名前のない、ましろな五線譜

 とある貴族の子息は恋をした。
 相手は自国の姫。
 天使が地上に降りたのかと思うほど美しく、声は小鳥のさえずりのように耳障りがいい。

 けれど姫の視線の先にはいつも、平民の少年がいた。乳兄弟だという。
 その乳兄弟の瞳も、いつも姫を追っていた。
 
 あいつさえいなければ、姫はこちらを見てくれるのに。嫉妬が子息のこころを黒く染めていく。

 子息は少しでも長く姫のそばにいようと考え、騎士団に入った。忌々しい乳兄弟も騎士団にいたのが腹立たしい。

 だが、自分は顔がいいし、平民の乳兄弟と比べて育ちがいい。姫の夫になるのに申し分ないはずだ。
 何度婚約の申込みをしても、姫は一度もウンといわない。 

 子息が二十、姫と乳兄弟が十八になったとき、戦争が起きた。
 子息と乳兄弟は騎士。国を守るため最前線に行くこととなった。

 二人は偶然・・同じ部隊に配属されて、同じ見張りに配置された。
「姫様と国の将来に関わる、大切な話がある」と言えば、顔色を変えた。他のことでは表情を動かさない男が、だ。

 だからとっておきの大切なことを教えてやった。
 
 ──お前が死ねば、姫は私を見てくれるんだ。





 乳兄弟は運悪く・・・戦場で散り、生き残った子息はもう一度姫に求婚した。
 帰らぬ人のことなど忘れ、ともに未来を作りましょう。

 姫は首を横に振る。
 乳兄弟がいなくなっても、姫の瞳は子息を見ない。

 一度も子息の顔を見ず、黙ってパイプオルガンを弾き続けた。
 貴族の音楽会などでは聞いたことのない、曲名もわからない音色を。



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