ドアマットは逃げ出した
マリアはハーシェ伯爵の屋敷でメイドとして働いていた。
屋敷の女主人、シェリー夫人は国随一の美女だと名高い人。
二人は完全なる政略結婚で、双方の家の商売に利があっての婚姻だった。
シェリー夫人は気位が高く、外面だけはいい人。
伯爵のいないところではどこの令嬢が気に食わないとか伯爵に色目を使ったとか不満を使用人にぶつけ、暴言を吐く。
夫である伯爵の前ではおくびにも出さない。
愛のない形だけの結婚ゆえに、伯爵は結婚式から一度も夫人の寝室に入っていなかった。
金のためだけの結婚である。
伯爵は子ども嫌いで、子どもなんていずれ親戚の、一二、三才の手がかからない子を養子に迎えればいいと考える人だった。
抱くにしても、お高くとまる女より褒めそやしてくれる花街の女で十分と考えていた。
だから夫人は心を踏みにじられ、鬱憤を使用人に向けるのだ。
マリアはお茶を運んで来たところで、夫人に呼び止められた。
夫に色目を使って寝とる気か、などと有りもしない妄想を信じ込んでマリアを詰り、平手打ちするのです。
そんなことしていないといくら言っても信じてもらえず、物置小屋に軟禁されてしまった。
夫を奪う貴女はドアマット以下の存在よ。と、扉の向こうで怒鳴るのが聞こえた。
他の侍女やメイドは、自分にイジメの矛先が向くのを恐れて何も手出しができない。
マリアは希望を失いかけながらも、なんとか生き延びていた。
逃げたくても、身寄りがない孤児ゆえに、行くあてがないのです。
屋敷にはもう一人、ジェットという使用人がいた。
ジェットもまた、シェリー夫人に虐げられていた。
ジェットは屋敷の庭師。
黄薔薇を植えろと言われたから植えたのに、“なんで黄色なんだ、ワタクシは紅薔薇を植えろと命じたはずだ、お前は命令に背いた”と、二時間に渡り説教する。
ジェットは、こんな家いつかやめてやると心に決めていた。
ある日、マリアが庭で洗濯物を干していると、ジェットが庭仕事をするふりをしながら近づいてきた。
こんな扱いもう耐えられないよ。一緒に逃げよう。
マリアは一瞬驚いたものの、自分も逃げたいと考えていたので、選択をするふりを続けながら頷く。
僕には少しばかりの貯金がある。この領地から離れた遠くの村で新しい生活を始めるんだ。一緒に来てくれないか? 僕も君も、こんなところで終わる人間じゃないと思う。
ジェットの目には真剣な光が宿っていた。
マリアは決心した。
ここでいじめ倒されて死んでしまうくらいなら、何も知らないところで新しい道を切り開きたい。
二人は計画を立て、深夜にこっそりと屋敷を抜け出した。
捕まったら最後、夫人に死ぬまで鞭打ちされるだろう。だから足音をころし、必死に闇の中を走った。
逃亡の道中、ジェットはマリアにいろいろな話をした。
亡くなった両親のこと、幼い頃は花屋をやりたかったこと。
マリアも自分の生い立ちを話した。
何ができるかわからないからこそ、未知の可能性に胸が踊った。
ジェットは植物の知識が豊富だったため、食べられる木の実を選んで食べた。
マリアも孤児院にいた頃は野山を駆けていたため、方向感覚には自身があった。
七日後、二人は遠く離れた小さな村にたどり着いた。
村の人々は親切で、二人を温かく迎え入れてくれた。
ジェットは庭師としての腕前を活かし、花店の男に弟子入りした。
マリアは村の小さな食堂で働き始めた。
貴族の屋敷にいた頃と違い、人間らしい、穏やかで幸せな日々を過ごすようになった。
マリアとジェットは結婚し、村人たちがささやかな結婚式をあげてくれた。その家庭は笑顔と愛情に満ち溢れていた。
しばらくして、伯爵がマリアとジェットを訪ねてきた。
そして二人に侘びた。
マリアとジェットが逃亡したのをきっかけに、伯爵は屋敷の使用人たちに事情聴取したのだ。
相応の給金を渡していたはずなのになぜいなくなってしまったのかと。
すると使用人たちの口から、夫人が度々マリアとジェットを虐げていた事実を聞かされた。
マリアとジェットに渡すはずだった給金は、孤児に不相応だとして半分以上を夫人が懐に入れ、かすめ取った金でアクセサリーを買っていた。
残った僅かな金だけをマリアとジェットに渡していたと判明した。
その場で離婚を言い渡し、シェリー元夫人を実家に送り返したそうだ。
シェリーは実家の方でも出戻りを拒否され、どこかの貴族の屋敷の侍女として、みっちり行儀見習いさせられているそうだ。
シェリーが盗ったぶん、マリアたちが受け取るはずだった給金を渡したいと言ったがマリアとジェットは受け取るのを拒否した。
使用人を大切にし、きちんと領民のためになる女性と結婚してください。
それ以上望むことはありません。
伯爵は心を入れ替え、今度は人となりを見て再婚をした。
マリアとジェットは、優しい村人たちと暮らしていく。
苦楽をともにした二人は、これからも何があっても乗り越えていけるだろう。
屋敷の女主人、シェリー夫人は国随一の美女だと名高い人。
二人は完全なる政略結婚で、双方の家の商売に利があっての婚姻だった。
シェリー夫人は気位が高く、外面だけはいい人。
伯爵のいないところではどこの令嬢が気に食わないとか伯爵に色目を使ったとか不満を使用人にぶつけ、暴言を吐く。
夫である伯爵の前ではおくびにも出さない。
愛のない形だけの結婚ゆえに、伯爵は結婚式から一度も夫人の寝室に入っていなかった。
金のためだけの結婚である。
伯爵は子ども嫌いで、子どもなんていずれ親戚の、一二、三才の手がかからない子を養子に迎えればいいと考える人だった。
抱くにしても、お高くとまる女より褒めそやしてくれる花街の女で十分と考えていた。
だから夫人は心を踏みにじられ、鬱憤を使用人に向けるのだ。
マリアはお茶を運んで来たところで、夫人に呼び止められた。
夫に色目を使って寝とる気か、などと有りもしない妄想を信じ込んでマリアを詰り、平手打ちするのです。
そんなことしていないといくら言っても信じてもらえず、物置小屋に軟禁されてしまった。
夫を奪う貴女はドアマット以下の存在よ。と、扉の向こうで怒鳴るのが聞こえた。
他の侍女やメイドは、自分にイジメの矛先が向くのを恐れて何も手出しができない。
マリアは希望を失いかけながらも、なんとか生き延びていた。
逃げたくても、身寄りがない孤児ゆえに、行くあてがないのです。
屋敷にはもう一人、ジェットという使用人がいた。
ジェットもまた、シェリー夫人に虐げられていた。
ジェットは屋敷の庭師。
黄薔薇を植えろと言われたから植えたのに、“なんで黄色なんだ、ワタクシは紅薔薇を植えろと命じたはずだ、お前は命令に背いた”と、二時間に渡り説教する。
ジェットは、こんな家いつかやめてやると心に決めていた。
ある日、マリアが庭で洗濯物を干していると、ジェットが庭仕事をするふりをしながら近づいてきた。
こんな扱いもう耐えられないよ。一緒に逃げよう。
マリアは一瞬驚いたものの、自分も逃げたいと考えていたので、選択をするふりを続けながら頷く。
僕には少しばかりの貯金がある。この領地から離れた遠くの村で新しい生活を始めるんだ。一緒に来てくれないか? 僕も君も、こんなところで終わる人間じゃないと思う。
ジェットの目には真剣な光が宿っていた。
マリアは決心した。
ここでいじめ倒されて死んでしまうくらいなら、何も知らないところで新しい道を切り開きたい。
二人は計画を立て、深夜にこっそりと屋敷を抜け出した。
捕まったら最後、夫人に死ぬまで鞭打ちされるだろう。だから足音をころし、必死に闇の中を走った。
逃亡の道中、ジェットはマリアにいろいろな話をした。
亡くなった両親のこと、幼い頃は花屋をやりたかったこと。
マリアも自分の生い立ちを話した。
何ができるかわからないからこそ、未知の可能性に胸が踊った。
ジェットは植物の知識が豊富だったため、食べられる木の実を選んで食べた。
マリアも孤児院にいた頃は野山を駆けていたため、方向感覚には自身があった。
七日後、二人は遠く離れた小さな村にたどり着いた。
村の人々は親切で、二人を温かく迎え入れてくれた。
ジェットは庭師としての腕前を活かし、花店の男に弟子入りした。
マリアは村の小さな食堂で働き始めた。
貴族の屋敷にいた頃と違い、人間らしい、穏やかで幸せな日々を過ごすようになった。
マリアとジェットは結婚し、村人たちがささやかな結婚式をあげてくれた。その家庭は笑顔と愛情に満ち溢れていた。
しばらくして、伯爵がマリアとジェットを訪ねてきた。
そして二人に侘びた。
マリアとジェットが逃亡したのをきっかけに、伯爵は屋敷の使用人たちに事情聴取したのだ。
相応の給金を渡していたはずなのになぜいなくなってしまったのかと。
すると使用人たちの口から、夫人が度々マリアとジェットを虐げていた事実を聞かされた。
マリアとジェットに渡すはずだった給金は、孤児に不相応だとして半分以上を夫人が懐に入れ、かすめ取った金でアクセサリーを買っていた。
残った僅かな金だけをマリアとジェットに渡していたと判明した。
その場で離婚を言い渡し、シェリー元夫人を実家に送り返したそうだ。
シェリーは実家の方でも出戻りを拒否され、どこかの貴族の屋敷の侍女として、みっちり行儀見習いさせられているそうだ。
シェリーが盗ったぶん、マリアたちが受け取るはずだった給金を渡したいと言ったがマリアとジェットは受け取るのを拒否した。
使用人を大切にし、きちんと領民のためになる女性と結婚してください。
それ以上望むことはありません。
伯爵は心を入れ替え、今度は人となりを見て再婚をした。
マリアとジェットは、優しい村人たちと暮らしていく。
苦楽をともにした二人は、これからも何があっても乗り越えていけるだろう。
1/1ページ