囚われのライラは千一夜アルゴスに謳う

 或る国に不眠の王子がいました。
 王子は生まれて十八年、一睡もできずにいたのです。
 国内外の名医が診ても原因は不明。
 催眠の薬も香も効果がなく。

 眠れないから常に不機嫌で気性が荒く、たやすく使用人のクビを切るのです。

 民からは密かに、神話に出てくる不眠の怪物アルゴスのようだと揶揄されていました。


 ある日、王子のもとにライラを抱えた吟遊詩人が連れてこられました。

 十二歳になったばかりの少女で、狂犬すら眠らせる歌声、と噂されていました。
 王家がその噂を聞きつけてここに呼んだのです。

「今宵、夜語りをしておれを眠らせてみせよ。噂がウソなら……どうなるかわかっているな」
 
 機嫌を損ねたものはクビを切られる……比喩ではなく、物理的に。
 これで王子が眠れなければ吟遊詩人の首が落ちます。

 使用人たちは、この娘の命も今宵限りかと哀れみ、涙を流します。

 吟遊詩人は瞳を閉じたまま頭を垂れました。

「お望みとあらば」




 その狼は他の狼と違っていました。
 みんなが灰色の毛なのに、藍色の毛をしているのです。

 獣の世界でも異質なものが弾かれてしまうのは常。
 藍の狼は親から捨てられ、一匹で生きてきました。
 そんなある日。

 森に、見慣れない二足歩行の生き物が現れました。
 金色の瞳を持つそれは、三歳になったばかりの女児でした。

 親が口減らしのために、狼の群れが住まう森に捨て置いたのです。

 藍の狼は子どもに興味を示し、近寄りました。

 狼は見た目だけなら犬によく似ています。子どもは藍の狼を恐れず、両手を伸ばします。
 藍の狼のあたたかさに安心して、抱きついたまま眠ってしまいました。

 藍の狼は、初めて自分を恐れない生き物に出会い、あたたかさを知ったのです。

 それから藍の狼は狩った獲物を子どもにも分け与え、食べさせるようになりました。

 子どもも藍の狼を親のように慕い、共に野を駆け、狼の言葉と、狩りを覚えました。
 藍の狼に倣って四つん這いで川の水を飲み、寝るときは暖を取るため藍の狼を抱きしめて眠ります。

 そして五年。
 森に大人の人間が現れました。
 獣の毛皮と肉を売るのを生業とする狩人です。

 森の中、たった一人で生活している子どもを見つけ、家に連れ帰りました。

 狩人夫婦は子がいなかったため、子どもを我が子として迎え入れました。

 長い間狼と暮らしていたため、子どもは人間の言葉をすっかり忘れています。
 狩人に何を聞かれても言葉がわからず首をかしげるばかり。

 五年かけて人としての暮らしを習い、人の言葉を習い、町の学校に入学しました。

 言葉やしぐさが人とだいぶ違う子どもは、学校で他の子に冷たくされました。
 
 学校を嫌がり、森に帰りたいと狩人に懇願します。

 愛する我が子を山中に放り出せるわけもなく、狩人はせめて少し見るだけならと、森に連れていきました。

 森につくと、子どもは靴を脱ぎ捨て走り出します。
 森の中から、藍の狼が飛び出してきました。

 藍の狼は、突然姿を消した子どもをずっと探していたのです。

 狩人の目には、狼が襲おうとしているようにしか見えません。

 藍の狼は斬り捨てられてしまいました。

 狼に襲われるから危ない、帰ろうと狩人が呼んでも、子どもは啼いて、狼を抱きしめます。

 狼の言葉でお父さん、と何度も何度も吠えました。

 もう動かなくなった父親を抱きしめたまま、いつまでも、いつまでも。



 吟遊詩人がまだ幼さの残る声でうたいおえます。
 聞こえてくるのは、王子の静かな寝息だけ。

 不眠の怪物アルゴスと呼ばれた王子は、ついに眠りを手にしたのです。

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