ドブネズミの革命 〜虐げられる貧民たちは下克上する〜

 ガーニムはすこぶる機嫌が良かった。
 昼食の席で、いつもなら手を付けない果物まで食べるくらいに。召使いは不思議そうな顔をしながらも、命じられるままりんごを切り分ける。
 一つ取ってから隣に座るマッカに皿を渡すと、マッカは微笑んでりんごを食べた。

 今ごろガーニムが放った者たちは反乱軍として市場を襲っている。そしてそいつらを王国兵が始末する。

 その光景を見た国民たちは思うだろう。
 反乱軍は自分の望みが叶わなければ国民を巻き添えにするような、ただの犯罪者だ。王国軍とガーニムが国を守っているんだと。

 そろそろ部屋に戻るかと思っていたところで、食事の間の外が騒がしくなった。
 やかましい足音が響き、ススと埃にまみれたバカラとザキーが入ってきた。
 彼らからは物が焦げたとき特有の臭いがして、ガーニムは口と鼻をターバンでおおう。

「お前ら、なぜそんな格好でここに現れる。国王と王妃が食事中だと知っての無礼か」
「無礼なのは重々承知の上でございます。至急陛下に確認しなければならないことがあり、参じた次第でございます」

 バカラが跪いて早口に言った。
 出撃に同道したザキーもまた、膝をつき頭を下げる。
 出て行けと言える雰囲気ではない。仕方なく続きを促す。

「確認とは?」
「その、反乱軍鎮圧に向かったところ、反乱軍と交戦しておりました。仲間割れと言うわけではなく。ハキムが来て、『彼らは自分の意志ではなく、陛下に命じられて襲った』と。襲撃者たちも口々に同じことを言うもので」
「なん、だと!?」

 裏切りやがった、危うくそう口走るところだった。
 留まった自分を褒めてやりたい。
 隣ではマッカも青ざめ、ガーニムとバカラを交互に見ている。

「そいつらは嘘をついている。反乱軍の策略だ。俺の立場を悪くするために『国王に命じられた』と言っているんだ」
「町を襲った傭兵ならともかく、ハキムは王国兵。陛下を陥れる理由が見当たりません」

 バカラはガーニムの説を即座に否定した。バカラは脳まで筋肉でできているのか。利口な人間よりいっそやりにくい。
 なぜガーニムを信じない。
 なぜガーニムでなく、ハキムの言葉の方を信じる。
 ガーニムは主君なのに。

「任務失敗で笞刑にされたことを逆恨みしたのだろう」
「そんなはずはありません。ハキムはもともと俺の部隊にいました。愛想はないが国の未来を慮る誠実な男です。陛下を陥れるような姑息な真似をできる人間ではありません」

 バカラにその気はなくても、ガーニムを姑息だと言っているようなものだ。
 

「愚かな。罪人の言葉をうのみにするなど。そいつらは助かりたくて言い訳をしているだけだ。命令通りきちんと始末したんだろうな」
「……逃げられました。奴らを追うよりも、消火と民の避難誘導・怪我人の手当を最優先にすべきだと──」
「言い訳はいらん! なぜ取り逃がした。俺は街を襲う奴らを殺せと命じたはずだ」

 ガーニムはバカラの言葉を遮った。
 王命より優先されるものがあってはならない。始末しろと言ったからには、全員の首を持ってくるくらいはしてもらいたい。

 一体どんな言葉を期待していたのか、ザキーの顔がくしゃりと歪んだ。

「……陛下。なぜただの一度も、民のことを聞いてくださらないのですか。町が焼け、多くの者が怪我をしているというのに」
「俺が案じたところで、焼けた市場がもとに戻るのか? 怪我人が治るのか? 俺は意味のないことが何より嫌いなんだ」

 バカラがハッと顔を上げ、息を呑む。
 震える声でガーニムに聞いてくる。

「……我らはただの一度も、市場が襲われたと報告しておりません。城に来た報せも、『反乱軍が火を放ち暴れている』という断片的なもの。なぜ、彼らが襲った場所が市場だと言えるのですか?」


 確かに、こいつらは入ってきてから一度も市場と言っていない。
 ガーニムが口走るのを待っていたんだ。

 こんなやつに言質を取られるなんて。
 ここにいる全員を殺せば収まるのか。しかしここにはマッカがいる。
 マッカも聞いてしまった。さすがに、王妃が死ねば怪しまれる。反乱軍が攻め込んできたわけでもないのに、ガーニム以外の全員が死ぬなんて怪しすぎる。

 アシュラフのときのような、ターゲットだけ殺すことができない。
 どうしたらいい。頭の中はどうすればこの事態を収拾できるかということでいっぱいになる。

「落ち着いてくださいな。陛下」

 後ろに控えていたディヤが、普段と変わらない顔で果実酒を注ぐ。
 ガーニムはそれを一気飲みして、ゴブレットをテーブルに叩きつける。

「知っていたわけではない。市場が最もスラムから近いから、そう思っただけだ。そんなことよりもハキムはどうした。なぜ俺を陥れるような証言をしたのか確認しなければならない」

 ガーニムの名誉を傷つけたこと許しておけない。命を持って償わせなければ。

 ザキーは、ガーニムの判断に不満があるかのような顔をする。臣下のくせに、ここ最近嫌に反抗的なものを端々に見せる。
 つばを飲んで、ハキムの行方について淡々と説明をはじめた。

「消火と救護活動を終えたときには、姿が見えなくなっていました。怪我人たちと一緒に、病院で手当を受けているのかもしれません」
「俺が黒幕だという証言が嘘だから……真偽を確かめられるとまずいから逃げたんだ。ハキムは俺を陥れようとした。逃げた奴ら共々、見つけたら捕縛しろ」

 バカラもザキーも、首を縦に振らなかった。これまで一度だって命令に背いたことがなかったのに。
 承知しましたと、ひとこと言えばいいのに、しない。
 それどころか、声を荒らげて反抗してきた。

「陛下、ハキムに罪をなすりつけようとするなんてあんまりです。ご自分の過ちを認め正すのが、施政者のあるべき姿ではありませんか!」
「ほう。俺が間違っていると、そう言うのか。ザキー」

 一瞬たじろいだものの、ザキーは強く答える。

「そうです。陛下は間違っている」
「……お前は忠臣だと思っていたのだが、見込み違いだったか」

 懲罰室に入れられていたのに、こいつはまだ反省していない。配下に過ぎないくせに、いつからガーニムに物申せるほど偉くなったのか。
 ガーニムが剣を抜いても、ザキーはひるまず言葉を続ける。


「命令すべてにハイと答える者を忠臣とは言いません。それでは人形と変わらない。主が道を踏み外そうとしているときに諌めるのも臣下のすべきこと。それが今です。陛下、もうおやめください」
「残念だ、ザキー。どうやら、俺とお前では忠臣の意味が異なるようだ」
「そのようでございますね」
「どちらが正しいか、分からせてやったほうがいいようだな」

 主の命令に忠実に従い、言われたことを実行すること。それこそが忠臣のあるべき姿だろう。
 ガーニムがザキーを殺す気であると、バカラが悟った。腕を横に広げザキーを背後に庇う。

「なりません、陛下」
「そこをどけバカラ。もろとも斬られたいのか」

 一触即発の空気を、マッカが破った。
 ガーニムの腕にすがって訴える。か弱い女の力で止められるはずないとわかっているのに、それでもガーニムに言う。 

「おねがいですガーニム様。やめてください。これ以上、あなたが傷つくところを見たくありません」
「……傷つく? 俺が?」

 ガーニムが人を傷つけるところではなく、ガーニムが傷つくところを見たくないという。
 ガーニムはこの国でも上位に入る剣の才に恵まれている。誰かの前に膝をつくことなどない。

「はい。ガーニム様の心が。誰かを傷つけるたびに、あなたの心も傷つく。だからどうか御身を傷つけないでください」

 ガーニムの心の心配をした者が、これまでにいただろうか。
 ガーニムは強い。剣術ならばイズティハルの中でも上位五本指に入る。誰からも心配なんてされたことがない。
 剣術の鍛錬をしても負け知らず。
 そのガーニムにこんなことを言ったのはマッカが初めてだ。

「……命拾いしたな。今日のところはマッカに免じて許してやる」

 バカラとザキーは無言のまま頭を下げ、出ていった。

「ありがとうございます、ガーニム様」

 マッカはガーニムの腕にすがりついたまま涙を流す。
 何がなんでも奴らを叩き斬るつもりだったのに、興がそげてしまった。
 人質として無理やり妻にされたというのに、よくもまあガーニムのために泣けるものだ。
 筋金入りの馬鹿なのか、それとも。

 マッカの背を撫でながらガーニムは思案する。

 もうしくじることは許されない。
 他の誰かを雇っても、ハキムのように裏切るかもしれない。
 信用のおけない者を新たに雇うくらいなら、王都の総力をスラムにぶち込んで、ファジュルとシャムスを引きずり出してやる。



image
image
55/70ページ