マリオネットは契約結婚で愛を知る。
優一は仕事を終えて帰り支度をしていた。
鳩羽に「休みだし、デートでもするんでしょー?」なんてからかわれて、あながち間違いでもないから言い返せない。
「でも静ちゃんといて幸せそうでよかったですよ。前の結婚のときは暗い顔のほうが多かったし……」
「あ、鳩羽さん駄目ですよ!」
鳩羽の隣りに居た同僚が、急いで鳩羽の口を塞いだ。
優一が頼んだわけではないけれど、前妻の冬美と一ヶ月で離婚してしまったから、あの結婚のことはみんな気を使って話題に出さないようにしていた。
母にいびられていること、相談してくれたらなんとかできたかもしれないのに、なにも言わずに離婚届をおいて行ってしまった。
離婚届に添えられていた手紙に、毎日家に呼ばれて家事をさせられていたこと、家事をしてもダメ出しばかりされて辛いこと……そして、このままだと優一のことも嫌いになりそうだから別れてほしいということが綴られていた。
冬美が日に日に疲れた顔をするようになっていたのに、仕事人間になっていたせいで話をする時間を持てなかった。
だからその反省もあって、空いた時間は静のために使うようにしていた。
明日は約束の休日だ。
優一は静に、ちゃんとした結婚をしたいと伝えるつもりでいた。
静からいい返事をもらえたなら、その足でジュエリーショップで結婚指輪を買い、新婚旅行の予約を入れにいく。
…………本当に結婚してくれとプロポーズして断られた日には、いたたまれなくて数日仕事ができなくなりそうだったから、週末まで先延ばしにしてしまった。
あの夜のことをただの思い出にしてほしくない。
ちゃんと愛したいし愛されたい。実が見守れなかった分、そばにいて幸せにしてあげたい。
職場を出ると、公園の前に立っていた女性が歩み寄ってきた。
それは、元妻の冬美 だった。
冬美は焦げ茶に染めたロングヘア、大きめのフレームのメガネをかけている。離婚したときよりは健康的な顔色をしている。
「久しぶり。電話は番号が使われていないってアナウンスだったし、マンションに行ったら引っ越していたから驚いたわ。転職していなくてよかった」
「……なんで」
離婚以来一切連絡してこなかったのに。優一のアドレス帳からも、冬美の連絡先は削除してある。
きっと優一の声も聞きたくないだろうと思って、優一からも連絡を取らなかった。
その日のうちに母を問い詰めに行き、母の答えは異常だった。
「は? 離婚になるのがあたしのせいだって? バカを言うんじゃないよ。嫁が家事をやるのは当たり前だろう。お前に魅力がなかったか、それとも、お前の父親みたいに、お前がよそに女を作っていたから出ていったんじゃないか」
「馬鹿言うなよ。嫁が家事をやるのが当たり前なら、なぜあんたはこの家の家事を全部僕に押し付けていた。あんた食う以外なにもしてなかっただろ」
「それが育ててやった親に対する言葉なの。嫌だね。顔だけじゃなく、そういうところまで出ていったあいつとそっくり」
優一の父は、優一が五歳のときに出ていった。
できるなら連れて行ってほしかったのに、母が遊ぶ金 欲しさに親権を強奪した。
出て行きたくなる気持ちもわかる。結婚して子どもが生まれた途端に豹変して、家族を奴隷のように使う女なんて、縁を切りたいに決まっている。
優一が呆然として聞く。
「僕達は別れただろう。なんで来たんだ」
「……今なら落ち着いて話せる気がしたから。お母さんと縁を切るために引っ越したんでしょう。あの人がいないなら、わたし」
今更。今更になって、復縁要請にきたんだと察した。
「僕はもう再婚している。君とやり直す未来は来ないよ」
「なに、それ」
道に立ったまま話しているから、通行人がチラチラとこちらを見ながら過ぎ去っていく。
このままだと職場の人間にも見られる。
静の耳に入るかもしれない。静に妙な勘違いをさせたくない。
「話すことはないし、よりを戻すこともない。今の奥さんを大切にしたいんだ。帰ってくれ」
「…………あなたはわたしのこと、好きではなかったの? なんで追いかけてくれなかったの。話し合おう、考え直してくれっていう連絡すらしてくれなかったわ。その上、もう再婚したから関わらないなんて、身勝手だわ」
「身勝手なのは君の方だろう。迷惑だ」
話し合いたいなら、離婚届なんて書かず、手紙にそう書いてくれればよかったのに。
追いかけてほしかったのに、なんていま言われたって、ドラマじゃあるまいしそんな言葉の裏の裏まで読めるわけがない。
ほんとうに、今更だ。
これ以上いうだけ無駄だと判断して、優一は歩き出す。
冬美をまくためにわざと雑踏に入り、時間をおいてから帰宅した。
「おかえりなさい、優一さん。夕食、できてますよ」
チャイムを鳴らせば、朗らかな笑顔の静が出迎えてくれる。
「ただいま、静ちゃん」
優一はなんだか泣きたい気持ちで、静に答える。
優一の腕はこの二本しかない。支える相手は静だけ。他の誰かの手を取る余裕なんて残されていない。
もう二度と母に勝手なことをされないように、この笑顔を守りたい。それだけが優一の願いだ。
鳩羽に「休みだし、デートでもするんでしょー?」なんてからかわれて、あながち間違いでもないから言い返せない。
「でも静ちゃんといて幸せそうでよかったですよ。前の結婚のときは暗い顔のほうが多かったし……」
「あ、鳩羽さん駄目ですよ!」
鳩羽の隣りに居た同僚が、急いで鳩羽の口を塞いだ。
優一が頼んだわけではないけれど、前妻の冬美と一ヶ月で離婚してしまったから、あの結婚のことはみんな気を使って話題に出さないようにしていた。
母にいびられていること、相談してくれたらなんとかできたかもしれないのに、なにも言わずに離婚届をおいて行ってしまった。
離婚届に添えられていた手紙に、毎日家に呼ばれて家事をさせられていたこと、家事をしてもダメ出しばかりされて辛いこと……そして、このままだと優一のことも嫌いになりそうだから別れてほしいということが綴られていた。
冬美が日に日に疲れた顔をするようになっていたのに、仕事人間になっていたせいで話をする時間を持てなかった。
だからその反省もあって、空いた時間は静のために使うようにしていた。
明日は約束の休日だ。
優一は静に、ちゃんとした結婚をしたいと伝えるつもりでいた。
静からいい返事をもらえたなら、その足でジュエリーショップで結婚指輪を買い、新婚旅行の予約を入れにいく。
…………本当に結婚してくれとプロポーズして断られた日には、いたたまれなくて数日仕事ができなくなりそうだったから、週末まで先延ばしにしてしまった。
あの夜のことをただの思い出にしてほしくない。
ちゃんと愛したいし愛されたい。実が見守れなかった分、そばにいて幸せにしてあげたい。
職場を出ると、公園の前に立っていた女性が歩み寄ってきた。
それは、元妻の
冬美は焦げ茶に染めたロングヘア、大きめのフレームのメガネをかけている。離婚したときよりは健康的な顔色をしている。
「久しぶり。電話は番号が使われていないってアナウンスだったし、マンションに行ったら引っ越していたから驚いたわ。転職していなくてよかった」
「……なんで」
離婚以来一切連絡してこなかったのに。優一のアドレス帳からも、冬美の連絡先は削除してある。
きっと優一の声も聞きたくないだろうと思って、優一からも連絡を取らなかった。
その日のうちに母を問い詰めに行き、母の答えは異常だった。
「は? 離婚になるのがあたしのせいだって? バカを言うんじゃないよ。嫁が家事をやるのは当たり前だろう。お前に魅力がなかったか、それとも、お前の父親みたいに、お前がよそに女を作っていたから出ていったんじゃないか」
「馬鹿言うなよ。嫁が家事をやるのが当たり前なら、なぜあんたはこの家の家事を全部僕に押し付けていた。あんた食う以外なにもしてなかっただろ」
「それが育ててやった親に対する言葉なの。嫌だね。顔だけじゃなく、そういうところまで出ていったあいつとそっくり」
優一の父は、優一が五歳のときに出ていった。
できるなら連れて行ってほしかったのに、母が
出て行きたくなる気持ちもわかる。結婚して子どもが生まれた途端に豹変して、家族を奴隷のように使う女なんて、縁を切りたいに決まっている。
優一が呆然として聞く。
「僕達は別れただろう。なんで来たんだ」
「……今なら落ち着いて話せる気がしたから。お母さんと縁を切るために引っ越したんでしょう。あの人がいないなら、わたし」
今更。今更になって、復縁要請にきたんだと察した。
「僕はもう再婚している。君とやり直す未来は来ないよ」
「なに、それ」
道に立ったまま話しているから、通行人がチラチラとこちらを見ながら過ぎ去っていく。
このままだと職場の人間にも見られる。
静の耳に入るかもしれない。静に妙な勘違いをさせたくない。
「話すことはないし、よりを戻すこともない。今の奥さんを大切にしたいんだ。帰ってくれ」
「…………あなたはわたしのこと、好きではなかったの? なんで追いかけてくれなかったの。話し合おう、考え直してくれっていう連絡すらしてくれなかったわ。その上、もう再婚したから関わらないなんて、身勝手だわ」
「身勝手なのは君の方だろう。迷惑だ」
話し合いたいなら、離婚届なんて書かず、手紙にそう書いてくれればよかったのに。
追いかけてほしかったのに、なんていま言われたって、ドラマじゃあるまいしそんな言葉の裏の裏まで読めるわけがない。
ほんとうに、今更だ。
これ以上いうだけ無駄だと判断して、優一は歩き出す。
冬美をまくためにわざと雑踏に入り、時間をおいてから帰宅した。
「おかえりなさい、優一さん。夕食、できてますよ」
チャイムを鳴らせば、朗らかな笑顔の静が出迎えてくれる。
「ただいま、静ちゃん」
優一はなんだか泣きたい気持ちで、静に答える。
優一の腕はこの二本しかない。支える相手は静だけ。他の誰かの手を取る余裕なんて残されていない。
もう二度と母に勝手なことをされないように、この笑顔を守りたい。それだけが優一の願いだ。