マリオネットは契約結婚で愛を知る。

 優一と静が初めて会ったのは、実を言うと静の父の葬儀ではない。
 五年前、優一がまだ社会人として日が浅かったお盆のこと。
 叔父・保坂みのるが末期癌で入院したと知った。
「ガンになんてなりやがって、入院費高いのに。退院するまで誰が金を稼ぐの」と、叔母が姉……つまりは優一の母・うめに大声で愚痴をこぼしていた。

 キララも「ほんと使えない男。欲しい新作コスメがあったのに買えなくなっちゃったしぃ。あんたもそう思わない?」と、優一に同意を求めてきた。
 さらには「あ、でも今後は静が働くから学費の心配もないし、早く死んでくれれば生命保険が入るじゃん。早く死なないかな」と。
 幼子のようにはしゃいで口にする言葉の中身はゲスとしか言いようがない。
 親戚一同が鬼か悪魔を見るような目をしていることに、叔母もキララも、母も気づいていない。

「家族のために働いてくれた大黒柱に、なんてことをいうんだ」と祖父が怒鳴ったけれど叔母たちは無視した。祖父のことを心底毛嫌いしているから。

 この三人と血が繋がっていることがおぞましかった。

 優一はその足で叔父の見舞いに向かった。
 あの様子だと、叔母とキララは一度も見舞いに行っていない。そんなのはあんまりだった。

 あまり食事をとれないことを考慮して、病院の花屋で小さな花束を作ってもらった。

 内科のナースステーションに声をかける。
「叔父の……保坂実の見舞いに来たのですが、可能でしょうか。無理なようならこれだけでも渡してほしいです」
 花束と、見舞金の入った封筒を見せると、母よりやや年上の看護師は笑顔で応じた。

「大丈夫ですよ。それではこちらの面会ノートに記帳してください」

 優一より前に、保坂静の名が記されていた。たしかまだ高校生。小さめで、でもとてもきれいな読みやすい字だ。
 優一が記帳している間、看護師は話してくれた。

「最初は職場の方も来てくれていたんですけどね……。最近は静ちゃんだけなので、甥ごさんが顔を見せてくれたらとても喜ばれると思いますよ」

 患者の家庭事情に口を挟める立場でないにしろ、保坂家の妻子に思うところがあるようだ。
 四人部屋の病室に入ると、叔父と少女が話しているところだった。

「あのねお父さん、退院したらしたいことたくさんしようね。クリスマスプレゼント考えてあるんだ。一緒に初詣も行きたい」
「……そうだな。静のためにも、がんばらないとな」

 実の声は弱々しい。
 同じ病室の患者がつけているラジオからはバラエティー特番の明るい笑い声が流れていて、沈んだ空気がよりいっそう際立った。
 静はうつむき、時計を見て立ち上がる。

「そろそろ行くね。あんまり長居したら、お父さん、疲れちゃうもの」

 本当はまだここにいたい、と顔に書いてあった。けれど静は帰る選択をした。
 入り口に立っていた優一に気づき、会釈して帰っていく。
 祖父とよく似た細い目、あごのライン。自分の血縁だとひと目でわかる子だ。
 看護師の話だとほぼ毎日お見舞いに来ているそうだ。
 さっきの会話からも、父を心から愛している優しくて温かい子だというのが伝わってくる。
 本当にあの・・キララの妹だろうか。


「優一くんか。ありがとう、来てくれたんだね」
「はい、お久しぶりです。実叔父さん」

 お盆と年末年始くらいしか顔を合わせる機会がない。それでも会うたび優一を気遣い、良くしてくれる。

「これ、どうぞ」
「ありがとう。でも、すまないね。花瓶が一つしかないんだ」

 実はかすかに笑い、ベッドサイドのテーブルに目を向けた。
 そこには細い花瓶がおいてあり、ルーズリーフを折って作った花が一輪さしてある。

「一番好きな花は|白薔薇《しろばら》だって言ったら、静が作ってくれたんだ。優しいよなあ」

 さっき下の花屋で見た薔薇は、一輪二百円。
 あの子には花一輪を買うお金すらないのが、それでわかった。
 
 この優しい薔薇のかわりに市販の花を挿すのは、あまりにも無粋な気がする。

「……わたしは、あと六ヶ月生きられればいい方だと、医者から言われていてね。……静のことだけが気がかりだ。父親らしいことを何もしてあげられなかった。クリスマスも、初詣も、約束を叶えてあげられそうにない。本当は、静が結婚して母親になるところまで見守りたいけど、わたしにはできない。だから、せめて、最後のクリスマスプレゼントをやりたいんだ」

 実は優一が渡した見舞金の袋を、そのまま優一に託した。

「恥ずかしい話だが、家計は完全に妻に管理されていて、自由になる金がない。これがわたしの全財産だ。だからこれで、静にボストンバッグを買ってやってくれないか。来年、修学旅行があるのに、静は学校指定の通学カバン以外のバッグを何も持っていないんだ」

 優一が見舞金を持ってこなければ、それすら叶わなかったのだ。
 悔しさと悲しさと怒りで、頭が熱い。今すぐ祖父の家に帰って叔母とキララを殴りたい衝動に駆られた。

 でも、いま優一がすべきことは叔母たちを殴ることじゃない。

「わかりました」
「いいカバンなら、修学旅行の先……卒業旅行、家庭を持ったときには新婚旅行、家族旅行でだって使えるだろう? わたし自身がそばにいてやれなくても、少しはあのこのそばにいられるような気がするんだ」

 苦笑する叔父の腕には、点滴の針が刺さっている。以前会ったときより、腕がかなり細くなっていた。
 優一は涙をこらえ、笑い返す。

「すぐ、行ってきます。静ちゃんが大人になってもずっと使いたいと思えるようなもの、買ってきますね」
「頼んだよ、優一くん」


 病院を出た優一はすぐショッピングモールに向かった。
 あまりかわいらしいものやきれいなものだと、叔母とキララが横取りしかねない。そういう点を考慮して、キャンプで使うような頑丈で機能性に特化した真っ黒なバッグを選んだ。丁寧に扱えば十年以上は使えるが、オシャレ好きな女子が絶対に持たないものを。

 ラッピングしてもらい、メッセージカードも一枚もらう。
 バッグを届けると、実は何度も優一にお礼を言った。
 生きている実に会ったのは、その日が最後。
 十二月に容態が悪化し、クリスマスの頃には意識不明になっていた。
 そして、年が明けてすぐ息を引き取った。


 唯一自由になる金を、自分のためでなく静のために使った。
 叔父のようでありたいと、優一は叔父の葬儀で思った。

 静があの手作りの薔薇を棺に入れようとしたのを、キララがはたき落とした。

「そんなゴミ棺桶に入れないでよ。バカなんじゃない」

 踏みつけられてグシャグシャになった紙の薔薇を握って、静は黙ってうつむいていた。

 静の悲しそうな姿がずっと、忘れられなかった。
 叶うなら生きて静を見守りたかったと、叔父が泣いた姿が忘れられなかった。


 だから、今年の正月の集まりで、バカ笑いしながら静を蔑む叔母とキララに対して、我慢の限界に達した。


「出ていった嫁の代わりに、静を家政婦として僕にくれないか。今日中に婚姻届にサインさせることができるなら百万円くれてやる」

 この悪魔どもから静を引き離せるなら、借金してでも百万円作って、払ってやる。
 
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