当にそういう音なの? 晴れの日も、台風の日も、みんなマンガと同じ音?」


(どう説明すれば伝わるんだろう)

 考えた末、センリはスニーカーと靴下を脱いで素足になり、裾をまくって波打ち際に歩く。

 音は振動。
 音楽の授業で、鳴らした大太鼓の皮にふれるという体験があった。
 あれと同じではないだろうか。
 音は見えないけど、少しでも感じることができたなら。
 ミオに手招きして、ミオもサンダルを脱いで波打ち際に来た。

 裾をまくって、恐る恐る海に入る。
 足の下の砂が波に持って行かれて、ミオはくすぐったそうに笑う。

「すごいね、センリ。砂がすーってなくなる。ザーン、じゃないね。きっとこの音は、スーーーって音」

『マンガは、あくまでもひょうげんのひとつだから。ミオがかんじた音がミオのセイカイでいいとおもう』

 鳥の鳴き声だって日本だと「コケコッコー」アメリカだと「クックドゥドゥ」国によって表現が違う。
 だから、必ずしも海がザザーンと表現されるわけじゃない。

「うん、そうだね。これはわたしの音。わたしが感じる音。マンガと同じじゃない」

 音のない世界でも、ミオなりに感じることのできる音がそこにある。

『ぼくもさがすよ、じぶんだけのセイカイ』

 人の顔色を窺ってばかりで、自分の心を殺して、ずっと間違えてきた。

(僕の正解も、きっとどこかにある。他の人にとってバカで愚かな生き方でも、僕にとっての正しい生き方。自分の心も大切にする生き方)

「うん、あるよ。センリの生きやすい道。わたしも探す。わたしが好きな仕事をできる道。だって、世界はこんなに広いんだもの」

 センリは頷く。
 空と海は途方もなく広くて、青くて、自分がとてもちっぽけに見えてくる。
 沖に向かって泳いでいくサーファーたちが笑いあっているのが見える。

 この浜辺にいる人だって、みんなそれぞれ違う道を生きてきて、たまたまここに集まっている。


 人の数だけ音があって、道があって、だからきっと大丈夫だ。


 これまで自分に嘘をついて、言い聞かせるために言ってきた

 大丈夫

 今は、心からちゃんとそう思える。


 同じようにいろんなものを抱えて、隣を歩いてくれる仲間がいるから。
 苦しくて泣いてしまうときも、歩けなくなったときも。
 

(大丈夫。僕は、まだ歩ける。みんながいてくれる)



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