中の人にも祝福を!〜リアルで口下手すぎるライバーは、自分を変えたくて奮闘する〜

「あの、落ち着いて。君がたなかかな? だってお兄さんから聞いたんです」
「ああああああ、ごめんなさい、ごめんなさい。今の記憶は消してください、これは、ちがう、ちがうんです」

 かなみさんはパーカーのフードをすっぽりかぶって逃げだした。
 扉が閉まったあと、机か何かにぶつかる音がして、「いたーーーい!」と悲鳴が聞こえてくる。

 僕も実家に住んでいた頃、ゆるい部屋着でいるときに来客があってすごっく恥ずかしい思いをしたなあ。

 ましてやかなみさんは女の子。僕よりずっと恥ずかしいだろう。

「やー。あんなに慌てているかなみ、初めて見た」
「田中さん。かなみさんには、事前に何も伝えていなかったんですか。夕飯時に同僚がくる、とか」
「来るって決まった時点で伝えといたんだけどなあ。起きたばっかりみたいだし、忘れてたんじゃないか」

 ずっと家にいるって言っていたし、時間や日付の感覚がないのかも。
 しくしく鳴き声が聞こえる扉の前。クロが飛び上がってレバーに前足をかけ、隙間から部屋に入っていった。

 数分して、クロを抱えたかなみさんが部屋から出てきた。
 よそ行きの服で、髪もちゃんとブラッシングしていた。さっきまで鳥の巣みたいだったけれど、ストレートになっている。

 かなみさんは居間に来て畳の上に正座する。
 鬼に差し出される生け贄みたいなレベルでガクブルしている。
 怖がっているのとは違う。
 相手が怖いんじゃなくて、自分がどう見られているかが心配なんだ。
 眼鏡をかけた目は、下に向いたまま。僕と視線が合わない。

「田中、かなみ……です」
「はじめまして。もう気づいちゃったみたいだから、隠すのも変、だよね。僕は倉井すすむ。スタリーでの名前はクライスです。いつも配信にきてくれてありがとう」

 自分よりパニックになっている人がいると、人間は冷静になると聞いたことがある。
 その言葉は本当なんだな。僕は珍しく落ち着いている。
 同じように口下手なこの子なら、僕が舌を噛んでも笑いものにしたりしないという、謎の確信がある。
 配信のときみたいになめらかに話せていた。

「あの、こ、ちら、こそ……ありがとう、クライス……、あ、倉井さん、のほうが、いい?」
「どちらでも、かなみさんが呼びやすいように。ここだと田中さんがたくさんいて紛らわしいから、僕のほうはかなみさんって呼ばせてもらうね」

 お兄さんもお母さんもみんな田中さん。親御さんの前でたなかかな? って呼ぶのも気が引けるし。

「ひなちゃん、ちょっとご飯よそうの手伝って」
「おおいお袋! 同僚の前でその呼び方やめい! オレもう24歳だぞ!?」

 ひなちゃん、ひなただからひなちゃんね。うん。
 お母さんって昔からの呼び方直らないよね。うちの母親は昔から進だったからよかったー。

「倉井さん、その目をやめてくれ。24になってもひなちゃんなんて呼ばれていることが職場でばれたらオレ、生きていけない」
「…………僕、話し相手がいないから心配いらないですよ?」
「それもそうか」

 ようやく最低限の挨拶できるようになった唯一の人間が田中さん。
 ひなちゃん呼びされているなんてこと、言いふらしようがない。

「もう。ひなちゃんてばお友達の前だからって照れちゃって。かなちゃんお願い」

 かなみさんは今すぐにでも逃げ出したかったようだから、これ幸いに台所に走っていった。

 座卓にはナスの味噌炒めやイワシの梅肉煮、ジャガイモの味噌汁などなど、美味しそうな料理がずらりと並んでいる。

 一人暮らしをするようになってからずっとコンビニやスーパーで買ってきた弁当やサンドイッチだったから、手作りの料理なんて何年ぶりだろう。
 四人で卓について夕食をいただく。

 ちなみにかなみさんは、卓の端っこのほうで小さくなっている。娘さんが端っこで、客の僕が普通に座ってるの申し訳ない。

「あらどうしたの、かなちゃん。ナス味噌好きでしょう。いつもはおかわりするのに」
「なんかゴメン、僕がいたら食べづらいよね」

 ブンブンブンブン!
 首がもげるんじゃないかって勢いで首を左右に振るかなみさん。

「倉井さん、和食はお好きですか? お口に合うと良いんですが」
「おいしいです。ありがとう、ございます」
「おかわりありますからね。あ、よかったらタッパーに入れて持ち帰りも」
「お、お気持ちだけで、じゅうぶんです」

 同僚の家でご飯をいただくなんていうドラマみたいな展開が自分に訪れるなんて思っていなかったから、これが正解なのかわからない。

 お世辞でなく、本当に美味しい。
 味噌が甘じょっぱくて箸が進む。
 家のご飯がこんなに美味しくて、お母さんは面倒見がよさそうなのに、どうして田中さんはお弁当持ちじゃないんだろう。
 ちらりと隣を見ると、田中さんは僕が聞きたいことを察したのか口の端をあげて肩を落とす。

「オレが弁当持ってったのは高校のとき最初の数日だけだぞ。…………お袋がアニメのキャラ弁作りやがるから持って行きたくなくなった。弁当箱開けたらハートマークの妖精が出てきたときのオレの気持ち、わかる?」

 幼稚園児のお弁当ならまだしも、田中さんはいい年した男性である。
 高一で、弁当箱を開けたらかわいいアニメのキャラ弁……想像するだけで背筋が凍る。

「しばらくの間あだ名がハートちゃんだった。会社でもやられたら地獄だから弁当買ってんだ」
「ど、どんまい」

 お母さん、悪気はないんだろうなあ。

「失礼な。ひなちゃんの体を思って作ったのに。かなちゃんは持って行ってくれたのに」
「やめて。オレの体を思うなら普通の弁当にして」

 かなみさんはノーコメント。もくもくと箸を動かしている。
 女の子ならまだ、キャラ弁を持っていても違和感ないもんね。

 最初はお宅訪問ってどんな大変なことになるかと思ったけれど、田中さんの意外な一面を見られて、面白かった。
 ご飯を食べてすぐ、かなみさんは逃げるように席を立つ。

「あの、今日も配信するから、聴きに来てくれると嬉しいな」

 返事はなかったけれど、かなみさんはこくりと頷く。クロを抱っこしてまた部屋にこもった。

「なんか、ごめん。倉井さんが言うように、ちゃんと医者の指示を仰いで、段取りしてからの方がよかったかも……。倉井さんのこと嫌いであんな態度とってるわけじゃないから、嫌わないでやってほしい」

「あ、いや。僕、かなみさんと会えてうれしかったよ。イメージぶち壊して幻滅されたらどうしようってばかり思っていたけど、かなみさんも、同じだったんだなってわかって」

 どこか似ているから、僕を嫌ってああいう態度になっているわけじゃないとわかる。
 かなみさんは、僕がクライスだとすぐに気づいた。僕を見てチビだの失望しただの一言も言わなかった。
 自分が相手の目にどう映るか、嫌われないか、失望されないか、それが怖くて立ちすくんでいる。

 嫌いになれるわけがない。むしろ、自分を見ているみたいで応援したくなる。
 同士をみつけたような、そんな気持ちだ。
 今日配信にきてくれたなら、会えてうれしかったよって伝えよう。


 マンションに帰ってから、いつもより少し遅いけれど配信の準備をする。
 枠を開くと、すぐになじみのメンバーが入室してきた。

タケSub[ごきげんよークライス!]
ゆっち[クライス、ごきげんよう~]
えびのしっぽ[ごきげんようクライス! えび氏はクライスの歌聴きたすぎて夜しか寝れなかったよー]
ムーマ[ごきげんよう! ねえねえクライス、【泣き骸】歌える?]

「タケ、ゆっち、えびのしっぽ、ムーマ。ごきげんよう。今日もありがとう。えびのしっぽはそれは普通に健康的な生活だから問題ないよ。ムーマ、リクありがとう。泣き骸歌えるよ。今日の一曲目は泣き骸にしようか」

たなか兄[ごきげんよー]
アルミ缶の上にあるミカン[クライスごきげんようー☆ 今日は暑かったからボクの上のミカンが溶けそうだよ]

「たなか兄さん、ミカミカ、ごきげんよう! あははは。ミカミカ、ミカンって溶けるの?」

 次々に入ってくれるリスナーに挨拶をしていると、またタイムラインに入室通知が出る。

たなかかな?[ごきげんようクライス]

「ごきげんよう、たなかかな? 今日も来てくれて嬉しいです。元気です?」

たなかかな?[チーズケーキ食べたから元気]

「それはよかった」

 かなみさんが来てくれて、ほっとしている僕がいる。
 スタリーは学生でもアプリをインストールするだけで使えるから、日々ライバーが増えている。
 いまやライブ配信ユーザーは1000人超え。

 ライバーはいくらでもいるから、気に入らなければ他枠に行く。
 一度様子見で数分見たきりで二度と来ないリスナーはいくらでもいるし、逆に一日も欠かさず来てくれるリスナーもいる。

 僕は話すのがうまくないし、去る者を追えるタイプじゃないから、これまでは去る人にはバイバイと言うだけだった。

 でも、かなみさんがここに来なくなったら寂しいな。

 僕が登録した初日から来てくれていた人だ。
 たなかかな? の名前を覚えて、好きな食べ物や好きな曲がぱっと出てくるくらいには親しくなったから、かなみさんにはバイバイって言いたくない。

 リアルでも友だちになれそうなのに。

「それじゃあ今日のリクエスト一曲目いきますよ! 泣き骸!」

 なんだかいつもと少し違う気持ちで、今日の配信を開始した。



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