夢で満ちたら
蛇場見駆は仕事あがり、高校の同窓会に出席していた。
ほんとうは来る気がなかったが、父親に「いつかは同窓会が生存確認会になってしまうから行けるうちに行け」と嫌なことを言われたので出席することになった。
同窓会会場は和食飲み屋の座敷。
もう半数くらい来ていた。
その中の一人、スポーツウェアを着た男が笑顔で腕を振る。
駆のクラスメートだった東堂東弥 だ。
「蛇場見! 来てくれて嬉しいよ。変わんねぇな!」
「東堂。三十年も経っているのによくわかったな」
「ハハハッ。お互いにな」
東堂は笑いながら、駆の肩を叩く。学生時代と変わらない陽気さだ。
残りの参加者も来たため、幹事が音頭をとって同窓会がはじまった。
隣に陣取った東堂とビールグラスを合わせ、喉をうるおす。
「……東堂は、スポーツの業界に居続けてるんだな。テレビで見たよ。今は陸上選手のコーチなんだって?」
「お、見てくれたか。おれ自身はもう選手引退したから、行進育成に励みたくてな。今日も練習終わってからそのまま来たんだ」
教え子のことを語る顔は誇らしげだ。
陸上部だった東堂は、在学中インターハイに何度も出場していた実力者。
体育大学に行き、世界陸上でも輝かしい成績を残した東堂。
同窓会で一番会いたくなかった相手だ。
「さすが、世界陸上三位」
「……お前がいない大会だったからだよ」
微量の皮肉が混じってしまった祝福の言葉に、さらに大きな皮肉が返された。
「今でも思うよ。蛇場見が陸上続けていたら、あそこに立っていたのはおれじゃなくて蛇場見だった。自分より早いやつがいなくなってインターハイ出場したって……そんなの……本当に勝てた気がしねぇよ」
東堂が、空になったグラスを強く握る。
駆と東堂は同じ部活。ライバルというやつだった。二年最後までなら駆の記録のほうがよかった。
「いいや。そんなことはない。東堂があそこにいたのは東堂だからだ。俺には才能がなかった。親にも三年になったらやめろと言われていたんだ」
駆は三年最初の学力テストで、数学が赤点ギリギリになった。もちろん両親の怒りが噴火した。
「運動部なんてしているから成績が悪いんだ、陸上をやめろ。成績を落として留年なんて、親不孝な真似しないわよね」
「もう高校生なんだから、世界選手目指すなんて子どもじみた夢なんて見てないで、大学に行きなさい。きちんと地に足のついた仕事をしなさい」
駆は親に逆らえず、翌日陸上部をやめた。
東堂は、「まだおれがお前に勝ててないのに逃げるな」と泣いて抗議してきた。
駆の両親にも文句を言いに来たが、両親は東堂を追い返した。馬鹿と付き合うと馬鹿になるからアレと付き合うなとまで言った。
東堂は今でも思っているだろう。
自分より早い駆が抜けたから取れた三位なんだと。
こうして、東堂の中にもまだわだかまっている。
(だから、東堂に会いたくなかったのに)
そのあとみんなと何を話したか覚えていない。
帰宅すると、ミチルとユメはもう寝ているようだった。
リビングにいたのは美優だけ。
十時をまわったばかりだし、今どきの高校生ならもう少し遅くまで起きているものだと思っていたから意外だ。
「おかえりなさい、駆さん。麦茶飲む? 水分不足になると二日酔いになってしまうでしょう」
「……そうだな」
そんな気分でもなかったが、素直に麦茶を受け取って飲んだ。
「同窓会、どうだった?」
「…………べつに。疲れたからもう寝る」
ひとことだけ言って、部屋に戻った。
部屋の電気をつけると、机に置いたままにしていたスクラップブックが目につく。
弟の……歩の店の記事を集めたものだ。
これでもう三冊目になる。
歩は五年前に夢を叶えた。
店のオープンを知らせるハガキが来たときは、怒りとなにか別の気持ちがごちゃごちゃになった。
ハガキには歩と、家出を手助けした友達が店の前で並ぶ写真が載っていた。
歩の友達は何度も遊びに来ていたから、駆とも面識がある。
だから駆は、その友達のことももちろん責めた。
「馬鹿なことするな。高校中退のガキが自分の店を開くなんて不可能に決まっている! 家出を手助けするなんてあまりにも無責任だろ、お前! 歩が途中で諦めたら責任取れるのか!?」
馬鹿な友達は怒鳴られようとどこ吹く風。
「『お前にできるわけない』『無理に決まっているから最初から挑戦するな』そう決めつけて夢を見ることすら許さない家族のほうが、よほど無責任だと僕は思う」
それからもう一つ付け加えた。
「それと、僕はお前でなく初田初斗。何度か名乗ったのだから覚えてください。歩は必ず夢を叶えるよ。僕は信じている」
中卒で親の支援もない奴が自分の店を持つなんて、できるわけがない。信じるなんて本当に馬鹿な友達だ。
一ヶ月もしないで「父さんたちが正しかった。兄さんもごめんなさい」と泣きついて帰ってくると思っていた。
一度も、帰ってこなかった。
一度も、泣き言の電話すらして来なかった。
歩は自分の夢を叶えた。
馬鹿な友達の言った通りになったのだ。
店の場所は知っていても、一度も行ったことはない。
行ったら、負けるような気がする。
行くことはないのに、歩の店が地域新聞や雑誌に載るたび、駆は記事を切り抜き集めていく。
ウェブサイトで特集されたらそのページをプリントアウトして貼る。
どうせすぐ潰れると思った。
潰れてしまえば、それ見たことかと笑ってやったのに。
歩の店は日を追うごとに人気になっていく。
間違えた道を進んだのに、どうして。
オープンを知らせるダイレクトメール。
笑顔で写る二人を見るたびに、心の奥に燻っていた気持ちが再燃する。
スーツを着たままベッドに体を投げ出して、駆は天井を仰ぐ。
高校三年生のあの日。
部活を辞めるなと泣いて止めてきた東堂を信じて、走るのが好きだという自分の気持ちを信じて続けていたなら。
世界陸上大会に出る夢が叶っただろうか。
歩のように、親の反対を押し切ってでも、我を通していたなら。
そんなことを考えてしまい、頭を左右に振る。
(俺は間違えていない。親父たちが言う通りに陸上を辞めたのは正しかった。家族を食わせていけるだけの稼ぎがあるし、一軒家だって持てた。これは“普通の人が望む幸せそのもの”だろう。歩のようないつ潰れるかしれない不安定な仕事じゃない)
何度も何度も、歩は間違いで自分は正しかったと、自分に言い聞かせる。
(そうじゃないと、この選択が正解じゃなかったら…………陸上を辞めたくなくて泣いた、あの日の俺が、報われない)
陸上を辞めて勉強に専念した駆を、両親は褒めちぎった。
「駆は歩のような駄目人間にはならないでね。私の期待を裏切らないで。東京の大学をストレート合格で留年なしで卒業できるなんて、最高よ。自慢の息子だわ」
(夢を追って親の期待を裏切った歩は、親不孝で駄目な子ども。夢を捨てて母さんたちの期待に応えた俺は………………応えなきゃ、俺も駄目人間だと、言われる側だったんだ。これが正解で。幸せなんだ)
「同窓会になんて、行かなければよかった」
親の期待通りで安定した道を選んだ。
駆は正解の|道《レール》を歩いてきたはずなのに、駆の頬は、涙でぐしゃぐしゃだった。
ほんとうは来る気がなかったが、父親に「いつかは同窓会が生存確認会になってしまうから行けるうちに行け」と嫌なことを言われたので出席することになった。
同窓会会場は和食飲み屋の座敷。
もう半数くらい来ていた。
その中の一人、スポーツウェアを着た男が笑顔で腕を振る。
駆のクラスメートだった
「蛇場見! 来てくれて嬉しいよ。変わんねぇな!」
「東堂。三十年も経っているのによくわかったな」
「ハハハッ。お互いにな」
東堂は笑いながら、駆の肩を叩く。学生時代と変わらない陽気さだ。
残りの参加者も来たため、幹事が音頭をとって同窓会がはじまった。
隣に陣取った東堂とビールグラスを合わせ、喉をうるおす。
「……東堂は、スポーツの業界に居続けてるんだな。テレビで見たよ。今は陸上選手のコーチなんだって?」
「お、見てくれたか。おれ自身はもう選手引退したから、行進育成に励みたくてな。今日も練習終わってからそのまま来たんだ」
教え子のことを語る顔は誇らしげだ。
陸上部だった東堂は、在学中インターハイに何度も出場していた実力者。
体育大学に行き、世界陸上でも輝かしい成績を残した東堂。
同窓会で一番会いたくなかった相手だ。
「さすが、世界陸上三位」
「……お前がいない大会だったからだよ」
微量の皮肉が混じってしまった祝福の言葉に、さらに大きな皮肉が返された。
「今でも思うよ。蛇場見が陸上続けていたら、あそこに立っていたのはおれじゃなくて蛇場見だった。自分より早いやつがいなくなってインターハイ出場したって……そんなの……本当に勝てた気がしねぇよ」
東堂が、空になったグラスを強く握る。
駆と東堂は同じ部活。ライバルというやつだった。二年最後までなら駆の記録のほうがよかった。
「いいや。そんなことはない。東堂があそこにいたのは東堂だからだ。俺には才能がなかった。親にも三年になったらやめろと言われていたんだ」
駆は三年最初の学力テストで、数学が赤点ギリギリになった。もちろん両親の怒りが噴火した。
「運動部なんてしているから成績が悪いんだ、陸上をやめろ。成績を落として留年なんて、親不孝な真似しないわよね」
「もう高校生なんだから、世界選手目指すなんて子どもじみた夢なんて見てないで、大学に行きなさい。きちんと地に足のついた仕事をしなさい」
駆は親に逆らえず、翌日陸上部をやめた。
東堂は、「まだおれがお前に勝ててないのに逃げるな」と泣いて抗議してきた。
駆の両親にも文句を言いに来たが、両親は東堂を追い返した。馬鹿と付き合うと馬鹿になるからアレと付き合うなとまで言った。
東堂は今でも思っているだろう。
自分より早い駆が抜けたから取れた三位なんだと。
こうして、東堂の中にもまだわだかまっている。
(だから、東堂に会いたくなかったのに)
そのあとみんなと何を話したか覚えていない。
帰宅すると、ミチルとユメはもう寝ているようだった。
リビングにいたのは美優だけ。
十時をまわったばかりだし、今どきの高校生ならもう少し遅くまで起きているものだと思っていたから意外だ。
「おかえりなさい、駆さん。麦茶飲む? 水分不足になると二日酔いになってしまうでしょう」
「……そうだな」
そんな気分でもなかったが、素直に麦茶を受け取って飲んだ。
「同窓会、どうだった?」
「…………べつに。疲れたからもう寝る」
ひとことだけ言って、部屋に戻った。
部屋の電気をつけると、机に置いたままにしていたスクラップブックが目につく。
弟の……歩の店の記事を集めたものだ。
これでもう三冊目になる。
歩は五年前に夢を叶えた。
店のオープンを知らせるハガキが来たときは、怒りとなにか別の気持ちがごちゃごちゃになった。
ハガキには歩と、家出を手助けした友達が店の前で並ぶ写真が載っていた。
歩の友達は何度も遊びに来ていたから、駆とも面識がある。
だから駆は、その友達のことももちろん責めた。
「馬鹿なことするな。高校中退のガキが自分の店を開くなんて不可能に決まっている! 家出を手助けするなんてあまりにも無責任だろ、お前! 歩が途中で諦めたら責任取れるのか!?」
馬鹿な友達は怒鳴られようとどこ吹く風。
「『お前にできるわけない』『無理に決まっているから最初から挑戦するな』そう決めつけて夢を見ることすら許さない家族のほうが、よほど無責任だと僕は思う」
それからもう一つ付け加えた。
「それと、僕はお前でなく初田初斗。何度か名乗ったのだから覚えてください。歩は必ず夢を叶えるよ。僕は信じている」
中卒で親の支援もない奴が自分の店を持つなんて、できるわけがない。信じるなんて本当に馬鹿な友達だ。
一ヶ月もしないで「父さんたちが正しかった。兄さんもごめんなさい」と泣きついて帰ってくると思っていた。
一度も、帰ってこなかった。
一度も、泣き言の電話すらして来なかった。
歩は自分の夢を叶えた。
馬鹿な友達の言った通りになったのだ。
店の場所は知っていても、一度も行ったことはない。
行ったら、負けるような気がする。
行くことはないのに、歩の店が地域新聞や雑誌に載るたび、駆は記事を切り抜き集めていく。
ウェブサイトで特集されたらそのページをプリントアウトして貼る。
どうせすぐ潰れると思った。
潰れてしまえば、それ見たことかと笑ってやったのに。
歩の店は日を追うごとに人気になっていく。
間違えた道を進んだのに、どうして。
オープンを知らせるダイレクトメール。
笑顔で写る二人を見るたびに、心の奥に燻っていた気持ちが再燃する。
スーツを着たままベッドに体を投げ出して、駆は天井を仰ぐ。
高校三年生のあの日。
部活を辞めるなと泣いて止めてきた東堂を信じて、走るのが好きだという自分の気持ちを信じて続けていたなら。
世界陸上大会に出る夢が叶っただろうか。
歩のように、親の反対を押し切ってでも、我を通していたなら。
そんなことを考えてしまい、頭を左右に振る。
(俺は間違えていない。親父たちが言う通りに陸上を辞めたのは正しかった。家族を食わせていけるだけの稼ぎがあるし、一軒家だって持てた。これは“普通の人が望む幸せそのもの”だろう。歩のようないつ潰れるかしれない不安定な仕事じゃない)
何度も何度も、歩は間違いで自分は正しかったと、自分に言い聞かせる。
(そうじゃないと、この選択が正解じゃなかったら…………陸上を辞めたくなくて泣いた、あの日の俺が、報われない)
陸上を辞めて勉強に専念した駆を、両親は褒めちぎった。
「駆は歩のような駄目人間にはならないでね。私の期待を裏切らないで。東京の大学をストレート合格で留年なしで卒業できるなんて、最高よ。自慢の息子だわ」
(夢を追って親の期待を裏切った歩は、親不孝で駄目な子ども。夢を捨てて母さんたちの期待に応えた俺は………………応えなきゃ、俺も駄目人間だと、言われる側だったんだ。これが正解で。幸せなんだ)
「同窓会になんて、行かなければよかった」
親の期待通りで安定した道を選んだ。
駆は正解の|道《レール》を歩いてきたはずなのに、駆の頬は、涙でぐしゃぐしゃだった。