マリオネットは契約結婚で愛を知る。

「それじゃあ静ちゃん、行ってきます。お弁当、ありがとう」
「はい。行ってらっしゃい、優一さん」
 
 優一が、静の作ったお弁当持って出勤する。
 手作り弁当を渡してお見送りなんて、まるで本当に愛し合って結婚した夫婦のよう。

 洗濯機をまわして掃除をして、十時前にはやることがなくなってしまった。
 全自動洗濯機は乾燥までしてくれる型だから、乾燥が終わるまで手持ち無沙汰。
 十七歳のときからほぼ毎日働き詰めで、仕事が終われば家事を押し付けられていたから、自由時間というのは寝る時間しかなかった。
 この数日は優一と役所の手続きなどに追われていたから、完全なる自由時間になってしまって困った。

 いまさらながら、好きなこと、趣味というものを持っていないと気づいてしまった。命令されたことだけこなすマリオネットのような日々は、静から趣味趣向を奪っていた。

(どうしよう。普通の年頃の女の子って、こういうときなにをするんだろう。姉さんなら、カラオケに行くとかショッピングとかするのかな……)

 歌を知らないし、とくべつ買いたいものもない。
 そういえば、優一はクリスマスプレゼントだと言って静に服や靴をたくさん買ってくれたけれど、静は何も贈れていない。

 優一に贈り物をしたい。
 思い立った静は、優一が買ってくれた服を着て、バッグに財布を入れてマンションを出た。

 引越し先のまわりも知っておきたいから、鎌倉駅で電車を降りて新居周辺を歩く。
 アパートから五分のところに商店街があって、ベーカリーや青果店、雑貨屋なんかも並んでいる。

 その中でもひときわ目を引いたのが、異国雑貨を集めたらしいお店だ。
 ワンダーウォーカーという立て看板があって、静は恐る恐る扉を押した。

「いらっしゃいませ」

 アオザイを着た黒髪の女性店員が会釈する。
 静はかるく会釈をかえして商品棚に視線を移す。
 異国の服やお香、トルコランプなどの雑貨だけでなく、ハーブティーも置いてある。
 それぞれの茶葉の効能と、味の感想が書かれたノートが添えられていて、静は興味がわいて読みふける。
 ハーブティーはカフェインがはいってない、くらいのふんわりした知識しかなかったから、ビタミンが豊富だとか甘酸っぱいとか、お茶によってかなり味が違うとか、そういうことを知ることができてなんだか楽しい。

(このお茶を贈ったら喜んでくれるかな。お茶なら、二人で楽しめるし。なにが好みだろう)

 茶葉の棚の前で悩んでいると、先程の店員が声をかけてくれた。左胸の名札にアリスと書かれている。

「ハーブティーを買うの、初めてですか?」
「あ、はい。えと、夫、に贈りたいんですけど、なにを選んだらいいかわからなくて。夫はパソコン関係の仕事をしていて……」
「ご主人様がパソコンやスマートフォンを使うことが多いようならハイビスカスやバタフライピーがおすすめです。眼精疲労に効くんですよ。バタフライピーはレモン汁を一滴垂らすと色が変わるので、見た目でも楽しめますよ」
「ええ!? い、色がかわるんですか?」
「はい。試しにいれてみましょうか。歩さん、試飲用に一杯いいですか?」

 アリスがカウンターにいたチャイナ服の男性に声を掛けると、歩と呼ばれた男性は笑顔で指を丸にする。

「いいわよー。いま準備するから、お嬢さんはそこに座って待っていなさいな」
「え、い、いいんですか? 私が買うかどうかもわからないのに」
「いいのよ。他の店はどうか知らないけど、あたしが店長だからあたしがルールよ。ついでにハイビスカスもいれましょ」

 店長はカウンターの電気ポットのスイッチを入れて、その間に透明なティーセットを用意する。手際よくお茶が用意されて、ぐい呑みグラスが二つ静の前に並んだ。半月切りのレモンも添えてある。

「こっちのピンクのものがハイビスカス、青いのがバタフライピーです。バタフライピーは妊婦さんには向かないです。どのハーブティーにも言えることですが、適量なら体にいいけれど飲みすぎには気をつけないとです」
「はい」
「どうぞ、レモンを入れてみてください」

 アリスに言われるままレモンを絞ると、雫が垂れたところからフワリと色が紫っぽく変わった。

「すごい。きれい。……それに、おいしい。とくにハイビスカス、お砂糖もレモンも入れていないのにこんなに味がするものなんですね」
「うちの店のハイビスカスティーはローズヒップとブレンドしているから、甘酸っぱさがあるんですよ。疲労回復効果もあります」

 飲み比べて、どちらもいい味だけどハイビスカスのほうが気に入った。

「ハイビスカスを買いたいです」
「ありがとうございます。いまご用意しますね」

 アリスはサービスでラッピングもしてくれた。

「メッセージカードもあるので、よかったらどうぞ」
「なにからなにまで、ありがとうございます」

 ペンを貸してもらい、優一に伝えたいことを書いてラッピングのリボンの下にはさむ。

「店長さん、アリスさん、ありがとう。今度は優一さんと一緒に来ますね」

 店を出るときに、入ってくる女性とぶつかりそうになった。

「すみませ……」
「い、いえこちらこそごめんなさ……って、あ! この前のかわいいお客さん。うちの服着てくれいるんですね。うれしいな」

 一瞬なんのことか考えてしまったけれど、女性は一緒に服を選んでくれたスタッフ、ナナだった。

「あ、あのときの。どうもありがとうございます。すごくかわいくて、気に入ってます」

 どうやらナナは常連なようで、店長が「あらナナじゃない。また来たの?」なんて言っている。
 静は軽く挨拶を交わして店を出た。

「えーと……あれ。駅はどっちだっけ」

 初めて来たから、ぜんぜんわからない。あてもなく歩いたのが悪かった。スマホのバッテリーは残り30%で、ナビを使ったら即落ちてしまいそうだ。交番でもあれば道を聞けるのに、まず交番の場所がわからない。

「おや、迷子ですか。迷子ですね。まちがいありません」

 右往左往していたら、竹ほうきを持った、背の高い男性が歩み寄ってきた。英国紳士のような上質なスーツに使い込まれたほうき……なんとも異色の組み合わせだ。

 不思議な男性は「おや初田先生、今度はなにをやらかしたんだね」なんて、買い物かごをさげたおばあさんたちに言われている。
「なんでみんな、わたしが掃除していると何かやったと思うんですか」なんてしょげている。

 変わっているけれど、心配して声をかけてくれた地元住民らしい。

「あ、はい。迷子です」
「鎌倉駅ならこの道をまっすぐ行って、二つ目の信号を左に曲がればつきあたりにあります」
「ありがとうございます」

 言われたとおりに歩くと、きちんと駅にたどり着くことができた。
 マンションに帰ってから昼を軽く済ませて、洗濯物にアイロンをかける。

 帰ってきた優一にハーブティーを贈ると、目に涙をためて、「ありがとう」と言った。
 食後は二人でハーブティーをいれて、美味しいねと笑い合う。
 お茶を飲みながら、職場でのことを話してくれる。

「……それでね、去年の秋に担当していた受講生が年賀状を送ってくれたんだよ。就職も決まって、そのお礼の言葉が書かれていて。虎門くんはね、成績はいいんだけど、ずっと「人とうまくやれないから仕事できるか不安だ」って悩んでいたから……ちゃんとうまくやれているようで良かった」

 優一が職場から持ち帰ったのは、勤務先、優一宛に送られてきた年賀状だ。パソコンでデザインされた干支の動物や賀正の印がおしゃれ。下の方に手書きのお礼メッセージが綴られている。
 生徒全員がこうして送ってくれるわけではなく、お礼の手紙をくれる人はごく稀なんだとか。
 この年賀状をくれた受講生も、とても誠実な人なんだろう。
 優一が慕われていると自分のことのように嬉しい。




 優一が静と結婚したのは親から逃がすため。
 もう母もキララも追いかけて来なくなったら、離婚してそれぞれ別の人生を歩んでいくのだろう。前の奥さんと別れた理由だって、嫌い合って離縁にいたったのではなく、梅の嫁いびりによるものだ。梅と完全に縁が切れたら再婚だってありえるかもしれない。

 静と優一は恋愛感情も夜の関係もない、形だけの契約結婚。
 わかっていても、静はこの時間が少しでも長く続いてほしいと思った。
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