マリオネットは契約結婚で愛を知る。

 松は激怒した。
 静のバイト先に給料を取りに行ったのに、女店主の答えは非情だった。

「最後の給料はすでに静さん本人に渡しております。お引き取りください」

 静はどちらのバイトもとっくに辞めていた。松の許可もなく。

「どういうことよ。あたしは静が辞めることを認めてないわ!」
「本人の意志があれば退職は可能です。ご家族の許可は不要です」
「静の給料が入らなかったら、誰が公共料金を払うのよ! 年金と国保の支払いもしなきゃなのに!」

 女店主は軽蔑の目を松に向ける。歳はまだ三十半ばだろうか。
 こんな若い女なんかが店主だから時給が安かったんだ。経験を積んだ年かさの男なら、もっといい給金を払ってくれたはずだ。


「御自分で働いて支払えばいいじゃないですか。昼間からこんなに騒げるくらいお元気なんですから。もしくは今身につけているそのハイブランドの服を質に出せばどうですか」
「なんであたしが働かなきゃいけなのよ。それにこの服気に入っているの。売るなんてとんでもない! 静が金をよこせばいいだけよ。育ててもらった恩を返すのが子どもの役目でしょう!」
「でしたら、もう一人の娘さんに言えばよいのでは。お姉さん、まだ二十代前半なんでしょう。働き盛りじゃないですか」
「なにおかしなことを言っているのよ。これまで通り静が働けばいいだけ。あんた静の新しい連絡先を知っているんでしょう、教えなさい! 教えないとどうなるかわかっているんでしょうね。あたしは母親なんだから知る権利があるわ!」

 静の給金を渡せというのは正当な要求。
 行方をくらませた静の居場所を教えろというのも正当な要求。
 なのに女店主……いや女店主だけではない。厨房で仕込みをしていた従業員たちまでもがゴキブリでも見るような目を松に向けていた。

 女店主は電話の受話器を持ち、深いため息を吐きながら松に視線だけよこす。

「静さんの話を聞いたときは、今の御時世にそんな戦前みたいな思想の人間がいるのかって気持ちだったんだけど、目の当たりにするとキツイわね。どうりでいつも自信なさげだったわけだわ。…………保坂さん。あなたのやっているのはただの営業妨害です。これ以上騒ぎ立てるようなら、今すぐ警察を呼びます」

 警察沙汰になるのは困る。取り調べなんて絶対に時間を取られるし、今夜のドラマを見られなくなってしまう。もうすぐ最終回なのに見逃すなんてありえなかった。

 舌打ちして、松は店を出た。
 家に帰っても、相変わらずキララはこたつで横になっているだけ。
 洗濯物はたまったままだし、ジュースの空き缶が床に投げ出されている。

「お金は?」

 おかえりもなにもなく、第一声が金のこと。松は不機嫌を隠さず吐き捨てる。

「とれなかったわ。静のやつ、とっくに現金で受け取って退職したんだって」
「は? じゃあどうすんの。アタシ今日もレトルトカレーなんて嫌だからね」

 キララの目が松を責める。
 静から金を取れない。優一も行方をくらませて連絡不可能。
 そんな状況でも、公共料金や税金の支払い期日は迫る。

「ああそうだ、ジジイから貰えば? 年金暮らしでもそれなりに蓄えあるんじゃない」
「あいつが貸してくれるわけないじゃない。電話したってどうせくだらない話を長々聞かされるだけよ。声を聞くのも嫌なのに」
「聞いてみなきゃわかんないでしょ。えーと、電話番号……」

 電話台の引き出しに、実が使っていた古いアドレス帳がある。
 松はキララがアドレス帳を開こうとするのを遮った。
 そんなもの使わなくても、実家の番号なんてそらで打てる。

『この電話はお繋ぎすることができません』
「は!?」

 番号を間違えたのかと思ってもう一度かけ直してみたが、結果は同じ。
 携帯電話からかけてみても、電話は繋がらなかった。
 答えは一つ。実家から着信拒否されている。

 松は受話器を持ったまま立ち尽くす。

「うわ、着拒されてんじゃん。どうすんの」
「キララちゃんが働くしかないんじゃないかしら。週二でもいいから働いてくれない? キララちゃんなら大卒だし、静よりは短時間でいい給料のところで働けるでしょ」
「ええぇ……。だっるー」

 あからさまに顔を歪めて、キララはまた寝転がった。

「静が見つかったら倍にして返してもらえばいいじゃない」
「仕方ないなあ。スマホ止まると困るし、三倍にして返してもらお。ネイルサロンも行きたいし」

 キララは赤いジェルネイルをした指を天井にかざす。最後にサロンに行ってから半月以上経っているから、自爪が伸びてしまっている。
 お気に入りのサロンで整えてもらうのにお金がいる。

 松がコンビニに行って求人フリーペーパーを持ってきたが、キララは開いて五分で投げた。

「うーわ。フリーペーパーって底辺職しかないわけ?」

 求人誌にはコンビニにスーパーの品出し、レストランのホールや裏方など、ありふれたバイトが載っている。
 選べる立場にないのに、キララは文句たらたらだ。

 仕方なく、求人誌に載っていた近場で一番給料のいい事務職に面接申し込みの電話をした。面接は今日の夕方。
 履歴書はフリーペーパーの付録を切り取って使う。
 写真は手持ちのプリクラシールの中で一番写りがいいものを貼る。

「まあ。とてもいい出来ねキララちゃん。これなら絶対に採用よ!」

 松のお墨付きで気を良くして、キララは意気揚々と面接に向かった。

 一時間後、帰ってきたキララは鼻歌を歌いながらこたつに寝転がる。

「あたしの他にあと二人面接に来たやつがいたけど、二人とも黒髪メガネで地味なスーツでさー。しかも高卒って言ってたよ。これアタシの独り勝ちじゃね? 陰キャ負け組なオタクじゃねー」
「そうよ。キララちゃんなら絶対採用されるわ!」

 二人の期待に反して、五日後に届いたのはお祈りメール。
 サイトを見るとその会社の求人広告はなくなっていたから、キララが陰キャ負け組だとバカにして笑った二人のどちらかが採用されたのは疑いようもない。

「ああ、そっか。面接官ってオバハンだったし、若くて可愛いアタシに嫉妬したのね。自分より有能な人間を採用しないようにする面接官っているらしいし。アタシを選ばないんだから、この会社、近いうちに潰れるんじゃね」

 たまたまキララの担当になった面接官の見る目がなかっただけ。
 そう判断して新たな面接に挑んでいくが、キララに届くのは不採用通知とお祈りメールだけ。

 学歴さえあれば選ばれると思いあがり、他人を見下す。面接の間、これまで働かなかった理由を正直に話し、妹が家に金を入れていれば働かなくてもよかったのにと愚痴る。どれだけ頭が良かろうと、そんな人間を採用する企業なんてありはしない。
 松もキララも、自分が間違っているなんて、ただの一度も考えたことがない。だから、なぜすべて不採用なのか、気づくことはなかった。
21/37ページ
スキ