マリオネットは契約結婚で愛を知る。

「それじゃあ、あまり遅くならないようにするから。いってきます、静ちゃん」
「はい。お仕事頑張ってくださいね。いってらっしゃい、優一さん」

 仕事に向かう優一にお弁当の巾着を渡してお見送りをする。
 優一は今日、職場の新年会。仕事が終わったらそのまま会場になっている飲み屋に向かうそうだ。

 優一は豚肉のアレルギーがあるから、外食時はとくに気を使う。肉そのものが使われていなくても、調味料としてラードが使われていることもあるし、スープのだしに使われていることもある。
 夕食はいらないといわれているけれど、飲み会であまり食べられないはず。

(なにか胃に負担が少ないもの、軽く食べられるものを用意しておこうかな。雑炊とか、お味噌汁とか)

 掃除と洗濯を終わらせたあとは、パソコンの教本を開いて今日まで教わったところを復習する。
 タイピングの練習も欠かさない。おかげで、初日に比べたらだいぶスキルが向上していた。
 二月に開催される検定試験を受けるのを目標にして頑張っていた。
 合格できたら履歴書の技能欄に書ける。もし不合格でも、試験は年に数回行わえているから次回を目指せばいい。

 優一の教え方が丁寧でわかりやすいから、すっと頭に入ってくる。
 勉強がすごく楽しくて、優一に「今日はここまでにしよう」と言われても「あともう二ページしたい」とお願いしてしまうくらいだ。

 集中しすぎると目が疲れてしまうから、一旦休憩する。
 優一はふだんほとんど酒を飲まないから、念の為飲み過ぎや二日酔いにいいといわれているものを調べて、スーパーで食材を買い揃えた。

 スマホを見れば、二十時半を回っている。
 新年会は十九時からだと言っていたから、宴は最高潮であろう時間だ。

 持っていたスマホが鳴り、画面に優一からの電話と表示される。
 なにかあったのかと急いで出ると、なんとも陽気な声が聞こえてきた。

『静ちゃん、静ちゃん、元気ーー?』
「え、ええ、はい。元気ですよ」

 声は間違いなく優一だけど、テンションがおかしい。ごそごそ音がして、優一ではない男性が出た。

『あ、もしもし。おれ、鳩羽といいます四ノ宮さんの同僚です。四ノ宮さんの奥さんですか? ちょっと四ノ宮さんができあがっちゃって、自分で帰れなそうなので、連れて帰ってもらえませんか』
「わ、わかりました。今から行きます」

 会場は事前に優一から聞いていたため、静はすぐに部屋を出た。
 店の近くまで行くと、入り口から顔を覗かせていた男性が静に手招きする。 

「君が静ちゃんだよね。さっき電話で話した鳩羽です。ひと目でわかったよ。来てくれてありがとう」
「え?」

 会ったことがないはずなのに、なぜだろう。静が戸惑っていると、鳩羽がタネ明かししてくれる。

「四ノ宮さんてば、『静ちゃんのかわいいところ百選!』って言ってみんなの前でノロケるから笑っちゃった」
「ええええええっ」

 冗談だと思いたかったけれど、招かれるまま店の座敷を覗くと優一がペンをマイク代わりにして百選の続きをしていた。

「静ちゃんのかわいいところその三十五! 背が低いのもかわい……」
「ちょっとまってくださいいいいいいっ! 優一さんストップですーーーー!!」

 これまでの人生でこんなに大きな声を出したことはない。
 恥ずかしさで顔が熱くなり、静は急いで靴を脱ぎ、優一を止めに入った。

「あれー。静ちゃんがいる。家で待っててって言ったのになあ」
「はい、来ましたよ。みなさんに迷惑だから帰りましょうね。みなさんご迷惑おかけしました。私達はこれで帰るので、続きを楽しんでください。会費はどうすればいいですか」
「会費なら会が始まる前に回収しているから大丈夫だよ。早く帰りな、新婚さんなんだし」
「うん、僕、静ちゃん大好きー」

 職場の皆さんに深々頭を下げて、静は優一と一緒に店を出た。
 こんな状態では歩いて帰れそうもない。タクシーを拾って、運転手にマンションの住所を告げる。

「もう。こんなになるまで飲んじゃだめですよ。お酒は飲んでも飲まれちゃいけないんです」
「はーい」

 優一は幼稚園児が保育士に返事するようなノリで、ニコニコしながら答える。
 お酒を飲むと人が変わるタイプだ。暴力を振るうようなタイプでなかったからいいのかもしれないけれど、静の髪を指ですいて笑っている。
 首筋に冷たい指先が当たってくすぐったいのと、いいようのない恥ずかしさでむずむずする。

「静ちゃん静ちゃん」
「はい、なんですか?」
「僕のお嫁さんになってくれる?」
「もうお嫁さんじゃないですか」

 タクシーがマンション前に停車し、運賃を払ってエレベーターに乗る。
 優一に肩を貸してなんとか部屋に帰り着き、優一の部屋の扉を開ける。

「ほら、ちゃんと水分も取ってください」

 スポーツドリンクの蓋を外して渡すと、優一はじっと静の目を見つめる。

「さっきの答え、まだ聞いてないよ」
「答え?」
「お嫁さんになってっていうの」
「で、ですから、もう婚姻届、出しているじゃないですか」

 優一が酔っ払っている状態でなかったら、平静に答えられなかった気がする。

「そうじゃないよ。ほんとうの、お嫁さん」
「…………それは」

 形だけの夫婦でなく、本当の夫婦になって、そういう意味だろうか。

「僕、静ちゃんのことすごく好きだよ。このまま一緒がいいな」
「……ずるい、です。そういうのは、酔っていないときに言ってください。どうせ起きたら全部忘れているでしょう」

 ドラマや漫画でよくあるオチ。
 酔っ払って思わせぶりなことを言っておいて、起きたら全く記憶にないという展開。

 そういうものを知っているから、静は多大な期待をしない。
 酔っているからこんなことを口走るだけで、きっと本心ではない。

「どうしたら信じてくれる?」
「どう、って」

 額が当たって、優一の唇が静の唇を塞ぐ。
 触れた箇所が熱くて、頭の中が真っ白になる。
 体を離して、優一は繰り返す。

「君のこと、好きなんだ」
22/37ページ
スキ