マリオネットは契約結婚で愛を知る。


 冬美が優一と初めて出会ったのは四年前。
 大学卒業後、新卒入社した会社でうまくいかず、わずか半年で退職することになった。
 何社受けても書類落ちして、スキルを得るために職業訓練に参加した。
 そのときの講師が優一だった。
 拝啓敬具の使い方がわからないなんていう超初心者な質問を何度もしてしまったのに、嫌な顔をしないで丁寧に教えてくれて、どんどん惹かれていった。他にも男性の講師はいたけれど、優一ほど惹かれる人はいなかった。

 訓練校を修了したあとは実家から通勤できる会社の事務員として働きはじめた。

 そして昨年の一月。たまたま、同僚が主催した合コンで再会した。
 優一自身は男性側の幹事に騙される形で参加したらしく、幹事に文句を言っていた。
 この再会はきっと運命だ。
 冬美は合コンで猛アタックして、付き合えることになった。
 デートのときは優しくエスコートしてくれるし、いつも穏やかで、どんどん好きになる。
 結婚を前提に付き合いたいと冬美が言ったときには「うちは父親がいないし、母親と関わりたくないから、結婚するにしても報告もなにもする気はない」なんて返す。

 冬美は二十七歳になるこんにちまで、両親に珠のように愛されて育った。だから、優一の母に挨拶したいと願った。
 女手一つで優一をここまで立派に育てた人だ。冬美の両親のように、我が子に無償の愛をそそぐすばらしいに違いないと思っていた。
 

「わたしはきちんと挨拶したいわ。だって結婚したら家族になるんですもの。それに、あなたのように優しい人を育てたお母さんよ。きっと仲良くなれるわ」
「僕は行かないほうがいいと思うけれど、君がどうしてもと言うなら、しかたない」

 どうしてそこまで母親を嫌うのか、この時点で冬美はわかっていなかった。
 結婚の挨拶は滞りなくおわり、義母になる梅は想像通り優しい人だった。
 帰り道、冬美は優一に笑いかける。

「ほら、やっぱり。とてもいいお母さんじゃない。反対はしないから、好きになさいって」
「あれは猫をかぶっているだけだよ」
「そんなことない。家族は仲良くあるべきだもの。きっと、これまで誤解があっただけ。優一のお母さんとわたし、うまくやれるわ」

 結婚式は落ち着いてからということにして、入籍だけ先に済ませ、寿退社をして優一と暮らし始めた。
 優一は男性にしては家事全般のスキルが高くて、洗濯物のアイロンがけもぬかりなし。料理に至っては冬美より上手だった。
 実家では母と祖母が家事を担ってくれていたから、冬美は手伝い程度しかできなかった。
 優一は「やってくうちに覚えるから、気にしなくていいよ」と言ってくれる。だから、優一のために努力しようと思った。

 入籍した翌日。
 義母の梅から電話が入った。
 呼ばれて義実家に向かうと、義母が掃除機を押し付けてきた。

「家事をやりな」
「はい?」
「掃除と洗濯、それから昼と夜のご飯を作っておけ」

 何を言われたか理解するのに、たっぷり十秒かかった。
 結婚の挨拶をしたときには柔和な笑みを浮かべていたのに、今は般若の形相だ。

「聞こえなかったのかい。家事をやれ」
「どうして」
「あんたが嫁だからだよ」

 冬美は好意的に捉えようとした。
 これはきっと、冬美が優一の嫁としてふさわしいかテストしているんだ。
 家事もまともにできない女では、このさき母親になったとしてもやっていけないから。
 そう思わないと、そうでないと理解できない。

 冬美が知る母というものは、いつだってあたたかくて、優しくて、間違ったときには叱ってくれていたから。
 ちゃんと家事をできない冬美を叱咤するためにしている。

 洗濯機をまわして掃除機をかけ、料理を作る。
 米を炊く水加減がわからず、炊いてみたがおかゆのようになってしまった。
 肉野菜炒めは肉が生焼けキャベツは黒焦げ。
 義母からはダメ出しの嵐だった。

「こんな生ゴミが料理だって? 優一ならもっとまともなもんを作るってのに。もういい。惣菜を買ってこい」
「そんな。わたしなりに頑張ったのに、味見すらしないでゴミだなんて……」
「見ただけで食えないとわかる代物を口に入れろって? 馬鹿なの?」

 罵られて、冬美は泣きながらスーパーに行き、惣菜を買ってきた。お金は冬美の負担で。

 義母の呼び出しは一日では終わらず、翌日も、その翌日も……毎日続いた。

 一週間もすると、冬美にもわかってきた。
 これはただの嫁いびりであり、冬美を叱咤する気なんて微塵もないことが。

 優一が絶対関わっちゃいけない、挨拶もしなくていいと言ったのに「筋は通さないといけないから」と譲らず、関わりを持ってしまった冬美が悪いのだ。
 きれいな世界しか知らなかった、世間知らずの冬美の落ち度。人間の善性を信じていたのがいけないのだ。

 一ヶ月経つ頃には疲弊しきり、離婚届をおいて優一のもとを出た。

 優一は優しいから、きっと追いかけてくれる。
 離婚したくない、母とは縁を切るから二人でやり直そうと言ってくれる。
 ドラマの一場面のような未来を信じて疑わなかった。
 いつだって冬美の親は冬美を大切にしてくれていたから、夫である優一だって同じはず。
 けれど、いくら待っても優一からの連絡はこない。
 二日、三日、一週間。

 役所で戸籍謄本をもらい確認すると、離婚届の受理日は冬美が出ていった翌日になっていた。

 裏切られたような気持ちになる。
 冬美は優一のことを信じて待っていたのに、ずっと夫婦でいたいと思っていたのは冬美だけだった。

 
 優一に会いたいけれど義母には会いたくない。
 そんな葛藤をずっとかかえ、年明けになってようやく気持ちの整理がついた。

 直接優一のところにいって、もう一度婚姻届を出そう、家族と縁を切って冬美だけを見て欲しい。そう伝えようと思った。


 なのに、マンションは空き室。一階の郵便受けは養生テープで塞がれていて、ドアノブに水道局の新規契約用の袋がぶら下がっている。
 隣室の老婦人が、「四ノ宮さんは先日引っ越したよ」と教えてくれた。

 優一のスマホに電話をかけてみたけれど、番号を変えたようで、使われていませんのアナウンスが流れる。
 一縷の望みをかけて職業訓練校の前で待っていたら、優一が出てきた。

 もう一度やり直してくれると信じていたのに、「もう再婚したから放っておいてほしい」と返された。
 見覚えのある、ほかの訓練校講師に声をかけてきくと、たしかに優一は再婚したという。こんなのは嘘。
 おかしい。


 駅前で見失ってしまったから、日を改めてもう一度駅に来た。
 優一は二十歳そこそこの、苦労も何も知らなそうなお嬢さんを連れている。
 あれが新しい妻だとでも言うのだろうか。

(なんで、あんな地味で取り柄もなさそうな子が)

 女は腕にブライダルジュエリー工房と、旅行のパンフレットを持っている。

(結婚したの、こんな小娘と)

 どうして、という言葉がなんども頭の中でまわる。
 認めたくなくて、優一が女から離れたすきに、女に声をかけた。
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