夢で満ちたら

 スマホを買いにいくついでに手紙を出すように頼まれて、ユメとミチルは家を出た。
 書中見舞いのハガキが汚れてしまわないようジッパーバッグに入れて、リュックのチャック付きポケットに収納している。

 目が焼けてしまうんじゃないかと思うくらい光が強い。ユメはデニムキャップのツバをつまんで深くかぶり直す。
 息をするだけで汗が吹き出す暑さ。

「暑いねぇ。太陽さんはあたしたちを殺しにかかってるよ」
「ユメは家で待ってても良かったんだよ。リビングならクーラー効いてるし」
「夏は暑いもんだよー。それにミチルちゃん、セールストークに流されて余計なオプション買うたちだもん。あたしが横にいて断らないと」
「う……」


 ミチルは新聞勧誘やら宅配食セールスが来るたび、律儀に応対していた。

 昨日来た話の長い新聞勧誘オジさんは、伯母が出て「もう他所で取ってるからいらないわ」とキッパリ言い切って追い返していた。

 伯母からも、「ミチルが不要なもの買わされないよう見ておいて」と頼まれている。

「いや、ええと……相手の話をしっかり聞きましょうって、学校でも先生に言われてただけで、ショップで要らないプランを提案されてもちゃんと断れるよ。……たぶん」

 ミチルの言葉尻はどんどん弱くなっていく。
 間違いなく「ようしらんが、店員さんが勧めるからからそれをお願いしようかのぅ」って流されちゃうおばあちゃんタイプだ。

 電車に乗って鎌倉駅へ。駅近くにある店に入った。


 幸い他に客は一人しかいなかったから、すぐに案内してもらえた。
 ミチルのインターネット利用頻度や通話頻度から導き出した一番いいプランを選び、一時間ほどでミチルは新しいスマホを手にしていた。

 二度とスマホを持つ気がなかったはずだから、なんとも複雑そうな顔をしている。

 ユメと色違いで、ライトブルーの本体だ。
 ミチルは保護シートも貼られたまんまですっぴんの端末を握ってユメに視線を移す。


「……私、前もっていた時もほとんど使ってなかったんだよね。電話帳に入ってるの、家電と父さんと母さん、会社だけで。さっきユメが言ってたアプリ入れてもさ、着信音鳴る機会がないな」
「枯れてる。枯れてるよミチルちゃん」
「メッセージアプリって、送る相手がいて初めて機能するんだよ」


 ミチルは生真面目だから、友だちとふざけたスタンプを投げ合う性格じゃないのはわかる。

「ならあたしとメッセージしよ。夏休みが終わったあともさ、勉強でわからないとこ聞きたいな」
「……そうだね。たしかそのアプリだと、同じアプリ同士で無料通話できるんだっけ? 文字と画像でわからないときはそれで話せばいいか」
「ありがと! じゃ、今からアカウント作ろう」

 喫茶店でアイスコーヒーを飲みながらメッセージアプリの設定をして、着信音も猫にして、電話をかける。


 そしてニャーニャー鳴き出すミチルのスマホ。
 ミチルがすぐにスワイプして、受話画面に切り替わる。

「もしもしミチルちゃん、聞こえるー?」

 ミチルに聞けば、サラウンドで声が聞こえてくる。

〈聞こえないわけがないって〉

「あはははっ、おもしろーい。目の前と耳と両方から声がする」
〈せめて離れた場所に行って試そうよ〉
「それもそうだねぇ。夕方ランニングのときに試そっか」

 残ったコーヒーをあおって、グラスをコースターに置く。
 のんびりしていたから、氷が溶けてコーヒーが薄味になっていた。これはこれでオツというやつ。

 ミチルが伝票を取って立ち上がる。

「夕方行くのは構わないけど、どこを走るの?」
「あたしが鎌倉側の海辺から江ノ島駅方面に向かって走って、ミチルちゃんが江ノ島駅方面から鎌倉駅方面に走ってみるってのはどう? 道は繋がってるし、たぶん稲村ヶ崎あたりで会えるんじゃないかな?」
「わかった」


 疲れたら途中で歩けばいいし、電車に乗ってもいい。

 家に帰って勉強して、伯母に頼まれて洗濯物を取り込んで畳んだりしているうちに夕方になった。

 スポーツウェアに着替えて準備万端。

「よーし、ゴーゴー! 美優伯母ちゃん、夕食前には帰ってくるとおもうからーー!」
「行ってらっしゃい。日が落ちたら暗くなるのが早いから、ちゃんと懐中電灯も忘れずにね」
「わかった。行ってくるね、母さん」


 鎌倉駅内で別れ、ミチルは江ノ電で七里ヶ浜へ、ユメはそのまま駅を出て海の方を目指す。

「ええと海は……どっちだろ?」

 鎌倉駅から海へ歩いたことはないから、どのルートから行けばいいか地図アプリを開く。

「海に行きたいの?」
「お姉さん、そっちは逆方向だよ」


 日記帳を小脇に抱えた青年と、ハーフっぽい薄茶の髪の少年が話しかけてきた。
 青年はユメよりほんの少しだけ背が高くて、ユメのスマホをのぞき込んでくる。

「こっちじゃない?」
「俺たちが今いるのは赤いマーカーのところ。君が行こうとしていたのは鶴岡八幡宮方面だから全然違う方向。この角を右折して直進すると中学校と警察署があって、さらにまっすぐ行けば海沿いの道に合流する」
「そっか。迷子になるとこだったよ。教えてくれてありがとね」

 ユメがお礼を言うと、少年が聞いてくる。キレイな顔立ちで、クラスにいたらラブレターをたくさんもらいそう。日本暮らしが長いのか、日本語お上手。


「今から走るの? 暑いのに頑張るね、お姉さん」
「九月に陸上大会に出るから特訓するの。散歩にしろランニングにしろ、海辺って気持ちいいから」

 青年はまばたきして首を傾げる。

「海辺だと他のところと何が違う?」
「え? んーー。町の中って走っていても見えるのは家ばっかだけど、海だとずーーっと遠くまで見えるのが好き。その日の天気と空の色で海も違う色に見えるし、昨日と同じ空になる日なんてないでしょ?」

 ユメは小さい頃から、空を見るのが好きだった。流れていく雲を追いかけて、色が変わっていくのを眺めるのが好き。
 だから雲になりたくて、鳥になりたくて、風になりたかった。

「そっか。俺、そんなふうに空を見たことなんてなかったかも。明日は海辺を歩いてみようかな」
「あはは、そうしなよコウキ。ボクも空は好きだよー。とくに夜は星もきれいで良いよね」
「今だと夏の大三角形か。どの星で構成されるか授業でやったな。あっちの方角に見える」


 名も知らない親切な二人は、空談義に付き合ってくれた。

「あ、引き止めてごめん。特訓がんばってねお姉さん」
「うん、がんばる! ばいばーい!」

 二人に手を振り、ユメは教えてもらった道を行く。
 日が傾いても、アスファルトは一日太陽で熱されていたから地面から熱を感じる。

 山際がだんだんとオレンジ色に染まる。
 空の上の方は濃い紫色に。
 
「すごくきれい。ミチルちゃんに送ろーっと!」

 空に向けてシャッターを切り、そのまま送信をタップする。
 スマホをポケットに戻して走っていると、五分くらいしてピコンと音がする。

〈きれい〉

 持っているだけで電話以外ほとんど使わないと言っていたから、三文字を打つのに四苦八苦したのかと思うと、年上なのに可愛い。

 少しして電話がかかってきた。

〈今から走るよ〉
「うん。アプリ内の通話発信機能、そういえば説明しわすれてたなって思ったんだけど、できたんだね」
〈……恥を忍んで、通りすがりの人に聞いたよ…………。ちょっと、自分がおばあちゃんになった気分〉

 苦笑するミチルのすぐ後ろで、若い男性の声が聞こえる。

〈使い慣れてないなら仕方ないんじゃない? 俺も普段使わないアプリだとわからないし〉
〈この前もだけど、ありがとう。助かりました。……それじゃ、ユメ。歩きスマホは危ないから一旦切るね〉

 電話が切れてから、ユメも再び走り出す。

 しばらくしてピコンと音がして、ミチルから夕暮れの江ノ島の写真が届く。
 雲も濃いオレンジ色になっていてすごくきれい。
 一緒に同じ海沿いにいるんだなと思えて、胸が高鳴る。
 素敵だと思うものを共有している。

 視界いっぱい空と海。
 ずっとこのキレイな景色を見ていられたら幸せなのに。
 海にはサーファーの姿があって、活き活きと波に乗っている。
 お散歩している親子、鍛えられたランナー、日傘をさしたマダム。

 いろんな人の人生の一瞬に触れている。


 ミチルが言ったとおり。
 直接嫌なことを言ってくるのは狭い|かご《コミュニティー》、クラスの子くらい。
 かごの外に出れば、世界はどこまでも広くて美しい。


(あたしにどんな仕事が向いているのかはわからないけれど、働くなら、毎日この海を眺められる場所にしたいな)

 この道沿いのレストランとか、ホテルとか。雑貨屋だっていい。
 人生長いから、いつかコレだ! と思える仕事に巡り会える。


 パンが好きでパン屋になった人がいるなら、海が好きなことが動機で海辺で働く人がいてもいいと思う。

 
 走って走って、息が上がるけど、それすら楽しい。
 稲村ヶ崎を過ぎたあたりでミチルの姿が見えた。


「ミチルちゃーーん!!」  
「ユメ」

 ミチルも袖で汗を拭いながら走ってくる。

「いえーい! ハイターーッチ!!」
「まだ、そんな元気が、残ってたの」
「もうへとへと〜。ごはん食べたい」
「そう、だね。早く帰ろ」 


 電車に乗るのがもったいなくて、今度は夕日に向かって並んで走る。

 ユメが道を教えてくれた二人の話をすれば、ミチルはアプリの使い方を教えてくれた人の話をしてくれる。

 明日もきっと、知らない誰かと出会って、ユメとミチルの世界が広がっていく。


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