名前のない、ましろな五線譜

 少年は夢を見る。
 幼い頃からくり返しくり返し、いつも同じ夢ばかりを見る。
 それはどこかの見張り台の上。自国の騎士に殺される夢。目覚めると少年を殺した騎士の顔はおぼろげになる。
 刺されたときの血のあかと、ぬるい感触だけが鮮明に感じられて、全身凍るような心地だ。

 予知夢、というものだろうか。
 少年は成長するにつれ、眠ることと、あかい色を恐れるようになっていった。
 母は少年の話を親身に聞いて、寄り添ってくれた。
 父は気を引こうとして嘘をついているだけだと、少年を詰った。

 少年は十五になり、騎士として城で働くことになった。
 騎士隊長の男児ゆえ、本人の意志にかかわらず騎士になるほか道はなかった。

 女王陛下に目通りするようにと父に言われて、恐れ多さを感じながらも挨拶に行った。
 女王は男嫌いだと噂。三十三になる今でも独身を貫き、方々からの求婚を断っていると聞く。

 緊張しながらも陛下と顔を合わせ、初対面だというのに何故かとても懐かしく思えた。
 そして、ふいにある言葉が口をついて出た。
 女王が幼少期、ごく一部の人に呼ばれていた愛称だ。
 なんと無礼なと父は怒ったが、女王は諌めなかった。

 女王はゆっくりと少年の目の前に歩み寄り、知らぬ名を呼んだ。自分ではない誰かの名なのに、それが自分を指す名だと理解できた。
 女王のそばに仕えていた老齢の侍女もハッとする。

 呼ばれると同時に、いつも見ていた夢の男が鮮明に脳裏に見えた。


 ──いいことを教えてやるよ、⬛⬛、お前が死ねば、姫は私を見てくれるんだ。



 くり返し見る夢は予知夢などではない。
 少年の、前世。
 少年を殺したのは、少年の父だった。



 少年はその場に膝をついて嗚咽を漏らし、かつて見張り台で何があったか語る。
 父……くろき伯爵は無実だと自己弁護したが、裁判にかけられ敗訴した。

 敵兵にやられたと偽って味方殺しをした伯爵は断頭台の露と消える。

 その日以来、少年はもうあかい夢をみなくなった。

 伯爵の身に生まれた今なら、そばにいることを許されるだろうか。
 少年が手を差し伸べて、女王はその手をとる。
 あの頃のように、またあなたとふたりで連弾をしたいわと微笑む。

 女王と夫の数奇な運命は、後に吟遊詩人によって遠い未来まで語り継がれていった。



END

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